第156話 意外性

 遠く銃声が響く。

 明智さんの部隊が朝倉軍の先頭集団と交戦に入ったらしい。


「殿、いかがなされます」


 一休みして気合十分の十五くんを頼もしく思いながら、俺は一つの決意を口にした。


「敵はこちらが逃げると思ってる。もし逃げないとしても、踏みとどまって戦う部隊が多少ある、程度にしか思ってないと思うんだよね」

「はぁ」


 俺は伊藤さんならどうするかを考えてみたが、結局「これだ!」と思えるような妙案は出なかった。ただ、伊藤さんはいつも皆の考えとは違う事をする。


(敵も味方も含めて、まさかそんな事はしないだろうって事をするんだ)


 たった一つ、皆の考えとは真逆の発想は思い浮かんだ。


「十五くん、意外性って言葉の意味わかる?」

「ハッ、なんとなく」


 考え付いてはみたものの、本当に行動に移すかどうか悩ましい。これはかなりの賭けになる。


「申し上げます。明智隊、徳川隊と共に撤退を開始! まもなく丹後街道へ出て西進となります!」


 次々と報告が舞い込んで来る。


 金ヶ崎城を攻略した朝倉軍は、まるで津波のように敦賀郡へと押し込んで来ているのだ。

 既に交戦中となっている明智さんと徳川さんの部隊は俺達より前線にいるので、彼等が退いてくるとすれば、俺達が陣取っているこの場所のすぐ南を走る丹後街道を逃げてくるだろう。


「十五くん、逃げる敵を追う軍勢は隊列が整っていると思う?」

「いえ。その状況で隊列が整うておるような熟練した隊はそうはありますまい。仮にそのような隊が追っ手であるとすれば、我等では太刀打ち出来ませぬ」


(勝機あり、か)


 どうやら十五くんは俺の考えを分かってくれているようだ。


「よし、やろう。軍旗をたたんで下さい! 丘を降りて低地に潜みます」


 丹後街道の北側で、丹後街道からは見えない位置へと移動を開始した。


(やべぇ、心臓が口から出そうだ)


 隊をまとめ、十五くんと吉田くんを連れて目の前の丘を登り、丹後街道を見渡せる位置に身を潜めた。そこから見える景色に足が震えるが、これは武者震いというやつで断じて怖いわけではない。


(くっそう、怖ええなあ)


 伊藤さん抜きでの合戦なんてそれだけで恐怖なのに、自分の考えで行動する、しかも敵の大軍に立ち向かおうと言うのだから、この武者震いは仕方がない。と思う。


 しばらく待っていると、たぶん明智さんの部隊だろうか、追ってくる朝倉軍を振り切って若狭へ向かう徳川隊の、その後方で盾となるような位置を取りながら、見事な撤退戦を繰り広げている。


(明智さんかっこいいな)


 丹後街道へ出た明智さんと徳川さんの隊は、そこから一気に加速して縦に長く伸びながら丹後街道をこちらへ向かってきた。


「じゅ、じゅ、十五くん、そろそろかな」

「まだまだ、もそっと引き付けましょう」


 徳川隊の先頭が俺達の眼下を過ぎ去っていく。あの平べったい板が付いた目立つ兜はたぶん徳川家康さんだ。


「左京進、隊へ合図を」

「ハッ」


 十五くんの指示を受けた吉田くんの合図で、丘の裏側に待機していた郡上八幡の兵約千騎が丘を登り始めた。


「殿、あまり前に出られますな。先駆けはこの綱忠と左京進が勤めます」


 黙ってうなずいた俺の眼下では、徳川隊の最後尾と併走する形で明智隊が懸命に駆けている。

 既に疲労の色が見え、明智隊にも徳川隊にも遅れる人や転ぶ人が出始めていて、その人たちに蟻のように群がる朝倉軍。これは一方的な状況だ。とはいえ、明智隊も徳川隊も実に上手に逃げているように見える。


(上手く距離とれてるな、すごいや)


 多少の犠牲者はあるし徐々に追いつかれているとはいえ、銃声が響いてからかれこれ二時間近くたっているだろう。交戦状態からの撤退でこの距離を保てるのは凄いと思う。


 何分、素人目の感想で申し訳ないが、たぶん凄いのだろう。


「殿、参りますぞ!」

「あ、あ、よし、行こう!」


 俺の返事を確認し、十五くんが高々と手をかざし、すぐ後ろに控えている弓兵へと声をかけた。俺達の所在は、もう既に敵から発見されてもおかしくない状況であるが、運の良い事にまだ見つかっていない様子である。


「弓引けえ!」


 浜風は俺達を後押しするように追い風だ。きっと弓矢は勢いよく風に乗って飛んでいくだろう。


 ギギギと弦が引き絞られる音が響く。


「放てぇ!」


 空気を切り裂く音と共に、無数の矢が丘の下を通ろうとしている朝倉軍へと向い吸い込まれていく。


「者共、続けや!」

「応!」


 弓矢が敵に降り注ぐ直前、十五くんが槍を高くかかげて丘を駆け降りる。その動きに吉田くんをはじめ郡上八幡の兵が続く。


 ついに始まった。

 丘の下では罵声怒声が響き、十五くん率いる郡上八幡の兵はあっという間に朝倉軍を追い散らしていく。突然の奇襲に動揺した朝倉軍は、下がろうとする人と進もうとする人でごった返し、大混乱の様相だ。


「よーし、いけるぞ」


 まだ丘に陣取っている俺の周りには、郡上の国人衆さんの部隊が待機中だ。その数およそ二百。率いるのは木越の畑佐六右衛門さんである。


「殿、このままここにいては標的となります故、我等も下りましょう」

「はい、下りたらすぐ東進です。丹後街道を東へ!」

「東っ!? 西ではなく東で?」


 畑佐さんは驚いているが、その驚きこそが正解の証だ。


 こちらの抵抗は撤退を円滑に行うためと思うのが普通で、ちょっと打ち散らしたらすぐに逃げる。おそらく明智さんも徳川さんもそんな感じで撤退して来たのだろう。

 そうなると、朝倉軍も敵の反撃にまともに付き合おうとはせず、ちょっと下がればすぐに逃げて行くのだから、それを追えばいいだけになる。


 そんなルーチンワークになっている朝倉軍に、こっちは本気で殴りこみを仕掛けようという作戦だ。以前伊藤さんから受けた講義で、勝ち戦になった瞬間、兵は貪欲に手柄を貪る一方で、それを持って生きて帰る事を優先したくなるらしい。


 気持ちはすごく分かる。


 だからこそだ。

 逃げる敵を討ち取って簡単に手柄を稼いでやろう程度の朝倉軍は、死に物狂いで戦っては来ない。


「ハッハッハ、面白き戦になりますわい」


 畑佐さんはひとしきり笑った後、大きく息を吸い込んで自隊へと激を飛ばした。


「者共、越前の腑抜け共を蹴散らすぞ! 続け!」

「応!」


 俺は畑佐さんの隊と一緒に丹後街道へ下り、十五くんを探す。

 畑佐さんの隊は丹後街道へ下りると味方を迂回するようにして乱戦を避け、まだ黒々と光る朝倉軍の新手に突っ込んで行った。


「殿、畑佐殿に何を申されましたか」


 既に返り血を浴びている十五くんが駆け寄ってきた。


「さぁね、面白くなるって言ってたよ。俺達も負けずに行こう!」

「ハッ!」


 その時、丹後街道の南側を東進する一団が目に入った。


(桔梗の旗、明智隊だ!)



 ――バリバリバリバリ



 明智隊から撃ち込まれた一斉射撃に、丹後街道の南側に群れていた朝倉兵がバタバタと倒れて行く。


「明智様も反撃に転じましたな。我等も参りましょう」


 参りましょうと言われてもこっちは既に街道のど真ん中で乱戦状態である。朝倉側の兵さん達の中にもやっぱり強い人というのはいるもので、味方にも被害が出始めているようだった。


「十五くん、畑佐さんが頑張っているうちにこっちは隊を整えよう。一度しっかりまとまったほうがいい!」


 俺の指示を受けて十五くんが忙しく駆け周り、吉田くんと共に兵を纏めて一塊となろうとしている。その時、この場所よりちょっと東の方が騒がしくなり始めた。


 朝倉軍だけのはずの東側で、銃声が響き馬の声が響く。明らかに戦闘が始まった様子だ。


(なんだろう、まだ東に味方が残ってたのかな?)


 明智さんと徳川さんが最後尾だったから残っている筈はないと思ったが、直後にピンときた。


「十五くん! 行こう、東の銃声は秀吉さんだ!」


 無理に戦おうとしない朝倉軍に対し、俺たちは執拗な攻撃をしかけて更に東を目指した。




◆◇◆◇◆


◇1570年4月29日 夕刻

 越前国 敦賀郡

 丹後街道


「寄せい!」


 斉藤利三の合図で一斉射撃と同時に槍衾が敷かれ、徒歩兵が横一線に並んで駆ける。


 撤退の最中に朝倉軍へ奇襲をしかけた石島隊を支援すべく、隊を反転東進させた明智隊は再び朝倉軍と交戦状態に入った。


 そしてこれが反転してから四度目の仕掛けとなる。


「弥平治、側面から突き崩せ!」

「応!」


 光秀はこの寄せで敵の前衛を突き崩すつもりでいる。石島隊の猛攻もあってか朝倉軍の前衛は完全に浮き足立っており、石島の兵に首を取られる者が増えはじめているのが見て取れた。


(勝負所よ)


 光秀自身、隊を率いての合戦は不慣れと言える。

 だからこそ斎藤利三を高禄で召し抱えた訳だが、当然ながら自分自身の経験を積み上げていかねばならない事を自覚していた。

 弥平治の隊が大きく南へ迂回し、逃散しつつある朝倉兵を蹴散らしながら一塊となって朝倉軍の中腹に飛び込んで行った。


「今じゃ! 押して出るぞ!」


 ここで一気に押し戻し、そのまま再び反転して若狭まで駆けてしまう事が出来れば、朝倉勢の若狭入りは大いに遅れる事になる。



――その頃、木下隊。


「駆けよ駆けよ!」


 金ヶ崎城の包囲をかろうじて突破した木下隊は沿岸を進み、追撃してきた朝倉勢は竹中半兵衛による伏兵の一斉射撃と猛反撃に潰走。どうにか逃げ切る事が出来たのだが、既にその数を半減させていた。

 一度は追手を振り切った木下隊ではあったが、丹後街道に接近すると再び朝倉軍と遭遇。隊は疲労が激しく戦える状態になかった為、秀吉は一目散に逃げる事を決断していた。


 その秀吉の命をかろうじて守っていたのは、殿しんがりを気遣って織田本隊が残してくれた鉄砲である。木下本隊に百丁、竹中隊に百丁、合計二百丁の鉄砲を巧みにあやつりながら、どうにかこうにか西へ西へと向かっている。


 丹後街道付近を駆けて行く木下隊が、満身創痍の状態で朝倉軍に完全に捕捉されたのはこの日の夕刻、明智隊が反転して朝倉軍に猛攻を仕掛けた直後であった。


「こりゃあまずい」


 秀吉の焦りは頂点となっていた。

 既に周囲は朝倉軍で満ちており、味方は見える範囲に二百弱。後方から蜂須賀小六が率いる川上衆が追いかけてくるのが見えるが、こちらに追いついた所で結果は見えている。


 だがその時、目の前の朝倉軍がどっと揺れた。


「なんじゃ?」


 木下隊を包囲しかけていた朝倉軍が唐突に騒がしくなり、西の一角がぱっかりと割れたのである。


「美濃郡上八幡城主、石島長綱が臣、畑佐六右衛門! 命惜しくない者は我が首を狙うがよい!」


 荒々しい身なりの豪傑が、槍を振り回しながら先陣を切って朝倉勢を追い散らしながら進んでくる。その勇猛な将に続いて多くの兵が朝倉の兵に槍を突き入れ、そのたびに血しぶきが舞った。


「御味方じゃ! 御味方じゃ!」


 飛びあがって喜んだ秀吉の目には若干涙が浮かんでいる。窮地に立たされていた木下隊は、畑佐六右衛門の一隊と偶然にも鉢合わせ、どうにかこうにか合流に至った。

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