幕間 ~出張、魔剣パラダイス~
無数の黒い茨によって動きを制限されているアグニに、イリスの鉄拳が叩きつけられる。その細い腕のいったいどこに、巨体を吹き飛ばすほどの剛力が潜んでいるのか。下顎の部分が大きく砕けた状態で、豪快に吹き飛んでいく。
それとほぼ同時――街の中心部から一発の信号弾が上がった。
「……住民の避難は終わったようだ。なんとか間に合った形だな」
「なかなかにいい仕事をするじゃないか、リーリス……!」
アグニがクルタへと到達するまでに、住民たちの避難を完了させられるか。そう内心では焦りを感じていたところに、彼女たちが完璧なタイミングで加勢に来たのだ。思わぬ好機にイリスは嬉しそうに笑みをこぼす。
「くふふふ……懐かしいなぁ! まさか百年以上も経って、お前と共闘することになるとは! 血が
相手がどれだけ巨大だろうが怖くはない。地に落ちた竜――それも機石によって作られた偽物など、恐れるに足らず。達人クラスの者がたった二人では六割程かと思われた勝率も、それが四人ともなれば九割にまで上がるだろう。
想定以上の実力を発揮しているのは、リーリスだけではなく。彼女の従者である黒茨の騎士――フェンも同じこと。
「うおおおぉぉぉ!! 風穴開けやがれぇっ!!」
それは砲弾か。はたまた流星か。
森から飛び出したフェンが、『これが俺の、本当の実力だぁぁぁ!!』と雄たけびを上げる。真っ直ぐに伸ばされた槍が、アグニの翼を大きく突き破る。
数メートルの高さまで跳んだ、常人ではあり得ない程の跳躍力も。そこらの素材とは質が桁違いであるアグニの翼を突き破るほどの腕力も。
「あのリーリスが、あれだけ血を吸わせるとはなぁ……」
「それだけ、あの騎士のことを信頼しているのだろうさ」
その血の恩恵を理解できるのも、リーヴとイリスだからこそ。
「それほど良い男には見えなかったがな」
「当人たちの間にしか見えないものだってある。そうだろう、イリス」
種族は違えど共に生きることを決めたのは、彼女たちだけではない。
「いつかその話を聞いてみたいが――っと……!」
袈裟切りにするように、斜めに振り下ろされるアグニの鉄爪。それを、あろうことかイリスは素手で受け止めてみせる。常人ならば触れた時点で真っ二つ。運よく切れなかったとしても、その衝撃はとても耐えられるものではない。
常人ならば、まるで野菜かなにかのように、クシャッと音を立てて潰されてしまうことだろう。しかし――イリスの場合は、地面がひび割れ沈む“程度で”済んでいた。
彼女が立っている部分を中心に、地面は円形に抉られていた。砕けた地面の上で不敵に君臨し続ける“上位魔族”。イリス・エルネスタは巨大な機石竜の一撃すらも、簡単に耐えきっていた。
その腕は折れることなく、アグニの鉄爪を掴んでいた。
手指には切り傷一つとして付いていない。
この世界の法則をまるで無視しているかのようだった。
「――重さというのは、強さに直結する。方向は違えど、力と力のせめぎ合いさ。全てを超越した重さを前にしては、何であろうと為す
素の身体能力が図抜けているから、ではない。
ヒトと姿形が殆ど変わらないとはいえ、彼女は
「魔法を使えるのならまた話は別だが――どうやら、そうではないらしい」
リーリスが黒い茨を自在に操ることができるように、イリスにだって彼女しか扱えない能力というものがあった。身体能力を向上させるよりも、もっと異質な能力が。
「さて、流石に殴る蹴るで倒せるものとも思っていない。……リーヴ!!」
イリスが握っていたアグニの鉄爪を、そのまま握り砕く。
「どれでも好きに使うがいい!」
彼女が両腕を開いてそう言うなり、ぞぞぞと影が広がっていく。
どんよりとした曇り空の中でもなお、黒々とした色に地面を染めていく。
まるで植物か何かのように、無数とも思えるような大量の剣が真っすぐに生えだしてきていた。無数に立ち並ぶそれらを見て、墓標にも見えると語った者が過去にいた。
これまで二人で集めた魔剣だけでも、その数およそ五百本近く。それ以外の武具は十倍以上。普段は城の武器庫に保管されているその全てが、この時だけはイリスの中に収められている。彼女にとって、影の中は良い収納場所である。そして、その内に収められている物体の質量や硬度は、全てイリスへと還元されていた。
今の彼女の身体は、この世界のありとあらゆる物質を凌いで“硬くて重い”。馬車になんて乗ろうものなら、一歩足を掛けただけで車輪軸が折れてしまうだろう。相手が“元英雄”の兵器だろうと、彼女の身を切り崩すことなどできない。
しかしそれも、あくまで“副産物”にすぎなかった。本来の目的は、リーヴに大量の魔剣を届けることにある。本来ならば馬車が幾つあっても足りなくとも、この能力さえあればイリスの身一つで済むのだから。
名だたる名剣や魔剣の数々。そのどれもに物語が宿っている。
かつての魔剣の持ち主の中には、リーヴに剣を託してこの世を去った者もいる。
墓標というのも言い得て妙だと、この光景を眺めるたびにリーヴは思い出すのだ。
「まずはこいつから……!」
そう言って地面から生え伸びるうちの一本を手に取り、構える。
氷雪の魔剣、チェルフクロッシィ。数百年の間、凍った湖の中に沈み続けていたその魔剣を取り出したのは、もう四、五年前のこと。その刀身の素材はただの金属ではなく、刃先は白くて中央は透けているというなんとも奇妙なもの。
リーヴがその魔剣を手にした瞬間から、辺りの空気が一段と冷え込む。
渾々と湧き出る白気が、その剣の性能を物語っていた。
「まずは片腕から貰おうか……!」
アグニの右側へ右側へと立ち回りながら、その魔剣で斬りつけていく。爪を失ったところで、その脅威はまだまだ損なわれてはおらず。腕を躱し、尾を飛び越え、当たれば即重症の戦いであっても、その余裕は崩れない。
「はぁー、血の強化を受けてなくてもあれだけ動けるのかよ。信じられねぇな」
「お前たちは……」
その声の主は、リーリスを抱えた状態で森の中から現れたフェンだった。森の中に留まっていては、いざという時に街を護れない。それに、どうせならば王たちのそばにいた方が安全だろうという考えによるものだった。
「しかし、魔剣とはいえ全く効いていないみたいだが……?」
「まぁ、黙って見ていろ。これからが本領発揮だ」
どんな魔剣にも特徴がある。斬った場所から発火するもの、自律して対象を襲うもの。この氷雪の魔剣にも、数ある魔剣の中でも類を見ない特徴があるのだ。それを振るうリーヴだって、もともと一撃で切り崩すつもりで選んだわけではなかった。
斬りつけた部分は軽く傷が入る程度だったが、それだけでも十分。
そもそも、これだけの巨体を相手に一撃で倒せるなんて代物は、たとえ魔剣であろうと歴史上確認できた試しはない。相手に合わせて使用する魔剣を選べるのが強みである以上、アグニという巨大な機石の竜を相手にするのに、これが最も適しているのだ。
斬りつけた場所が白く凍り付き、そこに小さな氷の花が咲く。二度斬れば二輪、三度斬れば四輪、四度切れば八輪と倍々に増えていく。あっというまにアグニの右腕は半分以上が白く霜に覆われ、氷花が咲き乱れていた。
「イリスッ! ヴァルクォーツを!」
「準備はできているぞ、受け取れ!」
そう言って、リーヴは持っていた
剣と呼ぶにはいささか不格好で、柄から上に付いたものは刀身と呼べるかも疑わしい。刃は無く、規則的に穴のあけられただけの鉱石の板のようにも見えた。これも相手を一刀両断するものではない。しかし、ガチガチに凍った相手に対してならば、この魔剣が最も効果を発揮するのはイリスも承知している。
リーヴ王が、アグニの凍った腕の上に再び降り立つ。その魔剣をしっかりと両手で構え、勢いよく叩きつけると――何重もの衝撃音があたりに鳴り響いた。
爆発とは違う、目に見えないそれは、音の振動。
十か、百か。幾度も反響したその音は、速やかに対象を粉々に砕いた。
「この調子で、完全に破壊するっ……!」
大きく暴れ出したアグニから飛び退き離れたところで、全員が度肝を抜かれることとなる。
それは遥か遠方――“竜の墓場”の方角だった。
突然に光の柱が分厚い雲を突き破るようにして降りてきたのである。
それが、アカホシの《
それに真っ先に反応を示したのは、なんと
右腕を破壊された瞬間とは打って変わって、まるで狂ったかのように大暴れするアグニ。
「大人しくさせられないのか!?」
「あんなに暴れられては、茨で縛ることもままならない……!」
イリスでさえ、せいぜい横薙ぎに襲ってくる尾を弾くのが精いっぱいだった。勢いを収めることなく、その背から飛び出した三つの球型。球状に身体を丸めていた小型の機石竜が、リーヴ王たちの頭上を越え、付近に落下した。
「別の機石生物を射出しただと……!?」
リーヴ王たちのいる正面通りを挟むようにして、左右の建物の屋根に一体ずつ。通りの奥の方に一体。合計三体の機石竜が、這うようにして街の中へと入っていこうとする。
それぞれの距離は離れていなくとも、別々に動かれては面倒だった。
街の人々を護るために戦いの場に出たフェンは、慌てて街へと戻ろうとするが、それを止めたのはイリスだった。
「まずい、街の中に――」
「おい待て、黒茨の騎士。お前の戦場は、まだ“ここ”だ」
アグニは依然として街を狙っている。
誰かが止めないといけないのだ。リーヴとイリスだけでは足りない。リーリスとフェンの力も必要なのだと、引き止める。
「王妃さまよ、誰かが傷ついてからじゃ遅いんだぜ!?」
「喚くなよ。私たちは誰も傷つけさせやしない」
イリスは不敵な笑みを崩すことはない。
「心配しなくていい。我々の後ろには――」
決して街の人々を見捨てるわけではない。既にこれしきの事態は想定済みであり、既に事態に対応するための準備は済んでいるのだ。
「頼もしい部下たちが控えている」
そう言って屋根の上を見上げる。
それぞれの機石竜たちを足止めするように、人影が現れたのだった。
「街へと被害を出さぬようにするのが我らの務め! 王の戦いが阻害されることなど、あってはならないのである! お前たち全員で、確実に一機を仕留めろ! 小型とはいえ機石の竜、油断するでないぞ!」
屋根の上で機石竜の一体と対峙しているガフーが、眼下の部下たちに命令を飛ばす。目の前の機石竜はいまかいまかと飛び掛からんとしているのを、決して隙を見せないようにして威圧しているようだった。
「全員で……!? 相手は三機です、隊を三つに分けるべきでは……?」
隊の長であるガフーの実力を疑っているわけではないが、それでもたった一人で機石竜と戦うだなんて無理だと声を上げる。己たちと、ガフー隊長と。それでは残った一機はどうなるのか、と声を上げるが――それを聞くガフーの視界には、十分な戦力となるもう一人の姿が移っていた。
肩ほどもない短い黒髪に、
腰に携えた剣は、ガーフ達の持っている長剣とは少し変わっていた。音もなく抜かれた刃はすらりと細く、その片刃の表面には、刃文が波打つ。幾重にも幾重にも折りたたまれた玉鋼が生み出した強靭な粘り。三日三晩かけて名匠が研ぎ澄ましたその切れ味はたとえ岩でも紙のように両断できるという。
「――お任せください」
その身は清楚なメイド服に包まれていながらも、刀を構える様は実にアンバランス。長い指先が、目元の髪をさっと払った。
リーヴ王たちの従者であり、城内の殆どの仕事を取り仕切っていたマナだった。
「なぁに、一機はマナ殿がいれば十分である。彼女の剣もなかなかのものゆえ」
長年リーヴ王に仕えているガフーでさえ、刀を抜いたところを見たのは一回限り。直接に手合わせをしたことは無いが、佇まいだけでも実力は
「残りの一機も案ずることはない。吾輩が一人で片付けようではないか」
老体ながらもその気迫は十分。
鞘から抜き放たれたのは一対の白銀の刃。
右手に長剣を、左手に短剣を。
祈りを捧げるように長剣を目の前で静かに構えるのが彼の流儀。
「――是非、お相手いただけますかな?」
これから迎え撃つものに対して、最大の敬意を払うことは忘れない。短剣を握る手に力を籠める。カチャンと鎧兜の面を下ろし、その隙間から覗かせる眼光からは――いっさい老いなどが感じられることはなかった。
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