5. 予兆
「カーラ?」
荷物を馬車から降ろした僕は、カーラの部屋になった孤児院の奥にある小部屋に行き、ドアを軽くノックしてカーラの返事を待った。ちなみに馬車は王宮から来ていた若い御者の人が僕を散々睨み付けた後に去って行った。カーラのファンだったのかな?
美人の嫁さんだぞ。どうだ! 羨ましいだろう!
という目で睨み返したら、少し怯んだようだったので、その程度の気持ちだったのだろう。小僧が! 100年早いわ!
「どうぞ」
そんな事を思い返していたら、中からカーラの返事があったのでドアを開けた。
質素なシングルベッド……シングルベッドだと……くそ、これじゃ一緒に眠れないじゃ無いか……いや、まだ第二次性徴期まで随分あるので、出来ることも無いし、今のままだと淫行条例でカーラが捕まってしまう。淫行条例があるかどうかはしらないが……
その質素なシングルベッドから軽く身を起こして、カーラは僕を迎え入れてくれた。
「大丈夫? さっきよりも顔色が悪いけど……」
「すみません、シャルル様。着いた早々に、こんな体たらくで。王室の魔法士だというのに情けない……」
「いや、いいんだ。あ、そうだ。海賊船を脱出した後に試してみた魔法で何とかならないかな?」
確か、あの時の呪文……
『
僕の手のひらから青白い暖かい光が拡がり、カーラの体を包み込んだ。
「え?」
カーラが驚きの声を上げる。
そのとき、閉めていたドアが開き、
『
スンが突然一言だけ呟くと、僕の手の平から流れていた光が止まった。
「何するんだよ! スン!」
「
「でも、あのとき、これで良くなったんだよ!」
「生兵法は怪我の元」
そう言って、カーラの方へスンが視線を送った。
だが、そこには少し目の下の隅が取れ、顔色が悪いものの、回復しているように見えるカーラが、起こしていた体をベッドに横たえる所だった。
「カーラ、調子はどう?」
「ありがとうございます。少し、楽になった気がします」
「ほら!」
僕は少し非難する気持ちを込めてスンを睨み付けた。
「主様、忠告した」
そういってスンは部屋を出て行った。
いつも感情を表に出さないスンの表情が暗く感じたのは気のせいだろうか……
「シャルル様。魔法のおかげで少し眠たくなって参りました」
「そ、そう。じゃぁ、僕は出ておくね。また辛くなったら魔法……はスンが文句を言いそうだから、エリカ姉さんにお願いしてみるね」
「はい、お願いします」
「じゃぁ、ゆっっくり休んで。お腹が空いたら言ってね。すぐ用意するから」
「ありがとうございます」
カーラは本当に眠たそうだったので、僕はドアをそっとしめた。廊下に出た時、先の曲がり角に一瞬、スンの黒髪が見えた気がして、小走りに追いかけたけど、曲がった先には誰もいなかった。
「発動中の魔法をあっさり止めていたな。スンの奴、魔法が使えるじゃん」
***
夕方になってもカーラは起きてこなかったので、僕は心配になってカーラの部屋に行ってみた。
「カーラ? 入るよ?」
ドアをノックしても返事がなかったので、部屋の中に入ってみた。
ドアを開けると腐臭のような香りが漂ったような気がしたが、それも一瞬で消えた。一度起きて点けたのか蝋燭が灯っており、部屋の中を優しく照らしていた。
「カーラ?」
もう一度声をかけると、
「あ、シャルル様。すみません……すっかり眠ってしまっていたようですね」
「え、ああ、うん。大丈夫? 食事はどうする?」
「そうですね……ゆっくり眠ったので体調は回復してきたのですが……食欲はまだ無いですね。今日はこのままお休みさせていただいてもよろしいでしょうか」
「うん、大丈夫だよ。夜中でもお腹が空いたら言ってね。台所に忍び込むのは得意だから」
「まぁ、シャルル様ったら」
僕の言葉に、カーラが笑った。
「あ、そういえばカーラが笑ったの初めてだね」
「そうですが……ああ、そうですね。最初にお会いしたのは海賊船ですし、昨日もバタバタしてお話するような時間もなかったですしね。こんなんで婚約者だなんて言えませんね」
そう言って、少し目を伏せたので僕は慌てて、
「だ、大丈夫だよ。僕はまだ4歳だし、これから長い時間かけて二人で仲良くなっていけばいいじゃないか」
「そうですか? でも、シャルル様が大人になる頃は、私はすっかりおばさんになってしまって……」
「しっ! この孤児院では『おばさん』は禁句。ああ見えて、エリカお姉さんは怖いんだから」
「まぁ」
僕の言葉に、カーラは楽しそうに笑った。
「じゃぁ、シャルル様が10年経って成人しても、私はまだお姉さんなんですね」
「うん、そうだよ。それに年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せって言うくらい、うまく行くって事だから、きっと大丈夫」
実際は干支で言えば一回り以上、僕の方が年上だし。年上の包容力と若さを兼ね備えたお買い得商品ですよ。
「はい。末永くよろしくお願いします」
「うん。任せて」
そう。時間をかけて二人で気持ちを重ねていけばいい。いつか、僕が転生者である事も告白できるといいな。前世での僕の失敗、僕の後悔……僕の弱さも知って、それでも僕と一緒にいてくれたら嬉しい。
僕はそんな気持ちを込めて、カーラの手を握った。
「つ、冷たい」
「え?」
「カーラ、手がこんなに冷え切っちゃって。駄目だよ! まだ体調も戻っていないんだし、ちゃんと布団の中に手を入れて」
「はいはい。大丈夫ですよ、シャルル様」
そう良いながらもカーラは布団の中に手を入れた。
「ごめんね。僕が長くいたら疲れちゃうよね」
僕の言葉にカーラは首を振る。
「本当でしたらあの時も、お嬢様の護衛である私が全面に立って、お二人を守らなければならなかったのに……魔法士としても護衛としても、年上の人間としても失格でした」
そう言って、目に涙を浮かべた。
「そして、海賊船に攫われ、手傷を受け、魔法士としての活動もままならなくなり、残りの人生をどう過ごしていけばと悩んでいた私を助けてくださり、本当にありがとうございます」
「カーラ?」
「本当はソフィア様がシャルル様に嫁ぐべき所だったのを、機転をきかせていただいたのですよね。それだけでも、このカーラ、シャルル様には生涯返しきれない恩を受けたと思っております」
ちょっと待て?
聞き捨てならない言葉を聞いたぞ。
「ですので、シャルル様は私の事など気になさらず、どうか思いのまま、この部屋にご滞在ください。勿論、いやになったらお引き留めはしません。私はシャルル様が好きなように振る舞っていただければ、十分幸せだと思っております」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って、カーラ?」
「はい?」
「ソフィアが僕に嫁ぐってどういう事?」
「え?」
「僕は公王陛下にカーラと婚約するように言われただけなんだけど?」
「え? いや、公王陛下はソフィア様とシャルル様のご婚姻の話をされていたはずですが……」
僕の婚約者のはずのカーラもきょとんとした顔をしている。
整理しよう!
公王は「年頃の女性にとっては醜聞になる」と言っていた。
「年頃の女性……」
僕は20歳前後に見えるカーラを見つめる。
「カーラ? 女性の結婚適齢期って何歳?」
「結婚適齢期ですか? 身分によっても違いますが、王族や貴族であれば10歳前後で婚約、成人となる14歳を持って正式に結婚という事が一般的ですね」
「平民は?」
「平民ですと、14歳から17歳くらいでしょうか……」
じょ、常識が……
日本人としての常識が理解を邪魔する。
「カーラは何歳だっけ?」
「今年で22歳になりました」
「カーラも貴族じゃなかったっけ?」
「男爵家の系譜というだけで爵位の無い家柄ですので正確には貴族では無いのですが……それで身を立てるために魔法士の道を目指しました」
ごくりと唾を僕は飲み込む。
「それでけ、け、結婚はしなかったの?」
「はい。男爵家の指示で14歳の時にアマロ公家の親族の家に嫁いでおります」
「え?」
「ただ、本妻ではなかったのと、奥様より先に男の子を授かったために、子は奥様に預け、私は再び魔法士の道を歩むために、独身に戻り……」
バツイチでしたか!
魔法士という立場でありながら、漂う母性……特にオッパイのあたりから……は、本物だったんだ。
「どうしました?」
カーラがそれでも屈託の無い顔で僕を見つめる。
さすがに30歳過ぎまで日本で生活してきて、素人童貞とは言え捨てるものを捨てて魔法使いの道を諦めた僕には処女厨みたいな属性は無いけど……
ショックだぁ!
ソフィアだったら……って、10歳の子相手じゃ、何とも感じないしなぁ。
「シャルル様?」
ぶつぶつと言い出した僕にカーラが声をかける。
「か、カーラ? それで、その生まれた子供……男の子は今何歳?」
「私が17歳の時に授かった子ですので……ちょうどシャルル様と同じくらいですよ」
無いわー
さすがに、これは無い。
だって、それじゃカーラが僕の母親でもおかしくないという事でしょ。バツイチという事に目をつぶったとしても、それは無い……ん? 本当に無いか?
そこで僕は、生まれた頃から僕を抱きしめ、僕を育ててくれた母上……の、主にオッパイを思い出した。
あ、ありか……有りだな。
「カ、カーラ。うん、そうか。夫となる僕とカーラの息子さん、仲良くなれるといいなぁ」
母性最高!
血がつながっていないし、前世年齢の僕より、若い嫁さんだ。何の問題があるというのだ。
「紆余曲折あったけど」
「紆余曲折?」
「これからもよろしく!」
「はい」
カーラは満面の笑みを浮かべてくれた。
結局、僕は夕飯を食べた後、カーラの部屋に戻り、そのまま夜遅くまで、カーラと色々な事を話し、気がつくとカーラのベッドで一緒に眠ってしまっていた。
***
翌朝。
「シャルル様、朝ですよ」
カーラに抱きついて眠っていた僕はやさしく頬を撫でられて目を覚ました。
「冷たい!」
カーラの手は相変わらず冷たい。
「カーラ、布団の中で手を温めて」
「はいはい」
僕はカーラの手を布団に押し込めてから、ベッドを降り、その場で土下座。
「まだ、婚約中の身でありながら、同衾しちゃうなんて、責任は取ります」
「そんな大げさな」
勿論、昨晩は何もなかった。
というか、さすがにこの身体では何も出来ない。どさくさに抱きついて眠ったけど。
「朝食はどうする?」
「まだ、食欲は戻らないので、このまま部屋で休ませていただきます」
「そう。分かった。じゃぁ、僕は食べてくるね」
「はい、行ってらっしゃい」
僕はドアを勢いよく開けた。
「うわ」
ドアの前にはスンが立っていた。
「な、何?」
「ん」
スンは僕の顔をじっと見つめた後、スタスタと廊下を歩いて行ってしまった。
「え? 何? 何?」
スンは何も答えてはくれなかった。
***
「シャルル! おまえ、カーラさんの部屋に泊まったのか?」
「シャルル君、不潔よ!」
食堂に行くと耳年増な孤児院の諸先輩方が、僕のことを取り囲んできた。
なので……
「シャルル・アリスティド・ジェラール・クロイワ! 男になりました!」
と、食堂のテーブルに上がり、高らかに宣言してみた……ら、エリカに殴られた。
「アホなことを言っていないで、早く座りなさい」
「い、痛いです。エリカお姉さん」
「4歳児がどうやって男になるというの。だいたい、そんな知識、どこから仕入れたのよ!」
そういって、孤児院の年長組を見回すが、全員が顔をよこにブンブンと振る。
「ロラン!」
エリカがちょうど食堂に入ってきたロランをみつけ、睨み付けるが、
「ごめん、エリカ」
ロランは反射的に土下座しつつも、
「ちなみに、何の件で俺は怒られているんだ?」
と、僕たちに視線を送ってきた。
「「「それは秘密」」」
ロランのいつもの反応に孤児院の子供たちはニヤニヤしつつ、そう答えた。
「もう仕方が無いわね。ほら、食事にしますよ」
「「「はーい」」
「ところで、朝早くからどこに行っていたの? ロラン?」
「ああ、おい、シャルル。公王からまた呼び出しだ。カーラと二人で公宮に来るようにだと。どうやら祝宴の席を開いてくれるらしいぞ」
「ええ、面倒だな」
「まぁ、そう言うな。それとエリカ」
「はい」
「しばらく、俺は公都を離れる」
その言葉に、エリカの表情が固まる。
「危ないこと?」
「今のところ大丈夫だと思う。ゴヤ公国との境の村で疫病らしき病が流行っているらしい。その調査だ」
「大丈夫なの」
「俺は医者じゃないから、直接患者を診るような事は無いしな」
「そう、気をつけてね」
「ああ、昼には出るんで、2週間くらい戻らない。すまんな」
「いいわ。慣れてる」
「も、も、戻ったら、そろそろ、け、け、け」
「そういう話は旅立ち前にはしないで。不吉よ」
ロランは多分、結婚の事を切り出そうとしたんだろうけど、エリカに止められてしまった。しかし、この世界でもフラグは有効なんだな。
この時の僕は気楽にそんな事を考えていた。
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