第三百四十話 『まさか、私を疑っているのか?』

「とうとう本性を表したな――!」


 特濃の魔界の魔力を垂れ流しにしながら、剣を持って学内をうろついているというだけで、しょっぴく理由としては十分だろう。ならばこれ以上なにかをさせる前に先手を取らねばと、戦いの幕を切って落としたのは私の方だった。


(まずは死なない程度にあぶってやるっ!)


 腕を横薙ぎに振るい、勢いよく炎を放出する。


 廊下を埋め尽していく炎だったが、入学したての生徒ならともかく、この学園にいるやつがこれぐらいで死ぬことはないだろう。逃げられない程度のダメージを与えて、後から全部吐かせてやろうじゃないか。


 廊下の突き当りにまで炎が到達したものの、油断はできない。相手が炎の中から飛び出してきたときに備えて、次の魔法の準備をしようとした、その時だった――


「――おい、待て」

「――っ!? いつの間に背後にっ――!」


 細剣レイピアを抜いて振るうも、先程から握っている例の黒い柄の剣によって阻まれてしまう。よくよく見れば、柄の中心に大きな髑髏どくろがあしらわれており、不気味極まりない外見をしているではないか。


 これで犯人じゃないって言う方が無理だろ――!!


 魔法がなぜだか効かなかったのならば、剣で直接斬りつける方向へと切り替えるまで。こっちはミルクレープに鍛えられ、学園でも横に並ぶ者がいないまでに高められた剣術があるのだから。


 魔力が凄かろうと、それはあくまで魔法使いとしての物差しにすぎない。たかが保険医ぐらい、ちょっと特別な剣を持っている程度なら簡単に制圧できると思ったのだが、それも間違いであると思い知らされる。


 キィンッ、キィンッと甲高い金属の弾きあう音が何度も響く。向こうは全力で剣を振るでもなく、ただこちらの剣を受けるばかり――だが、一つとして通すことのない鉄壁の守りだった。


「くそっ――らちが明かないっ!」


 こちらはこちらで全力で相手の急所を狙っているのに、涼しい顔でその切っ先をいなしていく。どれだけ荒々しく攻めようとも、意にかいしていない。その技術は並の剣士を遥かに凌ぐものだろう。


「ふっ――!」

「くっ……!」


 こちらの攻めが途切れた一瞬の隙を見逃さず、ウィルベルが鋭い一撃を見舞ってきた。目にも留まらぬ、という程ではなかったが流石に回避することはできず、細剣レイピアを折られないかとヒヤヒヤしながら、剣撃を防いで後ろに飛んだ。


 キィィィンという残響だけが廊下に広がる。


「――――」


 眼鏡の奥にある、ウィルベルの目が据わる。

 その左手には、淡い魔法光。


「なんだ……?」


 何かを仕掛けてくるのかと身構えていると――


 地面へとまっすぐに下ろしていた剣が、彼女の手からするりと抜け落ちる。


(戦いの中で剣を手放した……?)


 ――と思った次の瞬間だった。


「なにっ!?」


 目の前に、ウィルベルの持っていた剣の切っ先が、ぬるりと。あのまま迂闊に距離を詰めようと前に出ていたら、死ぬまではいかなくとも傷を負うぐらいはしていたかもしれない。


 バッと顔を反らし、慌てて剣の出てきた箇所を見上げると――魔法で作り出されたものだろう、黒々とした魔力の渦が浮かんでいた。


 ここから物を出し入れするのがウィルベルの魔法か?


 いや、最初の私の魔法を避けて後ろに回り込んだのも、この魔法によってだとするなら……。渦を出入り口にして別の場所に繋げる魔法、あるいは両方の機能を持っていると考えるのが妥当なところか。


「――もういいだろう」


 ズブズブと渦へと沈んでいく剣の向こう側で、疲れたようにウィルベルが煙を吐く。煙草を片手に腕組みをしており、完全に戦闘態勢は解かれているように見えた。


 もういいだろうって? 弁明でもするつもりか?

 そっちが良かろうと、こっちは全然続けるつもりだった。


「話を聞くのはお前を戦えないようにしてから――っ……!?」


 一歩踏み込んだ瞬間、地面が抜けたかのような感覚に襲われた。


 その原因は足元を見れば一目瞭然、いつの間に出したのか、踏み込んだ足が例の黒い渦に沈んでいるではないか。魔法を発動させた瞬間に気づかなかったのは私の落ち度だが、なにもこれで全てが決まったわけじゃない。


 これ以上なにかさせる前にと、炎を撃ち出すために腕を前に出せば――今度はそれを待ち受けるように一瞬にして目の前に渦が現れる始末。当然、両手は渦の中に飲み込まれてしまい、炎もウィルベルには届かない。おまけに――


「動かないっ……!?」


 まるで泥の奥深くに手を突っ込んだかのように、大きな抵抗があって腕を引き抜くことができなかった。それはさっきから沈みっぱなしだった足も同様だ。


「なんだ……これは……!」


 身をよじってなんとか抜こうとするも、一向に抜ける気配の無い手足。戦闘態勢をすでに解いているウィルベルは、こちらに呆れたような視線を送るばかり。『ふぅ……』とまた大きくため息を吐き、あたりに白い煙を充満させたのち、更に手元の魔法光が勢いを強めたので何をするつもりなのか問おうとしたのだが――


「っ――!」


 ぬっと視界の端に伸びる刃。私の頭のすぐ後ろから出てきたものだろう。金属の冷たさが、静かに触れた首筋に伝わっていく。まるで『お前なんていつでも殺せる』と言っているかのようだ。


 私が身動きできないでいると――自分の上下にあった魔力の渦が徐々に大きさを増していく。……だけじゃない、徐々に身体の中心へと移動していた。私の身体をずぶずぶと呑み込んでいきながら。


「待っ――」

「待ちはしない」


 流石にまずいだろうと、逃げ出そうにも逃げ出せず。そうして抵抗虚しく頭まですっぽりと渦の中に入ってしまう。目は開いたままだが、視界は真っ黒に塗りつぶされていた。


(なんだ、この空間は……)


 そこでは上もなく、下もない。

 今まで味わったことのない魔力の“粘度”に押しつぶされてしまいそうだ。

 押し戻されそうになりながらも手を伸ばしてみるも、何も掴むことができない。


(これはまるで……沼の中に落とされたみたいな――)


 周囲に私の半身である妖精の気配も感じられない。『もしかして、死ぬまでこのままなのか?』と血の気が引いたその時――ふっと、重力に身体が引っ張られた。


 突然の開放感、そして痛みを伴う衝撃。

 ……固い石造りの廊下に頭を打ったのだった。


「――ぐえっ!?」


 痛みに頭を押さえながら、チカチカした視界で瞬きを一度、二度。


 ――――。


 目の前にあったのは、全身の傷跡からシュウシュウと魔力を放出している魔物の姿だった。くだんの魔界から来ているという魔物だ。今まで学内では見たことのないほどの大きさだったのだが、既に息絶えているようだった。


 その身体には――ウィルベルの持っていた剣と同じものが、数十本ほど突き刺さっていた。全身を剣に貫かれて死んでいるのだ。


「……あまりに遅いから、私が勝手に片付けておいた」


 剣が一本ではなかった、ということ。

 手加減をされていたのだという事実に、腹立たしさを覚える。

 そういったことを除いても、まだこの女は信用できない。


「…………」

「何か言いたいことでも?」


「自分で魔物を呼んだのなら、どこにいるのか一発で把握できるだろうな。駆除するのだって簡単だろうさ」

「まさか、私を疑っているのか?」


 吐き捨てるように言う私に、せせら笑いを浮かべるウィルベル。決定的な証拠が無いからいい気になっているのだろうが、私の目を誤魔化すことはできない。


「他の奴には分からないだろうが、私にはお前の魔力が変なことぐらい分かるんだよ。この魔物から漂う魔力とほとんど同じだ。だから――」


「――ほぅ?」


 眉をひそめるウィルベル。

 こちらに向ける視線の色が変わった。


 寒くなる背筋に、私は警戒を強めたが――


「……私は何も知らない。他を当たるんだな」


 そう言い残して、どこかへと去っていった。

 ……幾つもあった剣を、ずぶずぶと渦の中に仕舞いながら。






「ちくしょうめ……」


 何かしらの怪我を負ったわけではないが、あれだけの“重さ”のある魔力の中に放り込まれたのだ。あまりの疲労感に、よろよろと廊下を歩きながら悪態をつく。


 魔物が暴れ出す前にウィルベルが止めたのは事実だし、『何事も無くて良かった』と言うべきなのだろう。が、私としては不満しかない。


「なんだあの魔法は……」


 これまで見たことも、聞いたことも無い魔法だった。定理魔法なのか、魂使魔法なのかも区別がつかない。魔法の腕でも、剣の腕でも、こちらを一方的に抑え込むだけの実力が、ファラ・ウィルベルにはあった。


 当然、“尻尾を掴む”以前の問題だ。


『私は何も知らない』というあの言葉を、鵜呑みにすることはできない。別の場所と繋げたり、中から何かを取り出す魔法なんて、今回の問題にはピッタリのものだからだ。仮に本当のことを言っていたのだとしても――それでは、いったい何が原因でこんなことが起きているのか、という話である。


 ……どうしたもんかな。


 今回の結果をローザやミルクレープに報告するべきか。いや、しないといけないのだろうけど、それだと私が突っかかっていった上に返り討ちにされたことまで言わないといけなくなる。


「説教は……嫌だなぁ……」


 そんなことをぼんやりと考えながら、図書室へと戻る道のりをぶらぶらと歩いて行く。ちょうど、少し前に男子生徒とぶつかった、新しく増えたのに気づいた廊下にさしかかったところで――違和感に気づいた。


「……んん?」


 どうしてこんなところで、魔力の気配がする?

 “例のアレ”ではない普通の魔力だが、こんな場所で誰かが魔法を使ったのか?


 ――――。


 目を凝らせば、はっきりと異変が映し出される。廊下の壁の一部が、魔法光によって輝いていた。……いや、もっと正確に言うなれば、いた。


 こうして視界にあらわれていなければ、気付くことはできなかったかもしれない。見た目だけをいつわっているのではない。視界にずっと収めているから大丈夫なものの、意識を意図的いとてきらされているのが分かるのだ。


 誰がこんなことを? 認識を逸らすだなんで、いったい誰の魔法だ?

 疑いを持てない程に巧妙に隠している、その理由は?


 ――思えば、この時点でミルクレープたちを呼んでくるべきだった。


 しかしながら、ただ“おかしな場所がある”という認識しかなかった私は、無謀にもその先に一人で向かってしまった。学園の裏側なんて、もう慣れ切ってしまっていたし、これもその一環なのかもしれないと思っていた節もある。学園のどこであろうと、私の庭のように感じていたのもあっただろう。


 ――ごくり、と無意識のうちに生唾を飲み込んでいた。


 魔法の壁の向こうに伸びた廊下は、それほど複雑な道のりではなく、単純な一本道となっていた。途中で扉などもない、真っ直ぐにどこかへと繋がっている様子。


 だんだんと、周囲を漂う魔力の濃度が濃くなっていくのを感じる。この先にある“何か”の正体を――私は知っていた。


 学園の“核”となっている部分だ。


 ようやく出口が見え、魔法でできた壁を通り抜けると、見覚えのある扉が視界に入る。その扉は少しばかり開いており、間からは魔法光が漏れ出ていた。


「……こ……らば……」

「……声?」


 奥からは何やら男の声が聞こえてくる。

 こんなところで何をしているのだろうか。


 立ち入り禁止とはどこにも書いてはいないが、それは前提として誰も知らない、入ることのできない場所の筈だったからで。迷い込んでしまったのなら、落ち度はなくとも引きずり出して二度と近づくなと注意する必要がある。


 魔法で廊下を隠していたのは中の人物だろうか。

 ……どちらにせよ、ウィルベルの時のような失態は犯せない。


 警戒を強めながら、私は――勢いよく扉を開く。


「……ええっと、名前はなんだったっけ」


 そこにいたのは、ウィルベルと同時期に学園にやってきた、機石魔法科の教師だった。見覚えはあるが、名前は思い出せない。ただ――その瞳は汚れ腐った泥水のような色をしていた。……穏便な解決が望めないことは確かだった。

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