第三百四話 『お前に何が分かる……!!』
『グレンよ、俺を殺せる程の力が欲しいのだろう?』
エルクリードの姿をした“何か”は、明らかにこちらを意識していた。
先程までの記憶の中の存在とは違う。
自分とは別の“侵入者”――となれば、答えは一つ。
「テメェ……。グレナカートを取り込もうとした魔神だな?」
魔神は自分の言葉を無視したまま、ペンブローグの姿で笑みを浮かべて。グレナカートへ向けて、誘惑の言葉をかけ続けていた。
『何者にも負けぬ力が欲しいからこそ、手放せずにいたのだろう? ならば受け入れてしまえばいい。その手を伸ばすだけだ、簡単なことだろう。邪魔なそいつを殺して、全てを
――ここはグレナカートの心の中。『父親を超える程の力の誘惑』と『父親のようにはならないという過去の近い』。二つの相反する感情がダイレクトに精神を蝕んでいる。狭間で揺さぶられる苦しみにグレナカートが歯を食いしばっている横で、自分は驚くほどに冷静になっていくのを感じていた。
「…………」
……なんで、こいつは攻撃してこないんだ?
“攻撃しない”のか。それとも、“攻撃できない”のか。
『邪魔なそいつを殺して――』
グレナカートに対しての
そう考えると、恐らくは後者。
寄生型とまでは言えなくとも、この魔神自体には戦う力は無いのでは。
こうして対面していても、驚異を感じていないのもある。グレナカートの記憶の中で見た姿には、身動きができなくなるほどのプレッシャーがあったのに。
あれは……あくまで“グレナカート”という宿主がいたからこそ。だからこそ、グレナカートを邪魔者である自分を排除した上で、今こそ完全に支配権を奪ってしまおうという算段なのだろう。
……そうと決まれば、動かない道理はない。
「おい、さっさと片付けてここから出るぞ――……? グレナカート……?」
こんな相手、本来ならばグレナカート一人でも十分勝てるだろうに――
「くっ……」
たとえ偽物であっても、父親の姿をしているからだろう。怯えた目の色は決して隠すことなんてできない。二年生の時、グロッグラーンで父親に腕を掴まれた自分の姿が重なった。
「……おい、分かってんだろ。あれはお前の父親じゃない」
「
動くことができない。頭でどれだけ理解しようと、身体の方が嘘をつけないでいた。グレナカートは未だに――父親の存在に
それが向こうの狙いでもあるんだろう。相手の心に入り込み、弱点につけ込んで力を奪おうとする。……厄介な相手だ。自分だって、父親が目の前に現れたらと思うとゾッとする。そして――己の問題を他者に覗かれたときの不快感も分かる。
「……お前の心の中で悪いが、好き勝手させてもらう」
魔神も一度に複数の者にはなれない。グレナカート一人だけなら抑え込んで優位に立てたのだろうが、自分に対しては何の効果もない。殺るのなら、下手に動かれる前だ。
『ま、待て……!』
この世界でナイフが通じるのか? とも思ったが、魔神の慌て具合を見るに問題無いらしい。ついでに戦闘能力が無いことも確信へと変わった。
「なんとしても、お前を引きずり出さなきゃなんねぇんだ!! いつまでも――
魔神の両腕がぐにゃりと形を変えていく。エルクリードの姿のままでは効果が無いと判断したのか。飛び掛かってきたところで――自分からしてみれば酷く
『待てっ!!』とグレナカートの声がした気がした。既にナイフの刃がエルクリード(の姿をした魔神)の喉笛を切り裂いた後だった。驚くほどに手ごたえが無かったのは、ここがあくまで心の中の世界だからなのだろうか。
「ぐ、ぐおぉ……!? よくも、よくも……!!」
元凶である魔神が断末魔を上げ散っていく。バラバラと、まるで風に吹かれる灰のように。それに合わせて――周囲にいた過去のグレナカートやシークたちの姿も薄くなっていた。
これでもう、今のグレナカートを縛るものはない。
一件落着、めでたしめでたし――とはいかないらしい。
「貴様……! 俺の……俺の父親を……。奴は俺がっ――」
グレナカートが、勢いよく自分の胸ぐらを掴んできた。
俺が倒すはずだったのに。俺が倒さないといけなかったのに。最後まで聞かなくとも、言いたいことは分かった。きっと逆の立場だったら、自分でもそう言うだろうから。
「うるせぇっ……!!」
先ほどまでの怯えた目から一転、グレナカートの瞳の内は怒りで燃え上がっている。さんざん勝手なことをされた怒りと。自身の弱さを突きつけられた惨めさと。様々な感情の入り交じった色をしていた。
「俺が殺したのなんて、ただの偽物だろうが。お前自身の手でぶっ倒したかったんなら、さっさとそうすりゃ良かったんだ。『今はまだその時じゃない』なんて、甘えてんじゃねぇぞ!!」
胸ぐらを掴み合ったままに睨み合う。
「さっさと目を覚まして、今度はお前自身の力でやりやがれ! 父親を超えなきゃなんねぇんだろ!? 過去の自分の誓いすら裏切るつもりかよっ!!」
「お前に……お前に何が分かる……!!」
自分を突き飛ばしたグレナカートが、絞り出すように声を上げた。
突き飛ばしたグレナカートの表情は、先ほどまでの怯えた目から再び怒りが湧きあがっていた。さんざん勝手なことをされた怒りと、自身の弱さを突き付けられた怒りもあったかもしれない。
「強大な壁を乗り越えなければならない責任が……力を求めることの必要性が……! のらりくらりと、ただ漫然と過ごしてきたお前なんかに分かるはずがない……!」
「勝手にそんなこと決めつけてんじゃねぇ……!」
父親という壁に悩まされる心境は自分にだって分かる。
今は逃げ続けているが、いつかは立ち向かわないといけないということも。
だからこそ、ここでグレナカートが諦めようとしているのを見過ごすわけにはいかなかった。せめて、信じて支えていた仲間たちに何も言わないだなんて、許せるわけがない。
向こうは既に拳を構えていた。
自分も拳を握り、両腕を身体の前に構える。
どうしても分からないのなら、拳で教えてやるよ……!
「この――馬鹿野郎がぁ……!!」
腕が交差して。互いの拳が、それぞれの頬を打ち付けた。
世界がぐらりと揺れ、意識がブツンと途切れていく。
どうやら――グレナカートの心の世界から、投げ出されるようだった。
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