8-4 今、そして未来へ
結局、その後は何もなかった。拍子抜けにも程があると要が思うぐらいであった。叔母は二人に何も聞かなかったし、二人も何も話さなかった。叔父は無言のまま粛々と夕食を済ませ、自室へと去って行った。要と雫も、挨拶をそこそこにそれぞれの部屋へと戻って行った。それは翌朝も同じ話であった。結局要は、霞とのすり合わせもままならぬままに、自身の故郷を目指すこととなった。
「微妙な空気にも程度ってものがあるよなあ……」
そんなことをぼやきながら車を運転する要。今日は雫とは別行動を取っていた。流石にここ最近のことをすべて話すには、要にも勇気が足りなかった。少々不安だが、仕方がない。
(まあ昨日の今日で似たような手段は取ってこないとは思うけど、な)
昨日の騒動を思い出す。今思えばゾッとしない話であった。いくらなんでも、自分の娘を焚き付けてコトを為させようとするのは。いささか強引が過ぎる。
「とはいえ、雫にああ言ったからには、だ。これ以上の詮索はしないし出来ない」
やや急なカーブを巧みにすり抜け、要は山間の国道を加速していく。そしてそのまま。一路故郷に向かって行った。
「ただいま」
「おかえり。新年は帰って来なかったから、一年ぶりね」
「うん、ごめん。ちょっと色々とあったんだ」
一年ぶりの我が家は、どこか広く見えた。普段過ごす部屋が、そうそう広いものではないからだろうか。閑静な住宅街に建っている、実に平凡な一軒家。だがその素晴らしさは、今だからこそ要にもよく分かる。
「まあ、元気なら言うことはないわね。今日は泊まって行くんでしょ?」
「うん。父さんとも話がしたい」
事務連絡めいたやり取りの端々に、要は母の愛を感じ取った。家でぬくぬくと暮らしていた頃には疎ましくもあったその声も、今は心揺るがすことなく受け入れられる。
「お昼ご飯の準備はできているから、荷物を置いたら降りて来てちょうだい」
「分かった」
優しげな母、
その後はのどかに時間が過ぎて行った。母は暮らしについて聞きたかった様子であったが、要はそれを夕食の席に先送りしてもらった。この一年、特にこの半年ほどにあった出来事は、あまりにも多く、波乱万丈に過ぎた。とりわけ雫のことは、あまり詳しく話したくはなかった。思考を巡らせながら散歩に繰り出し、久方ぶりの故郷の風景を味わった。自然と足は、かつての学び舎へと向かった。
「懐かしいな……」
母校の校舎を見上げながらそう思った。中学校の三年間が脳裏に浮かぶ。あの頃は基本的に学業に精を出していたはずだ。遙華の性別に意外さを隠せず、暫くの間話すことさえはばかられたのは、一年生の頃だったか。
様々な記憶が寄せては返し、返しては寄せる。目を閉じると、僅かに溢れるものがあった。暫くの間、要はそうして回想に心を浸し続けた。
浸して、浸して。浸し切るまで浸し切って。
そうして再び目を開く。目に映る姿には変化はない。しかし、過去を思い出すような幻影は、姿を消していた。
(過去への憧憬はもう十分。今、そして未来へ。さあ、踏み出そうか)
学び舎を背にして、要は歩き出した。照りつける太陽も。僅かにそよぐ風も、今の要には全く気にならなかった。
結局夕食より帰宅が遅くなった父親が要を呼び出したのは、その日の夜、十時も過ぎた頃であった。
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