第47話 おんせん

 つーくんが荷物を背負う。


「大丈夫ですよ。栗原さんの特製おにぎりも食べたし元気いっぱいです。行ってきます!」


 休む間もなく、足早に屋敷を後にした。


 次の目的地は、現在の飛騨白川郷。

 俺達の時代では観光地になっている白川郷も、この当時は単なる陸の孤島でしかない。

 その陸の孤島でしかないはずの白川では、金の鉱脈が発見されてから、鉱山を中心に賑わいを見せているというのだ。


 その地を支配する内ヶ島さんとの交渉になる。

 内ヶ島さんが俺達を認めてくれれば、俺達は誰に脅かされる事もなく、名実共に大原で独り立ちが出来るのだ。


 さっきからずっと不思議そうな顔で伊藤さんを見ていた優理が、ついに口を開いた。


「ところで伊藤さん、行くって、何処へ行くんですか?」


(あ、姉小路さんが「お待ちしてます」って事は、姉小路さんのトコかな?)


 俺もその詳細を知らないでいる。

 伊藤さんはちょっとニヤっと破顔した。


「ん、温泉」


 たぶん、「えー? ずるーい!」とか、「瑠依も行く!」とか、そんな声が出るのを予想していたんだと思う。俺も当然、そんな反応がある物だとばかり思っていたのだが。


「……おん……せん?」


 優理は首を傾げ、頭の上に「?」を出したまま止まってしまった。


 美紀さんも小声で「おんせん……おんせん……?」と、繰り返し呟いている。


 唯ちゃんも頭の上に「?」が飛び出しているし、同じく「?」を頭に付けた瑠依ちゃんが伊藤さんに質問をぶつけた。


「なんだか知りませんけど、瑠依は一緒に行けたりします?」

「え?」


 俺は思わず声が出てしまった。


(温泉が分からないのか。三百年後には意外な物が無いんだなぁ)


 伊藤さんも本気で驚いているようだ。


「あれ? 温泉が何だか分からないとか、そんな感じ? 真面目に?」


 女の子四人は揃って頷いている。


「しょうがないな。ま、最初は誰も連れていけないけどね」


 瑠依ちゃんが残念そうに項垂れた。


 美紀さんと優理は心配そうに「そこは安全なのか」とか、「遠いのか」とか、伊藤さんに質問攻めが始まってしまった。


「わかったわかった、落ち着いたら呼ぶよ。どうせ一回は殿にも来てもらわないといけないからさ、その時一緒においで」

「やった~」


 瑠依ちゃんは無条件に喜んでいるが、優理は最初から付き添いで行けない事にご不満の様子だし、美紀さんも同様に着いて行きたいオーラが全開だ。


(俺もそのうち行くのか、心の準備だけはしておこう)


 行くのは当然、温泉に入りにではないだろう。石島家の当主として、姉小路さんにご挨拶に行くわけだ。



 その夜、俺と伊藤さんは女の子達に隠れてコッソリと酒盛りを始めた。話があったのは事実だが、どうせならお酒を飲もうとなった。なぜ隠れて飲むかと言うと、伊藤さんの怪我が完治するまで、美紀さんと優理がお酒を許さないからだ。


 隠れまでして飲んでいるそのお酒は、そこまでして飲む程の物ではなく、ハッキリ言って不味い。農家の方から分けて貰ったのだが、濁り酒は雑な味で飲み心地ものど越しも良くない。


 それでも男二人でコッソリ飲むという事に、何か友情のような物を感じる。


「それにしても、よく考え付きましたよね」


 俺はその不味いお酒を飲みながら、今回の各勢力との交渉についての話を始めた。


 当初、全てが予定通りであれば、まだ金田さんは出発してない事になる。


 本来の順序で言えば


【周辺勢力と友好的な関係の構築】


【織田家に対して協力姿勢を示す】


【姉小路から援軍の約束を取付ける】


【織田家に対し軍事支援を約束する】


【織田家から郡上の支配権を取付ける】



 この順序で三ヶ月ほどかけて物事を運ぶ予定だったのだが、時間が無かったので全てを同時進行にしたのだ。


 実際にはまだ話が纏まっていない部分についても、既に纏まっている事にして各勢力との対話を始める。かなり危険な賭けではあるが、織田の美濃侵攻というこのチャンスを逃すと、次はいつになるか分からないのだ。


 とはいえ、いくら金田さんが上手くやっても、実際に俺達が兵を動かす事が出来なければ、姉小路さんの援軍を借りる事が出来なければ、郡上の支配など認めて貰えるわけげない。


「考え付く以上に、実行するほうが大変さ。言うは易しって言うじゃん」


 伊藤さんはだいぶ動くようになった左手で酒を煽りながら、決意に満ちた光をその両目に浮かべている。


「すいません、俺は何も出来なくて」


 金田さんは命がけで織田家に行っている。おそらく今回のミッションで一番危険度の高い仕事だろう。それに比べたら、俺の仕事なんてちょろいものだ。


「なーに言ってんの、石島ちゃん大好評だよ? 知らない?」

「え? 誰にです?」


 伊藤さんが言うには、俺は村の人たちから大好評らしい。俺は何も特別な事はしてないのだが、それが彼らには大変に好印象だったようだ。

 やった事は、重い荷物を一緒に運んだり、一緒に泥まみれになって、一緒に小川に洗いに行ったり。


(だいたい、あの婆さん適当すぎるんだよな)


 俺は最初に出会ったあのお婆さんを思い出し、なんだか可笑しくなった。


 村の年寄衆に言わせると、俺と石島家の先々代は全然似ていないらしい。それでも年寄衆、若衆をはじめ、村の人は全員揃って俺を石島家の当主として迎え入れてくれた。


 とにかく皆の話を聞き、一緒に汗を流し、笑顔でいる事が大事だと思った。


 物思いにふけっていると、伊藤さんが恐ろしい事を言い始める。


「殿、お末ちゃんをどう思います? なんか四衛門さんがお末を殿の嫁にするとか言い出したんだけどさ」

「え? ちょっとちょっと! 勘弁してくださいよ!」


 流石に十歳の少女相手に、どう思うとか言われても困る。


「いやさ、一応断ったんだよ? いずれ名のある方のご息女を正室に迎えたいから、遠慮してほしいって頼んだのさ」


 伊藤さんは言葉を続ける。


「そしたらさ、妾でもいいからお側で使ってやってくんねーかとか言い出すんだよね」


 俺はたまらず伊藤さんの顔を覗き込んだ。


 別にニヤニヤとしている訳ではないが、ちょっと遠い目をしている。伊藤さんがこんな顔をする時は、その先にある何かを見据えている時だ。


「言って下さいよ、俺の意見はその後で言いますから」


 俺は御猪口に残った酒を一口に飲み干すと、伊藤さんの言葉を待った。


「四衛門さん、自分の死んだ後の事を心配し始めているんだよね」


 伊藤さんは言いながら、俺の御猪口に酒を注いでくれた。俺は「すいません」と言いながらそれを受け、伊藤さんの続きを待つ。


「お末ちゃんの上にもう一人いるんだよね、その上からはもう嫁いでるから心配ないんだけどさ」


 伊藤さんは左手の御猪口を口に運び、残った酒を一口に飲み干す。


「お末ちゃんと、三個上のお栄ちゃん、それと十三くんと十五くん。この四人の就職先をどうにかしてほしいってお願いされてんだよね、四衛門さんにさ」


 この辺りの農家は土地がそれほど大きくない。その為、分割しての相続は現実的ではないだろう。


 そうなると、今の畑仕事の主役である十二さんが、このまま行くと田畑を相続する事になる。そうなってしまえば、十三さんと十五さんは、一生肩身の狭い想いをしながら兄の下働きになる。それが嫌なら家を出て行くしかない。


 そんな状況下で兄弟が喧嘩にならないよう、子供を作りまくった父親としての配慮なのだろうか。


 しかし就職先をどうにかしてほしいと言われても、紹介できる先なんて俺達には無い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る