2. 依頼
ビッチェの門で警備をしていた衛兵から聞いた場所に、タニア商会のビッチェ支部があった。
「へぇ……やっぱりタニア婆さんの商会って大きいんだね」
「そうね。公都でも屈指の商会だし、王国全体でみても大きい方だと思うわ」
高さは他の建物と合わせるように2階建ての作りだが、建坪でみると相当な広さがある。定位置となった馬車の屋根に腰掛けたまま、僕が建物を見て感想をもらすと、エリカも馬車から顔を出して僕の言葉に応えた。
「ビッチェは海運貿易の中心地」
「うわっ」
御者をずっと務めてくれていたパンダによく似た熊族と人族のハーフのクマが突然、声をだした。
「……久しぶりに声を聞いた」
一ヶ月近く一緒に過ごしたが、いつもニコニコしているだけで、最初に会った時以来、声を聞いていなかったんだが、突然語りだしたのに驚いてしまった。
「クマ、もしかして社会科が得意だったりするのか?」
「社会科?」
ああ、日本の教科で言っても通じないか。
「国と国の関係とか、地理の話とか」
「得意」
「そうか……」
クマの表情が、何だか誇らしげに見えるのは気のせいじゃないだろう。
「それでビッチェはどういう街なんだ?」
「近隣公国との間で行われている海運貿易の拠点。多くの商会が支部を構えている。アマロ公国はエズの村にあったアマロ商会がビッチェでの貿易に成功後、アラルコンに本部を移設。そこで鉱山開発と陸運での交易でも大成功を収め、その功績で公国を興した」
「クマ……凄いな」
この世界に来て、始めてまともな知識を経た気がする。
「うん」
すると、背後の馬車から、
「あたしも知ってる!」
そういって、孤児の一人が出てきた。
一緒に旅をするようになって、ようやく孤児院の子供達の名前は覚えた。
確か、
「またシャルル君、私の名前を忘れている!」
「覚えているって。リタだろ」
間違ったら土下座かな。
「そうリタ! やっと覚えてくれた」
リタは9歳の女の子。ソバカスに赤毛がチャームポイントだ。
「クマ君の説明では、ちょっと足りないね」
「うん」
リタの指摘に、クマは素直にうなずく。
「私が説明するね。ビッチェは貿易の拠点としてだけでなく、王立魔法学院の付属校があり、王国全体の若い人材教育の中心地になっているの」
その言葉に、クマは嬉しそうに何度もうなずいていた。
「若い人材って?」
僕は若い人材に入るのだろうか……?
「だいたい12歳から15歳が入学する年齢だったと思う。魔法の才能がある子供だけが各公国の推薦で入学を許されるエリート校なんだよ」
エリートねぇ。
「ほら、あれが王立魔法学院のビッチェ校」
そういってリタが街の中心部にある趣味の悪い建物を指さす。
ほう、あれがそうか。
街の入り口から見えた、趣味の悪い建物。
街全体が2階建て以下でオレンジと白を基調に統一感をもって作られている中、街のど真ん中に、でんと建てられた悪趣味な建物。
「王立だと趣味が悪くなるのか?」
思わずそうこぼしてしまった僕にエリカが、
「そうねぇ。王立っていうだけで権威がある時代じゃ無くなったから……仕方無いのかな」
そう同意する。
いや、あれをもって権威があるとするのは、どうかと思うけどな。
「そんな事より、中に入りましょう。子供達もかなり疲れているし、私も早く休みたいわ」
確かに。
一ヶ月近く馬車で旅してきたわけだ。早くベッドで横になりたい。
僕は馬車から飛び降り、タニア商会ビッチェ支部の扉を開けた。
***
アラルコンにあったタニア商会のように、扉を開けるとドタバタと活気があるような感じではなく、高級感溢れる玄関のたたずまいだった。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
入り口には、黒の上下のスーツに片眼鏡姿のイケメンだった。
ここは巨乳美女がお約束だろうと思いつつ、
「待っていたという事は、僕たちの事は連絡が入っていますか?」
「はい」
なるほど。
さすがタニア商会、抜かりはないな。
「念のため、会頭より受け取った札をお見せいただけますか」
「あ、ああ。はい。こちらです」
僕はそう言って、アラルコンでタニア婆さんから受け取った真鍮の札を渡そうとするが、イケメンは首を横に振って受け取らずに、こう言った。
「いけません。その札はどんなに信用がある相手でも渡してはいけないものです」
「そ、そうなんですか?」
「はい。その札は持っているだけでタニア商会が無制限の信用をしている証。肌身離さずお持ちいただけますようお願いします」
なるほど。
そういえば、無制限にお金を引き出せるみたいな事も言っていたしな。
という事で、改めて僕は受付にあるカウンターの上に置くだけとし、形だけでも警戒している雰囲気を見せた。実際、奪おうとしても僕から奪うことは出来ないだろうけどね。
片眼鏡は、その様子を見て一つ頷くと、真鍮の札に視線を向け、一瞬だけ目を細めると、
「畏まりました。私は当支部の支配人をしておりますゲイツと申します」
そういって、再度頭を下げた。
「それだけで解るの? それに支配人?」
確かに特殊な文字が書いてあるけど、あんな一瞬で解るものなのか。それに、
「えっ? 支配人?」
高級そうな玄関ではあるが、こんな大きな支部の支配人が自ら受付をしている事に驚いた。僕のその様子に、
「別に私はいつもここで受付をしている訳ではありません」
と、答えタネを明かしてくれた。
「玄関前でタニア商会の紋章が入った馬車、それも商会でも保有数の少ない貴重な大型馬車に乗った子供達が何やら騒いでいると、本来ここにいるはずの受付から連絡を受けましたので、まっていた皆様だと思い私が参りました」
それは失礼をした。
すこしはしゃぎすぎたかな。
「赤いローブを着た幼児とは思えない幼児。シャルル様とは貴方様でよろしいでしょうか」
なんだその特徴は!
まぁ、赤い悪魔と呼ばれるよりはマシか。
僕はチラリと赤い悪魔団のメンバー……すなわちエリカ以外の子供達に視線を送った後、ゲイツを見て頷いた。
「はい、僕ですが……えーと」
それにしても、僕たちは通常よりはかなり早く到着したはずだ。そして道中、僕たちを追い抜くような人はいなかったのだが、なぜそこまでの情報が届いているのだろうか。
「会頭から
「速文?」
なんだろう?
郵便速達みたいなものなんだおるか?。
「空間魔法の一種で短文であれば速文を使える者同士での通信が可能なの」
背後からリタがそう教えてくれた。
随分、便利なものがあるんだな。
「へー、僕も使えるかな」
「ん、使える」
スンがそう保証する。
なら、そのうち覚えてみるか。
「でも、通信相手を知らないと送れない」
ぼっちじゃ無理って事か。
なかなかハードルが高いなぁ。
「解りました。そうです、僕がシャルルです。タニア商会のお世話になりにきました」
「宿と船の手配はすでにしてあります」
その声に子供達が喜びの歓声を上げた。
「ちょ、ちょっとみんな静かに!」
慌ててエリカが静止の声を上げる。
「すみません、ゲイツさん、騒がしくして」
僕もゲイツに謝るが、
「問題ありません。子供は明るく騒ぐのが仕事です」
そういって、端正な顔に笑みを浮かべた。
「それに私も20年前は同じように、ここで騒いでましたしね」
「へぇ」
どこか懐かしそうな顔をする。
まぁ、誰にも子供時代があるという事か。
「それでは、案内を付けますので、皆さんは宿まで。シャルル様は少々お話がありますので、中へ来ていただけますか」
「あ、私も行きます」
エリカがそういって付いてこようとするが、
「会頭よりシャルル様と……そちらの
と言われてしまい、
「そ、そうですか」
すごすごと下がった。
「エリカお姉さん、大丈夫。僕とスンだけでいくよ」
まぁ、僕たちよりも、エリカと子供達の方が心配なんだけど、
「スンはどうする?」
「ん、
スンがこう言ったので、エリカ達も大丈夫だろう。
なんだかんだ言いながら、スンの危機察知能力は信頼している。
「という事で、二人でお話をお聞きします」
「はい。それでは皆様はもう少しこちらでお待ちください」
そういって、玄関の奥にある両開きの扉を開け、僕たちを中へ導いた。
***
案内されたのは、これまた豪華な応接室だった。
「僕にどういった要件でしょうか?」
僕は案内された部屋の中央にあるソファに腰を下ろし、窓際で外を見ているゲイツに問いかけた。
「ヨハンは……」
「はい?」
突然、こちらを振り返らずにこんな事を言い出したゲイツに僕は戸惑う。
「ヨハンは最期に何て言っていた?」
「ヨハンって……」
ヨハンって誰だ……ヨハン……ヨハン……あ! 思い出した。
「エズで処刑されたヨハンさんの事?」
僕がエズで牢屋に入れられていた時の隣人さんだ。確か酔っ払って3人殺して死刑になったんだよな。
「そうだ」
僕は必死に記憶を掘り返す。
あまりにも濃密な時間を過ごしてきたので、中々出てこなかったけど、
「確か……恩を仇で返してごめん……みたいな言葉をタニア婆さんにって」
僕の答えにゲイツの肩がピクっと動いた後、そのまましばらく動かなくなった。
……なんだ、これ。
ゲイツの言葉遣いも荒くなっているし、玄関口の対応と全然違うんだけど!
30秒くらいそうしていただろうか。
ゲイツは突然、振り返り。
「失礼しました。ありがとうございます」
そう言って、僕に深々と下げた。その一瞬に見えた目が充血していたのは……そういう事なんだろう。
「ヨハンさんとは、どういうご関係で?」
「はい……ヨハンとは……タニア商会が王国中の孤児達に援助している事はご存じで?」
「いえ」
「会頭は自分が子供に恵まれなかったことで、王国の各地で孤児達を引き取り育てているんです」
ああ、たしかに子供が好きそうだったな。
「私とヨハンも会頭のお世話になった子供の一人でした。それも会頭の最初の子として……」
「そうだったんですか」
「彼とは兄弟のように育ったのですが、いつの間にか悪い連中と付き合うようになって、そのまま
なるほど。
「ホームというのは?」
「会頭がアラルコンに持っている私邸の事を、我々会頭の子供達はホームと呼んでいます」
「そうなんですか……」
どうりで、あっさりと子供達を引き取ったという訳だ。いくら好きでもそういう施設じゃないと急に7人も引き取れる訳ないか。
「タニアさんは、子供が好きそうに見えたのですが、本当に好きだったんですね」
「ええ、商売となると厳しい方なのですが、子供に対しては本当に優しくて……」
僕に対しては、そんな感じじゃ……あれ?
オークションで僕を競り落とそうとしたのって……もしかして、この鎧じゃなくて僕を助けようとして……?
「シャルル様をオークション会場で見かけた時は、利発そうな子供でしたので自分で何とかできるだろうと、鎧の価値ギリギリまで競って諦めたそうです」
僕の表情を読んだのか、悪い方へフォローされた。
ああ、そうですか。
一瞬、聖人かと思ったけど、やっぱり商売人だったんだな。
「お金に対しては厳しい方ですので」
先ほどまで目が赤くなっていたとは思わせない柔らかい笑みを浮かべ、ゲイツは僕にもう一度頭を下げた。
その表情を見て、タニア婆さんが、どういうつもりで僕の事を競ったのかというのは、僕なりの理解として胸に納めて置くことにした。ただ、タニア商会が困った時……そんな状態があるかどうかは解らないけど、その時は無条件で助けようと思う。
「ヨハンさんの最後の言葉はタニアさんには伝えていたのですが……速文には?」
「送信できる文字数も限られていますし、1回使うと魔力が回復するまで使えませんから」
あ、そんな大変な魔法なんだ。
とりあえず兄弟同然だったというゲイツに、ヨハンの最後の様子を伝える事が出来たのはよかった。袖すり合うも他生の縁と言うけど、あんな些細な縁が、こんな所につながるとはね。
この世界も広いようで狭い。
「じゃぁ、僕たちはみんなの所へ戻っていいですね」
僕はソファから立ち上がり出て行こうとしたが、
「スン?」
スンが僕のローブの裾を掴んで、もう一度座らせた
「
「え?」
どういう事?
「はい。その通りです。本題はこれからになります」
「本題?」
「こちらを」
そう言ってゲイツは1枚の羊皮紙を差し出した。
「これは?」
「一週間前にビッチェ冒険者組合に出された依頼です」
「依頼?」
なんだろう。
僕は羊皮紙を見つめ……
「難しくて読めません」
読めないので諦めた。
いや、簡単な字とか単語なら何とかなるけど、契約書みたいにびっしり書いてある長文はまだ無理だ。日本語か、せめて英語で書いてくれれば何とか解るかもしれないが……何度も繰り返すが、僕はまだ4歳児なのだ。
「要点を説明させていただくと、冒険者組合に一人の女性が依頼を出しました。依頼者の名前はジョゼフィーヌ・イヴェット・ドロテ・デュルケーム。王立魔法学院ビッチェ校の学生です」
「はぁ」
長くて覚えられないので、名前についてはサラリと流す。自分のフルネームだって、何とか覚えているという程度だし。
「依頼内容は、オドン公国のご自宅までの護衛。依頼金額はこういった護衛業務にしては異例の高額。但し、成功報酬のみの着手金は無しという特殊なものです」
「なるほど」
「これをシャルル様の名前で受託してございます。この契約書は、その合意事項を記したものになります」
ふむふむ。
そのジョゼフィーヌ某という女性を、オドン公国に送り届ける依頼ね。なるほど。
「で、もう一度ご説明いただけますか?」
「最初からですか?」
「いえ、僕が依頼を受けなければならない理由を懇切丁寧にご説明いただけると助かります」
ついさっき、タニア商会の窮地は必ず助けると心に決めたばかりだが、朝令暮改どころか、今令今改とばかりに、その心のルールを書き換えたくなってきた。
「ああ、これはご説明が足りませんでした」
そう言ってゲイツが頭を下げる。
商人だからか、下げる頭の大安売りだな。
「ジョゼフィーヌ様は、つい先日、婚約者から婚約破棄を告げられました」
婚約者との別れは辛いよな。
僕もつい先月経験したばかり……それも死別だった訳だが、生きていたとしてもカーラから別れを告げられたりしたら、ショックのあまりアマロ公国を滅ぼすくらいの事はしちゃいそうだ。
よし、僕が一肌脱ごう。
「解りました。傷心のジョゼフィーヌ何とかさんを、家まで連れて行けばいいんですね」
タニア商会がどういう目的があるのかは知らないけど、婚約者を失った傷心者同士。確かに送り届けるのは僕が最適だろう。僕が抱えていけば隣国くらいは日帰りできるかもしれない。今すぐにでも帰りたいだろうに、1週間も待たせるなんて可哀想な事をした。
僕がそんな算段をしていると、
「いえ違います。シャルル様にお願いしたいのは依頼を引き受けた上で、ジョゼフィーヌ様を説得し、依頼を出すきっかけとなった婚約破棄を無かったことにして欲しいのです」
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