第3話 夢語を抱く英雄2
結婚式の夜、セルゲイとマリアは第一子を授かっていた。
翌年、無事に生まれたハルゲイ・オペラと名付けた男の子を二人は心行くまで可愛がっていた。
三人の住む議員宿舎は、愛で満ち溢れていたのである。
一度は家族を失ったセルゲイだが、こうして再び家庭を持ったことで、今度こそは絶対に守って見せると、さらに仕事に身が入った。
「あなた、見てください。この子、目のところなんかあなたそっくり」
マリアは気持ちよさそうに寝ているハルゲイの頭をうっとりと撫でながら、優しくセルゲイに話しかけた。
それを見てセルゲイは何とも言えない充足感に満ち溢れる。
「ああ、君に似て温厚篤実な、優しい子に育ってくれるといいのだが」
「あなたと私の子供ですもの。きっといい子に育ってくれますよ」
セルゲイはますます仕事が増え、職務が終わるころには日が昇っていることもあったが、毎日愛する妻と息子の顔を見ることを生きがいとし、必ず家には帰るよう心がけていた。
世間から見ても、オペラ家は理想の夫婦だった。
*** *** ***
レクイエム設立から十年の月日が経とうとしていた。
最初は恐怖により支配されていた受刑者たちが、圧倒的な戦力差を見せつけられた事と、受刑者に親密的だったエルビスの功績により、現在のレクイエムへと少しづつ変わっていっていた。
受刑者と管理者の間に、いつしか信頼関係が構築されていたのである。
その功績と実力が評価され、エルビスは刑殺官を取り仕切る官長へと就任した。
それを本人に伝えたのは、同様にレクイエム顧問にまで出世したセルゲイだった。
セルゲイはエルビスを呼び出し、レクイエムの来賓室で二人は落ち合っていた。
「おう、久しぶりだなあ。セルゲイ、こうして二人で会うのはいつ以来だろうな?」
「約七年ぶりだ。お前の話は聞いている。どうやら、無我夢中に頑張ってくれてるみたいだな」
二人は互いに成長した顔を見せ合い、懐かしさからか照れくさそうに笑いあった。
「悪かったな。せっかく呼んでくれたのに式、行けなくてよ。今思えば、あの頃のレクイエムはひどいもんだった」
「気にするな、エルビス。そのおかげで、レクイエムは今の形に安定したのだ。今のレクイエムを見ると、あの時おまえを手放したことすら良かったと思える。人生とは、つくづくなにが起こるかわからないものだ」
セルゲイはそう言うと、二人で過ごした若かりし日を思い出した。
エルビスが離れてからセルゲイは不安と、焦燥で胸がいっぱいだった。
汚い事に手を染めることもあった。
だが、心には常にマリアを思い浮かべ、それを力にここまで進んで来る事が出来た。
「なあ、セルゲイ。あの計画の事なんだが――」
エルビスは昔手渡されたファイルの事を話題に出した。
「セルゲイ。受刑者達も人間だ。人は必ず変われる。それが俺がレクイエムで過ごした日々に学んだ事柄だ」
銃をちらつかせもした。
暴力を振るったこともあった。
だがそれでも、エルビスの話を真摯に受け止め、更生するものもレクイエムには確かにいた。
エルビスはセルゲイに、悪の一言で片づけられる人間などいないと訴えた。
そしてそれは、変わっていくレクイエムを見ているうちにセルゲイも感じていた。
加えて言えば、マリアの優しさに触れていたからなのかもしれない。
「ああ、エルビス。あれは白紙に戻した」
「ほ、本当か!?」
「と言っても、もともと無理な話だった。実現味に欠ける計画だ。まあ、若い頃の苦い思い出とでも思ってくれ。それに……、世界はお前が変えればいい」
セルゲイはそう言うと苦笑いをした。
七年前、エルビスから見たセルゲイは明らかに不安定だった。
エルビスはそんな状態のセルゲイを一人にしたことを憂いていた。
だが、今話してる限り、冷徹に人を殺した時のようなセルゲイは、もう完全に消え去っていた。
「ああ、中は俺に任せておけ。ところでセルゲイ、なぜ俺を呼び出した?」
エルビスはまた自分について来いと言われるのではないかと疑っていた。
だが、こうして話すと、どうやらそういった目的ではないことが分かってきた。
不思議そうなエルビスをよそにセルゲイは電話を掛ける。
一言二言セルゲイは言葉を発し、電話を切った。
「エルビス、俺はレクイエムの顧問に昇進した」
顧問と言う役職は今までになかったものだ。
エルビスにはピンとこない。
「それは偉いのか?」
予想外のリアクションにセルゲイは吹き出す。
「はっはっは。そういうところは変わらんな。簡単に言えば、レクイエムに対し一番発言権を持つ人間だ」
そう言われても、今まで、セルゲイより偉い人間に会ったことのないエルビスは、あまり変わらないだろうと思ったが、空気を察して祝うことにした。
「おおーっ! そ、そうか、おめでとう。さすがだなセルゲイ」
――コンコン
来賓室の扉がノックされる音がした。
セルゲイはそれに対し、「入れ」と返す。
部屋に入ってきたのはスーツを着た女だった。
手に持つのは二つのグラスと、氷の入ったボトルクーラーで冷やされたシャンパンだった。
女はグラスをそれぞれに置き、部屋を去っていった。
セルゲイはシャンパンのコルクを抜くと、エルビスのグラスに注ぎ始めた。
「顧問になったんだもんな! よし! 今日は久しぶりにセルゲイに付き合ってやるか!」
「何を言っている? これはおまえのためのシャンパンだ。付き合うのは私の方だぞ?」
エルビスのグラスに継ぎ終わったセルゲイは、今度は自分のグラスにシャンパンを注ぎ始める。
「刑殺官を取り仕切る刑殺官官長。今日からお前が務めることになる」
「俺が……官長……?」
「言っておくが私は推薦も、なにも口出ししていない。おまえの功績が周りに認められたのだ」
唐突な話だったが、徐々に言われた意味を理解し、エルビスは自然と笑みがこぼれる。
今までセルゲイの力でのし上がってきたと思っていたエルビスは、スラム出身の自分がセルゲイに頼ることなく大役を与えられるなんて、思ってもみなかったからだ。
微笑みながらセルゲイは並々と継がれたグラスをエルビスに差し出す。
「エルビス・ブルースの官長就任に」
同じくエルビスも自分のグラスを差し出し、セルゲイのグラスにカツンと当てる。
「セルゲイ・ワルツの顧問就任に」
楽しそうにセルゲイは間違いを訂正する。
「おいおいエルビス、今の私はセルゲイ・オペラだ」
「ハッハ! そうだったな。セルゲイ・オペラの結婚に」
再びグラスを当てて乾杯すると、二人はシャンパンに口を付けた。
二人は今まで離れていた七年間を埋めるように会話を絶やさない。
子供が生まれた事、議員の中にもまともな人間はいた事、妻を愛してやまない事。
養成所の期待の新人の事、更生した受刑者の事、管理者が安全に仕事ができる事。
歩む道は離れても、お互いは尊敬しあういい友達だった。
互いの将来を激励しながら、二人はそれぞれの理想の世界を夢見たのである。
*** *** ***
「パパー、今度のお休み、遊園地に連れて行ってよ」
仕事の為、家を出ようとしていたセルゲイは、玄関で、十歳になった息子のハルゲイに呼び止められていた。
なるべく家族の為に時間を使ったが、それでも普通の家庭に比べると、その時間はあまりにも少なかった。
「だめですよ、ハルゲイ。パパを困らせないの。あなた、連休は私がハルゲイを遊びに連れていきます。気にせず今日もお仕事頑張ってくださいね」
「えー、パパも来てくれないとやだー、やあだー!」
駄々をこねる息子の頭にセルゲイはポンと頭を置いた。
「マリア。帰ったら話そうと思ってたんだが、今度の連休はなんとか休みが取れそうなんだよ」
「ほ、本当ですか!?」
マリアが驚くのも無理はない。
セルゲイは議員として、レクイエムの顧問として多忙に追われるスケジュールをたんたんとこなしていたが、それらすべてに妥協をせず、熱心に取り組んでいた。
一番近くでその様子を見てきたからこそ、マリアはセルゲイに不満を一つも漏らさず、ただただそばで支え続けてきた。
家事手伝いを雇うこともできたが、セルゲイに負けじと一人で家庭を切り盛りしてきたのである。
「ああ、実は前から議会には申告してあったんだ」
「あなた。そんな、無理をなさらなくても――」
「無理なんかじゃないさ。私がマリアとハルゲイと、一緒に過ごしたいのだ」
マリアはうるうると瞳を潤ませ、セルゲイに飛びついた。
「パパー、連れてってくれるのー?」
ハルゲイの言葉にハッと我に返ったマリアはセルゲイから離れる。
「ああ、遊園地でいいんだな?」
「やったー!! パパと遊園地だー!」
ハルゲイははしゃいで走り回った。
「ハルゲイ。あなたもそろそろ準備をしないと、学校に遅れますよ」
それを聞いてセルゲイは腕時計を見てマリアに話しかける。
「いけない、もう出ないと」
「あなた」
慌てて靴を履こうとしていたセルゲイを、微笑むマリアは呼び止める。
「私はあなたと一緒になれて、本当に幸せです」
「私もだよマリア。それじゃあ、行ってくる」
セルゲイは議員宿舎を後にした。
宿舎を出ると、外にはすでに黒塗りのセダンが待機していた。
セルゲイはまっすぐにそれの後ろに乗り込む。
「今日の予定は?」
車に乗ったセルゲイが聞くと助手席に座っていたセルゲイの秘書がつらつらとスケジュールを読み上げる。
「おはようございます。セルゲイ様。早速スケジュールの方ですが、このあと0800より党議員の打ち合わせがございます。0900より本会議会に出席。その後、昼食は1300よりセレナーデ財閥傘下の役員との会食を行ってもらいます。1430よりレクイエムの内情の雑誌の取材があり、車での移動後、1600よりグラミー大学構内での法制の講演会。終わり次第ヘリを手配しますので、そこからレクイエムへ着き次第、レクイエム内の研究施設でGPS機能を追加し、改良した腕途刑の視察をしてもらいます。到着予定としては2000頃を想定していますが、前後する可能性がございます」
「そうか、ありがとう。ところで今度の連休の件なんだが――」
秘書は暖かく笑った。
「ええ、手配していますよ。たまにはご家族とゆっくりお過ごしください」
それを聞いてセルゲイはホッと安心した。
世界一と言ってもいいくらい多忙なセルゲイが一番大切にしている家族との時間。
三人での暖かいひと時は、もうセルゲイに訪れることはなかった。
*** *** ***
大学での講演会を早めに終え、セルゲイらはヘリに乗り込んだ。
一般的に公表されてはいないが、レクイエムはグラミーからヘリで二時間ほどかけた絶海の孤島に建設されていた。
近くを漁業船が通ることもあったが、周りからはただの孤島にしか見えず、また今はだれも住んでいないので、誰もそこに上陸する事もなく、まさかそこに巨大刑務所があるとは、誰も思わなかった。
上昇するヘリは夕日を反射させる。
天候は安定し、予定時刻よりも早く、ヘリはレクイエムへとセルゲイらを送り届けた。
セルゲイは腕時計をみて、これなら帰る頃にはまだマリアが起きているかもしれないと心を躍らせる。
研究施設の一室に案内されたセルゲイは見慣れない若い女を見た。
「セルゲイ様。お早いお付きで。こちらが例の腕途刑です」
セルゲイは研究室の男から新型の腕途刑を手渡された。
「今までと違い、囚人の居場所がすぐわかるようになっています」
男は大型モニターを操作し、レクイエムの地図を表示した。
そこには二つの点が表示されている。
「実験的に、今月入った一人の受刑者の腕途刑に使用してみました。今までは生体反応と刑期の管理だけでしたが、これがあれば誰がどこにいるのかすぐにわかります」
点はオラトリオのあたりと、現在セルゲイらがいる研究施設に点在している。
今セルゲイが手に持っている物の反応だろう。
「なるほど。シンプルだが便利な機能だ。違反を犯した者への迅速な駆け付け。それに葬儀屋の仕事も助かるな」
セルゲイは感心した。
「一体誰のアイデアだ?」
「その、私です」
返事をしたのは先程の見慣れない女だった。
周りにいる人間の中で明らかに一人だけ若い。
「彼女は今月から入った新人です。学生時代は人体について研究していて、その時の論文が非常にユニークでして。私が我が研究機関に招き入れました」
彼女は天才だった。
十八と言う若さにして大学を卒業し、その時提出した論文が世界に注目されていた。
目を付けたレクイエム機関は彼女にオファーを出したのだ。
「ほう……。君、名前は?」
「その、シシー・ゴシックと言います。こちらの研究施設にお招きくださったことに、その、感謝しています」
レクイエムの研究施設では腕途刑の開発だけでなく、人体の限界を超えた研究も行われていた。
それはかつてセルゲイが掲げた『レクイエム計画』の残骸だったが、最新設備が整った研究室に、シシーは心を惹かれたのだ。
「そうか。君には期待をしているよ。誠心誠意、仕事に取り組んでくれたまえ」
シシーはセルゲイに向かって深々と頭を下げた。
――ピーッピーッ
突然、セルゲイの電話が鳴りだす。
セルゲイは「すまない」と会釈し、その電話に出る。
「私だ」
電話に出たセルゲイの顔はみるみる青ざめていった。
周りの人間は何があったのかと気にかけていた。
――カチャン
呆けたセルゲイは電話を床に落とした。
「ど、どうなされました? セルゲイ様」
「……るぞ」
「今、なんと?」
「帰るぞ!! 今すぐ用意しろ!!」
電話越しにセルゲイに告げられたのは信じられない出来事。
グラミーで爆破事件が起こった。
反社会派のテロの可能性が高い。
場所は、愛する妻と息子のいる議員宿舎だったのだ。
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