第三百三十話 『己に返ってきた気分はどうだい?』

 ピュイッと指笛を吹くと、男子生徒たちが契約していた妖精たちが、ローザのもとへと集まっていく。


 ……私のときと同じだ。


「――アンタたち、サロディの教え子だろう」


 地面から顔を覗かせている木の根に、『やれやれ』と呟きながら腰掛けるローザ。周りには、こちらの様子を遠巻きに見つめる妖精たち。その中には、私の妖精半身もいた。


 根に絡め取られたままの生徒たちが、必死に『戻って来い!』と呼びかけるも反応が無いあたりまで自分の時と同じで。どこからどう考えても、妖精たちが契約を交わした生徒たちではなくローザの方を主人と認識しているようにしか見えなかった。


 一体何が起きているのか。


 困惑していた生徒たちの瞳に、徐々に怯えの色が見え隠れし始めたのを察知してか、突如根が緩められて生徒たちが開放される。――が、私だけそのままだった。


「おいっ! 私は!?」

「…………」


 ……無視された。

 こっちの方へ見向きすることもなく、険のある口調で短く告げる。


「このことを報告されたくなけりゃ、今すぐこの場から消えな」


 生徒たちが恨みがましい視線を送るも、意に返さないまま妖精たちを送り出し、ふわふわと妖精魔法科ウィスパーの方へと帰っていくのを眺めていた。


 言うことを聞かずに飛んでいってしまった妖精を追うべきか、それともローザに何か言うべきか生徒たちが迷っていたのだが――


「これに懲りたら、二度と他人をあざけるようなことをしないことだね」


 ドンッと細剣を突き立てるローザに気圧されて、脱兎の如く逃げ出していったのだった。






 ――――。


 生徒たちが完全にいなくなり、自分とローザだけがその場に残されて。そこでようやく自分も根から開放された。自分の思っていた以上に、身体は疲労しているようで、その場で膝をついたまま動けない。


「さて、危ないどころだったんじゃないかい、ヴァレリア」

「それは……お前が妖精を取り上げたままだったから――」


 助けてもらったのは確かだが……妖精さえいたのなら、こんなことにはなっていないわけで。これは文句の一つでも言わないと気がすまない。立ち上がって睨みつけようとしたのだが――


「…………?」


 身体は――震えていた。


「……怖かったかい?」

「こんなのは……氷で冷えたせいだ」


 嘘だった。あの瞬間、自分は命の危険を感じていたし、魔法をまともに喰らったときのことを想像して息を呑んだのも事実。目を閉じて、戦うことを諦めていた。


 この身体の震えは……間違いなく恐怖からのものだ。


「今回、馬鹿にされ、仕事の邪魔をされ、お前に怒る権利はあった。どちらに非があるかと言えば、向こう側だろうさ。それでも相手は、優位に立つために思うがままに力を振るい、お前の身は理不尽な危険にさらされた。恐怖を感じた。卑怯者とどれだけ罵ったところで、あの場では確実にお前の方が弱者だった」


「そこまで分かっていたなら、なんで黙って――」

「これまでお前が痛めつけた者の中にも、同じように考えていた者がいるだろうからさ」


 ローザは木の根から腰を上げる様子もなく、ただただ私を見下ろしながらそう言った。責めるような口調ではない。むしろ、丁寧に説明されているような気さえした。


「今までしてきたことが、己に返ってきた気分はどうだい?」

「…………」


 私は、奴らのことを卑怯者と言った。


 “殴り合い”という形で収めようとしたところで、“魔法”という武器を一方的に使ってきたからだ。


「魔法も、過ぎた力も――振るわれる方からすれば大した違いなんてないさ。抵抗する力も持たない相手に、一方的に危害を加えることが、卑怯じゃなければなんだというんだい?」


 ……何も言えなかった。


「今までお前がこんな思いをせずに生きてこれたのは、お前よりも力を持っている者たちが自身を律しているからに他ならない。ここは、一瞬の油断が命取りな野生の世界じゃないんだ。獣とは違う。ヒトの世界ってのは、そうやって回っているのさ」


 今までの自分は、誰にも負けないぐらい強くなればいいとばかり考えていた。しかし、それでは駄目なのだとローザは言っている。上には上がいる。そして、どれだけ上り詰めたとしても、決して“無敵”にはならないのだと。


「戦って勝つのが偉いんじゃない。無闇に戦わない、争いを避けていかなきゃ、ヒトの中ではさぞかし生きづらいだろう」


 ローザは少しばかり目を伏せ、170年生きてきて、いろいろな出会いと分かれがあったと教えてくれた。


 竜もいた。魔族もいた。ヒトなんて、それこそ数え切れないほどに。

 力を求め続けた者はどれもろくな死に方をしなかったと。


「力を持っているのなら、正しい扱い方を身に付けないといけない。力は侵すためではなく、守るために持っておくんだ。自分の身だけじゃない。大切なもの、大切な場所、大切な人を守れるように」


 その時から、ただの力は“優しさ”に変わるのだと。

 脅かすのではなく、安心を与えられるように。


「守るために……」


 自分の手のひらを見つめながら、小さく呟く。


 今までそんなこと、考えたこともなかった。


 フラルも、ヨシュアも、ミルクレープも。私が守る必要なんて無いくらいに強かったからだ。(ヨシュアに関して言えば、大切な者ではないので守ろうという気すらないが)


「……今の私には、よく分からない」


 ……いつの間にか、身体の震えは止まっていた。しかし――


「守りたいものができたときに、ゆっくり考えればいいさ。間違いを正すためにだけ使えばいい。それ以外の力なんて、邪魔なだけさね。ただ――」


『ふぅ……』と、ローザ小さく溜め息を吐く。


「――この世界は必ずしも善人ばかりじゃない。どこにだって、悪意の塊のような奴はいるもんだ。そういう奴に命を狙われた時には、。何かが起きてからじゃ遅いなんてことは、星の数ほどあるんだからね」


 ローザは私の想像していた以上に冷たい目をしていた。思いがけず木のうろを覗き込んだときのような、そんな引き込まれそうな程に深いものを感じた。


「――――」


 私が気圧され、言葉を発せないことを察して、そこにあった空気を振り払うように頭を軽く振ってローザは立ち上がる。そこには、これまでと変わらない静かな表情が戻っていた。


「――さぁ、今日はもう図書館も閉めてある。食事も用意してあるから、寝るまでに少し昔話でもしてやろうじゃないか」


 そうして、図書室に備え付けてある部屋へと戻り――


 夜が更けるまで、ローザの若かったころの話や、村を頻繁に訪れていた竜との話――そして、その竜との別れて妖精魔法師ウィスパーとなった話を、ゆっくりと語ってもらったのだった。

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