10:親にも言えないゲーム事情

 一週間に一回くらいの頻度で、母さんから国際電話がかかってくる。

 電話代が高いから、相談してこのくらいの頻度に決めた。

 じゃないと心配性の母さんは毎日電話をかけてきてしまう。

 よく私を残して海外に行けたな、と思うくらいに、母さんは度が過ぎる心配性だ。


『学校はどう?』


 優しげな声が耳をくすぐる。

 音質はあまりよくないけれど、たしかに母の声だ。


「ぼちぼち、かなぁ。勉強のほうはちゃんとついていけそう」


 乙女ゲームがどうとかなんて、母さんに言えるわけがない。ホームシックで頭がおかしくなったとでも思われるだけだ。

 だから私は無難な答えを返した。

 まだ通い始めて一ヶ月程度だけれど、教師と相性がいいのか今のところ勉強でつまずいたりはしていない。

 あと二週間ほどで中間テストがあるから、もうすでに復習をし始めている。

 一週間前からは集中的に練習問題を解かないと。

 花園学園は前にいた学校よりも少し偏差値の高い学校だから、絶対に気は抜けない。


『お友だちはできた?』

「お友だち……とまではまだ言えないけど、よく話す人はいるよ」


 花園さんのことを思い浮かべながら、私はそう言った。 

 桜木ハルも話していると言えば話している気がする。ほとんど桜木ハルが一方的に話しているだけだけど。

 花園さんは、お友だち扱いしていいのかな。

 ゲームでは友人キャラという立ち位置だけど、友情イベントを進めなくても友だちと呼べるのかどうか。

 別に、花園さんとのイベントなら起きてもいいかな、という気も最近はしている。

 なんか、いいなって思うときがあったりするんだよね。

 仲良くなれたら楽しいかもしれない。

 ちなみに、桜木ハルとは友だちになる気は一切ありません。


『そう、なら安心かしら。咲姫は人見知りだから』

「もう子どもじゃないんだから、大丈夫だよ」

『高校生なんてまだまだ子どもよ』


 笑みを含んだ母さんの言葉に、私はむっとする。

 同じようなことを季人にも言われたな、と思い出したから。

 こうしてすぐ不機嫌になってしまうのは、やっぱり私が子どもだからなんだろうか。


『兄さんや義姉さんに迷惑かけていない?』

「大丈夫、だと思う。よくしてもらってるよ」

『ちゃんとお礼の気持ちを忘れずに伝えるのよ。それだけでも全然違うから』

「うん、わかってる」


 私ははっきりとそう返事をした。

 もちろん、言われなくても伯父さん夫婦に失礼なことをするつもりはない。

 親しき仲にも礼儀あり。自分でできることは自分でやって、甘えすぎないようにしようと思っている。

 伯父さんは口数が少ないけれど、やっぱり季人の父だけあって優しい人。伯母さんは華やかでにぎやかで家庭的な、素敵な女性。

 もっと甘えてほしい、なんて言ってくれる人たち。

 だからこそ、迷惑はかけたくない。


『季人くんとは仲良くしてる?』


 質問ばっかりだな、と私は忍び笑いをもらす。

 それだけ私が遠く離れた地でどうしているか気になるんだろう。

 毎回似たような質問をされている気がするけれど、何度でも確認したいのなら何度でも答えるまでだ。

 心配性の母親との付き合い方は、もう充分すぎるほどに心得ている。


「してるよー。季人、変わってないんだもん。相変わらずシスコンだよ」


 カラカラと笑いながら私は言った。

 季人のシスコンっぷりは、当然ながら母さんも知っている。

 本当の兄妹みたいね、とよく言われたものだった。


『もう、失礼でしょ。従妹思いなのよ』

「いい加減従妹離れしてもいいと思うんだけどね」

『そんなことになったら、咲姫は寂しいんじゃないの?』

「……まあ、そうかもね」


 否定はできなかったので、あいまいに答えた。

 私のほうこそ、従兄離れをしないといけないのかもしれない。

 今のところ、乙女ゲームのことがあるから、どうしても頼らずにはいられないけれど。

 ゲーム本編が終わったら……今年が終わったら。

 考えないと、なのかもね。


『あなたったら昔から季人くんにべったりだったもの。嫌がらずに相手をしてくれている季人くんに感謝しなくちゃ』


 聞き捨てならない言葉に、私は反射的に口を開く。


「べったりって……季人のほうが私のことかまってきてたんだよ」

『あらあら、都合のいい覚え間違いね』

「覚え間違いじゃないし」


 子どものころから季人は私に甘かった。

 私が欲しいと言ったものをなんでも与えるものだから、伯父さんに注意されていたりした。

 べったりだったのは、季人のほうだ。


『そう思うなら義姉さんに聞いてみたら? 昔は、季人くんが遊びに来たら抱きついて引き留めるし、私たちが遊びに行ったときはこの家の子になるって泣いていたものよ』

「そんなの、覚えてない!」


 思わず私は叫んだ。

 人には誰しも黒歴史があるものだと言う。

 私にとっては、もしやこれがそうなんだろうか。


『小学生低学年くらいまでは、そんな感じだったわよ。だんだん知恵をつけてきて、また遊びに来てね、とか、また行こうね、ってにっこり笑うようになってね。そう言われちゃったらもう、叶えないわけにはいかないものね』


 昔を懐かしんでいるのか、母さんの声はやわらかく耳に優しく響く。

 けれど、その内容は、間違いなく私を爆撃していた。


「……母さん、やめて、本気で恥ずかしい」


 私は片手で顔を覆いながら、降参した。

 県が違うといっても、私の家から伯父さんの家までは車で片道一時間と少し。電車でも駅からの移動時間を含めて二時間程度。

 子どものころから、一シーズンに一回は季人と会っていた。

 私たちが遊びに行ったり、季人たちが私たちの家に来たり。伯父さん家のほうが広いから、私たちが行くほうが多かったけど。

 かなり頻繁に行っていたから、子どものころは、親戚付き合いというものはそういうものだと思っていた。数年に一度しか会わない親戚だっていたのに、意識からシャットアウトしていたのだ。

 かなりの頻度で会っていた覚えはある。

 それが、私の希望によるものだったというなら。

 恥ずかしすぎて、深い穴を掘ってそこから一週間は出てきたくない。


『……あの時も、咲姫が一番に頼ったのは季人くんだったものね』

「それは……」


 母さんの声に、悲しみが混じる。

 なんて言ったらいいのかわからなくて、言葉につまった。


『わかっているわ。あの時は、私もいっぱいいっぱいだったもの。甘えたくても甘えられなかったわよね』


 五年前の記憶が呼び起こされる。

 最後に見た背中。なぜか怖くて、声をかけることができなかった。

 私を抱きしめたまま、静かに涙を流す母。大丈夫? と私が言うたびに母はうなずいていたけれど。

 本当は大丈夫なんかではなかった。そんなこと、今よりも子どもだった私にもわかった。

 日に日に、母さんは元気をなくしていった。


 そして思い出すのは、雨の日の駅。

 私は一人でじっと、待っていた。

 衝動的に家を飛び出して、電車に乗り込んで。

 車の免許を持っていない母と二人で行くときに、何度も乗った路線は頭に全部入っていた。

 駅で、電話をした。

 迎えに来て。今、駅にいるの。声はたぶん、涙混じりで聞き取りにくかっただろう。

 すぐに駆けつけてきてくれた季人は、力強く私を抱きしめてくれた。

『俺がいるから』と、何度もそう言ってくれた。

 その言葉に、そのぬくもりに、私は救われたんだ。


「母さんは、悪くないから」


 それだけは、伝えておくべきだと思った。

 それだけしか、言えなかった。

 母さんは悪くない。

 悪いのは……悪いのは……。

 むくむくとこみ上げてくる不快感を、私は必死にかき消そうとした。


『ありがとう』


 何に対するものなのか、母さんはお礼を口にした。

 ふんわりとほころんだ笑みが目に浮かぶようだった。

 今の母さんはしあわせそうだ。

 少なくとも、私にはそう見える。

 母さんをしあわせにしてくれる人が、一緒にいるから。

 それでいいじゃないか。

 誰が悪いとか、そんなの。今はもう、終わったことなんだから。

 さっきまでの不快感は、いつのまにか薄れていた。


『だから、季人くんには感謝しているの。今回兄さんの家に行かせることにしたのは、季人くんがいるからよ。甘えられる人が近くにいれば、安心だもの』


 心配性すぎる、と苦笑したくなりつつも、心配してくれることが素直にうれしいと感じる。

 母さんは、私がどれだけ季人に心を開いているのか、知っている。

 もしかしたら、小さいころの記憶があいまいな私よりも。


「季人もずいぶんと信頼されているもので」

『当然じゃないの。あんなにできた子もなかなかいないわ』

「うーん、素直に同意できない。シスコンだからなぁ」


 私は苦笑しながらそう言った。

 季人が手放しに褒められると、残念な部分も知っているだけにツッコミを入れたくなる。

 けなされたらけなされたで、全力で反論するんだろうけれど。


『あなただってブラコンじゃないの』

「それは否定できないね」


 ブラコンだという自覚は充分にあった。

 あの時、一番に季人を頼ってしまったように。

 私の中で、無条件に甘えられる人というのは限られていて。

 季人はやっぱり、特別なんだ。


『元気そうでよかったわ。新しい学校になじめているか、何か困っていることはないか、心配だったの』


 やわらかな声が、ゆっくりと心にまで染み込んでくる。

 照れくさいような、うれしいような。

 どんな顔をしたらいいのかわからなくて、私はゆるみそうになった口を引き結ぶ。


「まったくもう、心配性なんだから。せっかく夫婦水入らずで海外行ってるんだから、新婚旅行と思って、楽しんできなよ。行ってなかったんだからさ」


 海外なんて、そう簡単に行ける場所でもないだろう。

 少なくとも高校生の私にとっては、海外は遠い。

 仕事の関係とはいえ、休みがないわけじゃないんだろうから、思いっきり観光してくればいい。

 そうしてお土産話を山ほど聞かせてもらえれば、私はそれだけでいい。


『咲姫は親孝行者ね』

「新婚夫婦の空気にあてられるのが嫌なだけだよ」


 一ヶ月ちょっと前まで間近で発せられていた、甘々な空気を思い出す。

 二人とも、難しい年頃の娘がいるんだということを忘れないでほしいと何度言いたくなったことか。

 私は私で、本を読んだり好きなことをしていたから、別にいいのだけれど。

 母さんたちが帰ってくるのは、早くて二年後らしい。

 それまでには少し落ち着いてくれていればいいな、と私は思った。

 親孝行なんかじゃ、ない。



 ……私はいつも、私のことだけだ。

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