別れ際のやりとり
「もう、藤原さん! 私が藤原さん踏んずけたとか、そういう恥ずかしい話しようとしないでくれますか!?」
理央君たちから離れて、また駅に向かい始めた道中。私はそうやって藤原さんに憤りをあらわにした。
本気で怒っているわけじゃないけど、でもやっぱり恥ずかしい話をされるのはいやだったりするのだ。
前だって爽子に簡単にしゃべっちゃうし。人をからかおうというか、恥ずかしがらせようとするのはやめたいただきたい。
理央君との会話だってなんかにやにやしながらだったし、隙があれば理央君のことからかおうとしていたに違いない。ただでさえ昨日のバイトの後から理央君に対して気まずい思いがあるのに、そのうえ私と一緒にいた藤原さんが理央君をからかうなんてことがあったら、私は学校が始まってからどんな顔で理央君に会えばいいのか。よしんば学校で会わなかったとしてもバイト先では確実にかち合うのだ。
なんてことは藤原さんには説明しないけど。なんて言って説明したらいいかわかんないし、説明した挙句に私が理央君のことを迷惑に思ってるなんて取られるのはいやなのだ。
意味深なことを言われて戸惑ってはいるけれど、別に不快な気持ちになっているわけじゃない。初めてのことで、どうしたらいいかわからないだけだ。
そんな私の内心を察してか、それとも察していないのか、よくわからないけど相変わらず藤原さんはひょうひょうとした態度を崩していなかった。
「んー……でも俺と楓ちゃんの出会いを語るならあの話をしないとねぇ」
「で、出会いとか、そういう言い方はどうかと思います。それに私が踏んずけたって話わざわざ言わなくても、あの日のことは説明できるじゃないですか!」
藤原さんは絶対私が藤原さんを踏んずけたって話をしたいだけだ。
「いやいやいや、楓ちゃんが俺を踏んずけたって話しなかったら、俺ただの女子高生に絡む酔っぱらいじゃん!」
「実際吉永さん来るまでそんな感じだったじゃないですか! 三回くらいおんなじ話してましたよね?」
「酔っ払ってて覚えてないなー」
「そういうときだけ酔っ払ってたこと使うなんてずるい!」
もう、もう、もう!
調子のいいことばっかり言って!
そりゃ踏んずけたのは私が悪かったけどさ、あんなところで寝てた藤原さんだって悪いんじゃないの? それを、自分のことは棚に上げて!
私がそうやって不満をあらわに藤原さんの方を睨むと、不意に藤原さんから優しい声がかかった。
「ちょっとは気持ちほぐれた?」
その言葉に、私の憤りは急激にしぼんでいった。
「柄にもなく俺がまじめっぽい話をした後からさ、なーんか楓ちゃん固いというか。もしかしたら俺が言ったこと気にしてんのかなーって。説教臭いこと言ったような気がするし」
そう言った藤原さんは少しだけ申し訳なさそうな顔をしていた。自分が言った言葉で私が落ち込んだり、気に病んだりしてしまったんじゃないかと思っているのだろう。
全然そんなことはない……とは言い切れない。花火の後から何事もなかったかのように過ごしてきたけど、そうはできていなかったらしい。内心では藤原さんに言われたこととか、告白をしようとしてしまったこととか、それらのことが混ざり合ってうまく処理できていなかったのだろう。その、うまく処理できていなかった部分がいつの間にか表面に出てしまっていた。そこを藤原さんに感づかれた。そういうことだろう。
さっきまでの憤りは割れた風船みたいに急激に萎んで、抜けきってしまった。
さっきまでのおどけた態度や会話は私のためだったのだ。藤原さんに言われたことを気にして、知らず知らずのうちに態度が固くなってしまっていた私をほぐすための。
「あくまで俺の個人的な意見ってやつだからさ、あんまり気にしないでね?」
「はい。……あ、いえ……えっと」
返事に詰まってしまう。
藤原さんの「気にしないでね」という言葉を額面通りに受け取ってしまったら、なんだか藤原さんを否定してしまうような気がして。だから、私はかわりに気遣ってくれたことに対してのお礼を口にした。
「――気遣ってくれてありがとうございます。なんか自分でも知らないうちに固くなってたみたいで……」
「気にしなくていいよ。ま、俺は大人だから、子どものことを気遣うのは当然でしょ?」
「そう、ですか……」
またぽんぽんと頭を撫でられる。こんな行為も、私のことを子どもだと思っているからなのだろう。
藤原さんにとって私は子ども……か。わかってはいたことだけど、口に出されると意外とくるものがある。恋愛対象として見られてないんだなーって。
もちろん気遣ってくれたのはすごくうれしいんだけど、内心すごく複雑だ。でも、子どもじゃないなんて言えるほど私は自分が大人だなんて思ってはいない。現に、子どもだって言われてへこむなんて、それこそ子どもだからだろう。大人だったらうまく受け流したり、処理したりしていると思う。
もし私がもっと大人だったら、藤原さんは私にどんな風に接してくれてたかな。海で一緒に遊べた? この夏祭りには誘ってくれた? どうなんだろう。大人になった自分が全く想像できなくて、藤原さんとどういう関係になっていたかがわからない。
「駅に戻ってきたな」
藤原さんが気遣ってくれたのに、結局うだうだ悩みながら歩いていたらいつの間にか駅に戻ってきていた。
「……そうですね。藤原さんはバイクでしたっけ?」
「そうだよ。向こうの駐輪場にとめてる」
「じゃあ、ここでお別れですね」
そう藤原さんに言う。スマホを取り出して見てみれば、お父さんから『もう駅についてる』という着信。
「お父さん来るまで一緒にいなくていいの?」
「もう駅に着いてるみたいなので」
「あー、そっか。それなら大丈夫か」
ロータリーで停まっているお父さんの車を見つけた。『今から行く』とだけ返信する。
「今日はありがとうございました。すっごく楽しかったです!」
「それはよかった。こーんな若い子と夏祭りなんて、実は柄にもなく緊張してたんだよねぇ」
なんて言いながらも、藤原さんは全く緊張のかけらも見せずに笑っている。ほんとに緊張してたわけじゃないんだろう。
最後はなんか私だけしんみりしちゃったけど、楽しかったのは本当だ。夏祭りを小さい子どもみたいに楽しんだのは久しぶりだった。
「それじゃあ、今日はありがとうございました。藤原さんと夏祭りなんて、一生の思い出になりそうです」
頭を下げてそう言う。今日と言う日は、平凡な私に刻まれた特別な日になるだろう。
もう一度お礼を言ってお父さんの車に向かおうとしたところ、藤原さんから声がかかった。
「前から思ってたんだけどさ、なーんか楓ちゃんって俺に対して固いよね。あ、この固いっていうのはさっきの話とは別の話ね? 苗字にさん付けとか、敬語とかっていう話」
「いや、だって藤原さんは年上だし、尊敬する人なので……」
突然の藤原さんの話に困惑する。今までの私に何か問題でもあったのかな。
「朱里のやつがさ、『私は楓ちゃんに名前で呼ばれてるのに、大洋はいまだに苗字呼びなんだねー』なんて言って笑いやがるんだよ。だからさ、年上とかそういうのはもういいから、前も言ったと思うけど俺も名前で呼んでいいから」
えぇ!? いや、そ、それは……なんというか恥ずかしいというか……。確かに海では一回名前で呼んだことあるけど、でもあれは状況が状況だったし!
普段から名前呼びなんて……いいの? 大丈夫? 主に私の精神がやばそうなんだけど。
「いや、あの、それは……いいんですか?」
藤原さんが名前で呼んでって言ってるのに、思わず聞き返してしまう。私は小心者なのだ。許してほしい。
「朱里のことだって名前で呼んでるんだし、問題ないでしょ」
なんか若干話が噛み合ってない感じがするけど、藤原さんがいいって言ってるんならいいんでしょう。いや確認する前から名前で呼んでって言われてたんだけどね? そこは安心感が欲しかったというか。
「じゃあ、さっそく俺のこと名前で呼んでみてよ。なんかこのまま返すとそのまま藤原さん呼びのままになりそうだし」
ギクゥ!
今の私を擬音で表すならそんな感じだ。確かにこのまま帰ったら結局メッセージのやり取りとかは藤原さん呼びのままになるだろう。なんか、微妙に私の性格を掴まれている気がする。
でも、何も今ここで名前呼びを求めなくたって……!
「ほらほら、はやくはやく」
藤原さんが催促してくる。名前で呼ばなきゃ返してくれなさそうな感じがして、私は意を決した。
「……た……うさん」
「えー? 聞こえないなぁ」
あぁー! もう、恥ずかしすぎる! 全然声が出ない! 藤原さんはにやにやしてるし!
もう! もうっ! もうッ!
言えばいいんでしょ、言えば!
私は息を思いっきり吸い込んで、今度こそ思いっきり口を開いた。
「大洋さんのバカー! アホー! いじわるー! 今日はありがとうございましたぁ――!」
そして私は、恥ずかしさのあまり全力で逃げ出したのだった。
大洋さんのバカヤロー!
「……なにあれ、かわいすぎでしょ」
「同感だわ」
「うお!? 朱里いつからいたんだよ!」
「あんたが楓ちゃんに名前呼びを強要してるあたりから。セクハラで警察に通報しようかと思ったわ」
「それは勘弁」
「しないわよバカ。さっさと行くわよ」
「行くってどこに?」
「事務所。あんたが途中で電話切ったせいでせっちゃんカンカンなんだから」
「うへぇ……マネージャーの説教かよ」
「自業自得ね。あんたのせいで駆り出された私の身にもなってよ」
「すんませんでした」
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