ヒメミコ伝 鬼の復活
神村律子
プロローグ 杉野森学園高等部仮校舎にて
辰野神教との壮絶な戦いから二ヶ月が過ぎた。季節はすっかり冬、もうすぐクリスマスだ。
太古の神との攻防で消滅した杉野森学園高等部はようやく仮校舎への移転が終わり、生徒達も学園側も、その生活が正常に戻りつつあった。
しかし、邪馬台国の昔から続く姫巫女流古神道の継承者にして、高等部の日本史の教師でもある小野藍は、校舎消失について酷く責任を感じたままだ。理事長の安本浩一にも、事務長の原田裕二にも、
「気にしないように」
とは言われたが、それでも何もなかったかのように普通の顔をして通勤できない。
(一体何人の人達に迷惑をかけたのだろう? 受験生である三年生は、大丈夫だろうか?)
真面目な藍らしい反応だ。しかし、高等部が消失して、藍の事を責める生徒はいないし、保護者もいなかった。それは全て、安本理事長と原田事務長の迅速な対応があったからだ。
(もう一生頭が上がらないなあ、理事長と事務長には)
藍は本気でそう思った。
それでも、落ち込んでばかりいられないのが、教育者だ。藍はプレッシャーを感じながらも、学園に行く。バイクを駐車場に停め、できるだけ目立たないように校舎の壁伝いを歩くが、彼女を知っている生徒にはそんな事は無駄な足掻きだ。
「おはようございます」
まるで待ち伏せをしていたかのように、藍が顧問を務める歴史研究部の三人娘である古田由加、江上波子、水野祐子が目の前に現れる。お揃いのチェック地のマフラーは学園指定のものだ。
「お、おはよう」
藍はビクッとしたが、何とか笑顔で挨拶を返した。するとそれに気づいた祐子が、
「先生、そんなにビクビクしなくてもいいんですよ。先生は学園を救ってくれたんですから」
と、いつものように余計な一言を口にする。
「え?」
ドキッとしてしまう藍。由加と波子が慌ててお喋りな祐子の口を塞ぐ。
「ふごふご」
「失礼しましたあ」
二人は太めの祐子を引き摺るようにして駆け去った。
「あの子達に励まされるなんて、何だか……」
藍は自嘲気味に三人を見送り、職員専用の玄関へと歩き出す。
「おはようございます、小野先生」
後ろから声をかけられ、
(一番会いたくない人に……)
と思いながらも、藍は笑顔を瞬時に作り、振り返る。相変わらず「私可愛いでしょ光線」出しまくってるな、と思ってしまう高等部の英語担当の武光麻弥が立っている。彼女が巻いているマフラーは、外国の高級ブランドのものだろうが、ブランド品に一切興味がない藍には、それがどの国の何というブランドなのか、全くわからない。只、
(高そうなマフラーだな。白い狐?)
と思うくらいだ。
「おはようございます、武光先生」
作り笑顔をバッチリ決め、挨拶を返す。すると麻弥は、
「放課後、お時間いただけませんか? お話したい事があるんです」
「え?」
何の話? 藍はドキドキした。
「私の剣志郎さんに近づかないで下さい」
それはないか。ここのところ、お互いに全然話もしてないし。では、何?
「お願いしますね、小野先生」
麻弥は、藍の返事を聞かずにサッサと歩き出してしまう。
(マイペースね、麻弥先生は)
藍は肩を竦めた。そして、歩き出しながら、もう一度考える。
(わからない。何だろう?)
思わず首を傾げてしまった。
「首、痛いのか?」
突然後ろからそう言われ、
「きゃっ!」
と柄にもない悲鳴を上げてしまう。ムッとして振り返ると、思ったとおりそこにいたのは、竜神剣志郎だった。すると、更に腹が立つ事に、剣志郎はクスクス笑っている。
「全然似合ってないぞ、さっきの悲鳴」
「うるさいわね! 貴方が急に声をかけたから、驚いたのよ! 別に可愛く思われたくて叫んだんじゃないわ」
藍はプイと顔を背け、歩き出す。途端に剣志郎は「しまった」という顔をした。
「あ、いや、その、そんなつもりじゃなくてさ……」
「じゃあ、どんなつもりなのよ!?」
藍がいきなり振り返ったので、剣志郎は彼女に抱きつく格好で立ち止まった。
「生徒が見てますよ、お二人さん」
同僚の男性教師が苦笑いして通り過ぎた。他にもクスクス笑っている教師がいる。生徒達も遠巻きに二人を見て、ニヤニヤしていた。
「あ、悪い」
剣志郎は真っ赤になって藍から離れた。
「あ、私こそ、ごめん……」
藍も赤面して謝罪する。自分がいきなり立ち止まったのが悪いとわかっているのだ。
「じゃ、急ぐから」
藍は恥ずかしさのあまり、駆け出した。剣志郎はそれを追いかける事もできず、
「あーあ」
と溜息を吐く。
小野神社。
千七百年以上の歴史を持つ古神道の神社。藍の祖父である小野仁斎が現在の宮司だ。藍がそのまま神社を継承する事も可能だが、仁斎としては、日本全国にある小野一門の分家から婿をとって欲しいのだ。無論、藍の気持ちが、かつての許婚である小野雅にあり、剣志郎との縁も浅からぬ事も、仁斎は承知している。しかし、雅は邪法の黄泉路古神道を会得し、一度は小野一門と袂を分かった身。故に宗家に迎え入れる訳にはいかない。そして、剣志郎は、その家が竜神を祀る神社の末裔だった。二人の個人的な相性がどうであれ、二つの家は結びつかない方が良い。それが仁斎の当面の結論だ。
(もはや、小野宗家も藍の代で終焉しても良いとも思うがな)
孫娘の幸せを考えると、そうも思ってしまう仁斎である。
「さてと」
広い境内をひととおり竹ぼうきで掃いた仁斎は、痛くなった腰を右手でポンポンと叩いた。
「む!?」
その時、おぞましい気を仁斎は感じた。
(まさか、あの社が?)
仁斎はほうきを放り出し、境内を走る。
「よもやそんな事が……」
彼は息を切らせて、境内を出ると、目の前の路地を右へと走った。
(何があった? 結界が何故破れたのだ?)
明治の世を揺るがした鬼が、平成に甦ろうとしていた。
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