第七十二話 『なんだ、猫か……』
障害物多し、風は有り。
日の落ちた闇夜の中――ひそひそ声で先輩の声がする。
「テイルくーん、塀の向こうはどんな感じー?」
塀の高さは二メートルほど。その縁に一息で飛びつき、そのまま顔だけを出している状況。先輩もさっきまで同じように覗いていたのだけれど――窓からの明かりがある部分以外は、道具を使わないとよく見えないほど暗かったらしく、すぐさま交代したのだった。
ちょうど隣の家にいい具合の植え込みがあり、その中に先輩はしゃがみこんでいる。自分たちが騒いだりして住人が窓から顔を出さない限りは、そうそう見つかることもないだろう。
家族で住んでいるのだろうか、玄関横には大きな木箱が置かれてあり、蓋が開いたその中からは子供用のおもちゃなどが入っていた。これで多少騒がしくなったとしても、いつものことだと勘違いしてくれるといいんだが。
「……屋敷正面、広い庭がありますけど……何人かうろうろしてます。建物の中の様子は、ここからじゃまったく」
思った以上に、夜目が利くのが活かされていた。月明かりだけで十二分に見渡せる。あそこの筋肉質な男の歯の本数まで数えられそうだ。
「とりあえず……潜入する前に欲しい情報は、建物の外と中の様子。あとは、警備に何人か雇っているみたいだから、それの人数と……何時まで動いているかだね」
建物はいろいろな方向から眺めないといけないだろうし、警備については時間をかけて観察する必要があるだろう。ここから見るかぎり、まだまだ余裕がありそうだった。恐らく、夜通しで常駐していることから、それだけの理由が屋敷にあると言っているようなものだった。
「……先輩、恐ろしくべったりなんですけど、なにかあったんですか?」
「いやぁ、別にぃ? まー、ちょっと後輩とか欲しいなとか思ってただけだし? 昔から近くにいた子は、つんつんしてて可愛げが無かったから」
『その点、テイルくんはちゃんと反応してくれるから可愛くて可愛くて!』と楽しそうに言う先輩に、少しだけイラッとする。別に好きでリアクションしているわけじゃないぞ。
……なるほど、次から無視すりゃいいのか。――と今後の対応について考えていたところで、背後で勢いよく扉が閉まるような物凄い音が響いた。
「――っ!」
さっきの箱か? どうやら風に吹かれ、開けっ放しにしていた蓋が落ちて閉まったらしい。警戒していたところに不意に音が鳴って、こちらとしては心臓が飛び出るかと思った。
塀から降りて振り返ると――ルルル先輩も同じだったようで、目を丸くしていた。互いに言葉は発さず、アイコンタクトと簡単なハンドサインでどうするのかを確認する。
「――――」
「――――」
『まずは状況の確認を』。そこは場数を踏んでいるのだろうか、すぐさま植木から飛びだすようなことはしていない。とはいえ、直ぐに動けるように準備はしているようで。
先輩からの指示に頷いて応え、耳を澄ませて辺りの様子を窺う。家の中からは、誰かが様子を見に顔を出しに来る感じはしない。――問題は庭の方、何人が会話しているのが聞こえた。
「また隣の家のガキか。何度言っても直りやしねぇ。……おい、叩き起こして文句の一つでも言ってこいよ。前回の賭けで誰が行くか決めてただろう」
――まずい。こっちに来るつもりか?
正面からぐるりと回ってこちらに来るまで多少は猶予があるものの、少し距離が離れているため見つかる可能性はゼロではない。不審な動きを誰かに見られて怪しまれるわけにもいかないし……。
「先輩は先に逃げてください。自分は気を逸らしますんで」
間髪入れず猫化して、先輩に先に逃走を促す。この状態なら普通の人には正体がばれることはないだろう。あぁもう、最初からこうしときゃあよかったんだ。
塀の上に登って振り返り、『さっさと行け』という意志を込めて尻尾を振る。
先輩は不満そうに口を開くものの、自分がここまで動いてしまった以上、ここで言い争っていても状況が悪くなると判断してくれた。
「……ごめん、よろしく!」
そう言いながら、木々に紛れるようにして離れていく。がさりとも音がしないのは流石と言うべきだろうか。これだけ入り組んだ街なのだ。建物の影に入ってしまえば、万が一逃走の痕跡が見つかったとしても、構造を把握しているであろうルルル先輩の足に追いつくのは難しいだろう。
「あとは――」
もしかしたら、今の自分でも警備に雇っている用心棒たちを相手にすることもできるかもしれない。……が、ここで騒ぎを起こして明日以降の行動に影響を出ても困る。
となれば、自分が今の状況でできることは二つ――『先輩が本当に安全な距離まで逃げるまで、注意を惹きつけておくこと』。そして、『できる限りの情報収拾を続けること』。
その両方を済ませてしまうには、庭の中に入ってしまった方が手っ取り早いだろう。塀の外から眺めている間は、魔法使いの姿も見えなかったし――警戒する必要はない筈。
「――――」
塀の向こうへと飛び降りて、丁寧に切り揃えられた植木の中へ着地。ガサリと音を立てたところで、屈強なという表現ができなくもない大男が三人も集まって来た。
「何かが入ってこなかったか? ――おい、もう行かなくていい、こっちが先だ」
「植木の方で音がしたような気がするが」
「魔物なら真っ先に襲い掛かってくる筈だよな……」
さて――
――――――――――――
……この局面、どうすれば凌げる?
何かあってからでは手遅れになる! 逃げるぞ!
▷こんなときは鳴き真似と、相場は決まってるだろ!
――――――――――――
…………。
「ナ、ナーゴ……」
実際にやってから気が付く。これって定番としてよく使われているけれど、まともに成功した例を見たことがねぇ。
「なんだ、猫か……」
成功した!? こんな古典的なもんに引っかかる奴がいるのか……。
――と思いもしたが、そうではない。今の俺って……よくよく考えれば猫じゃないか。身も心も――いや心は人だが、少なくとも身は猫だった。
結局のところ、鳴き真似というより素で鳴いていただけ。騙される騙されないではなく、こうなって当たり前なのでは。そう考えると、なんて間抜けな選択肢だったのだろう。
「どうしたんですか、こんな時間に!」
さっきの男たちとは別の声がしたので、葉の隙間から覗き込むと――屋敷の玄関から新たに人影が出てくるところだった。
身長は低め、細身で髪は後ろに流して固めて、ペンギンのような印象。口元には――カイゼル髭といっただろうか――鼻下は太く、外側にいくにつれ細く。曲線状に伸びた、まるで絵に描いたような髭をしていた。
男の神経質な声に、用心棒の一人が愛想笑いを浮かべて答える。
「あ、あぁ。何かが庭に入って来たと思ったんですがね……猫かなにかでしょう、へへへ……」
「動物だろうと侵入者であることには変わりありません、捕らえるのが筋でしょう。……毛皮を剥いで売れば、いい値が付くでしょうからね」
「っ!?」
おいおい、さっきまで見逃されるような気配だったのに、一気に不穏な流れになってるじゃねぇか。
流石に身の危険を感じたため、植え込みから飛びだして塀へと向かって走り出す。魔法使いということがバレてはいけないため、探知の魔法を使うことはできないが――ここまでで何もない以上、問題は無いと考えていいだろう。機石を使っているのは、あくまで身の回りの生活部分だけか。
一息に塀の上に飛びあがり、そのまま隣の家へと渡る。流石にここまでは追ってこないだろうというところまで、屋根から屋根へと飛び移り距離を離す。
そうして落ち着いたところで、今度は少し距離を開けながら偵察を続けた。屋根の上からだったら、夜空がバックになり見えにくいだろう。夜闇にまぎれるには、この真っ黒な体毛は丁度いい。
「どれどれ……」
扉は正面に一つ、裏側に一つ。二階のバルコニーも入れたら三つ。
今のところ、警備しているのは――庭の中をうろうろしている三人。あと正面と裏口にそれぞれ一人ずつ。……入るなら裏口だろうけど、気絶させるかして無力化する必要がある。強引な手段を取るわけにはいかないので、却下だろうな。
……窓はどうだろう。ざっと見たところ、どれも締め切られている。流石に割って入るわけにもいかないが、簡単な道具さえあれば開けられるだろう。巡回している用心棒の目をかいくぐりさえすれば、鍵もそう難しい構造ではないだろうし……手持ちの道具だけでもなんとかなるか?
「――さて、こんなもんか」
丁度いい時間だし、そろそろ戻るか。
行きは家の間の道を右へ左へと曲がりながらだったので距離があるように見えたけど、――こうして塀や屋根を歩きながらだと、わりとあっという間だった。明日、街中を歩く機会があればこうして動くことにしよう。
「……ん? 窓が開いてる?」
端から
中に入られて盗られるようなものなど何もない。が、侵入者を警戒していくに越したことはない。流石に借りた奴が窓から入ってくる、なんてことは考えもしないだろう。屋根伝いに宿へ、そして窓へと降りて入り、ヒトの姿に戻った瞬間――
「――!?」
まさかのまさか、裏の裏をかかれてしまった。
窓の脇にある壁際から、人影が飛び出してきたのだった。
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