第三百二十七話 『お前ごときが妖精魔法師なものかい』
本の中から飛び出してきた魔物は、間髪を入れずに襲いかかってきた。
とっさに躱すことはできたが、こいつらは何だ……?
影だと思っていたものは、全身が真っ黒で。もやもやとした黒煙が広がっていくのではなく、固まって形を成しているようだった。
それは――徐々にはっきりとした形状へと変化していく。両手足が、尻尾までもが、あっという間に生え揃う。その細長い身体には光沢も出てきて、表面は鱗のように変わっていくのが見えた。
「……竜?」
――いや、翼は生えていなかった。
あるべき場所が、少しだけ盛り上がってはいるが。それは、目の前の個体が成長しきっていないからか? それとも別の要因があるのか?
……どちらでも構わないさ。
それが竜でなく、
「こんなもん、一瞬で焼き払ってや――」
…………。
『本とは、過去の人々の知識。それを記した人そのものです』
そこで思い出したのは――
ネスカの言葉。ローザの言葉。そして、ヨシュアの言葉だった。
……傷つけるわけにはいかない。
もう私は、好き勝手に振る舞うのは止めないと。変わるんだ。
第一、こんなやつら魔法を使わなくたって倒せるさ。
そう思い直し、私は提げていた
「くそっ……! チョコマカと……!」
周りは本棚に囲まれ、相手は縦横無尽に動ける状態。こちらは本を傷つけないように動いているせいで、どうしても剣の振りも小振りになってしまう。せめて一匹だけなら簡単なのだが、うまく対称に動いているせいで、常に背後を狙われて的確に立ち回るのが難しい状態だった。
「はぁ……はぁ……。どうして……この程度の奴らに……!」
さんざん図書室の中を迷い歩いていたことも、追い打ちをかけている。
精神的にも、肉体的にも疲弊していた中での突然の戦闘。得体の知れない蜥蜴を相手にしていること。森の中とは違って、自由に戦うことが出来ないのは辛かった。
息は切れ始め、剣を握っている手は痺れ始めていた。
全身から汗が吹出し、身体に上手く力を込めることができない。
――――っ。
「しまっ――」
先に限界が来たのは、魔物ではなく私の方だった。
ガクンッと床に膝をついてしまい――飛びかかってきた蜥蜴をかろうじて剣で受け止めることはできたものの、そのまま押し倒される形になっていた。
このままじゃあ、本気で危ない……!
しかし、この期に及んで魔法を使うことを
「くっ……! …………――?」
ふっと、重さが消えたのだった。
恐る恐る
慌てて飛び起きると、もう一匹の蜥蜴と対峙しているローザの姿があった。その手には、私のものと似たような
「バアさん……!? ――っ、今なら……!」
空中で無防備な状態で投げ出された、今が最大のチャンスだった。むしろ、ローザが狙ってそうしたようにも思えた。『最後の一匹ぐらい、お前で処理しろ』、と。
一歩踏み出して、刃を振るい――蜥蜴の胴体をきれいに切り裂いてみせた。
ローザが切り捨てたときと同じだ。
血の一滴も溢れることなく、煙となって消えていく。
「――終わった……」
……もう限界だ。
助けに来たことの安堵に、私はばったりと床に倒れてしまう。
「どうしたんだい! もしかして、今の奴らに傷を負わされたんじゃ――」
「は、腹が……。減りすぎて気絶しそうだ……」
「……なんなんだい。勝手に入って行ったかと思えば、勝手に野垂れ死にしそうになって。山の中で育ったと聞いていたが、言の葉の森はアンタには合わなかったみたいだ」
「……
床に寝転がった状態で、じろりと見上げながら睨みつけてやるも、ローザは怯むはずもない。やれやれと腕組みをしながら『はぁぁ……』と大きく溜め息を吐いていた。
「それともなにかい?『本の海に溺れて死にたい』という
なにが『本の海に溺れる』だ。こんな危険な本が置いてあるような場所じゃあ、生徒だって安心して利用できないだろうが。
「図書館の……主だというのなら……本の管理ぐらいちゃんとしとけ……!」
「このあたりは、禁書を収めている棚が並んでいるから“立ち入り禁止”だと、しっかりと書いておいたはずだけどねぇ」
そう言って、一匹の妖精になにかを頼んでいる様子のローザ。
妖精はこくりと頷くと、少し離れた場所へと飛んでいき、何かの紙を取ってきた。
その表面には、なにやら文字が書かれている。
どうやら、それがローザの言っていた“立ち入り禁止”の掲示だったらしい。
……確かに、何か貼ってあるとは視界に入る度に思っていた。けど――
「……読めなかったんだ」
「呆れたもんだ。ヨシュアは、読み書きすらまともに教えなかったのかい? この学園でいったい何をしてたんだか」
学園で何をしていたのかだって?
そんなことを言われたって、答えられるわけがない。
「私に……分かるわけがないだろ……! 私だって一人前の
私は竜とヒトの子だ。他の奴とは違う、特別な存在だ。それでも――“頑張って”皆と同じように過ごそうとしたんだ。それなのに、なんで上手くいかないのか。答えを知っているのなら教えてくれよ……!
「馬鹿を言うんじゃないよ。お前ごときが
ドンッと脱力して身動きの取れない私のこめかみを、ローザの細剣の鞘が掠めた。真っ直ぐに、床へと突き立てたのである。もう少しズレていたら、大怪我をしていただろう。しかし、そんなことはお構いなしに、説教を雨あられと降らせてくる。
「アンタは自分の力を思うがままに振るっているだけさ。妖精とはいえ、お前自身でもあるんだろう? それを理解もしないままに、擦り切れそうなほど酷使してりゃあ世話ないねぇ。ボロボロじゃないのは、無駄に頑丈な
限界だって……?
『おいで』とローザが手招きする。
それは私に向けられて――いるのではなく、私の妖精に向けてのものだった。
「妖精の扱い方を何一つ知らない、知ろうともしないくせに、
私の妖精が、ふわり、ふわりと飛んでいく。
ほかでもない、ローザの手元へと向かって。
「お、おい! どこに行くんだ!?」
妖精は、ちらりとこちらを気にする素振りを見せたものの、止まることはなかった。私がいくら『戻ってこい!』と声を上げたところで……。
なんだ? なにが起きている?
こんなことは初めてだった。
妖精が私の意思を汲み取れなかったことは、一度や二度くらいならあったかもしれない。しかし、明確に私の意図と反した行動を取ることは、どれだけ過去を振り返ろうと一度として無かったはずだ。
――ミーリャが授業でこんなことを言っていた気がする。
『妖精はあくまでも、私たちと契約して力を与えてくれているだけの存在です。あまりに妖精の意思を無視した行為を強要したり、契約を
……なんだ、私も案外授業を聞いていたんじゃないか。
でも、なんで……。
そもそも、私は妖精と契約すらしていない。
自分自身と契約を交わす奴なんていないだろう?
いくら考えたところで答えは出て来ない。
「竜の世話をするのは、別にこれが初めてじゃない。よーく分かっているつもりさ。……少なくとも、今のアンタよりはねぇ」
「竜の……世話だと……!?」
「アンタに必要なのは教育じゃない。まずは“躾”だよ。それが終わるまでは、私が
そう言ってローザは、私の首根っこを掴んで無理矢理に立たせる。
今の私は、まるで拾われてきた家畜の仔のようだった。
全く状況が呑み込めていない私に対して、出された最初の“躾”は――
「――お前が出したままにしている本を、全部収めながら戻るんだよ」
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