第6話

 カセンは、太刀の長さとウジェンとの距離を見比べた。

「これはなかなかに難しいね」

 ふっと口の両端を歪め、彼は突き出された太刀の腹を指でなぞった。指が触れる先から刀身に緑が芽吹き出す。驚愕するウジェンの前で、太刀は蔦に絡みとられた。



 歩き疲れたユンフォアは地に座り込み空を仰ぐ。日は疾うに暮れた。木々の合間からは丸みを欠いた月が覗く。この林のどこかにいるのだろう。野犬の遠吠えが耳に届く。

 あれほど容易に辿りつけていたカセンの屋敷には、とうとう帰り着くことができなかった。完全に林に迷った今となっては、村への道も分からない。とにかく林外に出ようと思ったが、木々を抜ける前に余力が尽きた。

 すっかり冷えた夜気が娘の熱を奪う。ぶるりと身を震わせて、ユンフォアは両腕で自身を抱き込んだ。彼は無事なのだろうか、とユンフォアはぎゅっと目をつむる。まざまざと蘇ったウジェンの太刀。鋭い切っ先がカセンの身体を貫く瞬間を想像して、彼女はおののく。立てた爪が腕に食い込んだ。

「カセン」

 青ざめた唇で、彼女は呟く。――と、腕を引っ張り上げられ、ユンフォアは目を見開いた。

 肩を滑る紺の髪。端正な顔立ちは、今は険しく顰められている。だが、まごうことなきカセンの姿がそこにあった。それどころか、怪我の一つさえ負っていないことにユンフォアは一気に脱力する。

 カセンは崩れ落ちたユンフォアの身体を背負い、足早に林を抜けた。

「どうして帰らなかった。どうしてこんな時間までここにいる。前のユンフォアは、夜の林が危ないと知っていた」

 カセンの小言がじんわりと胸に染みる。ユンフォアは彼の背に身を寄せ、俯いた。

 切り開かれた野。あれだけ探し回ったと言うのに、屋敷はすぐ傍にあったらしい。月夜の下、こんもりと木が覆う屋敷の姿を目にし、思わず涙が零れた。とめどなく溢れて来たものを留めようと、ユンフォアは口を開く。

「……ウジェンはどうしたの?」

「帰ったよ」

「そう。よかったわ、何もなくて」

「ユンフォア。泣いているの?」

「――泣いてなんかいないわ」

「そのようだね」とカセンは、さも面白そうに喉を震わせた。

 木々の先の茂みを抜けて、二人は庭園に辿りつく。咲き誇る庭の花々。暗闇の中でも、その存在感はユンフォアを圧倒させる。

 カセンは花の中を進んだ。背負われたままのユンフォアは、ふと見かけぬ葉を目にして首を傾げる。

「珍しいわ。今回は、花じゃなくて葉なのね。それとも今から花が咲くのかしら」

 いや、とカセンはかぶりを振る。鋭く伸びた葉。彼は目を細めてそれを見やった。

「これはずっとこのままだよ。花を咲かすのではなく、花を守るものだからね」

「そうなの」と、ユンフォアは彼の説明に相槌を打つ。まるで太刀のような花だと思った。しばし葉を見つめていた彼女は、ふいと顔を逸らす。それきり、ユンフォアが葉を振り返ることはなかった。




 季節は巡る。その間も、ユンフォアは変わらずカセンの屋敷に通い続けた。

 だが、彼女の村の者たちは、年頃の娘が毎日のように得体のしれぬ男の元へ訪ねるのを快く思わなくなった。特に心配している両親が持ってきた話を思い出し、彼女は物憂げな気分になる。

 何度も通った林と野を、ユンフォアは黙々と足を動かすことで無感動に越えた。

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