29:目撃してしまった告白シーン

 テスト最終日の放課後のこと。

 例によって例のごとく椿邦雪に押しつけられた荷運びを終え、教室に戻ろうとしていたときだった。


「好きです、付き合ってください!」


 人気のない廊下を歩いていたら、そんな声が聞こえてきた。

 普段は誰も立ち寄らないような空き教室で、その告白は行われているようだった。

 聞き覚えのない声だけれど、告白の主はたぶん一年生。

 少しだけ興味を引かれて、私は思わず立ち止まってしまった。

 これが女生徒の声なら、相手は攻略対象かもしれないと早々に立ち去ったんだけれど。

 声変わりの終わった男子の声だったものだから、安心して聞き耳を立てることができた。


「ごめんなさい」


 どうやら告白は失敗してしまったようだ。

 謝る声のほうには聞き覚えがあった。

 申し訳なさそうに、けれどきっぱりと断る女生徒。女子にしては低めの凛とした声。

 なるほど、彼女なら告白を受けるのは日常茶飯事だろう。


「……いえ、こちらこそすみませんでした」

「部活ではまた仲良くしてくださる?」

「はい、もちろんです」


 どうやら男子生徒は部活関係の知り合いのようだ。

 華道部は女子しかいないから、華道部と交流のある部活に所属しているんだろう。


「では、わたくしはこれで失礼しますね」


 女生徒はそう言って、静かな足音を立てて扉に近づいていく。

 ……あ、しまった。隠れられる場所がない。

 そのことに気づいたときにはもう時すでに遅し。

 教室から出てきた彼女は廊下を見回し、少し離れたところにいた私にすぐに気づいた。

 女生徒――花園さんは、大きく目を見開いた。


「立花さん……」

「えっと、ごめんね。聞くつもりはなかったんだけど」


 花園さんを前にして、私はつい、ぼそぼそと言い訳を口にしていた。

 ごめんなさい、ここを通ったのは偶然とはいえ、めちゃくちゃ聞くつもり満載でした。

 でもここは嘘も方便だ。用法が違う気もするけど。

 野次馬根性で人の告白に聞き耳を立てるような奴だとは思われたくない。実際、間違ってないっていうのは内緒だ。


「仕方がないわ、学校ですもの。誰が聞いていてもおかしくないのは当然のことよ」


 花園さんはそう苦笑を浮かべた。

 行きましょう、と誘われてその場をあとにする。

 告白した男子にまで、私が聞いていたことがバレないようにだろう。

 見事に玉砕したというのに、その上一部始終を他人に聞かれてました、なんてダメージが大きいもんね。

 小さな声で話していたから、まだ気づかれてはいないと思う。

 とりあえず今の私にできることは、さっさとここからいなくなることだ。


 もう誰も残っていない二年一組の教室まで戻ってきて、私はほっと息をつく。

 そうしたら花園さんとタイミングがかぶって、一瞬の間ののち、二人してくすくすと笑ってしまった。

 花園さんも、緊張とかしていたのかな。


「告白現場とか、初めて見ちゃった」


 正確には、聞いちゃった、なんだけど。

 初々しい感じがしたし、花園さんに敬語を使っていたし、告白してきた男子はたぶん一年生だろう。

 部活の関係で仲良くなって、花園さんを好きになったんだろうな。

 もしかしたら一目惚れだったのかも。花園さん、同じ女の私から見てもきれいだからなぁ。

 初めて、誰かが誰かに想いを告げる声というものを聞いてしまった。

 まだ少し、胸がドキドキしている気がする。


「告白されたことはありませんの?」

「私が? あるわけないじゃん」


 何を言っているんだろうか、花園さんは。

 私が男子に告白をされるようなタイプに見えるわけないだろうに。

 かわいいわけでもないし、ムードメーカーだったり、話し上手なわけでもない。むしろ付き合いは悪いほうだ。

 小学生のときから教室ではいつも本を読んでいるか、同じクラスの女子と話をしているだけ。

 告白どころか、仲のいい男子すらいなかった。

 例外は季人だけど、季人は従兄だからこの場合は除外だよね。


「そうかしら? 立花さんはとてもかわいらしいと思いますけれど」


 きょとん、とした顔をして、花園さんは言う。

 美人が無防備な表情で破壊力抜群な爆弾を投げてきた。

 琥珀色の瞳には、嘘は見当たらない。

 本気でそう思っているんだってことが、伝わってきた。


「……花園さんって、たまに天然だよね」

「そんなことないわ」

「あるある。ちょっとドキッとしちゃったよ」

「立花さんったら……」


 冗談めかした私の言葉に、花園さんはクスリと笑う。

 どんな顔をしていても、やっぱり花園さんは美人で、魅力的だ。

 花園さんがライバルキャラだなんてもったいないと思う。花園さんがプレイヤーキャラなら、攻略対象が惚れるのも理解できるのに。

 それとも、魅力的なライバルキャラだからこそ、プレイに力が入るんだろうか。


「花園さんは、たくさん告白されてそうだよね。そういうの慣れてそう」

「たくさんだなんて。何度か告白を受けたことはあるけれど、慣れるものではないわ」

「へぇ、そうなんだ」


 意外だ。花園さんならそれこそ数えきれないほど告白されていそうなのに。

 それとも逆に、高嶺の花だからあまり告白されないんだろうか。

 花園さんはお嬢さまだし、一見近寄りがたいし、美人で成績優秀で、完璧な人だ。

 そんな花園さんに、自分はふさわしい人間なのかどうかとか、考え始めちゃったら告白は難しそうだもんね。


「やっぱり、想いに応えられないのは、心苦しいもの」


 困ったような、悩ましいような表情で、花園さんはこぼす。

 きっとそれが偽らざる本音なんだろう。

 告白されるのが当然、なんて思わないのは、そこに気持ちがこもっているとわかっているから。

 それに応えられないことに、申し訳なく思うから。

 気遣い屋さんな花園さんらしくて、自然と表情がゆるんだ。


「花園さんは優しいね」

「そんなことないわ。買いかぶりすぎよ」


 花園さんは目を丸くして、すぐに否定する。

 本人にはそんなつもりはないんだろう。

 でも、私は花園さんの優しさを知っている。


「告白してきた相手の気持ちを考えられるっていうのは、花園さんが優しいからだと私は思うな。応えられないのは、しょうがないよ。気にしないでっていうのは無理だろうけど、あんまり気に病まないようにね」


 微笑みと一緒に、私は励ましの言葉を贈った。

 最初は少し高飛車なお嬢さまだって思っていたけど、隠された優しさに気づいた今は、花園さんを見る目が変わっていた。

 面倒見がいいことは転入してすぐに知った。

 気遣い上手な人だということ、かわいい人だということ。

 花園さんと交流を持つようになって、近づかなかったら見えなかった面が見えてくる。

 少しずつ、少しずつ、花園さんのことを知っていけるのがうれしくて。

 知るたびに距離が縮まって、仲良くなっていけるのが、本当にうれしい。


「……立花さんこそ、優しい人ね」

「私の場合は、気に入った人に気まぐれに優しくするだけだから。花園さんとは違うよ」


 優しくしているつもりはないけど、もし花園さんがそう感じるなら、それは私が花園さんに好印象を持っているからだ。

 興味のない人にはとことん冷たいよ、私は。

 特に攻略対象の人たちとかね。

 イケメンは敵だ、と思っている部分だってあるし。

 それが単なる差別だってことは自覚している。それでも対応を改めるつもりはない。


「それでもうれしいわ。ありがとう」

「じゃあ、どういたしまして」


 お礼を受け取って、笑い合う。

 二人っきりの教室内に、和やかな空気がただよう。


「立花さんを好ましく思っている男性も絶対いるわよ」


 その言葉に、一瞬、季人のことが頭をよぎった。

 まあたしかに、好ましくは思われているだろうね。従兄妹として仲はいいし。

 でも、花園さんが言っている意味とは違う。

 私は苦笑して、首を横に振った。


「ないない。よくて友だちレベルだよ」

「そんなことはないと思うのだけれど……立花さん自身は、好きな人がいたりはしないの?」

「え、いないよ。恋愛とか興味ないし」


 花園さんの問いかけに、私は即答する。

 好きな人? そんなのいるわけない。

 花園さんが聞きたいのは、恋愛的な意味なんだろうし。


「興味ないだなんて、どうして?」


 花園さんはさらに質問を重ねてきた。

 恋バナをしたがっているわけじゃなくて、本当に不思議に思っているみたいだ。


「……なんとなく。恋とか愛とか、そういうのに振り回されるのは嫌だなって、思うだけ」


 どう答えればいいのか、迷いながらもそう言葉を返した。

 恋愛というものに、私は懐疑的だ。

 他人の恋バナは聞いていて楽しいけれど、それだけ。

 友だちが片思いしていれば、うまくいけばいいなとは思う。友だちに恋人がいれば、続けばいいなとも思う。

 でも、必ずうまくいくわけじゃないということを私は知っている。

 だから、積極的に恋をしようなんていう気には、とてもじゃないけどなれなかった。


「私のことはもういいよ。花園さんにはいないの? 気になる男子とか」


 これ以上話すこともなかった私は、無理やり花園さんへと矛先を向けた。

 告白されてはっきり断るってことは、他に好きな人がいるっていう可能性もあるよね。

 好き、とまではいかなくても、社交的な花園さんなら、ちょっといいなって思う男子くらいいてもおかしくない。

 つい勢いで聞いちゃったけど、花園さんにあこがれる学年中の男子が気になっている質問を口に出してしまった気がする。

 ごめんね、男子諸君。知りたいなら自分たちで尋ねなさい。


「気になる……というと少し違うけれども。どこか自分の知らないところでしあわせになってもらいたい幼なじみならいるわね」


 花園さんは少し考えるように視線をめぐらせてから、そう答えてくれた。

 へぇ、花園さん、幼なじみなんていたんだ。

 というかそんなことより、どこか自分の知らないところでしあわせになってもらいたい……って。

 何それ、どういうこと?

 しあわせを願うくらいなんだから、嫌いじゃないんだよね。むしろ好意を持っているんじゃなかろうか。

 でも、自分の知らないところでってことは、近くにいてほしくないってことで。

 それって、結局は嫌いってことになるんじゃないのかな。

 理解ができなくて、私は首をかしげる。


「その人のこと、好きなの? 嫌いなの?」

「どうなのかしらね」


 私の当然の問いに、花園さんは苦笑を浮かべるばかり。

 これ以上教えてくれるつもりはないようだ。



 なんというか……花園さんの謎が深まっただけだった。

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