第153話 こんなときのために――で九尾なのじゃ

「ちょっと待て!! どういうことだよ、失業給付が降りないって!!」


「どうもこうもないです、お調べしたところ、桜さん、貴方は受給の要件を満たしていません」


「んなわけないだろ!! こんな時のために、こっちは高い雇用保険払って失業に備えてたんだぞ!! 適当こいてんじゃねえ!!」


「のじゃ、桜、やめるのじゃ。お役所さんも、ちゃんと調べた上で言ってくれてるのじゃ。意地悪で言ってるわけじゃないのじゃ」


 テーブルの上に足を載せようとしたところを、加代に後ろから羽交い絞めにされる。

 離せと怒鳴ってみたが、そこは九尾――人間の恫喝一つで尻尾を引くような奴ではない。絶対に離さないのじゃと、震える瞳で俺を睨んできた。


 ことは数日前に遡る。


 いつまでたっても離職票が前の会社から送られてこない。

 倒産しているのだからそれもやむなしと、気長に待っていたのだが、これがあまりにも遅い。なにぶん、収支はかつかつで生活してきた身であり、収入がなくなれば俺の様なワープワ男子はのたれ死ぬしかない。


 さらに困ったことに、失業給付についての連絡も来ないときた。さすがに、何かがおかしいぞと思った俺は、前の会社の同僚に電話をし、倒産の手続きをしている代理人へと連絡を取りつけた。


「あぁ、えっと、桜さんでしたっけ。前に、私が受け持ってる会社で働いていた」


「なんだよその言い草。おい、どういうことだ、どうして離職票をいつまで待っても送ってこねえんだよ。生活できねえだろ」


「送る義務がないからですよ」


「はぁ?」


 私も忙しいので、詳しい話はハローワークにでも行って聞いてきてくださいな、と、指定代理人はむべもなく電話を切った。

 何が忙しいだ、余裕ぶっこいた話し方をしておいて。


 当然、そんな言葉で、給料代わりの失業給付を遅延させられた怒りを抑えることなどできるはずもなかった。市役所に行くまでもない、直接説明させる、と、何度か電話を掛けたのだが――以来、彼とはどうやっても、連絡がとれなくなってしまった。


 いったいこれはなんなのか。

 俺は狐か何かにつままれたのか。


 心配してこちらを見ていた加代に、事情を説明すると、すぐさま、近々にハローワークへと向かって、事情について話を聞こうということになった。


 そして、今、その開口一番、ハローワークの職員が、俺に発したのがさきほどの言葉であった。


 ふざけないでほしい。


「桜さん。ここ数カ月の動向について、ちょっと調べさせていただきました」


「あぁ、はい、そりゃどうも」


「貴方、一週間ほどの期間ですが、されていましたよね」


 なんだと。


 あらためて、ハローワークの職員さんから聞かされた言葉に、俺は愕然とした。

 確かに彼の言うとおりで、インドネシアで俺は働かされていた。それは紛れもない事実だ。拉致同然の格好で連れてこられ、有無を言わさぬ強制労働、労働契約もへったくれもないと思っていたのだが――。


「そもそも、貴方は以前に勤めておられた会社が倒産する前に、会社都合で解雇されていますね?」


「えぇ、まぁ」


「その際に、離職票の申請をされていなかったため、前の会社は貴方に離職票を送っていません」


「それは海外に居て時間がなくて、そんなものを申請する必要があるなんてことも知らなかったからで」


「大丈夫です。それは、私どもを通して、再度離職票が必要になったと申請していただければ発行されます――ただ、、ということが、問題なんです」


 どういうことだ。

 さっぱりと理解が追いつかない。


 憐れむような視線を俺に送ったハローワークの職員。ちらり、と、加代の方を見た彼は、それから一つ呼吸を整えて、こう切り出した。


「新しい職場に就職された時点で、離職の事由が変更されます。桜さん、貴方は既に特定受給資格者ではないんです」


「はい?」


「のじゃぁ。申請してから、三カ月の給付制限期間がつく――ということなのじゃ」


 つまり、すぐには、お賃金が入らない。

 自転車操業――というか、スロットやら競馬やらで、すっからかんに預金残高を溶かし切ってから、告げられたその言葉はなかなかヘビィに俺のレバーを抉ってくれた。


◇ ◇ ◇ ◇


 ハローワークを通して、前の職場の指定代理人に対して離職票の申請は行った。

 だが、それが届くまでに数週間。

 さらにそこから給付の申請をして、待機すること三カ月。


 その間、俺の収入はゼロ。


 家賃・水道代・光熱費・社会保険料・生活費。

 そのすべての引き落としが、明日・明後日にも迫っているというのに、だ。


 いや、もちろん、今月の支払い分くらいは残してある。残してあるが。


「来月分は、給付貰える前提だったから、考えてねえぞ――どうすんだよこれ」


 ハローワークの窓口を後にして、ふらりふらりと建物を出口へ向かう俺の足取りは、かつてないほどおぼつかなかった。酒を飲んでも、こんなに自分を失ったことはない。

 どうしてこんなことになったのだろう。俺がいったい、何をしたいというのだろう。


 なぜだ。どうして、俺は真面目に生きていた――少しくらいギャンブルはしていたけれども――ただそれだけなのに。


 きっと顔なじみんなのだろう。ハローワークの職員に、必要以上に頭を下げていた加代が、俺の背中を追ってやって来る。

 しっかりするのじゃと声をかけると、彼女は俺の肩を支えてくれた。


 きっと、加代が来てくれなかったら、俺はそのまま道路に倒れ込んで、車に轢かれて死んでいたことだろう。

 いやけどもうダメだ。終わりだ。何もかも――。


 オレハジンセイニシッパイシマシタ。


「すまん、加代。俺の考えが足りなかったっばっかりに」


「のじゃ!! 桜、お主はなにも悪くないのじゃ!! 全ては巡り合わせが悪かっただけのこと、自分を責めてはならんのじゃ!!」


「――そうはいってもよぉ、どうするんだよ。お前、こんなの。無収入なんだぞ、俺。無職なんだぞ、俺」


 社会的な地位と収入を失った男にいったいどんな価値があるのだろう。

 きっと、それでも、生きているからには意味がある、なんて言葉をポジティブな奴等――こんな事態に陥ったことのない、しっかりとした奴等はいうのだろう。


 糞くらえだ。

 ふざけやがって。

 勝手なことをぬかすんじゃねえ。

 ここにある人生に対する絶望を、分かりもしねえくせに、勝手な言葉を並べてくれるな。


「俺はもう三十路だぜ。再就職だって難しい年代なんだ。そうそう簡単に次の仕事が見つかるかどうかもわからねえ」


「のじゃ、そんなことないのじゃ。わらわでも、なんとかなっているのじゃ。桜なら、きっともっといいところに就職できるのじゃ」


「十年やってて、なんの役職にもつけない平社員。しかも派遣社員だぞ。お前、こんなの居ても居なくても変わらない、社会のゴミじゃねえか」


「そんな風に自分を思ったらだめなのじゃ!! この世の中に、価値のないものなんて何一つないのじゃ!!」


「んなわけねえだろ!! 寝事こいてんじゃねえ!! 男なんて、自分で自分の食い扶持も稼げなくなったら終わりだろうが!!」


「終わりじゃないのじゃ!! そんな考えは古臭いのじゃ!! いまの世の中は、男とか、女とか、そんなの関係なく――支え合って生きていく世の中なのじゃ!!」


 ふと、加代が肩からぶら下げていた自分のバッグに手を入れた。

 中から取り出したのは、俺がメインで使っている大手銀行の預金通帳である。


 書かれている名義には、加代の名前。


 彼女はすっと深呼吸をすると、手にしたその通帳を俺に握らせた。

 まるで、それを、俺に託すとでも言いたげな感じで。


「いつか、もしかしたらこんなこともあるかもしれないと、こつこつ溜めてきたお金がここにあるのじゃ」


「――はぁ?」


「桜、これでしばらくは普通に生活できるはずなのじゃ。じゃから、そのうちに、しっかりと次の仕事場を探して、また、一から頑張るのじゃ」


「――そんなの、もらえねえよ。もらえるわけがねえ」


 なんで、俺が、加代からそんなものを貰わなくてはいけないのだ。

 俺とこいつとは別に何でもない。ただ一緒に暮らしているだけの関係だ。


 それも、、で、、そういう関係じゃないか。

 どうしてそれが逆転するんだ。逆転していい道理があるんだ。


 何をやっても上手くいかない、人間社会に馴染めない、ポンコツの九尾狐を囲ってやって養っているだけじゃないか。その囲っている相手から金を巻き上げ切ったのだ、さっさとどこへなりとも消えればいいだろう、九尾さま。

 そういうものだろう、九尾の狐っていうのは――。


 どうして俺に、それでもしがみつこうとする。もう俺から搾り取れるものなんて、お前に与えてやれるものなんて、何も持ち合わせていやしないってのに。


 加代の目が見れなかった。

 怖くて覗き込めなかった。


 そんな俺に対して、預金通帳を再びカバンの中へと戻した加代は、代わりにその小さな手で、俺の手を包み込んできた。まるで怯える赤子をあやすような、そんな、優しい手つきで――。


「いつだったか、わらわが嫌な派遣さんに絡まれて困っていた時に、桜がみかねて助けてくれたことがあったのじゃ」


「その時のお礼ってか。そういうい割り切った関係って訳だな、俺達は」


「ちゃんと人の話は最後まで聞くのじゃ」


「人じゃねえだろ、狐だろ、お前は」


「その時から、わらわはお主に惚れておるのじゃ。お主と一緒に居たいと思ってるのじゃ」


 お互いを支え合うのに、それ以上の理由なぞいるかえ。

 加代はそう言った。おそらく、俺の俯いた顔をまっすぐにみて――そのいつだって無様に曇ることのない、不屈の瞳をこちらに向けて、俺を見ているのだろう。


 ふざけるな、ふざけるなよ、ふざけてんじゃねえよ。


 お前は、本当に――なんてろくでもねえ九尾の狐なんだよ。

 そういう風に男をたらしこむのか。

 だったら、もっといい男を探せよな。俺みたいなろくでなしじゃなく。


「――借りなんて、もう、お互い、考える様な仲でもないだろうがよ」


「そうなのじゃ。わらわも、きっと桜なら、喜んでこれを受け取ってくれると、てっきり思っておったのじゃ。なのに、今更、男がどうのとか、養ってるがどうとか、そういうことを言いだして――ちょっとオコなのじゃ、ぷんぷんなのじゃ」


 けれども、視線を上げた先に、俺を待っていた加代の顔は笑っていた。

 きっと大丈夫だと。今日はこんなにひどい日だけれども、明日はきっとよ日だと。そう心の底から信じているような、そんな笑顔だった。


 まだ花が咲くにも早い時期だろう。

 こんなにも世界は残酷で冷たいのに、どうしてだろう俺の心の中に、温かい花が咲いた。そんな心地がした。


◇ ◇ ◇ ◇


「のじゃ。とりあえず、家賃とクレジットカードの引き落としができないと大変なのじゃ。その分だけでも、預金通帳に移しておくのじゃ」


「そうだな、まずは俺の預金残高を確認して――」


 ハローワークからの帰り道。ちょうど、某大手銀行のATMを見つけた俺達は、さっそくそこへと立ち寄った。

 支払いが滞るとのちのちいろんなことが面倒になる。

 それだけは回避しなくてはと思ってのことだったのだが――。


「あれ、預金残高、思ったよりある」


「のじゃ?」


「というか、なんだこれ。今まで見たことないような額が入ってんだけど」


 どういうことだ。

 失業給付金はおろか退職金さえも貰えないはずの俺の口座に、なぜこんな大金が。


 送金ミス。あるいは、犯罪組織に俺の口座が使われている。

 いやいやそんな映画や漫画じゃあるまいし。


 と、その時、ぷるりぷるりとズボンの中で、俺のスマートフォンが音を上げた。

 発信者は――。


「おー、久しぶりだね桜くん。その後どうだい、元気にしてたかい?」


「ライオンディレクター!? っていうか、あんた、なんで俺の携帯の番号を!?」


「加代ちゃんから聞いたに決まってんじゃん。それでさぁ、ごめんごめん、すっかり忘れてたんだけどね、海外ロケの出演料、君の預金口座に振り込んどいたから」


「はぁっ!? ちょと待て、俺、アンタに預金口座なんて教えた覚えは――」


「それも加代ちゃんから」


 お前、何、勝手にいろいろと教えてんの。

 携帯の番号はいいよ。それはさ。

 預金口座はだめだろ。さすがに。


 ライオンディレクターと話しながら、俺は目で加代の奴に訴えかける。

 見ざる、言わざる、聞かざる、ならぬ、見きつね、言きつね、聞かきつね。

 加代の奴はそっぽをむくと、ふふ、ふんふん、と、誤魔化して口笛を吹いた。


「いやけど、ちょっと、この額は。俺の給料の一年分くらいあるんですけど?」


「まぁ、危険なロケだったしね、それくらいは流石にこっちも出すよ。というか、加代ちゃん所にも同じ額を出してるはずだよ。彼女は事務所が間に入るから、その分引かれてるとは思うけど」


「――マジすか」


「マジマジ。プロデューサー、嘘、ツカナイ」


 旅の中ではさんざんに嘘で弄ばれた気がするんだけれど。


 まぁいい。


 ということは、だ。


「お、お――お賃金出たぁっ!!」


 俺は人目もはばからず、また、スマホ向こうのプロデューサーのことも気にせず、大声で、労働のよろこびを叫んだのだった。


「あ、加代ちゃんとこのプロダクション、結構マージン抜くことで有名だから、振込額教えないように気を使ってあげてね」


「もう無理です!!」


 スマホとのやり取りで事情を察したのだろう。

 ATMのタッチパネルに表示されている俺の預金残高を眺めながら、加代の奴はまるでこの世を呪うために生まれてきた白面の者のような顔をしていた。

 すごいな、まるでこのままATMコーナーの天井を突き破って飛び上がり、全国津々浦々から集まった妖怪たちと最終決戦でもおっぱじめそうな、ただならぬ妖気だ。


 怖い、さすが、九尾の狐。怖い。


 なんだよ、タレントって、けっこう儲かるんだな。

 加代の奴が貧乏してるから、たいしたことないのかと思ってたけど、予想以上だわ。


 これなら俺もやろうかなタレント――なんちゃって。わはは。

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