第三百六話 『似合わないとか言うなよ?』

 朝には全員が揃ってから【知識の樹】のグループ室へ入るのが暗黙の了解となっていた。それは卒業式の前日になっても、変わることはない。卒業式の当日だって、そうしようと決めていた。の、だけれど――


「やぁやぁ皆の衆!」

「――!?」


 ソファーに仰向けで寝そべって足をパタパタとさせながら。まるで毎日そうしていたかのように気軽な感じで、こちらに手を振るその姿。全員が予想していなかった光景に口をあんぐりと開けていた。


 赤い髪をだらんと垂らし、逆さにこちらを見上げている。

 金色の双眸がこちらを真っ直ぐに見据えていた。


 他に誰がいるだろう、我らがヴァレリア先輩の姿がそこにあった。


「なんらか久しぶりな気がするな。んふふふ……」


 少しだけ疲れた様子を見せてはいるものの、虚ろな目、垂れた涎、回ってない呂律。……ホントに大丈夫か? いつもよりは酷いな。とはいえ、もう二度と会えないかもと思っていただけに、そんなことは些細なことでしかない。


「せ、先輩……!? どうして――」

「どうしてもこうしてもないだろう。ここは私の部屋みたいなものだぞ?」


「そうじゃなくて……!」


 こういう適当な返しは、正真正銘俺たちのヴァレリア先輩だった。


 みんなで慌てて駆け寄り、思い思いに声をかける。


「あぁもう! どうしてずっと顔を出してくれなかったんですか?」

「扉を開けられないように罠を仕掛けてよ」

「私たち、ずっと先輩のこと心配していたんですから……」


 学園長側かと思えば、その学園長から自分たちを助けてくれて。ただでさえ、最後に姿を見ることができたのがあんな状況だったのだ。心配するなと言う方が無理に決まってる。


「どうして今まで出てこなかったんですか!?」

「あ、あの……身体の調子は……」


 半ば乱暴にしっかりと座らされ、次から次へと質問される先輩。


「ふぅ……。悪かった、お前たちには心配をかけたな」

「あの……学園長は……?」


「消えた。姿を消したよ。もう、この学園には興味が無いって言い残して――」


 ――――。






 “あの出来事”の直後、先輩も学園長も姿を消したが、探し回れるような状態でもなく。生徒は寮へと退避して休ませることになり、教師陣は今回の件についての対応を迫られていた。幸い外部に影響は無かったものの、運が良かっただけで何もしないわけにはいかないだろう。状況の把握と今後への対策など、やることは山積みだったのだ。


 当然、学園長が姿を消したことも問題となっていた。そこで自分たちが事情を知る者たちとして加わったのである。異世界から来たということは伏せながらも、他のことについては教師陣に洗いざらい話した。学園長が自身のことを神と名乗ったことも、学園に魔神が現れてからのことも。


 信じてくれる人も、ホラ話なんじゃないかと疑いの声を上げる者もいた。そこはテイラー先生が学園長に自分たちが呼ばれたということを証言したので、なんとか話だけは聞いてくれたけど。


 学園長がいなくなった以上は、誰かが代役として学園の運営を継続していかなければならない。らしいのだが、そのポジションに収まったのがテイラー先生だったのもある。能力的に適しているのか甚だ疑わしいが、他の先生方から異論も出なかったらしい。


『んー……そうだがなぁ。本当にヨシュアが神様ってやつだったとして、姿を消しちまった以上探すのは難しい。見つけて言うことを聞くとも思えないしな。なによりまずは――』


 自分が異世界から来たということは伏せながらも、他のことについては教師陣に洗いざらい話した。学園長が自身のことを神と名乗ったことも、学園に魔神が現れてからのことも。


 しかし、テイラー先生の下した判断は、実に穏やかなものだった。


『――兎にも角にも、まずはお前たちの卒業式だろ』


 事実として、学園長は何もしなかっただけで、今回の黒幕であるとは判断しづらいというのも理由の一つだった。魔神の出現に関しては、今となっては極端に例が少なくなっただけで、世界のどこかで起こり得る現象だという。ハルシュの時のように魔導書を用いたのなら話は別だが、そんな素振りは全くなかったし。


『……まぁ、安心しろ。今回は飲み過ぎて寝ていたが、次に何かあればちゃんと役割を果たすさ。別に俺が増えたところで、何か変わるとも思わないがな』

『そんなことを言ってるから不安なんですけど……』


 テイラー先生は相変わらずの態度のままだったが、これからの学園の動きについてはいろいろ教えてくれた。


 まずは生徒たちをこれ以上混乱させないために、学園長のことは適当な理由を付けて誤魔化す。その中で卒業式をつつがなく執り行うこと。今後の対策に関してももちろん動くという。当然ながら学園内の調査も進めるようだった。


 ――――。






「あまり口に出しづらいが、深手を負っていたし追える状態じゃなかったんだ。お前たちを安心させてやりたかったが、私の力じゃあ全然敵わなかった。すまないな」


「……いいです。先輩がちゃんとこうして元気な姿を見せてくれただけで」


 俺たちのことを守って戦ってくれた先輩を、誰が責めることなんてできようか。こうして前みたいな日常の光景を送れることがどれだけ幸せなことなのか。幾つもの戦いを乗り越えて、出会いや別れを経て、自分たちは理解できているつもりだ。


 もう残されている時間もそう多くはない。なんせ明日が卒業式なのだ。寮の荷物はあらかた纏めてあるし、このグループ室も私物は取っ払われている。もう一分たりとも無駄にしないよう、今日は夜まで沢山のことを話したい。そう思っていたのだが――ヴァレリア先輩は空気を換えるようにパンパンと手を叩いた。


「さぁて、そろそろ本題に入るぞチミタチ」

「……へ?」


 本題ってなんだ?

 むしろ今までのやりとりが本題ではないとはどういうことなのか。

 ちょっと先輩が何を言っているのか分からず、全員が首を傾げる。


「お前たち、この学園を卒業するんだろう?」

「そりゃしますけど」


 三年間通ってきたのだ。“特待生”という選択肢も用意されているが、九割以上の生徒がここで卒業を選択する。学園が人生の全てではない。あくまで外の世界で生きていくための力を付ける手段に過ぎない場所なのだから。


「その右手の紋章クレストをそのままにしておくわけにもいかないんだ。グループに所属していることの証だからなぁ」


『ほぅら、全員右手を出せ出せ。んふふ、痛くはないから安心しろ?』と先輩に促され、順番に一人一人の手と手が重ねられる。


 ……なんだか、とても懐かしい。


 こうして右手に紋章クレストを入れてもらったのも、もう三年も前のことなのか。そう考えただけで、言い知れない感情がこみ上げてくる。みんな同じなのだろう、ハナさんは少しだけ涙を浮かべていて。


 それに気づいた先輩が優しく笑った。


「おいおい、別にこのまま永遠に離れ離れになるわけじゃないだろう? また何かの機会に学園に顔を出してくれればいいさ。……私はきっと、その時にもこの学園にいるだろうからな」


「ま、またまたぁ」


『そんな馬鹿な』とは思ったけれども、先輩はそれについてこれ以上何も話す様子もない。少しの沈黙でさえも厭うようにして、アリエスがぶるぶると苦笑いを吹き飛ばして感慨深げに何もなくなった右手の甲を眺めて呟く。


「なんだか、こうしてなにも無いのを見ると少し寂しくなるね」


 アリエスにつられるようにして、自分も右手を開いてまじまじと眺めてみた。


「…………」


 魔力を流しても反応無し。アリエスの言う通り寂しい気持ちもする。


「……やっぱり入れたままにできねぇんスか?」

「残念ながら、それはできないんだにゃあ」


 ヒューゴがそう言いたくなる気持ちも分かる。あの紋章クレストがグループとしての証明を持つことが、ヴァレリア先輩との繋がりを証明していたようで――。


 どことなくしょんぼりとしている自分たちを気遣ってか、溜息を吐いて『やれやれ』と取り出したのは――?


「……まぁ、お前たちならそう言うだろうと思ってたから、代わりの物を用意してあるんだ。――ほら、似合わないとか言うなよ?」


「わぁ――お花ですか?」


 なんと紋章の柄と同じ花だった。紋章では一つだけだったが、先輩の持っている花は一つの花穂から幾つもの花が連なっている。一つ一つの花は意外と小さい。赤い花弁がラッパ状に広がり、中心からは雄しべと雌しべが伸びていた。


 ――スヴニアの花。

 それが四本、ヴァレリア先輩の手の内に収まっていた。


「先輩から何か貰えるなんて、初めてじゃないか?」

「最高の贈り物だぜ!」


 ヒューゴが感極まって『一生大事にします!』と言うと、『そうしてくれ』と小さく笑う。


「一生枯れることのない花だからな」

「そんな花が仙草以外にも……?」


「この花自体はどこにでも生えている。魔法で枯れないようにしただけさ。私の魔力が流れているうちは永遠に枯れない。どうだ、いい思い出になるだろう?」


「とても綺麗です……。贈り物にはピッタリですね」


 今度は横一列に並ぶように言われて、順番に先輩が胸に花を挿していく。

 一人目は自分だったのだが――先輩は小さく『ごめんな』と呟いた。


 それは何に対しての謝罪の言葉だったのか。


 魔神が現れた日から今日まで姿を現わせなかったことに対してなのか。それとも、もっと先輩らしいことをしてやりたかったという気持ちに対してなのか。そうこう考えているうちに、四人全員の胸元に花が収まった。


「お前たちに何か贈ってやらないと、と思ってな。最後の最後ぐらい、先輩らしいことをしてやりたいじゃないか。どうだ? ん?」

「先輩……」


 嬉しい。こんなの嬉しくないわけがないだろう。花の珍しさなんて関係がない。

 こうして先輩が直接贈ってくれただけで、世界一の宝物と言っても過言ではない。

 失礼なことを言ってしまうが、意外だと思ったのは確かだ。


「この花を見る度に、先輩のことを思い出しますね」

「――――っ」


 コッテコテな程に月並みな言葉しか返せないで、もっと気の利いたことが言えないのかとも思ったが、それでも先輩には響くものがあったらしい。ほんの一瞬だけ見えたその表情は――


「んっふっふ……。是非そうしてくれ」


 ――嬉しそうにも、悲しそうにも思えた。






 ……思えば、たくさんのことを先輩には教わった。

 学園に来る前に教えられた盗みや殺しのこと以外の、とてもたくさんのことを。


 今の戦い方を教えてくれたのはにはるん先輩だけど、ここまで使いこなすことができるようになるにはヴァレリア先輩の教えが不可欠だっただろう。もっともっと遡れば、こうして【知識の樹】に入ったことだって先輩がきっかけだった。


『最後ぐらい先輩らしいことを』とは言っていたが、ヴァレリア先輩なりに先輩らしいことをしてきてくれたと思う。


 どんなときだろうが自分たちを見守って、アドバイスを送ってくれた。危ない所を助けてくれたのは一度や二度ではない。いつだって自分たちのことを気にかけ、見守ってくれていたんだろう。


 花や戦う技術だけじゃない。

 自分たちは、この先輩に沢山のものを貰った。

(勉強に関しては全くだったような気がするけど)


 とにかく、それに対して――なんの恩返しもできちゃいない。


 ……そのことが、少し心に引っかかっていた。


 ――――。


 その日は特に何をするでもなく、夜までずっとダラダラと雑談をしていた。派手なお別れ会をしようにも、準備には時間が足りなかったし。とにかく、これでお別れだというのなら、これまで話せなかった分を含めて話しておきたいと思ったのだ。


 一年の時の廃棄された地下工房での戦い。

 生徒同士のトーナメント。

 アリエスの参加した飛行魔法レース。

 魔物化しながらも生徒として学園に潜伏していたヤーン先輩と――

 その後輩であり、【真実の羽根】を纏めていたルルル先輩の戦い。


 二年には黒い翼の寵愛者アンジール、アリューゼさんとの出会い。

 ココさんとトト先輩と合流して、悪い神父を倒したこと。

 学園行事としては無茶があった、森の中でのサバイバル。

 砂漠ではココさんの魂集めに自らアンデッドとなった魂使魔法師コンダクターと戦った。

 最後の魂の欠片がある呪いの島では、巨人族との戦闘もあった。


 三年にはミル姐さんからの依頼によって学園を出発した、元英雄の機石人形グランディールとの戦いが記憶に新しい。


 先輩が一番興味を持ったのは、もちろんその話だった。


「そうか……自分の居場所を取り戻せたんだな……」


 ヴァレリア先輩自身、ミル姐さんとは昔から何かの縁があったらしいし。過去の仲間たちと出会い、死闘を乗り越えながらも、新しい道を見つけたことを話すと安心したように呟く。


 そうして、『話せてよかった』と笑うのだ。


「皆――卒業しても元気でな。明日の式には顔を出せない、今日がお前たちと顔を合わせる最後の日だ。泣いても、笑ってもな。私たちはせめて笑って別れよう」


 最後にそう言う先輩を見て、少し涙が滲んだ。

 人との別れをこんなに悲しく感じるだなんて。


「ねぇ、ルルル先輩に貰った機石装置リガートで写真を撮ろうよ。最後だから、ね? これも一緒の思い出にしたらいいと思うんだ」


 アリエスがそう提案したので、全員がテーブルの前へと集まった。なんとこのカメラ、タイマー機能も付いているらしい。ソファの背もたれの上に置いて、タイマーをセットする。


「さん、にぃ――」


 全員がレンズへと注目するなかで、アリエスがカウントダウンをして――


『ゼロ!』の声と共にフラッシュが焚かれたのだった。

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