第22話 最終話 旅路の果て

「あの、シシー本人がエルビスさんをここまで迎えに来るんですか?」


 聞こえるのは吹き抜ける風の音だけ。長い沈黙の後、最初に口を開いたのはシシーに会いたい気持ちが抑えられずにいたキャリーだった。


「いや、迎え自体は別の使いが来る。正確には、外に出てからシシーと落ち合う約束をとってある。まずはレクイエムからの脱出。その先にシシーがいる」


 洞窟を抜けても直ぐにシシーに会えるわけではなかった。しかしそれでも、エルビスが語る言葉はキャリーにとって希望そのものだった。


「街に残された解放軍はどうなる?」


 ハーディはエルビスに尋ねた。


「このままレクイエムに置いていく。外に出るのは俺と、ついてくるのなら……、お前らだけだ。あの人数で動いたら、いくらなんでも気付かれませんでしたとはいかないだろう」


 無責任なそのセリフにキリシマが再び激昂した。


「あんた、どれだけの人間を裏切る気だ! あいつらは、お前を慕っていた! ついていけば、一緒に外に出れると本気で信じてたんだぞ! あんただけが外に出るだと? あんた一人消えた世界で、あいつらはこれからなにを信じて生きていけばいいんだ!」

「あいつらは今迄俺に操られていたに過ぎない。全てはこの日の為に。人情を絡めて作戦を練ったものに知将はいない。解放軍は俺の捨て駒だ。設立したあの日からな」


 キリシマは刀を構えた。目の前の男の言う事は信用できない。できるわけがない。今まで家族の様に自分を慕っていた人間を、物の様に平気で切り捨てるような男なのだから。


「静かにしろキリシマ。……感づかれる」


 ハーディは洞窟の方を見やった。

 キリシマにはなぜハーディがここまで冷静に話を聞いていられるのかまるでわからなかった。それだけでも、非情に不愉快だった。


「キリシマさん……」


 キャリーに呼ばれてキリシマは振り返る。目の前の少女は無実の罪でこんなところに投獄され、いろんな危険な事に巻き込まれながらも、何とかここまで歩いてきた。全て母親の為だ。母親に会いたいと願ったその覚悟だけで。それが今報われようとしている。この男の脱獄を許すというだけで。

 キリシマはエルビスにぼそりと呟いた。


「あんたは。あんたはなんで外に出てえんだ?」

「理由か……。それは聞いて意味がある事なのか?」

「ああ、聞きてえなあ! 今まで散々ペラペラ喋ってきたんだから答えろよ! あんたがここで築いた全ての者を裏切る理由をよ!」


 ハーディがキリシマにうるせえ、と言おうとしたのをキャリーは止め、エルビスはキリシマをあやすように話し始めた。


「俺はよ、ガキの頃刑殺官見習いでここに入ってなあ。それから今までレクイエムから一度だって出たことがねえ」


 エルビスが刑殺官に落ち着いたのは給料が良かったためだ。家族を養うために危険な仕事に就いた。以来十年勤め、とうとう官長にまで上り詰めた。そこから更に十年官長を勤め上げた結果、最終的にエルビスはレクイエムに十年投獄される事になった。


「俺はもう長くねえ。自分の身体だ。俺が一番わかってる。目は霞むようになったし、指は震えトリガーもまともに引けない時もあった」


 当然レクイエムにも医者はいるし、望めば仕入屋から薬だって買える。だが、それら全てを試してもエルビスの病には効果を見せなかった。恐らく、外の世界にだって、対処法が無い事にエルビスは気付いていた。


「だからよお、死ぬ前に一目でいいから家族に会いてえんだ」


 家族の顔を思い出したのか、エルビスは口を震わせ、目に涙を溜め、三十年間我慢してきた思いを解き放った。エルビスに刑期は無い。情報を書き換えていたとしても、顔の広いエルビスが出れる確率は零だった。レクイエムには面会なんてものはない。今日この日を逃したら、エルビスは一生家族に会える日はこない。

 それを聞いてキリシマはさらに不満な顔をする。「結局自分の願望の為じゃねえか」と吐き気がする。だが、もう何も言えなかった。


   〇


 あれから長い長い沈黙が流れた。

 キリシマは何も言わなかった。エルビスを見逃すことに納得はしなかったが、同意はしたようだった。無論エルビスの身の上話に感化されただけではない。キャリーの夢をとったのである。

 ララは退屈で寝てしまっていた。

 キャリーは無表情でその寝顔を見つめる。


「そろそろ時間だぞ」


 エルビスが四人にそう言うと、ポンポンと頭を優しく叩き、キャリーはララを起こした。

 眠そうなララは目をこすりながらも身を起こす。


「言ってなかったが、一度あそこを潜ればもうここには戻ってこれないと思った方がいい。レクイエムに思い残すことはないな?」


 レクイエムからの脱走は前例がないほどの至難の業である。それと同様に、侵入もまた然りであった。戻ろうとしても、間違いなく見つかれば殺されるだろう。

 ここにきてキリシマはあることに気付く。


「俺の刑期でキャリーちゃん出所しちゃえば?」


 そもそも、わざわざ脱獄なんてしなくても、キリシマの刑期を使ってキャリーの場合はいつでも出所することができた。外の世界にシシーがいるのなら、罪を犯さずとも正規に会いに行けばいいと提案するが、キャリーはそれを拒否する。


「あの、それまで母が待ってくれるとは限りませんし……、すぐに会いたいんです!」


 確かに正攻法での脱獄ではシシーを外で見つけられる確証は得なかった。

 キャリーが強く言ったのでキリシマはそれ以上は口出ししなかった。


「そういうお前こそ、ここに残ってもいいんだぜ?」


 ハーディは珍しくキリシマを気遣った。

 外に出たいハーディ、母に会いたいキャリー、ハーディについて行きたいララに比べ、キリシマはレクイエム暮らしを気に入っている。ここまで来れば後は出るだけなので、別にもう護衛は必要ないと思われたのだ。

 キリシマはこれに素っ頓狂な回答をする。


「何言ってんだ、それじゃ護衛達成してないし、あんたとも戦えないだろう?」


 外に出てしまえばハーディは刑期なんか必要なくなるわけで、キリシマと戦う理由が無くなる。そして当然戦う気などなかったが、まぁややこしくなるから別にいいかとハーディもそれ以上口出ししなかった。


「シッ! 来たぞ!」


 洞窟を見張っていたエルビスが四人を黙らせた。

 全員が目を凝らして目当ての洞窟を見ると、そこから出てきた男が手を振っている。約束していた迎えの合図である。


   〇


 洞窟についたハーディは見覚えあるその男を見て話しかける。

 特徴的な大剣を扱うコンツェルトの刑殺官カルロだ。


「おまえ、なにしてる? コンツェルトはいいのかよ?」


 キリシマがそう尋ねると、カルロは体に巻かれた包帯を見せる。先の戦いでビズキットにやられた傷だ。


「このケガじゃあなにもできませんよ。それに街は見習いが代わりを務めてるので問題もありません」


 カルロはエルビスを親しげに語っていたが、こんな真面目そうな奴がまさか解放軍に加担していたとは。

 ハーディは改めてエルビスの恐ろしさを知った。ハーディの知る限りカルロは赴任してから一年も経っていない。どういうペースでここまで関係を築いたのか、まるで想像できなかった。


「行くぞ」


 エルビスが先頭を歩き、一行はそれについて行く。

 洞窟の中はヒヤッとした風が流れ、肌寒い。ごつごつとした岩肌が更に閉塞感を煽り、カルロがランタンを用意していたものの、薄暗さも相まって実際よりも狭く感じられた。


「なあカルロ、この先に見習いって何人くらいいるんだ?」

「もう全員出払ってるので今は僕しかいません。安心してください。問題なくちゃんと送りますよ」


 キャリーはそれを聞いて安心した。

 案内役、カルロがどんな機を待っていたのか。それは洞窟内の見習いが全員出払うタイミングである。中にいた見習いを外に出すのに一気にやると怪しまれる。だから一人、また一人と、カルロは焦らずコンツェルトに送ったのだ。見習いはそれを疑いもしなかった。他ならぬ現職刑殺官の言葉だったからである。

 一行は暗い洞窟の中を進み続けた。しばらく進むとそこは行き止まりだった。行く手を阻む巨大な鋼鉄の壁。それはレクイエム内側から見た塀の根元そのものである。


「なるほどな、こりゃ気付かれねぇな」


 ハーディはそう感心した。

 仮に受刑者がたまたまここまで入り込んでしまったとしても、行き止まりだと考え引き返す事だろう。そこは暗く、寒く、そして不気味であり、こんなところに居たがるのはガストロくらいだと思わせるような場所だった。


「ちょっと待ってて下さい」


 カルロはそう言うと洞窟の脇の岩に手を置いた。

 何の変哲もない、来る途中にもいくつか見かけたような普通の岩である。

 カルロがその岩に隠されていたスイッチを操作すると、行く手を阻んでいた壁が横にスライドし、中に入れるようになった。

 案内するカルロに続き扉を潜る。レクイエム入口はひたすら陰鬱で暗く、長いただの通路だったが、その壁の中は何かの研究施設の様に思えた。

 大きなモニターが何個も壁に埋め込まれ、パソコンがデスク毎に置かれている。

 ハーディもここに入るのは初めてである。なにせ裏口の存在すら知らなかったんだから無理はない。

 キャリーとララは初めて見る機械たちに目をきょろきょろ泳がせている。

 カルロの言う通りそこには誰もいなかった。


「そう言えばレクイエムって、世界のどの辺にあるんだ?」


 キリシマが無知に思える質問だが、それを知っているのは少数である。一般人が面白半分に近づくことがないように、世界地図には載ってない絶海の孤島に立ててあるとカルロは答えた。


「あの、それじゃあこれから船に乗るんですか?」

「はい、その船にシシーさんが乗っているはずです」


 キャリーはそれを聞き笑顔になった。


(待っててね、お母さん。もうすぐだよ)


 キャリーの笑顔が柔和になり、ここまで苦労した甲斐があったな、とキリシマがキャリーの頭にポンと手を置いたその瞬間である。


――ビーッ! ビーッ! ビーッ!――


 突然ハーディの腕途刑からけたたましい警告音が鳴り始めた。

 全員が予定外の出来事に頭の中を一時真っ白にする。


「そんな! ここに探知機は無いはずです!!」


 カルロは叫んだ。

 彼の立てたプランではこの先の探知機だけは避けようがないので、そこからは全速力で走り船まで逃げきると言う予定だった。

 警告音を聞いた瞬間、カルロが皆を嵌めたのだと疑ったハーディであったが、カルロの動揺ぶりからそれは無いと判断し叫んだ。


「もたもたするな! 走るぞ!!」


 全員はその一言で我に返り走り出す。

 ララはハーディに持ち上げられ、そのまま背中に乗った。

 監視カメラに映っていた、誰かに見られた、生体反応で――。様々な可能性を吟味しながら、ハーディはある違和感に気付く。それに気付き不思議に思ったハーディが自分の左腕を見るとそこには『通話中』と表示されていた。腕途刑の警告音が発せられているのはハーディだけだったのである。


『仰天長嘆の思いだよハーディ君。一体、どこに行こうというのかね』

「セルゲイ!!」


 突然怒鳴ったハーディに、背中におぶさっていたララがびくっと体を震わせる。

 ハーディ達が走るその後ろには、いつしかコンツェルトへ行ったはずの見習いたちが大勢戻ってきていた。


『せっかく君の為に舞台を用意したのに、主役にいなくなってもらっては困るなあハーディ君』

「てめぇ! いつ気付いた!?」


 ハーディはそう叫び、ハッとした。

 今こうしてセルゲイと通話できるという事は――


『いつ、と聞かれても返答に困るな。あえて言えば最初からだ』

「……っ! 盗聴器か!」


 なぜ今まで気付かなかったのか、ハーディは自分を呪った。こうして通話する機能がついているなら、当然一方的に会話を盗み聞くことなど簡単であろう。腕途刑は全て政府が作り上げたのだから。


「貴様あああああああああ!」

「ここ、くぐると探知機が反応します!」


 カルロがそう言って指さしたエリアを通ると、全員の腕途刑からけたたましい電子音が流れ始めた。頭の中で鳴り響いていると錯覚させるほどに音量は遠慮を知らない。あまりの音量に耳が痛いほどである。コンツェルトでも鳴り響いていたが、狭い室内だとその音はさらに大きく感じた。


「ガハッ!」


 突然エルビスが胸を抑え、その場にうずくまった。いきなり走り出したことにより、病に侵されたエルビスの容体は悪化してしまったのだ。


「じじい!」


 ハーディがそう叫ぶも遅かった。


「行け、小僧。あいつを――」


 警告音が響く中、ハーディは確かに恩師の最後の言葉を聞いた。

 次の瞬間、エルビスは見習いの一人に殴られ、壁へと突っ込み、その壁が大破し破片が舞った。


「な、なんだあの力!? 見習いのレベルじゃねえぞ!」


 走りながらそれを見ていたキリシマが叫ぶ。


「彼らは僕と同じです。第三世代の――」

『余計な事を言うな!』


 ハーディの腕途刑からそう聞こえると、カルロは全身を痙攣させはじめ倒れた。

 カルロが右手につける腕途刑からバチバチとなにかがはじける音がする。


「ギャアアアアアアアアアア!」

「カルロッ!」


 ハーディは振り返り助けようとしたが、カルロはそれを止めた。


「僕に構わず行ってください! 彼らは海沿いにいるはずです!」


 カルロはそう叫ぶと追ってきていた無数の見習いたちに飲み込まれた。


「ハッ! ハッ! ハァッ! ハッハ!」


 キャリーが苦しそうに息を荒げる。


「キリシマ! キャリーを!」


 ハーディが叫ぶとキリシマは察してキャリーを抱きかかえた。

 二人は全力で走り、突き当たりの扉を蹴破る。

 扉から出ると屋外へでた。空は暗く星が瞬き、扉のある丘からは緑生い茂る森林が見下ろせ、その先に広がるのは断崖絶壁だった。

 振り返ると、いつも中から眺めていたレクイエムの塀が外側から見渡せ、そしてその塀を支えるように、ずらっと人口建築物が続いていた。

 ハーディらは丘から飛び降り、走りながら潮の香りがする海沿いを注意深く眺めていた。船なんか見当たらない。

 すると、ハーディの背中にいたララがポンポンと肩を叩き指さした。

 その先に目線をやると船ではない。クジラのような物体が海に浮いていた。


「行くぞ!」


 ハーディとキリシマは再びそこを目指し、走り続けた。

 後ろからはしつこく見習い共が追ってくる。


『残念だよハーディ君、レクイエムの中なら、君の断末魔を録音できたというのに』

「黙れ!」

『私はね、そのテープを朝のアラームにしようと考えていたんだよ』

「だまれええええええええええええええええええええ!」


 不愉快なその声にハーディの怒りはすでに限界だった。

 崖沿いを走り、その物体の近くまで来たハーディとキリシマは迷うことなく崖から飛び降りる。高さは三十メートルはあっただろうか。

 二人はそれぞれキャリーとララを着水の衝撃から守るように抱きかかえ、頭から海に突っ込んだ。

 脱獄犯が夜の海に飛び込んだ事を確認すると、これにはさすがに見習い共も追跡を諦め崖から発砲を開始する。

 キャリーとララを抱えたまま、その物体の近くまで泳ぐと、海面から出ていたハッチが開いた。

 クジラにも思えたその物体の正体は巨大な潜水艦だった。

 中からひげを生やした男が顔を出し、こっちにこいと手で指示する。


「なにしてる!? 急げ! 早く乗れ!」


 男に言われるがまま、逃げるように四人は潜水艦に乗り込んだ。

 全員が乗り込むと男はハッチを閉め、潜水艦は水面から姿を消していった。


『君は今日から指名手配犯だ。レクイエムから出たことを後悔させてやろう』

「黙れ」

『これから……にち………みの……』

「いいかセルゲイ! 俺は必ずてめぇをぶっ殺す! 首を洗ってまっていやがれ!」

『……………………』


 ハーディの怒号を最後に、腕途刑はなにも喋らなくなった。


「間一髪ってとこだな。ところで、エルビスはどうした?」


 ハッチを開けた男はハーディ達に問かけてきた。きっと、この男もまた、エルビスの思想に憧れた一人だったのだろう。

 その質問に「逃げる時に殺された」と返したのはキリシマだった。

 男はしばらく黙ると、後をついてくるようにと四人に指示する。

 男に案内されるがまま、先に進むと潜水艦の中は性別、人種、年齢すら問わずに大勢の人で溢れていた。なかにはララと同年代かと思わしき少年もいた。

 四人は個室に案内され、そこでタオルを渡され体を乾かした。

 とりあえず一息つき、しばらくするとキャリーは艦員の一人に「シシーはどこか」と尋ねる。キャリーはその艦員に自分がシシーの娘であると告げ、そしてついにシシーの部屋へと案内されたのだった。

 久しぶりの再会で親子水入らず。二人きりにさせてやろうとキリシマは提案し、ララもハーディもそれを承諾した。

 キャリーが一人シシーの部屋へと入っていく。その様子を三人は見守り、やがて扉は固く閉ざされた。その時である。


――パン


 今まさにキャリーが入っていった部屋からはすぐに銃声が聞こえてきた。

 咄嗟に、ハーディとキリシマはすぐに扉を開ける。

 二人の目に入ったのは「あなた、誰なの?」と言いながら血を流すシシーと、オラトリオにて、キリシマがキャリーの自衛の為にと、買って与えていたペレットミニを手に、カタカタと肩を震わせるキャリーの姿であった。




   犯罪者達の鎮魂曲 完

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