41:百合川陽良のハートの実情
「……もう、いいよ。だいたいわかったから」
「何が、ですか?」
ひとしきり運転手の上島さんとじゃれ合った百合川陽良は、身体を投げ出すように背もたれに背中を預け、疲れたように深いため息をついてからそう言った。
なんのことを言っているのかわからずに、私は正直に尋ねる。
もう、彼に対して抱いていた恐怖心は、だいぶ小さなものになっていた。
「君は僕とのつながりを持ちたかったわけでも、花園家と懇意になりたかったわけでもなさそうだ、ということ」
その言葉に、ぱちくり、と目をまたたかせてしまった。
え、え? えええ?
ちょっと待って、そんなことを邪推していたの?
……いや、普通に考えたら、そういう疑いを持たれても仕方がないのかもしれない。二人ともお金持ちの家だし、花園さんにいたっては理事長の娘だし。
こうして百合川陽良の人間性を知るまで、彼が幼なじみを案じるという発想がそもそもなかったために、まったくの想定外だっただけで。
「彩子をかばったでしょう? 震えるほどに怯えている相手に対してね。それが、彩子を思ってのことだというくらいは、見ていればわかるよ」
百合川陽良には驚かされてばかりだ。
あの怒りようは、もちろん全部が全部嘘だったわけではないだろうけど、私の反応を知るためのトラップだったなんて。
それに……震えていたこと、バレていたか。さすがの観察眼。
彼なら私の口から聞かなくたって、私がイケメンが苦手なことくらいわかっていたかもしれない。
震えていたのは私の身体だけじゃないけどね。なんて思いながら、ポケットの中の携帯から手を離す。
「もしかして、最初から、それを確認するために?」
今日、私の家の近くで待ち伏せしていた理由。私と接触しようとした理由。
それは、彩ちゃんの友人になった私に何か含むところがないか、調べるためだった?
全部……彩ちゃんのためだった?
百合川陽良は、そうだ、とうなずくことはなく。
代わりにこぼした苦笑いが、答えだった。
「君みたいな一般人にはわからないかもしれないけれど、僕や彩子みたいな立場にいる人間は、人付き合いに細心の注意を払う必要があるんだ。彩子は、一見しっかりしているようでいて、実は情にもろくてそそっかしいところがある。……今まで、何度も傷ついてきたところを見てきたからね。彩子にできないなら、僕が試験紙になるしかない」
赤か、青か。……白か黒か。
彩ちゃんにとって毒となりうる存在ではないか。
きっと百合川陽良は、今までもこうして彩ちゃんの防波堤になっていたんだろう。
たしかに彩ちゃんは、百合川陽良のような要領のいい人から見ると危なっかしいのかもしれない。
しっかりしている面があるからこそ、たまに垣間見える隙が危うい。
それは、前世の記憶を持っていることの弊害かもしれない。
同じ年代の子たちよりは精神が成熟しているし、その自覚もあるだろう。余裕は、油断にもつながるものだ。
人生なんて、何度やり直したとしたって、何もかもうまくできるなんてこと、ないだろうからなぁ。
「どうしても、僕たちは上辺だけの友人付き合いが多い。花園学園にも取引先やお得意さまの家の子どもは何人もいる。これから関係ができてくるかもしれない家の子どもも。学校は、僕たちにとっては社交の場だ。だからこそ……利害関係ではない、なんの打算もない、心を開ける友人というものも必要になる。特に、彩子のような真っ当な人間には」
きっとこれは、私のためではなく、彩ちゃんのために聞かせられている彼らの裏事情。
一般家庭で育った私には、想像することしかできない世界だ。友だちすら、自分の好きなようには作れないだなんて。
私と彩ちゃんは、乙女ゲームのヒロインとライバルキャラという特殊なものではありつつも、利害関係にあるわけではない。いうなれば共犯者というか……秘密を共有している関係。
まだ、友だちと呼んでいいのかはわからないけど、もっと仲良くなりたいと思っている。
彩ちゃんの抱えている荷物を、一緒に持つことができるかはわからない。彩ちゃんもそんなことは望んでいないかもしれない。
でも、私の存在が、ほんの少しでも彩ちゃんの支えになるなら。なれるなら。……そうだったら、うれしいよね。
「もし立花さんがそういう存在になってくれるなら、彩子が僕よりも君を優先したとしても、多少は大目に見よう。渋々ながら」
嘘偽りなく渋々といった口調で、百合川陽良は言う。
にこりともしないのは、多分に心が表れているんだろう。『本当は嫌だけど』、という。
子どもだなぁ、と思った。腹黒とか二重人格とか差し引いても、私の一つ上とは思えない言動だ。
季人から聞いていた性格設定との差異は、もしかしたら転生者というイレギュラーである彩ちゃんの影響によるものだったりするのかな。
「彩ちゃんのことが、大切なんですね」
問いかけでもない。確認でもない。
答えはもう十二分にわかっていて、それでも言葉にした。
自分を納得させるためだったのかもしれない。
「それはもちろん。同性の友人にも悋気を覚えるくらいだからね」
百合川陽良は外向けのものではない、自然な笑みを浮かべて、言った。
きれいだなぁ、と私は素直に感じた。
私に対して、彩ちゃんへの恋心を隠す気はさらさらないらしい。牽制になればいいとでも思っているんだろうか。
残念ながら私はそんなに殊勝な性格はしていないので、彩ちゃんとの友だち付き合いに関して、百合川陽良に遠慮するなんて考えはないけれど。
あーあ、と思った。さすがにもう、無理だなぁって。
彼を、ただのイケメンという枠組みにはめ込んで、他と一緒くたに敵視していることは、もうできない。
桜木ハルの言葉はいつもまっすぐで、なんの含みもなく私に笑いかける。それが少しうっとうしいと思ってしまうこともあるくらいに。
藤井清明は真面目で、いい生徒会長だ。頭は固いけれど、学校のことを、生徒のことを考えてくれているのはよくわかる。
椿邦雪だって悪い先生じゃないんだろう。ちゃらんぽらんに見えるし、何を考えているのか読めないところはあれど、生徒人気の高い理由が顔だけとは思えない。
萩満月は弥生ちゃんいわくとてもいい子だそうだ。そして弥生ちゃんに片思いしている可能性が高い。以前ニアミスした蓮見蛍も、三年の先輩に好意を持っているようだった。
わかっていたはずなのに、わかっていなかった。イケメンだって普通に人を思いやる。イケメンだって普通に人を好きになる。
そりゃあ性格の悪いイケメンはもちろんいるけど、そんなの不細工でも意地悪なやつはいくらでもいる。何もイケメンに限ったことじゃない。
イケメンへの偏見を、認めざるをえなかった。
「ああ、時間切れみたいだ」
と、百合川陽良がスマホを取り出した。ブルブルと震えているから、着信だろうか。
スマホの画面を見て、ふっとやわらかく微笑む。
それだけで、着信相手が誰なのか、わかった気がした。
そしてその予想は裏切られることなく、彼が画面を二度ほどタッチすると、女性特有の甲高い声が鼓膜を突き刺した。
『陽良!? 今どこにいるの!! 咲姫ちゃんに何かしたら承知しないんだからねっ!』
思いっきりあわてていて、かつ怒っている様子の彩ちゃんの怒鳴り声。
きっと、ピアノのお稽古が終わってすぐ、私の
私のためにそんなに、と思うととてもありがたいしうれしくなるけど、全部終わったあとなので脱力感は否めない。
くすっと笑みをもらすと、百合川陽良も同じように笑った。
たぶん今、同じようなことを考えている。言葉にするなら、『今さらだなぁ』とかそんな感じだ。
「はいはい、大丈夫。いじめたりしてないから」
「心配かけてごめんね、彩ちゃん」
『……! 咲姫ちゃん、本当? 陽良に無理に言わされてない?』
心配性だなぁ。というか百合川陽良、信用ないなぁ……。
ピクリと彼の眉が跳ねたのは、見なかったことにする。イケメンが怒ると本当に怖い。巻き込まれたくない。
それから、自分の目で確認しないことには安心できない、と言い張る彩ちゃんのために、この車の行き先が花園家に決定した。
ついでに花園家の車で私を家まで送れば、誰かに見咎められる心配もなくて一石二鳥だろう、ということだった。
まあたしかにそれは不安の一つではあったんだよね、さすが彩ちゃんだ。
私も、さっきから忙しないバイブの主が、心配通り越してお怒りモードに突入していそうなので、なるべく早く帰りたいなぁ。
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