第七十話 『身の危険を感じちゃうよねー!』

 ――十数分後、パンドラ・ガーデン前。これまでも学外の依頼を受けたときに何度か利用したけれど、ここには学園側が手配した馬車が停められるスペースがある。


「……どうも」


 今は一台。たまに騎乗に腕を覚える生徒が運転することもあるのだけれど、自分の前にいた馬車は普通に御者が運転するらしい。目があったので、軽く会釈して挨拶をする。


 ……自分たちの他にも依頼を受ける人がいるのだろうか。いくらなんでも、既に先輩が手配していたのなら手際が良すぎる。もう連れて行く前提で声をかけてきた疑惑が、自分の中の嫌な予感としてじわじわと這い寄ってくる。


「いや、まさかな……」


 あと十分か二十分ぐらいすれば、新しく馬車が入ってくるだろう。『私もすぐに行くから、先に学園の前で待っててね!』と言っていたし、ここで待機しておけばいいだろうか。一人でずっと立っているのも、なんだか落ち着かない。


 グループ室に準備のために戻ったら、ヴァレリア先輩を筆頭に気の抜けた時間を過ごしてたみたいだし。(先輩には『……ンフフフ……あぁ、いいよいいよ。行ってらっしゃーい。ウヘヘヘ……。お土産よろしくぅー』と快く?送り出された)ヒューゴには『勉強したくねぇ……俺も行きてぇ……』と羨ましがられたが、残念ながら、隠密行動に程遠い奴はNGである。


「ほらほら、なにぼやぼやしてるのテイルくん! 乗って乗って!」

「うわっ!?」


 先輩が門柱の影から飛び出してきた!? なんで普通に出てこれねぇの!?


 そのまま押し込まれるように馬車へと乗せられる。案の定、来た時には停まっていた馬車だった。嫌な予感が確信へと変わった。


「出発してくださーい!」

「ちょっ、ヤーン先輩は!?」


 まだ座席にも腰を落ち着けていない状態にも関わらず、ガタリと大きく馬車が揺れる。このまま出発してしまってもいいのか? いや、よくねぇだろ。


「ヤーン先輩も潜入向きじゃないのよ……。たとえヌイグルミでも、家に知らない物が増えてたら怪しまれるだろうし、ね」

「それってつまり……」


 目の前で走り出した現実に、開いた口が塞がらない。予想よりも斜め上に事態は進んでいた。


「いやー、まさか後輩男子と二人旅なんて……」


 ルルル先輩が、両腕で自分の身体を抱くようにして『キャー♪』と普段上げないような声を上げる。自分がそうなるように仕組んだくせに、『キャー♪』ってなんだ、『キャー♪』って。


 先輩のテンションに反比例していくように、自分のテンションが下がるのが分かる。もう少し、マジメな依頼かと思ったんだけどなぁ……。


「身の危険を感じちゃうよねー!」

「必要以上に距離を詰めるの、やめてもらっていいですかね?」


『ねー!』と謎の同意を求められた。俺も同感である。


『つれないねぇ』と拗ねるように頬を膨らませる先輩を無視して、この状況に軽く頭を抱える。初対面からなんだか狙われていた感じもしたし、確かに身の危険を感じて仕方ないな、うん。


「テイルくん以外にも、誰かが襲ってこないとも限らないからね!」

「おい」


 なんで自分が襲う前提なんだ。


「流石に屋敷では見つからないのが大前提だから。街の中でもあまり怪しまれる行動をとらないようにしないと……。いざ逃げる時になっても、街の外にまで出る可能性もあるわけじゃない? そうなったときに頼りにできるのは、テイルくんだけなんだから、ね?」


 ガタガタと揺れる馬車の中で、再び開けていたスペースを詰められる。近い近い近い。なんで他人のパーソナルスペースを無視すんだこの人!


 にやにやとした笑顔を浮かべる先輩を、腕を突っぱねて引き剥がす。わりと力を入れなければならなかったし、先輩も学園に通っている魔法使いである。この身体能力なら十分一人でも大丈夫だと思うんだけどなぁ……。


「……先輩は戦わないんですか」

「戦わないよー。暴力は振るわないの!」


 いけしゃあしゃあと言ってのける先輩は、窓際に右肘をつきながら、自分の手をクルクルと翻しながらそれを眺める。手の甲には【真実の羽根】の所属を示す紋章クレストが浮かんでいた。


「“振るえない”って言った方が正しいかなー。私、戦闘に使える魔法は殆ど覚えてないの。元々、別のことに使うために学園に来たんだしね」

「…………」


 このご時世に、戦う術を持っていない、という発言に耳を疑った。聞けば、機石に魔力を通すのぐらいは行えるらしい。ただ、アリエスのように機石銃を構えて撃ったり、ルナやウェルミ先輩のように剣などを振るうことはできないとか。


「一人で魔物に襲われたら終わりじゃないですか!」


 死にそうな状況に遭ったことがあるからこそ、その時の絶望感を想像して背筋が寒くなったのだが、先輩は『そんなの、逃げればいい話じゃない』と涼しい顔をしていた。


 そんなに簡単に逃げられるものなら、魔物に襲われて死ぬような奴はいいねぇよ。『しかし回り込まれてしまった!』の怖さを知らないから、そんなことが言えるんだ。


「常に本気で逃げようと思っていれば、誰だってできるって。しっかりと情報を集めて、前もって準備して。できれば常に逃げ道は三つぐらいは確保して!」


 ……伝説の傭兵かなにかかな?


「……ハァ。シャンブレーは北の方って言ってましたよね」


 とはいえ、ここで先輩が戦えないのをどうのこうの言っても仕方がないだろう。まだ事前に分かっただけでも、行動を選択する上での判断がしやすくなる。隠密行動と逃げ足については余程の自信があるらしいし、現に自分も神出鬼没具合に驚かされてるし。そこは心配する必要はないだろう。


「学園から少しだけね。山の多い方の地域だから、ちょっと冷えるかも。……ま、テイルくんは大丈夫だろうけどねー。毛が“ふっさふさ”、だし?」

「う゛」


 再びにやにやとした笑いを浮かべてこちらに迫ってくる。いや、そもそも隣に座られているうえに、既に端へと追い詰められていて逃げ場のない状態だった。鼻息荒くして、懐から取り出した手帳を開く先輩。


「――さぁ! 私の気が済むまで、質問に答えてもらうからね!」






「――黒猫の亜人デミグランデかぁ。めっずらしいねぇ」

「……もう……いいですか……ハァ……」


 初めの方は普通に学生大会について、あれこれと聞いてきたはず……。なのにいつの間にやら、自分自身のことを聞かれていたのは流石の手管てくだと言うべきか。


『へぇ、あのニハル・ガナッシュ直伝! 準決勝敗退は惜しかったねー。それでさ、その試合で亜人デミグランデ化した時のことなんだけど――』


 出身地や家族構成だったりの深い部分のものから、好きな食べ物だとかのどうでもいいものまで。プライベートな部分を根掘り葉掘り聞かれて、もうヘトヘトだった。


 ――とはいえ、自分の家のことについては言えるはずもなく。半分ぐらいは『ちょっと言えないです』と返していたけど。……自分もハナさんのことは言えないな。


「……大会の時にも発揮されていた、柔らかくしなやかな身のこなし。あとは動体視力もかな? これって私の手伝いにピッタリじゃない! やっぱり目を付けただけはあるわね! でも……見た目の度合いを変えられる亜人デミグランデなんて、私初めて見たわ。他の亜人と何か違うのかな? ……こうして間近で見ると、ツルツルなお肌なのにねぇ……。どこまで調節できるの? もしかして、そのまま完全に猫になれちゃう?」


「そ、それはまぁ、できますけど――……はっ!?」


 先輩の質問攻めに遭い、そのまま流れでできると言ってしまったところで気付いた。気付いてしまった。先輩のこちらを見る目が、キラキラとした好奇のものに変わっていたことに――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る