3. 公王の頼み
何種類もの明るい花が咲き誇る庭園を抜け、カーラに案内されたのは、王族らしからぬ質素な居間だった。
「ここが内宮殿?」
「内宮殿は、この屋敷を含む公王家の皆様がお住いになる敷地を指します。ここには、すでに成人された公子殿下達のお住いもあり、本日、お二人をご案内したのは、公王家が以前にお住まいになられていた私邸を移築した、ごく私的な会合に使うお屋敷になります」
さすがに、これ程大きな都市を持つ領主の家にしては、小さいと思ったよ。まぁ、それでも前世で住んでいたワンルームと比べれば、とてつもなく大きな屋敷だけどね。
「じゃあ、まだ公王になられる前の屋敷って事なんですね」
「はい」
僕の確認に、カーラは頷き、
「ただいま、公王陛下がまいりますので、しばらくお待ちください」
そういって、頭を下げ、静かに部屋から出ていった。
「謁見っていうから、豪華な階段の下で陛下の顔は許可なく見てはいけない……というイメージを持っていたけど、なんか、普通にソフィアの家にお呼ばれしたみたいで、少し気が楽になったよ」
「ん、主様、油断は禁物」
まぁ、そうだね。
油断すると色々な事に巻き込まれる体質のようだから、注意しよう。
一応、前世から数えると何十年ぶりかに、女の子の家にお呼ばれした訳だが、その相手が11歳のソフィアじゃなぁ……これが、カーラさんのご実家だったりすると、僕も気合が入るんだけどね。
ソファに腰掛け、質素ながらも、しっかりとした作りの大きな木製のテーブルなどを眺めながら、待っていると、カーラが出ていった扉が突然開き、
「お待たせしました」
そう言って、ソフィアが入ってきた。
「うわ、びっくりした」
「ソフィア、ノックくらいするものですよ」
「お母様、ここは自分の家じゃない。そんな事、気にしてられないわよ」
ソフィアの後ろから、ソフィアがそのまま年を取ったような中年の女性が入ってきた。そして、さらにその後ろから、
「くつろげる屋敷の中とはいえ、ソフィアも、もう11歳なんだ。少しはお母さんの言うことを聞いて、気をつけなさい」
「えー、外ではちゃんとやってるって」
ダンディな口ひげと顎ひげを生やした美中年が、続いて入ってきた。
会話の流れからすると、この二人が公王と公妃という事なんだろう。
二人と話すソフィアの口調は、先程までとは違い、随分気さくなものに変わっている。これがプライベートな会話ってやつなだんろうあ。
そんな事を考えつつも、僕は慌てて立ち上がり、自己紹介をした。
「はじめまして、公王陛下、公妃陛下。シャルルです。こっちは魔具のスンです」
「あら、ごめんなさい。私としたことが。まずは挨拶が先ですね……」
ソフィアの母親がそう言い、公王と公妃はこちらを向いて、挨拶をしてきた。
「私が初代アマロ公国の公主をやっている、マティス・モルガーヌ・アマロだ」
「ソフィアの母です。ユリーヌ・バルゲリー・アマロです」
ソフィアの父は、公王であると名乗ったのと対照的に、母は、ただ母であると自己紹介をした。
「シャルル様が、ソフィア殿下と私を助けてくれた勇者です」
さらに二人の後ろから、先程出ていったカーラが入ってきて、僕の来歴を紹介する。
「いえいえ、助けたなんて……行きがかり上、助ける事になっただけですので、お気になさらずに」
実際の所、助けたといっても中途半端だったし、そもそも最初は見捨てるつもりだったからね。さすがに、無条件に助けたと言われるとこそばゆい。
「シャルル様、本当にありがとうございました。近海の視察に出ただけのソフィアが船ごと連絡を経ったと聞いた時は、血の気が引きました。娘を、ソフィアを……それにカーラの事も助けてくれて本当にありがとう」
だが、ソフィアの母であるユリーヌさんは、僕の元へ駆け寄り、僕の両手を優しく握りしめ、涙ぐんだ目でまっすぐみつめきた、頭を下げた。
「二人と一緒に航海に出た船員や武官、文官は誰一人、戻ってこれませんでした。二人が無事に戻ってこれたことは奇跡といえるでしょう」
確かにあの時、海賊船の船長が無双状態で殺しまくってたしなぁ。何人か、生き残っていたみたいだけど、結局、あのまま船は沈んじゃったんだろう……。
「3人で力を合わせたから脱出できたんです。それに僕も、お二人がいなかったら、いまだにあの船で奴隷としてこき使われていた事でしょう」
「それだけじゃないぞ、シャルル君」
今度は公王が、僕の肩へ手を置き、こう続けた。
「あの面倒なジャンユーグ商会を壊滅に追い込んでくれたそうじゃないか。ジャンユーグを逃したのは残念だったが、それでも、中々尻尾を掴ませなかった、悪名高き奴隷商会を叩き潰せた功績は大きい」
「へ? あ、ああ。そうですね。ジャンユーグ氏を取り逃がしたのは、失敗でした」
ジャンユーグは、ダンジョンに逃げて生死不明が公式記録だったな。
「まぁ、幼いのに、そんな立派な功績を立てて……」
ユリーヌさんは、初めて聞いた話しなのか、驚いている。
「いえ、それも、僕だけの力じゃなくて……僕は、ロランさんのお手伝いをしただけで」
一応、公式記録に沿って答えておく。
さすがに、僕が暴力と冷たい死を以て解決したとは言えない。
「ふむ……本当に出来た子だ。冒険者組合からは4歳児だという連絡を受けていたから、どんな子供なんだろうと思っていたが……まるで、大人のような受け答えをする」
そう言って、公王は僕の目をじっと見つめてきた。やばい、これは何かバレたか?
「これも血筋という事なのだろうか……まぁ、良い。国としては、何か褒美を取らせる必要があるが、何か欲しいものはあるか?」
「いえ……あ、僕が今、お世話になっている孤児院を、立ち退かずに続けられるように、公王陛下から取り計らってもらう事は出来ますでしょうか?」
「孤児院か……」
公王がカーラの方を見る。
カーラが公王に近づき、耳元で何やら説明をしていた。
「わかった。ただ、ジャンユーグの事がなくとも、あそこはいずれ再開発の手が入る。だが、私の権限で孤児院については何とかしよう。あの場所に拘りがある訳ではなかろう? もう少し、教育的にもよい場所を探して、そこに引っ越せるよう手配しておこう」
今度は、ユリーヌさんが、公王陛下の耳元で何かを囁いた。
「ああ、それがいいか……シャルル君。ユリーヌが私的な基金を元に財団を創設して、公妃を理事長とする福祉事業を始めようと思う。その中の一つとして孤児支援を行おう。君がお世話になっているという孤児院も、その事業の中で面倒を見ることにしよう」
「ありがとうございます」
勝手に決まっていったけど、いいのかな? エリカとロランに後で怒られたらどうしよう……しかし、商家を大きくして公王にまでなった成金一家のスケールはでかいな。ちょっとお願いしたら、福祉事業を行う財団が出来ちゃったよ。
「我が公王家の公女を助けてもらった褒美としては、少し少ない気もする。そこでだ……褒美というか、一つ、頼みを聞いてくれないだろうか」
そう言って、公王が、カーラの方を見た。
そのカーラは、ソフィアを一瞬見つめ、再び公王を見て頷く。
ソフィアは、顔を伏せ、唇を噛み締めた。
なんだ、なんだ? このシリアスモードは……
「こんな事を突然、お願いするものおかしな話しなのだが……」
公王は、咳払いを一つすると、話しを続けた。
「実は、海賊船に襲われた上、そのまま攫われてしまったたというのは、非常に外聞が悪くてな。幼い君にはイメージがつかないかもしれないが、特に、女はどうしても『海賊に囚われていた女』というレッテルがついて回ってしまうのだ」
「わかります」
話しの行く着く先が見えないが、言いたいことは解る。
要するに、海賊に攫われ、ピーにピーされ、毎日のようにピーされていたって事なんだろう。ん? 久しぶりに、『俺』の考えが『僕』の部分とずれてしまった。まだお子ちゃまには早かったのかな、脳内のレベルで変換エラーが発生してしまっている。
まぁ、いいや。とりあえず、ピーな女だと思われてしまうって事なんだろう。
僕はこちらを真直ぐ見つめるカーラと、顔を伏せ唇を噛み締めているソフィアに視線を送ったあと、公王の話しの続きを待った。
「あー、そこでだ。シャルル君に頼みと言うのはだが……」
そこで言葉を一度切って、その後、一気呵成に言い切った。
「シャルル君が婚約者として、最初から最後まで、二人を護り、戦っていた事にして欲しいのだ」
「へっ?」
婚約者?
何が? どういう事?
「
そうなんだ。
まぁ、オークションでも、二人で堂々と入札していたしね。時間的にもギリギリだったみたいだから、隠蔽する暇なんてものも無かったのだろう。
「そこで、本当に申し訳ないんだが、是非、シャルル君は婚約者だった事にして欲しいのだ。婚約者が終始そばにいた事にすれば、ある程度、醜聞も和らぐだろう。ああ、もちろん、一時的な偽装という訳ではなく、本当に婚姻を前提としたものだ」
婚約か……
前世では一度も彼女が出来なかった僕にとって、付き合うというイベントをすっ飛ばして、いきなり婚約者が出来ちゃうのか。ビバ異世界! 天国のお父さん、お母さん。やりましたよ! 『俺』にも彼女が出来そうです。
一瞬、そんな事で呆けた僕だったが、
「主様、よだれ」
「え、あ、ああ」
スンが突っ込んでくれた事で、現実に戻る。
そして、改めて公王の言葉を脳内で再生した上で、僕は
僕に応え、
そうだな。確かに
「……分かりました。そこまで言うなら」
僕も男だ。
女性を護るために生きるのも悪くない。
正面から僕を優しく見つめる
「そのお話をお請けしましょう」
「主様、いいの?」
僕の背後で事の成り行きを見ていたスンが、小声で呟く。
「うん。僕が……こんな僕が、彼女のために力になれるなら、それでいいんだ」
それに前世で彼女すらまともに出来なかった僕には、もう、こんな機会は、二度と来ないかもしれない。相手が年上だって気にする必要なんて無い。それに前世分を足せば、僕の方が断然年上だ。若いお嫁さんなんて、誰からも羨ましがられるだろう。
僕はゆっくりと
そうだ。
これでいいんだ。
一歩一歩、噛み締めながら、僕はこれまでの短い人生を噛みしめた。
母上のオッパイに包まれた0歳児の頃。
母上のオッパイを占有できた1歳児の頃。
強制的に乳離れをさせられるため、香辛料付きの母上の乳首を咥えさせられる事になった2歳児の頃。
それでも毎日、母上に抱きしめられ、温かいオッパイに包まれていた3歳児の頃……
なんだかオッパイばっかりだな。
だが、そんな数々の思い出も、今となっては懐かしい。
そうだ。僕は今、この時のために、転生したのかもしれない。
たとえ、僕が4歳児だったとしても、それは些細な問題だ。
さよなら、マイ・マザー。さよなら、僕のオッパイ。
そして、こんにちは、新しい僕のオッパイ。
驚いたように僕を見つめる
「僕は
そして、その場は静寂に包まれた……
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