6. 侵入

 王立魔法学院の結界の回避方法を見つけた僕は、スンと一緒に門から街の外まで出た。ビッチェは海に面した丘陵地帯に位置しているため、今、僕たちが出てきたビッチェへ入る門がこの辺りでは一番標高が高い。


「スン、行くよ!」

「ん」


 門を抜けた街道側は緩やかに下っている。

 門で警備をしている守衛から見えない位置まで降り、僕はスンに声を掛けた。その声に反応し、スンは僕の背中におぶさり、刀に姿を変える。


「よし」


 軽く屈伸などのストレッチ運動をした後、僕は街道を街へ向かって全速で駆け上がった。


「お−い、どうした? 忘れ物か?」


 今出たばかりの二人が全速で駆け戻ってきたので守衛が声を掛けてきたが無視をして、門の手前で思い切って跳躍した。


「ググ!」


 僕が念じると街にいる間ローブの形態を取っていた魔具であるググが変形し、身体にぴったりとし、脇の部分に翼があるフライングスーツのような形になる。そして、


「もういっちょ」


 と、背中の部分を膨らませるイメージをググに伝える。すると背中側から大きくパラグライダーのような袋状の形に拡がり、僕が生み出したスピードが受ける空気抵抗の力を上昇するベクトルに置換する。


 一気に門を飛び越えた僕を見て、守衛は慌てて門をくぐりこちらを見上げて何やら騒いでいるが、あっという間に距離が開いてしまったため、よく聞こえない。


「まぁ、いいや……あそこだ」


 鳥が飛んでいる高さまで上がった僕は、眼下に見える魔法学院を確認し、背中に広げたパラグライダーの部分を収容した。そして脇の下で広げている翼の部分を使って、


「いっけぇ!」


 と、黒い悪趣味の建物に囲まれた中庭に向かってダイブしたのだ。


 ん? あれ? これって、落ちてる?


 気持ちよく降下作戦と洒落込んだのはいいけど、角度的にはほぼ自由落下だ。このままだと、地面に突き刺さる。ダメージは無いだろうが、下手をすると大きなクレーターを作ってしまいそうだ。


 高度はグングン下がり、王立魔法学院の中庭が近づいてくる。


「やばい! 」


 両手を思いっきり広げ、脇の下の翼部分を空気抵抗が増すように膨らませる。その一瞬の減速を利用して中庭に対する進入角度を強引に変更し、


「ちゃっくりーく!」


 と、足の裏で地面を掴むように踏ん張った。


「うぉぉぉぉぉ」


 僕の両足が中庭の上を滑る……いや、これはすでに削り取っていると言ってもいいだろう。石畳が掘り起こされ僕の両サイドへ吹き飛んでいく。それでも地面の抵抗である程度は減速出来たのだが、所詮は中庭だ。距離が足りない。


「緊急ブレーキ!」


 僕は踏ん張る足に少しだけ力をいれてもう一度浮き上がり、正面の建物の壁に向かって垂直に両手両足を踏ん張って着地。


「成功!」


 大きな音を立てて建物の壁が凹む。

 だが、これで完全に停止出来た。


 僕は突き差さてしまった両腕を引き抜き、身体を逸らして地面に手を付き、今度は両足を引き抜く。


 うん、成功。若い身体はいいね。これが前世だったりしたら身体が固すぎて身動き出来なくなっていたよ。まぁ、その前にあの高さから落ちたら死んでいるけど。


「ふぅ」


 ひとつ大きく溜息を付くと僕は自分が傷つけてしまった中庭の状況を確認する。盛大に掘り起こされてしまった石畳と、そこにくっきり残る2本の地面を抉るようにできた溝。


 振り返れば、建物の壁にクレーター。


 結構な音がしたし、いくら早朝とはいえ、これではすぐに誰かが駆け付けてきちゃうだろうな。


 逃げるか。

 僕はクレーターを作った建物を見上げ、その壁にある、いくつかの出っ張りを確認してから、そこを足がかりに、一気に屋上まで逃げた。


 僕が屋上で伏せて身を隠し眼下を覗き込むと同時に、ドタドタと足音がいくつも響いてきて、守衛が中庭に駆け込んできた。


「何事だ!」

「大きな音がしたぞ……うわっ! これは何の痕だ?」


 中庭の惨状に、彼らは足を止め呆然とする。

 そして、その彼らを少し遠巻きに囲むように、少し遅れて周囲の建物から出てきた若い男女も口に手を当てたり、口々に何があったかといいながら集まってきた。


 多分、魔法学院の寮で生活している学生達だろう。


「怪奇現象よ!」

「空から何か降ってきたに違いない!」

「隕石じゃないか?」

「世界の終わりだ!」


 学生達は口々に無責任な推理をしているが、誰も人が忍び込んだとは思っていないようだ。まぁ、こんな派手な音を立てて忍び込むようなアホは僕以外にはいるまい。


「諸君! 調査は先生方と守衛達に任せ、僕たちは彼らの邪魔をしないようにしよう」


 うん?

 僕が残した爪痕の周囲を囲んでいた学生の輪が割れ、そこに生まれたスペースを、さも当然と言わんばかりの堂々とした歩き方で一人の若者が進み出てきた。


 寝間着のまま出てきている学生も多い中、きちんと金髪を整え、周囲の建物と同じような黒をベースとし、金の刺繍であしらった制服らしき服装を着た青年だ。そしてその青年は、これまたやはり、黒を基調にしたスカート姿の制服を着た女性が付き従

っている。こちらの女性はこの世界では珍しい黒髪だ。


 僕と父、それにスンと師匠くらいしか黒髪には会ったことはなかったんだが、ちゃんといるんだね。


「さぁ、どうした。解散したまえ。警備! あとは頼んだぞ」

「はっ」

「はい! クニヒロ様!」


 学生も守衛も、その青年の言うことを聴いて動き出した。あいつがアマロ公国最後の公子クニヒロという事か。立派な公子っぷりだが、そもそも国が滅びそうだというのに、学院に引きこもっているという時点で、僕の評価は低い。


 クニヒロに付き従っていた女性が、クニヒロに続いて周囲の守衛や学生にこう告げた。


「みなさん、朝からご苦労様でした。殿下から後ほど、お褒めの言葉があるでしょう。さぁさぁ、皆さん。学生の本分は勉強ですよ。早く準備をしないと遅刻してしまいますわ」


 ふむ。

 あれがジョゼが言っていた。多分、あれが問題のゴヤ公国の男爵令嬢なんだろう。上からじゃ声しか解らないがジョゼから奪った婚約者の立場に座ったという事だから、位置取り的に間違い無いだろう。


「アネイ様、その通りですね。私ったらこんな格好ではした無い」

「顔も洗わずに出てきてしまいましたわ」


 周囲に学生が口々にそう言いながら、寮舎へ戻っていく。僕のいる一番大きな建物の右側に男子、左側に女子が吸い込まれていくので、それぞれが男子寮、女子寮という事なんだろう。


 クニヒロも、男爵令嬢のアネイも、人望が厚そうだ。だが、腐敗臭がアネイから漂っていたという事だし。


 斬り捨てるか……


 短絡的にそう判断した僕を、背後から、自分で人の姿に戻ったスンが押しとどめる。


「主様、尚早」

「そう? ……そうか、そうだよね。まだ証拠が無いか……」


 確かにスンの言うとおり何の証拠も無い。

 いつの間にか僕の中では斬り捨てが確定しいたようだ。落ち着こう。


「じゃぁ、とりあえずあっちの女子寮に入って男爵令嬢の部屋を探してみる?」

「今は難しい」

「人が戻ったから」

「ん」


 スンに常識的な事を諭されてしまった。

 だが、授業が始まる時間までは調査が出来ないなぁ。


「主様、あれ」

「ん?」


 スンが右側の男子寮舎の屋上にある木造の小屋を指さした。目をこらして、その小屋を見てみると、


「あれは……制服?」


 窓が開放されている小さな小屋には何着もの制服が吊されていた。多分、洗濯した制服を干しておく専用の小屋なのだろう。女子寮の方も、同じような小屋が建てられている。こちらは、目隠し用に布が掛けられているので、中の様子までは分からない。


「ん」

「あれで変装して忍び込めば大丈夫という事だね?」

「ん」


 学生を調査するなら学生の格好をして潜入捜査を行うのがベストだろう。前世で何度か読んだセカイ系の小説にも、そんなシーンが書いてあったような気がする。


 とりあえず自分とスンの分の制服を探そうと、僕は左側の建物まで跳躍しようと助走の準備に入って……


「ぐぇ」


 走り出した途端、スンに後ろから引っ張られた。


「何をするんだ!」


 潜入捜査中という事で大声は出さず、それでもスンに強く言うと、スンは、


「主様はあっち……」


 と、右側の男子寮を指さした。


「あ、そうだね」


 勘違い、勘違い。

 決して女子寮の屋上に吊された制服を想像して自制心を失った訳じゃない。


「じゃぁ、あっちで」


 僕はそう言って、屋上を走り、隣の建物の屋上まで飛び移った。


「ほっ」


 隣の建物までは15メートルほどだったが、高さが4階分くらい違ったので、簡単に飛び移れた。回転して勢いを殺し、すぐさま体制を整え、後ろから飛んできたスンをキャッチする。


「ん」


 スンをそのまま降ろし、二人で洗濯小屋へ近づいた。

 そこには、いくつもの男性用の黒い制服が吊されていた。中には学生の体格に合わせたのだろうか、小さな制服もある。


「よしこれにしよう」


 僕はその中で一番小さなものだと思われる制服を選んで、吊しているハンガーから外す。よかった。完全に乾いているし、真新しい。多分、最近入学した年少の学生のものなんだろう。


 早速、ググを身体にピッチリとした形に換え、その上から着込む……が、


「でかい」

「ん」

「これは無理かな」

「ん、無理」


 明らかに一番小さな制服を着たはずだったが、どう着こなしてみても、僕にはブカブカだ。腕を捲り、裾を捲っても、そうもそも胴回りがあっていない。


 よく考えれば、当たり前の話だ。以前聞いた話では魔法学院に入学するのは、日本で言う所の中学生くらいの年齢だった。いくら小柄な学生でも、4歳児の僕と比較するのが間違いだ。

 

「制服案は却下で」

「ん」


 そう頷いた後、何かを思いついたのか、ポンと胸の前で手を叩いたスンが僕の事を指さした。


 何?

 

 スンの指先は僕の胸の辺りを指している。胸の辺り……


「ああ、ググを制服に?」

「ん」


 なるほど確かにその方がいいか。そもそも、最初からそうすべきだった。

 僕はそう思い、ググに制服のイメージを伝えると、すぐさまググは変化をし制服の形に変わる。


 失敗だ。


「赤いね」

「ん」


 炎龍の鱗が原因なのか、いつもよりは発色の度合いは抑えられたものの、明らかに制服は赤かった。


「転校生という事で」

「……ん」


 その時、ガチャリと小屋とは反対側にある木製のドアが開き、そこから数人の男子生徒が現れた。


「えっ?」

「えっ?」


 一瞬、両者とも固まってしまったが、僕は今決めたばかりの設定に沿って話しをしてみる事にした。


「こんにちわ、先輩方。僕はクロイワ公国の王立学院から転校し……え?」


 僕が颯爽と自己紹介をしようとしたが、学生の手の平には容赦なく火の玉が浮かび上がっていた。


「侵入者だぁ! 血染めの制服を着た子供に化けた侵入者がいるぞ! 女の子を襲っている!」

「血染め? 襲っている?」


 僕がスンの方を見ると、スンも首を傾げる。


 確かにさっきまでの真っ赤な鎧姿と違い、色加減を落として多少くすんだ赤という感じになった制服は血糊のように見えたのかもしれない。だが、血には見えないだろう。


re firureこの手にn hans炎を宿し, usiv firure撃て


 だが僕のそんな考えをよそに魔法が放たれた。

 炎の弾が近づいてくるのだが、学生だからか明らかに威力が弱い上、速度も遅い。


「スン、逃げようか」

「ぬかった」

「そうだね」


 スンも若干悔しそうだが、やむを得ない。学生を無闇に傷つける訳にもいかないし、ここは逃げの一手だ。


「失礼しました」


 飛んでくる魔法を、右手の拳を使って打ち払った。


「はぁ? 僕の必殺の魔法を?」


 いくら何でも、これで必殺は無いよ。将来に向かってもっと練習しろよ、若者。

 僕は心の中でそう呟くとスンの手を取り、



「あ、おい、待て、こら!」


 学生が静止するのも聞かずに建物から外側の塀に向かって飛び出した。空中でスンを抱きかかえ背中から翼を広げ、一気に塀の向こう側へ、


「うわっ」


 と思ったが、結界を忘れていた。これって外から内にも、内から外にも効くんだね。大丈夫だと思うが、念のためスンを庇いながら、何とか地面に着地。


「困った、この場所だと高さが出せない!」


 さっきみたいに街の外から飛び上がって上昇気流を捉まえられれば、結界の更に上を飛び越す事ができるんだけど、さすがに自分の跳躍力だけでは向こうまでいけない。


「侵入者はあそこだぁ」

「ああ、時間も無い」


 先ほどの建物の屋上から学生がこっちを指さしている。きっと守衛か何かを呼んでいるのだろう。こうなっては仕方無い。


「スン、強行突破するよ」

「止む無し」


 スンから許可を貰ったので僕は全力で結界を生み出している石の壁を全力で殴り始める。僕たちが通れるくらいの穴を空けるためだ。僕の力があれば、塀の上とは違い物理的な強度だけの石塀など、物の数では無い。


「強行……突破!」

 

 数発殴って、抉れてきたので最後は思い切って蹴りつけたら崩れた。しかも数十メートルに渡って……


「……よし、脱出成功!」


 最早侵入者としてなのか、テロリストとしてなのかは解らないが、僕たちは何とか学院から逃げ出した。


***


「……という事で調査に失敗しました」


 僕はジョゼの前で土下座して、事の経緯を伝えた。


「……」


 ジョゼのこめかみに青筋が浮かんでいるが、表情は特に変化は無い。しばらくすると、大きな溜息をついて、


「わかりました」


 優しい声でこう言った。

 僕がそおっと顔見上げ、その表情を確認すると、まるで何か悟りを開いたような穏やかな顔だ。


「だ、大丈夫、もう一回行ってくる」


 こんな表情をさせてしまったのが、さすがに申し訳なくなってので、僕はそう言い繕った。それに、クニヒロ公子に何とか婚約破棄を撤回させ、その上でゴヤ公国とオドン公国の間の戦争を回避する必要もある。


 だが、ジョゼは静かに首を振る。


「いいえ、私が行きます?」

「え?」


「そもそも、この問題は私の問題です。国の一大事を言い訳に逃げ帰ろうとしたり、シャルル君やスンちゃんに頼っていた私が間違っておりました。逃げ帰るのも止めです。命がけで学院に忍び込んでくれた二人に報いるためにも、私が行きます!」


 こう、ジョゼはこう宣言したのだった。


***


「戻りました。ご迷惑をおかけしました」


 ジョセは僕たちが忍び込むのに失敗した昼に、そうやって守衛に挨拶をして学院に戻った。そもそも学院を追放されたのではなく、クニヒロや男爵令嬢によって追い出されただけだから、門で警備をしている守衛には、生徒であるジョゼが戻ってきたからと言って、それを止める権限は無い。


「さて、僕たちも忍び込むか」

「ん」


 僕たちはジョゼが門の中に入ったことを少し離れた物陰から確認すると、先ほど破壊してしまった壁の付近へ移動する。


「警備……いる事はいるんだね」


 数十メートルに渡って崩壊してしまった壁は、さすがに補修しようがなかったのか、そのままにされている。その壁代わりなのか何人かの守衛が歩哨として立っていた。


「よいしょっと」


 僕はその歩哨達にみつからないように一瞬の隙を突いて、瓦礫の山を飛び越え、そのまま正面にある男子寮の壁に身体を貼り付け、周囲の様子を窺った。


 こんなに堂々と入ったのに、誰にも咎められない。これは、しばらくの間、出入り自由だな。


 しばらく待って、誰も近づいてこない事を確認すると、僕はさっきと同じ要領で出っ張りを利用しながら、一気に屋上まであがり反対側の中庭の方の様子を窺った。


 そこには、


「ジョゼフィーヌ! なぜ戻ってきた!」


 と、女子寮の入り口に向かうジョゼの背後から怒鳴っているクニヒロ公子と、女子寮の入り口にずらりと並んでいる女子学生の面々。


 その中央には当然のように、男爵令嬢アネイ。

 ジョゼに対する包囲網は完成していた。

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