巨人たちの戦争 第4部:極限編

伊藤 薫

はじめに

 独ソ戦の最初の18か月は、赤軍を押し包んだ比類のない破局と、ぞっとするような恐怖の連続だった。ドイツ軍の装甲部隊はモスクワの門前までに迫り、ソ連軍は言葉通りの死力を尽くした防衛戦で、ドイツの軍事的勝利の流れを一変させることに成功する。

 1941年12月7日、ヒトラーがモスクワ前面で進撃が停止した責任を将軍たちに押しつけて追放していたその時、日本軍がハワイの真珠湾に対して奇襲攻撃を行った。アメリカは日本に対して宣戦布告を行い、ここに「太平洋戦争」が始められたのである。

 12月11日、ヒトラーはベルリンのクロール・オペラハウスで臨時に置かれた大ドイツ国会での歓呼に応え、挑発的にアメリカに対して宣戦布告を行った。日本との三国同盟は防共を前提としていたものであり、このような行動は要求していなかった。

 かくしてドイツは独ソ開戦から半年のうちに、欧州における絶対的な支配者の地位から、地上最大の二大強国との「二正面戦争」へとはまり込んでしまった。常に戦略よりも政治的・経済状況を優先させてきたヒトラーは戦争遂行に必要な資源を確保するため、今度はソ連のウクライナとカフカス地方の奪取を命じる。

 この時のヒトラーの脳裏には、1886年に書かれたレフ・トルストイの「人間にはたくさんの土地が必用か」という小編が浮かばなかったのであろう。

 富裕な農夫パホームは、ヴォルガ河の向こうにあるバシキール人の土地は肥沃だと教えられる。彼らは単純な連中だから、お前さんは難なく好きなだけ土地を手に入れられるだろう。

 パホームがバシキール人の土地に着くと、連中は1000ルーブルくれれば丸一日かけて歩いた分だけ土地をあげようと言う。無知な奴らだと蔑みながら、パホームは有頂天になった。1日かかれば広大な土地が回れるというもんだ。

 しかし、歩き始めるとすぐにパホームは次々と魅力的な場所を見つけ、あっちの池ももらおう、亜麻の栽培によさそうなあの土地ももらおうと足をのばす。

 やがて、太陽が沈みかけているのに気が付いた。うっかりしていたると何もかも失ってしまうぞ。パホームは日の暮れまでにもとの場所に帰り着こうとどんどん足を速め、走り出す。「欲張りすぎたおかげで大失策だ」と自分に言い聞かせる。骨を折ったあげく、へとへとになった。終着点にたどり着いたパホームはついに息絶えて、そこに埋葬される。トルストイは次のように締めくくっている。

「パホームには頭からつま先までの土地があれば十分だった」

 およそ60年後の物語で異なるのは、大草原に埋められたのがただ1人ではなく、数え切れぬほどの大勢の兵士たちだったということである。

 モスクワ前面における悲惨な退却戦の後、ドイツ軍の首脳部は皮肉にもソ連式のイデオロギー教育を取り入れる。新たな教育を受けた兵士たちは東部戦線に従事する大義を見出すべく、ソ連の住民や兵士に対する残虐行為にいっそう力を入れて行うようになる。

 占領地におけるドイツ軍の行為によって、ロシア人の憤怒と復讐心は燃え立ち、負けてたまるかという容赦ない決意を呼び起こした。あるドイツ軍の老兵は後に、このような言葉を残している。

「西方での戦争は礼儀正しいスポーツだったが、東方での戦争は恐怖でしかなかった」

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