31:危機一髪、攻略対象とニアミス

 夏休みももうそろそろ。

 今日、英語の今学期最後の授業で、夏休み中の宿題の範囲とプリントが配られた。

 一人でもできなくはないけど、季人に頼りたくなるくらいにはアルファベットの羅列に頭を痛めた。

 テスト勉強のときのこともあるし、お礼と賄賂の意味を込めて、アイスくらいはおごってあげようかな。

 季人はハーゲンタッツのチョコレートブラウニーが好きだったはずだ。

 ちょうど帰り道にコンビニあるし、買って帰ろうか。

 なんて考えていた私のすぐ後ろで、誰かがため息をついた。

 反射的に振り向いてみると、そこにいたのは花園さんだった。


「花園さん、どうしたの? 大きなため息なんてついて」


 私は思わずそう尋ねてしまった。

 夏休み前に憂鬱そうな顔をしている人なんてクラスで他に見かけない。

 期末テストの結果が悪かったんだろうかと一瞬考えたけど、たしか花園さんの総合順位は五位だった。

 前回よりも上がっているし、とてもため息をつくような結果とは思えない。


「あら、立花さん。いえ、別になんでもありませんわ」

「なんでもないようには見えないんだけど」


 少し驚いたような顔をした花園さんは、前にいたのが私だったことにすら気づいていなかったようだ。

 声には張りが足りないし、表情もどこか浮かない。

 元気がない、というか、困っていることがあるような感じ。

 とにかく、いつもの花園さんではなかった。

 朝に挨拶したときは、こんな違和感は感じなかったんだけれど。

 何か悩み事でも思い出してしまったんだろうか。


「私でよかったら相談に乗るよ」


 そう、私は花園さんに微笑みかけた。

 花園さんがどう思っているのかはわからないけれど、私の中ではすでに、花園さんは友だちのようなものだった。

 悩んでいることがあるなら放っておけないし、私にできることがあるなら手を貸してあげたい。

 いくらかわいげのない私でも、友だちを大切にしようっていう気持ちは人並みにあるのです。


「……そうね。立花さんにしかできないことですし」


 花園さんはうつむきがちに小さくつぶやくと、キッと真剣な表情になって顔を上げた。


「立花さん、今日の放課後はお暇?」

「特に用事はないよ」


 花園さんの雰囲気に若干押されつつも、私は答える。

 知ってのとおり、部活には入っていないし。

 定期テストも終わったばかりで、気を張りつめて勉強する必要もない。

 しかも今日は弥生ちゃんが文芸部に顔を出すと言っていたから、寄り道の予定すらなかった。


「よかった。でしたら少し、お時間いただけるかしら?」

「いいよ。学級委員の仕事?」

「いえ、その……そう、華道部のことでして」


 言いにくいことなのか、花園さんは微妙に言葉をにごす。

 華道部で何か問題でも起きたんだろうか。

 部外者の私が口を出していいようなことなのかな。


「私で役に立てるの?」

「立花さんでなければいけないの」


 一応確認すると、花園さんははっきりとそう言った。

 花園さんの表情は真剣そのもので、どこか神経を尖らせているようにも見えた。

 私でなければ、という強い言葉には、思わず目を丸くしてしまった。

 けど、部外者にしか相談できないこと、というのも中にはあるかもしれない。

 そこまで求められて、応えないわけにはいかない。


「わかった。詳しいことは放課後に聞くよ」


 私がうなずくと、花園さんはほっとしたように表情を和らげた。

 ずっと一人で抱え込んでいたんだろうか。

 花園さんは高飛車お嬢さまに見えて真面目だから、なるべく一人でどうにかしようとでも思っていたのかもね。


「あ、あの! 放課後は、中庭で待っていてくれないかしら」

「……中庭? 中庭に用があるの?」


 場所の指定に、私は首をかしげる。

 わざわざ教室以外で待ち合わせる理由はなんだろう。


「え、ええ、そうなの」

「じゃあ、中庭で待ってればいいんだね」

「お願いします」


 とりあえず了承した私に、花園さんは軽く頭を下げる。

 顔に浮かべている微笑みは少しぎこちない。

 花園さんの様子がおかしいのはわかっていたけれど、相談内容と関係があるのかもしれないと思うと、今この場で問うことはできなかった。

 放課後になれば聞けるんだし、と気にしないことにした。

 私にできるのは、放課後、少しでも花園さんが話しやすい雰囲気を作ることだ。

 今あれこれと考えていたところで、意味はない。



  * * * *



 放課後まで、一つを除き何事もなく時間は過ぎた。

 一つというのは、定期テスト発表後のミニイベントのことだ。

 桜木ハルと終わらせたはずのイベントが、数日の期間をおいて、最近まったく交流のなかった生徒会長とも発生した。まあ現実的に考えると、テストの結果を褒めるのが一人に限定されているわけもない。

 ああ、違った。もう元・生徒会長だ。

 関わりも興味もなかったからスルーしていたけど、生徒会選挙が終わってすでに新メンバーに切り替わっている。

 とはいえまだ引き継ぎ段階で、終業式に新生徒会メンバーの挨拶があって、夏休み中に引き継ぎを終えるんだそうだ。大変そう。

 季人が言うには、藤井清明は引退したあともたびたび生徒会に顔を出すため、生徒会に入っておくと好感度が上がりやすく、イベントも増えるんだとか。至極どうでもいい情報だ。


 そんな元生徒会長からお褒めの言葉をいただいたわけだけども。

 ピクリとも動かない無表情で「がんばったようだな。おめでとう」とか言われても、「はぁ、ありがとうございます」以外に返しようがないよね。

 まあ、私に興味がないというのは、私にとっては好都合だ。

 藤井清明にはかわいい後輩という意識すらないように見える。

 転入生だから、成績優秀だから、一応名前を覚えている、という程度。

 このまま、知り合いとも呼べないような関係のままでいれば、間違いなく恋愛イベントは発生しないだろう。


 終業式は今週の金曜日。

 もうあとたった数日で、一学期が終わる。

 そうすれば、攻略対象と会う機会はほぼない。外でばったり遭遇する可能性はあれど。

 これほど長期休みを待ち遠しく思ったことは、今までなかったかもしれない。

 マイペースを保っているつもりでも、学校内では知らず気を張ってしまっているんだろう。

 一学期が終われば、『コイハナ』のゲーム期間の三分の一以上が終わったことになる。

 まだまだ先は長いけれど、この調子でがんばるしかない。


 とかなんとか、つらつらと考えつつ、私は中庭で花園さんを待っていた。


「華道部に関する用って、なんだろう。……対人関係の相談、とか?」


 中庭に誰もいないことをいいことに、私は独り言をつぶやく。

 声に出してみて、しっくりせずに首をかしげる。

 単なる相談事なら、どうして中庭を指定したのかがわからない。


「うーん、深刻じゃなければいいんだけどな」


 考えてもわからずに、私は膝を抱えてため息をついた。

 ……ええと、現在、体育座りをしております。

 しかも、ベンチとかではなく、高めの植え込みの陰。

 渡り廊下なんかからは死角になる位置だ。花園さんが窓から出てこない限りは、一発で見つかることはないだろう。

 なんで隠れているのかというと、それはもちろんイベント対策だったりする。

 中庭って、『コイハナ』の普段の行動選択でも選べる場所で、ここで起きるイベントもいくつかあるらしいのだ。

 一人、ここで出会いイベントが発生するキャラもいるから、油断はできない。

 花園さんが来る前に攻略対象とのイベントが発生しないよう、予防しているのだった。


「ん? メール?」


 ポケットに入れていた携帯がブルブルと震え、すぐに止まった。

 誰だろう、と携帯を開くと、季人からのメールだった。


『花園さんの幼なじみ、わかったかもしれない。確信はないんだけど、怪しい攻略対象がいたよ。帰ったら話そう』


「……攻略対象」


 携帯の画面を眺めながら、私はぽつりとつぶやく。

 花園さんの幼なじみが、攻略対象かもしれない?

 その可能性があるのはわかっていたし、別に花園さんの幼なじみなんて私には関係のない人だ。

 前世で『コイハナ』のイベントを全コンプしていて、攻略本まで持っていたという季人が覚えていないということは、イベントに関わってきたりはしなかったんだろうし。

 でも、嫌な予感がする――と季人は言っていた。

 なんだか無性に不安になってきてしまい、今すぐ家に帰りたくなった。


 携帯をポケットにしまったとき、かすかな芝生を踏む音が聞こえた。

 やっと来たか、と私は振り返って姿を現そうとした。


「は……」


 なぞのさん、と続けることはできなかった。

 一瞬だけ見えた姿に、私はあわてて自分の口をふさいで、植え込みの陰に再度隠れる。

 風下はこちらで、それほど大きな声ではなかったから、気づかれてはいないはず。

 ああ、でも、どうしよう。

 四方が閉ざされているわけじゃないから、もっとこっちに近づいてきたら、見えてしまう。

 出会いイベントが、発生してしまう。

 ザァーっと、血の気の引いていく音が聞こえるようだ。


「――彩子?」


 中性的な、通りのいい声が花園さんの名前を紡ぐ。

 その声にわずかな苛立ちが含まれているのがわかったけれど、今の私にはそんなことはどうでもよかった。

 なんで、お前が、ここにいる!

 私が一番出会いたくない人間が、なんでよりにもよって今このタイミングで、中庭に来るんだ!


「まったく、この僕を待たせるなんて……お仕置きかな」


 ふふっ、と彼は愉快そうな笑い声をもらす。

 その端正な顔に、意地悪な笑みを浮かべているのだろうと容易に想像がついた。

 彼は、すこぶる外面のいい、実は腹の黒い攻略対象。



 学園の王子サマ、百合川陽良がそこにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る