おまけ にはるん先輩vsキリカ

 これは――テイルがグレンとの試合を終え、気絶して治療を受けている間の話。準々決勝第三試合。ある意味、学園中の誰もが最も注目している試合の話。


『――さぁ、どうなる!? ニハル・ガナッシュ対キリカ・ミーズィ! 定理魔法科マギサの先輩として、グループ【黄金の夜明け】の先輩として――ニハル選手にとって、決して負けられない戦いでもあります!』


 ――実況席にいるウェルミ・ブレイズエッジの声が響く。兎の亜人デミグランデであり、普通の人よりも耳がいいニハルにとっては、大音量でまき散らされる騒音は迷惑以外の何物でもない。


 表情の出にくい、動物寄りの顔で眉をしかめているニハルの目の前にいるのは、互いに手の内を良く知っている後輩である。定理魔法科一年、キリカ・ミーズィ。


 いつもは三つ編みにしている小麦色の金髪もほどかれ、屈伸をしたり背伸びをするたびに左右に揺れて。試合という形式で制限されている範囲ならば問題ないと、眼鏡も外して。いまや完全に試合モードとなっていた。


「はぁ……嫌ですね……まったく」


 テイラー先生もとんでもない生徒を引っ張り込んできたものだと、ニハルはため息を吐く。一年生が相手だからと、余裕を見せる素振りもない。


 全神経を集中させて、試合の開始を待っていた。


『それでは、試合開始ぃ!』


 激しく。激しく。激しく。雷鳴よ轟けと心の中で呟くニハル。イメージを浮かべ、具現化させるなど、彼にとっては息をするのと同じぐらい簡単なこと。数秒なんてもってのほか、一秒すらも必要ない。一瞬あれば十分だった。


 開始の合図に、ニハルの構えと共に出現したのは――いかづちの槍。


『一瞬で現れた、必殺の槍ぃ! 迅雷の速度で放たれる一撃を躱せるか!?』


 ニハルの扱う様々な魔法の中でも、特に大型の魔物を屠る時ぐらいしか用いない魔法。切り札、奥の手、必殺技。過去に何度もピンチを切り抜けてきた魔法だった。


 それを人に使うなど、たとえ相手が魔法使いであろうと、本来は有り得ないこと。よほど耐性の無いものならば、雷に貫かれ、絶命は免れても致命傷である。


 それでもニハルは、キリカに向けてこの魔法を使った。なぜなら――


「…………」

『……消えた? キリカ選手の目の前で、槍が突然消えたぞぉ!?』


 ――同じ魔法使いとして、彼女を脅威に感じたから。

 本気でやらなければ喰い殺されかねない、という恐怖を感じたからである。


 ニハルが放った魔法は不発ではなかった。

 確実に発動しており、そして貫く筈だった。


「まったくあの先生ときたら……ロクでもない魔法を教えたもんですよ」


 雷の速度に対応できるヒトなど存在してもいいのだろうか。一か八か、躱すだけなら百歩譲って可能だろう。しかし彼女は、それを


 キリカ・ミーズィの両手部分には、拳の代わりにトラバサミのような大きな口が付いていた。あらゆるものを捕食する左右一対の魔法の口。テイラーの教えによって、キリカがパンドラ・ガーデンに入学してから身につけたものだった。


「――ちぃっ」


 一番通る可能性のある魔法を一番最初に撃つ。それが一番楽に済む方法だと、ニハルは常々考えていた。だからこそ、それが通らなければ――あとは全力で向かい続けるしか、道は残されていなかった。


『怒涛の連打! 幾多もの魔法が、間髪入れずに叩きこまれていく!!』


 近づけさせてしまえば一方的にやられるばかりと、全力で魔法を撃ち続ける。


 ヒューゴの炎よりも激しく。シエットの氷よりも堅牢に。妖精魔法師のような属性の縛りなんか関係無く。最初の雷の槍同様、その一撃一撃が、並の魔法使いたちが奥義と称するレベルのものである。


 会場全体の空気を震わせながら、様々な魔法が表れては消えを繰り返す。


 観客席からは驚きと心配によるざわめきが上がっていた。これが“最強”の魔法なのかと、自身との圧倒的な差に絶望した者がいた。強大な魔物を相手にしているのならまだしも、これを後輩一人に向けて撃つものなのかと軽く引いている者もいた。


 しかし――しかし、ニハルは止まらない。


 観客席から試合を見ていたヒューゴ、ハナ、アリエスも、これまでの試合では見せなかったニハルの“焦り”を感じていた。できることなら、このまま勝負を決めてしまえれば、と。


 ひたすらに火球を飛ばし、氷塊を降らせ、大地を隆起させて、雷で貫いた。一呼吸置くために、ニハルが魔法を撃ち続けるのを止め、砂煙が少しずつ晴れていく。


 ――貫いたつもりでいた。試合を見ていた誰もが、その目を疑った。


『――む、無傷……! キリカ・ミーズィ、その場で全ての攻撃を防ぎきったぁ!?』


「あれでもダメですか……あぁ、もう! あり得ないでしょう……!」


 悪態をつきながら、再び魔法による攻撃を再開する。砂煙も晴れきらない中で、キリカが次はこちらの番と言わんばかりに駆け出した。


 普段は真面目な、穏やかな雰囲気の彼女。試合の前だって、【黄金の夜明け】のメンバーとにこやかに話していた。しかし、その表情も今では――完全に獲物を狩る獣のそれに変わっていた。


 ――試合は既に始まっている。そう、始まっていた。

 この場所ではもう、先輩と後輩という関係など無意味である。


 二人の魔法使いがいる。ただ、それだけで十分だった。


「――――」


 魔法の着地点よりも内側に飛び込んだキリカ。ニハルからも、彼女の真剣な表情が確認できた。約半年近く、同じグループとして学内で生活してきたのである。それは決して、初めて見た表情ではなかった。


 ――戦闘中において、彼女は絶対に笑わない。それどころか、一言も発さない。


 相手がどれだけ弱い魔物だろうが、嬲って遊ぶようなことはしない。

 仲間が加勢に加わっても、優勢だからと安堵あんどすることもない。

 たとえ練習だろうと、戦いが終わるまでは決して気を抜くことはない。


 ニハルは、嫌でも認めざるを得なかった。

 今は――こちらが狩られるかどうかの瀬戸際なのだと。


 ニハルの、杖を握る手に力が籠る。


 偶然に手にしたわけじゃない。血の滲むような努力をして、命を削るような経験をして、ようやくこの手に掴んだ“最強”。その価値を、その意味を、ニハル自身が一番よく分かっている。


 それまでの試合を観戦している中でも、『自分ならばこう戦う』というシミレーションを頭の中で何度も試行していた。テイル・ブロンクスやヒューゴ・オルランドの戦いには目を見張るものがあったが、それでも自分の足元には及ばないと。


 この二人だけではなく、大会に参加すると戦ったとしても、自分の勝利で収めることができると、絶対的な自信があった。自分の優勝は間違いないだろうと、確信していた。


 ……唯一の例外である、キリカ・ミーズィと当たりさえしなければ。


「重なれ、幾重にも、幾重にも、幾重にも。覆い、隔てて、突き放せ……!」


 数秒でもいい、一秒でもいい、一瞬でもいい。少しでもキリカが近づいてくるのを阻もうと、魔法の壁を幾重にも張る。二重、三重、四重、五、六、七――例外はあるものの、大経口の魔砲を一撃二撃は防ぐ代物で。ニハル本人ですら使うタイミングのよく分からない、知る人ぞ知る“絶対の盾”。


 観客席から試合の様子を見ている誰もが息を呑む。一瞬にして現れた何重もの魔法の壁を、ただの足止めに使っており――しかもそれがというのだから。


『壁でキリカ・ミーズィの行く先を塞ぐも――止まらない! まるで紙を引き裂くように、煙を払い散らすように! 何もかもを食い破って突き進んでいく!!』


「まだ一年生の段階でこれですか……」


 自分が一年生だった頃はどうだっただろうと、ニハルの頭の中でふと過去の記憶が蘇る。幼少期から高い知能を有し、魔法の基礎はあらかた身に付け、高みを目指すためには誰かに師事する必要があると、学園へと足を踏み入れてからのこと。


 フィーリ・ハルモニーと出会い、ジード・トルイユと出会ったこと。魔法以外のことはからきし駄目で、ある時テイラー先生の計らいにより、学外の魔法の研究を行っている機関へと修行に出たこと。修行を終え、学園へと戻り、【黄金の夜明け】を結成した時のこと。


 様々なことがあった三年間で、ニハルに最も大きな影響を与えたのが、一年近い修行の期間だった。それがあったからこそここまで来れたのだと、師匠と出逢わなければ今の自分はいないと、ニハルは何かあるごとに口にしていた。


 世代の移り変わり、時代の移り変わり。

 次代へと進むにつれ、魔法の形も変わっていく。

 そして、魔法使いの在り方も変わっていく。






 ニハルの師匠は、いわば“古い魔法使い”だった。


 基礎から構築された技術を頼りに自己流で魔法を組み上げ、魔力を汲み上げ、絶大な力を行使する魔法使いだった。そんな古い魔法使いでありながら、後世へと続けるための新しい道を、開拓するだけ開拓していった人だった。


 ――俗に言う、変わり者というやつだった。

 進化とはなにか、に固執していた人だった。


 普段の生活に利用している場所は工房、というよりも完全に研究室で。魔法陣が刻まれた魔物の腕や、常にバチバチと電気を発している杖などが、ガラスでできた大型の円筒シリンダーの中に収められて並べられているような場所だった。


 優れた定理魔法師であり、魂使魔法にも精通しており、この時代になって新しく発展しつつある機石魔法師の研究も行っている。そんな魔法使いが、機石装置で埋め尽くされた部屋の中心でハンモックに揺られながら、床に座り込んでいるニハルに持論を展開する。


『人とは前に進むために生きている。そのために目が前に付いているのだし、身体の構造からして前へ進むのに適した形になっているだろう?』


 いつも口癖のように、一言一句違わずに同じことを言う。普段は『えぇ』だとか『そうですか』だとか、適当な返事をして聞き流すニハルだったが、今回は試しに違うことを言ってみることにした。


『目が付いていて、身体の構造上進みやすい方を、人は“前”と呼ぶのでは?』


 普段とは違う反応を返され、嬉しそうな表情をしながらハンモックから顔を覗かせたのは――怪しい雰囲気を纏う女性だった。


 滅多に屋外へと出ることがないため肌は白く透き通っており、黒く長い髪はいっさい手入れをされておらず、毛先は縦横無尽に跳ねている。


 けれども、その顔に受かんでいたのは屈託くったくのない笑顔。


『……哲学の話でもするかい?』

『いえ、遠慮しておきます』


 咥えていた棒付きの飴玉でニハルを指し、ぐるぐると回しながら提案するも、つれない返事を返され『つまらない奴だね、君は』と、再びハンモックに戻り天井を仰ぐ。


『話を戻すと、だ。人は進むために生きている。世代を追う毎に、前へ前へと進んでいく。遠い未来、私を越えるような魔法使いだって、いつか当たり前のように出てくるだろう。能力の底上げというのは、常にどこかで行われているからね』


 普段の行動ではそうは見えなくとも、自分が見た中では一番の魔法使いであると信じて疑わない師匠が、そう言ったのだ。ニハルの胸中は穏やかではなかった。


『ここから少しだけ、あえて魔法使いではなく魔道師という呼称を使う。魔法の道で“魔道”だ。“道”とは人が進みやすくなるよう、手を加え整えられた地面を指したものだね? では、その道を整えたのは誰か。私たち古い世代の者たちなんだ。導く、という意味での“魔導師”と呼ばれたりもするがね』


『古い世代って……師匠、いま幾つでしたっけ』

『おいおい弟子よ、女性に年齢を聞くものじゃないよ。それとも私と深い秘密を共有する仲になるかい?』


『……いえ、遠慮しておきます』


 優に三百年は生きることのできる種族だっている。高位の魔法使いならば、平均寿命が五、六十年の人間でさえ、同じぐらいまで生きている者もいるという世界である。外見と実年齢が比例していないなんてざらにあるのだと、小さな村から出てきたニハルは学園に入学してから知った。


『険しい道を選ぶのも間違いではないが、整えられた道を使って行き着くとこまで行き尽き、そこから先の道を開拓していくのもまた、人としての大きな理の一つなのだと。そう最近考えるようになった。ほんの二十年以上前の話だ』


 二十年を『ほんの』と言っている時点で、相当な年齢であることが察せられる。そのことに突っ込みを入れたいニハルだったが、そのまま続けられた師匠の言葉に口をつぐむ。


『――その若さでここまできた君も、私から見れば十分に驚異的だよ。新しい世代が、我々が整えてきた道を通って最速で駆け上がってくる。これほど怖くて――』


 溜めて、溜めて、溜めて。再び笑顔をハンモックの上から覗かせる。


『これほど怖くて、楽しいことは無い』






 傍で見ていたが故に、分かることがある。分からざるを得ないこともある。

 ニハルは今になって、師匠の言っていたことの意味が理解できた気がした。


 ――既に魔法の壁は全て破られた。キリカのその手が、口が、ニハルに届きそうなほどに肉薄している。キリカは目の前にまで迫った先輩を、一人の対等な魔法使いとして、そして敵として、倒し、勝利するために、大口で両腕を拘束しようとする。しかし――


 本体はほんの数秒前に、そこから動いていた。キリカが狙った目標はただの幻影、ニハルが魔法によって生み出した囮。テイルが使っている魔法の完成形だけあって、本体の場所は完全に相手側の視界からは消えていた。


 けれども、それもキリカ・ミーズィには通用しない。死角からの攻撃だろうと、流れる空気の動きを捉えるべし、と鍛錬を積んでいた彼女の前では何の意味を持たなかった。避けられる者は、目をつぶっていても避けられるものだ。


 華麗なステップで一瞬で背後へと回り込まれた。魔力を込めたニハルの一撃はかすりもせず、次の攻撃に移ろうとしても既に手遅れ。足払いをかけられ、体制を崩され。衣服を片方の足で踏みつけられ、転がって回避することもできない。


 あっという間に、左腕の口でニハルの右腕が地面に縫い止められてしまう。ピクリとも動けない状況。そして、これが最後と言わんばかりに、もう片方の魔法の口が眼前に添えられていた。


 これが命の取り合いならば、次の瞬間には腕も頭も食いちぎられている。そう悟ったニハルは、拘束されている方の手からを落とした。自分の意思で手放した。


 ここからあがくなんて、そんな無粋なことはするべきじゃない。

 潔いところを見せるのも、先輩の務めというやつでしょう。


 もう戦闘を続ける意思はない、というポーズだった。


『勝負あり! 勝者、キリカ・ミーズィ!!』


 試合が終わった瞬間、さっきまでの真剣な表情が嘘のように――いつもメンバーたちに見せる笑顔が浮かんでいた。かつて研究室で話していた師匠がよく見せていた、屈託のない笑顔。


 ニハルが立ち上がったのを確認して、キリカは深くお辞儀をする。


「ありがとうございましたっ!」

「……敵わないですね、貴女には」


 ニハルは服に着いた汚れを払い落としながら嘆息する。キリカ・ミーズィという人となりに対して。学園の大半の生徒を相手にできても、この娘には敵わないと。


「対戦の組み合わせが決まった時点で、だいたい予想はついてましたけどね……」


 これはおごりでもなんでもなく。自身に勝利した時点で、この大会に優勝するのは間違いない。晴れてこれまで学園で囁かれていた“最強”の名の一部はキリカ・ミーズィのものへと変わっていくだろう。


 ――けれども、最強だって万能ではない。ニハルがキリカにだけは勝てなかったように、キリカの能力だけでは対応できない敵だって出てくる可能性はある。だからこそ、仲間と組んで動くのだ。


 一人では決して維持できない。なればこそ、少なくとも卒業までの短い間ぐらいは。その“最強”の名に恥じないよう、決して土を付けてはやるまいとニハルは強く思ったのだった。

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