第5話 埼玉のものは精霊のもの!
謎めいたみやちゃんの言葉に耳を傾けていると、眼下に鳥居の続く長い参道が見えてきた。大宮の町だ。
「まずは、弱っているサキちゃんを回復させる事が最優先だよ。LL値が高い場所に行けば、早く補給ができるはず。この辺りに強いLL値がある場所を探すのみゃ」
俺達はみやちゃんのナビに従い、大宮公園へ降り立った。
大宮公園は、開園から歴史一三〇年を誇る古い場所だ。中には小動物園やサッカーの競技施設もあって、休日には大勢の親子連れで賑わっている。すぐ隣に氷川神社があるのは、元々ここが氷川神社の官有地であったためだ。
俺達はみやちゃんを先頭に、公園の敷地内を歩いて行く。今は省エネのため夜間の外灯は殆ど点いていない。暗闇の公園は人気がなく、静寂に包まれている。
「こっちみゃ」
みやちゃんは鈴を鳴らして周囲を探っている。どうやら、みやちゃんの鈴はLL値を探るソナーにもなっているらしい。
俺たちは竹藪の奥にある、歴史と民俗の博物館に辿り着いた。だが、当然ながら、博物館は夜は開いていない。
「この中に入るのか?」
すると、ぬーが入り口の扉を見つけて近づいた。
「ちょいちょいっと開けちまうですよ」
ぬーはロックをいじると、楽勝に扉を開けてしまう。
「さっすがぬーちゃん、器用みゃ!」
みやちゃんは喜んでいるが、俺は真っ青だ。
「ちょちょちょっと、これは不法侵入というのでは……?」
「何言ってるですか、埼玉のものは精霊のもの、これはマストなのです~」
「はあ……まあ、確かに」
「埼玉のものなんだから、精霊のもの」……とぬーの言う謎の理屈で、俺たちは館内に侵入した。
「でも、どうして博物館なんだ?」
「埼玉の古い遺物にはLL値がたくさん宿っているですから、きっとサキちゃんも早く回復できるはずです。サキちゃん、ここで休んでいるです」
サキちゃんはこくりと頷き、展示前のベンチに座った。
俺がここへ来るのは、小学校の校外学習の時以来だ。今と変わらずイケてないグループに所属していた俺は、やっぱりオタク同士でつるんで見学していたので、女子と一回も会話する事がなかった。
(何も変わってないな、俺……)
しばらく感慨深い思い出に浸っていると、サキちゃんが俺の服の裾をつかんだ。
「むさし……一緒にお休みしよう」
「う、うん」
俺がベンチの隣に座ると、サキちゃんは膝の上に頭を乗せてきた。白いふわふわの髪の毛からは、花の咲くいい匂いがする。
(な……撫でたい……)
思わず、手がサキちゃんの頭に伸びる。体の底から湧き上がる衝動は、あと二センチの所でみやちゃんに阻止された。
「コラ、武蔵! だめ! サキちゃんのLL値が下がったらどうするのみゃー!」
みやちゃんは化け猫のような形相で俺を睨んだ。喉元を掻き切るような、鋭利なツメが俺の眼前で光る。
「す、すびばせん!」
目の前の凶器のお陰で、俺のナデナデ欲は一瞬で減退した。
「まったくもう……油断もスキもないのみゃ! サキちゃん、武蔵が変な事考えるといけないから、これを着てるのみゃ」
みやちゃんは展示のマネキンから弥生時代の服を拝借すると、サキちゃんに被せた。
サキちゃんからの一方的なスリスリは良くても、俺からのおさわりはなしって事だ。これはキャバクラのおっさん、或いはおさわり厳禁なねこカフェに通じるものがあるかもしれない。
(くそ……触りたい……ナデナデしたい……)
どうして人は撫でるのかというと、そこに撫でたい柔らかなものがあるからだ。トランザムのやわらかな毛並みにも似たサキちゃんの髪の毛は、俺の撫で欲をくすぐってくる。
俺が指を波立たせ悶々とした気持ちを抱えていると、みやちゃんの鈴が再び激しく鳴った。
「どうしたんだ、その音。まさか、またウラーが……」
「……その、まさかみゃ」
みやちゃんは青ざめている。
「う、ウソだろ? さっき倒したばかりなのに」
またあの巨人たちが襲ってくる……? 思わず、俺の声も上ずってしまう。
「おそらく、東部と西部の二方面から攻めてくるつもりでしょう……本当に総力戦になってきたです」
深刻な顔つきのぬーが言った。
「地の利っていうのがあるもの……大宮に来たウラーは、みやが倒すみゃ。」
「武蔵。ぬーとみやは様子を見に行ってくるです。武蔵はきちんとサキちゃんを守るですよ」
「え、あ、ちょっと……!」
「この周縁を流れる 川に、私たちの気を送り込んでおくです。この結界が貼られている間は大丈夫ですよ」
ぬーは再び小さな水竜に姿を変え、みやちゃんを乗せると北のほうへ飛んでいった。
俺とサキちゃんは広い館内に取り残されてしまった。
(サキちゃんを守れと言われたって……俺にはどうする事もできないのに)
サキちゃんの護衛という大役を仰せつかったものの、内心、氷結された八尾と、さいたまスーパーアリーナにいるまどかとマーシャのことが心配だった。
不安感に苛まれていると、膝の上のサキちゃんがむくりと起き上がった。
「サキちゃん! もう、体は平気なの?」
「うん、少し良くなった。ちょっと中を見たい。武蔵、いっしょに来て」
俺とサキちゃんは、非常灯の点いたやや暗い館内を歩いていく。
高い天井の館内には、埼玉の古墳から発掘された埋蔵品や土器なんかが並んでいるが、それらが緑色の非常灯で照らし出されると、どうも不安な気持ちになる。
「夜の博物館って、なんか不気味だな……サキちゃん、本当にここにいると気持ちが落ち着くの?」
「うん」
サキちゃんは先ほどよりも元気な声で答え、歩いて行く。
俺は兎に角、心霊やオバケの類が大の苦手だ。本当は暗いのもあまり得意ではないのだが、サキちゃんの護衛を任された以上は一緒に進むしかない。
「うわっ!」
暗闇に突如浮き上がった骸骨に、俺は悲鳴を上げた。ガラスケースの展示の中にあるのは、古代に屈葬された本物の人の骨だ。
「大丈夫。この人たちはちゃんと手厚く葬られてる。幸せに死んだんだよ」
サキちゃんはガラスケースを見て言った。
懐中電灯を当てると、確かに展示の説明には、古代から死者を丁寧に埋葬して弔う文化があったと書かれている。
「たとえ人は死んだとしても、ずっと想ってくれる人がいれば魂はきれいに咲くの。そしてお空に飛んだ後、次の人に生まれ変わるんだよ」
「……この人の魂はどこへいったの?」
「埼玉を出て、ずーっとずーっと遠くの大陸に行ったみたい。たぶん、アフリカのほう」
「へえ……」
サキちゃんは耳をぴくぴく動かしながら答えた。どうやらサキちゃんたち精霊は、人の魂を感じることができるようだ。
「どうしてみんな、埼玉に住み始めたんだろうね?」
「やっぱり日当たりもいいし、自然も多いからかな。昔は海も近かったし、時々氾濫する川が豊かな土を運んでくれるから、お野菜もとれる。人が住むのにとてもいい所なの」
俺が訊ねると、サキちゃんが答えた。
確かに、埼玉は昔、さいたまの辺りまで海岸線があったと校外学習で聞いた。そこから日帰りで東京湾のあたりまで海産物を採りにいって、さいたままで戻ってきたり……古代から年季の入った東京のベッドタウンでありながら農業が盛んだし、自然が多い。
とくに、海岸線が引いた後は、さいたま市の辺りはたくさんの沼ができた。干拓してできた土地だから坂も少ないし、見沼のあたりは見沼田んぼとしても有名だ。
「あれ? どこに行くの、サキちゃん」
サキちゃんはとことこと特別展示室のフロアを横切っていくと、あるガラスパネルの前で立ち止まった。ガラスパネルには、錆びた一本の剣が垂直に収まっている。
「これは……
確か前に来た時の説明では、レプリカだと言われた記憶がある。本物は行田のさきたま史跡の博物館にある筈だ。
金錯銘鉄剣とは、行田市にある稲荷山古墳から出土された鉄剣で、国宝にも指定されている。錆びた剣には、肉眼でよく目を凝らさないと見えない薄い金象嵌の文字が刻まれている。
すると、サキちゃんがガラスパネルに近付いていく。
「武蔵、これ……なんて書いてある?」
「ええと……この解説によると、〝辛亥の年に、ヲワケの臣が、先祖のオオヒコから自分にいたるまで八代が代々「杖刀人」の筆頭として朝廷に仕え、そして自分が大和のワカタケル大王を補佐したことを記念して、この剣を作った〟……だって」
「じょうとうにんって?」
「たしか、大王を守る親衛隊みたいなもの……だったと思う」
サキちゃんはしばらく感慨深げに金錯銘鉄剣を見つめると、展示の前に落ち着いてしまった。
「ここがいいの?」
「うん」
「分かった。ごめん、俺ちょっとトイレに行ってくるから」
俺はサキちゃんから離れると、館内を歩き回る。しかし、久々に来たのと館内が暗い所為もあって迷ってしまった。
(おかしいな……どこだったっけ?)
地階を見渡すと、非常灯に不気味に照らし出された板碑のレプリカが並んでいて、まるでお化け屋敷みたいだ。
これらの板碑は秩父方面の小川町で作られていたものの複製だというが、埼玉には昔から霊を手厚く祀る習慣があるという。
(たとえ死んだとしても、ずっと想ってくれる人がいれば魂はきれいに咲く……か)
俺は、さっきサキちゃんが言った言葉をいやに鮮明に覚えていた。そして、金錯銘鉄剣の細長いフォルムが、父の顔をなぜか思い起こさせる。
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