17:借り物の指定とフォークダンス

 体育祭は滞りなく進行していく。

 一組は現在三位。午後の部も残っているから、まだ優勝を狙える順位だ。

 別に体育会系じゃない私は、何位でもいいんだけれど。

 クラスメイトの中には熱血な人もいるから、もちろんそんなことは口には出さない。


 そうこうしているうちに、午前の部最後の種目、借り物競走が始まった。

 待機列に並びながら、季人がどこにいるかを確認しておく。

 よし、言っていたとおり、借り物の書かれている紙を受け取る地点からそんなに離れていない場所にいた。

 これなら、『好きな人』が出たら一位を狙えるだろう。

 他の借り物だった場合は、できるかぎりがんばるしかない。


 借り物が正しいかどうかを見る審査員が、マイクを通して借り物を発表する。

 そのため、季人の情報が正しかったことは、すでに証明されている。

 さっきから何度か『好きな人』という借り物が発表されているからだ。

 そのたびに歓声だか悲鳴だかわからない声が上がる。なるほど、たしかに盛り上がっているようだ。

 仲のいい友だちなんかを連れていく人もいるが、とっさに判断ができなかったのか、バカ正直に好きな人を連れていく人が思っていたより多い。

 わざわざ借り物である相手にマイクを渡して告白の返事を聞くのだから、今年の実行委員は趣味が悪いというか意地が悪いというか。

 ちなみに今のところ、玉砕率のほうが高い。


『一年三組、相田一葉さんの借り物は、『好きな人』!』


 実行委員がまた大きな声で発表した。

 わぁ、と上がる声には、悲痛な響きも混じっているように聞こえた。

 ここからでは見えないけれど、たぶんかわいくて人気のある子なんだろう。


『だ、大好きな先輩ですから! いつもご指導ありがとうございます!』


 相田さんとやらは、ハウリングを起こすほどの勢いで叫んだ。耳が痛いからやめてくれ。

 うまい具合に逃げたもんだなと思った。

 私も似たような逃げ方をしようとしているわけなんだけれども。

 でも、友だちではなく異性の先輩を連れていく時点で、淡い好意はあるんだろう。

 素直になれない乙女心というやつなのかもしれない。


『えーっと、ということだそうですが、借り物にも話を聞きましょう。自己紹介とお返事をどうぞ』

『T大学二年の菊池実です。ありがとう、相田。これからもビシバシ鍛えるからな』


 審査員のインタビューに対する男性側の答えに、私ははっとした。

 菊池実……攻略対象の一人だ。

 ついさっき学園の王子サマも指名されていたから、やっぱり攻略対象というのはモテ男がそろえられるものなんだろう。

 まさかこんなところで名前を聞くとは思わなかった。そもそも体育祭に来ていたことにも驚きだ。

 同じOB仲間と一緒に来たのか、部活の後輩に応援に来る約束でもしていたのか。

 どっちにしろ、顔を合わせることがなくてよかったと思った。


 それからも借り物競走はどんどん行われ、ついに後ろのほうの列だった私の番がやってきた。

 バンッという音に合わせて、いっせいに走り出す。

 まずは、五十メートル先の指定が書かれている紙を目指して全力で走る。

 運動音痴の私の全力なんてたかが知れているわけで、他のレーンの人たちと距離があく。

 でも、重要なのはどれほど早く借り物を連れていけるか、だ。

 残っている紙を手に取り、息を整えるよりも先に折りたたまれているそれを開く。

 そこに書かれていたのは――。


「季人っ!」


 私は名前を大声で呼びながら、季人に駆け寄る。

 声が聞こえたんだろう。季人のほうからも近づいてきてくれる。その顔はなんだかうれしそうに見える。

 借り物を説明する時間も惜しく、その手を取って季人と二人で走り出した。

 無事、一位でゴールテープを切ることができた。

 ぜえはあと荒い呼吸をする私の背中を、季人はさすってくれる。

 走った距離は私の半分とはいえ、季人はまったく息を乱していない。なぜだ、同じ文系のはずなのに。


『二年一組、立花咲姫さんの借り物は、『大学生』! さて、自己紹介をお願いできますか?』


 指定の紙を審査員に渡すと、すぐに読み上げられた。

 それを聞いて、季人はなんとも形容しがたい、微妙な顔をした。

 けれどすぐにいつもの人のよさそうな笑みに戻って、マイクを受け取る。


『T大学国文科三年の立花季人です』

『あ、もしかしてご兄妹ですか?』

『いいえ、従兄です』


 そんなやりとりをしたあとに、私たちは解放された。もちろん審査は通った。

 隣の季人は、もうすっかりいつもどおりだ。

 さっきの微妙な表情はなんだったんだろうか。


「どうかしたの?」

「何が?」


 問いかけてみても、季人は不思議そうな顔をしてとぼける。もしくは本人も無意識なものだったのか。

 そう言われてしまうと、もう何も聞くことができない。

 思い当たることといえば、借り物の指定くらいだ。

 『好きな人』という指定だったときのために、ごまかしの言葉を考えてくれていたんだろうから、肩すかしだったのかもしれない。


「借り物、説明できなくてごめんね」


 私が謝ると、季人は苦笑を浮かべる。


「しょうがないよ。そのおかげで一位になれたんだし」

「そうだけど……」

「大丈夫。気にしてないよ」


 ぽんぽんと軽く頭をなでられる。

 季人の様子におかしいところは見られなくて、気にしてないというのは嘘には聞こえない。

 でも、だったらあの顔はなんだったのか。

 季人に話すつもりがないなら、私にはどうすることもできないんだけれども。

 いまいちすっきりしない気持ちを抱えつつも、借り物競走は終わりを告げた。


 ちなみに、学園の王子サマは合計四回も借り物として選ばれていた。もちろんすべて、『好きな人』としてだ。

 他にも『好きな人』として、女ったらしの蓮見蛍が二回、生徒会長が一回、剣道部エースの梅原うめはら 新一郎しんいちろうが一回。椿邦雪も『好きな先生』という借り物で二回選ばれていたし、攻略対象は大人気だった。

 攻略対象はみんな、返事が『ごめんなさい』だった。

 ちっ、ここで誰かとくっついてしまえば、面倒が減るっていうのに。

 そううまくいくものではなかったらしい。

 現実なんだから、たとえ今がゲーム本編中だといっても、ヒロイン以外を好きになってもおかしくないはず。

 もし、これもゲームの弊害だったとしたら、精神にも影響をきたすなんて、恐ろしいなと思った。



  * * * *



 お昼を伯父さんたちと食べ、午後の部の種目もすべて終わった。

 生徒会長が騎馬戦で大活躍したり。九組の応援団の主将が剣道部エースで、格好いいと騒がれていたり。学園の王子サマは何もしていなくても注目を浴びていたり。

 やはりというか、イケメンぞろいの攻略対象たちは、とても目立っていた。

 彼らの名前が出るたび、出会いイベントを起こしていなくてよかった、と心の底から思った。

 ちなみに倉橋さんの参加した玉入れは、がんばってはいたけれど、一組は五位だった。

 花園さんはリレーに出ていて、二人を抜いて歓声を浴びていた。格好よかった。

 学園長から結果が発表される。今年優勝したのは、六組だ。一組は惜しくも三位だった。


 すべての種目が終わって、最後の締めは全員参加のフォークダンス。

 これも実は、ゲームの体育祭イベントの一環なのだと季人は言っていた。

 出会いイベントを起こしている攻略対象の中から、ランダムで三人と踊るらしい。

 私は今のところ、強制で出てくるキャラとしか出会っていない。

 その場合はどうなるのか聞いたら、なぜか花園さんと踊ることになるのだとか。

 現実でもそうなるのか、なんとなくわくわくしていたら、男女の人数の調整だとかで、花園さんを含めた数人の女子が男子役に回っていた。どうやら実行委員や学級委員の中から選んだようだ。


 フォークダンスが始まって、輪が回り始める。

 男女が同じ向きを向いて、男子は女子のななめ後ろに立ち、両手をつないで踊るフォークダンス。

 ゲームのキャラの中で最初に踊ることになったのは、桜木ハルだった。


「よ、よろしくっ!」

「よろしくね」


 桜木ハルに声をかけられ、仕方なく私もそう返す。

 別に挨拶は必須ではないだろうに。

 むしろ、一人一人に挨拶しながら踊っていたら、うざいような気がする。


「……なんか、緊張する」


 後ろにいる桜木ハルがそうつぶやいたのが聞こえた。

 別にこれにまで返事をする必要はないだろう。独り言のようなものだろうし。

 重ねられている桜木ハルの手は、熱でもあるのかというくらいに熱い。

 女子と触れ合うことに慣れていないのかもしれない。

 いや、でも、桜木ハルはクラスのマスコットキャラだ。当然女子にだっていつも絡まれている。

 慣れていない、ということはないはず。

 ……まあ、どうでもいいことか。

 そう結論を出したところで、踊る相手が切り替わった。


 それから何人かと踊り、さて次は……と確認してみると、椿邦雪だった。


「立花か。よろしくな~」

「……よろしくお願いします」


 へら、と椿邦雪はやる気のなさそうな笑みを見せる。

 なんで先生が混じってるんだ、というツッコミはしないでおいた。大方、男子のほうが少なかったからとかそういう理由だろう。


「立花はちっさいな~」


 大きなお世話だ、と後ろをギラリと睨んでおいた。

 彼の言うとおり小さい私が睨んだところで、怖くもなんともないだろうが。

 椿邦雪は肩をすくめて、お~怖い怖い、と言った。嘘つけ。


 そろそろ曲が終わるかというころ、花園さんとペアになった。


「よろしくお願いしますね」

「うん、よろしく」


 優雅に微笑む花園さんに、私も笑みを返す。

 こんなに女性らしい人なのに、男子の側を踊るなんて。

 もったいないなぁ、とも思うけれど、妙に似合っているようにも見えた。

 凛とした空気を持っているからだろうか。まるで宝塚の男役のようだ。


「花園さん、かっこいいね」


 踊っている最中、私のほうから話しかけてみた。

 後ろに視線を送ってみると、花園さんは少し驚いた顔をしたあと、わずかに頬を染めた。


「……褒め言葉として受け取っておきますわ」

「褒めてる褒めてる」


 ツンデレを発揮する花園さんに、くすくすと笑いながら私は言う。

 格好いいけど、かわいくもある人だ。

 やっぱり、なんだかいいなぁ。

 いちいちツボにはまる人だと思う。

 花園さんの重要パラメーターは社交と芸術と魅力だから、友情イベントは起こせないだろうけど。

 イベントとか関係なく、仲良くなれたらうれしいかもしれない。



 そんなことを思いながら、体育祭は幕を閉じた。

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