第20話 早朝の校門を抜けて
「や、め……ろ、よ……」
やばい、体に力が入らない。
全身には打撲、切り傷が大量についており、酷い有り様だった。しかし、それでも俺は足をもがき、立ち上がろうとする。
ゆっくり、ゆっくりと俺は立ち上がった。生まれたての仔羊のように足をプルプルさせる俺をそいつらは嗤った。
「また立ちあがりやがったよこいつ」
「まったく、気持ち悪りぃ」
「ねぇねぇ、殺そうよ、殺しちゃおうよ」
俺を嗤いながらそう言葉を交わす彼らはとても小さく見えた。自分は強い、自分は大きいと誇張する野生動物のようで。
「俺に勝てないから……劣っていると感じるから、殴るんだろ? ……それって自分の負けを……認めてるようなもんじゃないのか?」
俺は途切れ途切れになりながらも、目で彼らを嗤い返しながそう言った。
「ッ! 何言ってんだこいつ、狂っちまったんじゃないのかぁ! おい!」
彼らはしばしの間呆然としていたが、一人がそう言ったのを皮切りに俺に殴りかかってきた。
一人に殴られて倒れた俺を取り囲むように彼らは位置取ると、俺を蹴り、踏みだした。あぁ、これが踏んだり蹴ったりってやつなんだな。
俺は内心にそう呟きつつ、痛みを感じなくなった体の力を抜いた。
もういいや、こんな世界生きてる意味なんかないし。別に俺が死んだって何が変わるわけでもない……
俺が半ば諦めかけた時、彼女は現れた。
「お前ら、何をしている!」
* * *
懐かしい。
ただ、そう感じた。
多くを語らず、ただ包み込んでくれるこの優しさ。
心を落ち着かせてくれるふんわりとしたこの香り。
「凛……なのか……?」
俺は我知らず呟いていた。
左の頬から伝わってくる温かさと柔らかさは、俺の心を奥底から溶かしてくれているようだった。
「よくわかったな」
そうか、やっぱり凛か。駄目だな、俺は。昔から助けられてばかりで。
って。
俺は我に返り、目を開けた。
場所はおそらく校門前。時間は……明るさからして5時頃だろうか。
で、俺の自身の状況というと、まず寝転がっている。それと、頭は何やら柔らかいものに乗っている。さらに、さっき上から声が聞こえた。つまり、この状況は……
「膝枕⁉︎」
俺はそう叫ぶと勢いよく起き上がった。
「やっと起きたか、おはよう、馨」
「あぁ、おはよ……じゃなくて! なんなんだよこの状況!」
「校門前で力尽きていた馨を膝枕で回復させていただけだが」
「どんな状況だよそれ!」
凛は平然として答えたが、言ってることはかなりめちゃくちゃだ。
まぁ、校門前で倒れていた俺が言えることではないとは思うが……
「ところで、なんで凛はこんな時間にこんな場所にいるんだ?」
確か凛は違う学校のはずだし、他校の女子がこんな朝早く、こんな場所にいるわけがない。
「何を言っているんだ? 私はこの学校の生徒だが」
「へ?」
「さらに言うと、私はいつも5時に登校している」
「はい?」
いや、意味がわからない。同じ学校なら顔ぐらい合わせるだろうし、幼馴染の凛を見て忘れるわけがない。
「なんだか信じてないようだな。わかった、真実を教えてやろう」
「真実……だと? 」
凛は勿体振るようにふん、と鼻を鳴らし、こう言い放った。
「お前はいつもいつも教室で勉強しかしてない。更には行事の時まで単語カードをペラペラとめくっている。また、遅刻ギリギリで登校し、下校時間きっかりに下校する。そんなお前が私を見つけられるわけないだろうがっ!」
た、確かに……
他人との接触を避けるために、俺は学校で鬼のように勉強している。
また、放課後、遊びの誘いなどをクラスメイトから受けないようにするために俺は早く帰っている。
別に、誘われない現実から目を背けてるわけじゃない。ほら、やっぱり誘って断られたら悲しいじゃん? それを未然に回避してるわけです。うん。
「とにかく、私は2-Aだ。用がある時はいつでも来るといい」
「あぁ、わかった。で、開門までの間、いつもは何してるんだ?」
凛はいつも5時に登校していると言った。しかし、学校の開門時間は基本的に6時半。それまでの間こいつは何をしているんだろうか。
「なぜ開門の時間まで待つ必要があるのだ?」
凛はニヤリと口を歪め、軽く校門を飛び越した。
「何してるんだ? 馨も早く来い」
「いや待てよ! 明らかにそれ駄目だから」
「別に誰にも怒られたことなどないぞ? 警備員が追いかけてきたからちょっと気絶させたことはあるが」
当然のことのようにそう言い切るこの望月凛は、あらゆる武道を極めていると言ってもいい。空手に剣道、柔道になぎなたまで何でも来いだ。
「俺も散々助けられたなぁ」
俺はそう呟きながら校門を抜けた。
「馨、ついて来い。いいものを見せてやる」
凛はそう言うと、すたすたと校舎の方に歩いて行った。もちろん俺もその後を追う。そして、彼女は持っていた鍵で校舎の入り口を開け中に入っていく。
「一つ聞いても良いか? お前はなぜあんなところで倒れていたのだ?」
「あぁ、走りすぎて疲れたんだ。疲れたからあそこで寝てた」
俺はわざと誤魔化すように言った。そして凛はふっ、と少し笑った。その笑顔は六実の笑顔とどこか似た儚げな笑顔だった。
「私とお前は、いつか会ったことがないか?」
それはあまりにも突然だった。
本当に、今日の天気について話すような気軽さで彼女はそう言った。
なぜだ? 俺は凛との思い出をリセットしたはずだ。いや、中学の卒業式のときリセットした。確実に。絶対的に。
だが、彼女はそれを覚えているのか? こんなことって……
「会ったことないだろ。お前が言ったんじゃないか、俺はいつも勉強してて気づくわけがないって」
「いや、高校でではなく……やっぱり忘れてくれ、私の勘違いだったようだ」
「あぁ、そうするよ」
凛は果てしなく悲しそうな顔でそう言った。
そうだ、それでいい。他人の心には立ち入らないし自分の心には立ち入らせない。たとえ、万が一に記憶が残っていたとしても俺はもう彼女に関わらない。
「着いたぞ」
長い道を歩き、着いたのは校舎の屋上だった。
「なんでまたこんなところに……って」
俺はただその光景に圧倒された。
心を揺さぶる、いやそんな生ぬるいものではない。まるで心を全て持っていかれるような美しさがそこにはあった。
今まで青白かった世界が次第に温かさを持ち始め、全てのものに生気が宿りだす。
鳥はそれを迎えるように飛び立ち、木々はそれを引き立たせようとするかのごとく息をひそめる。
そして、空に幾多の光線が現れた。
「そろそろだな」
凛のその一言に呼応するように山々の間に一つ光点が浮き立った。
それは俺を焦らすかのようにゆっくりと空を登り始める。
眼下の地面の陽が当たる面積が広がっていき、まさに世界が反転しているかのような錯覚に陥ってしまう。
「これをお前に見せたかったんだ」
凛は、俺の方を振り向きそう言った。
「私の膝の上で寝ている時、お前は泣いていた。苦しそうでもなく、悲しそうでもなく、ただ無表情で泣いていた。……馨が、何にそう悩んでいるのかなんてわからない。わからないが、私はいつでもお前の味方だ。たとえ、お前がいなくなっても私はお前を再び見つける。だから……」
凛が言葉を探すように視線を逸らす。そして、凛は俺を正面に据えた。
「だから、お前はもう少し楽に生きろ」
彼女は笑っていた。登りきった陽を背に受け、俺に微笑みかけていた。
駄目だな、俺は。昔から助けられてばかりで。
俺は遥か遠くの太陽をぼんやりと眺め、そう呟いた。
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