第156話 アグニスの過去とアズラの貞操

 

『遠過ぎない昔の話』


 その男は豪華な調度品に囲まれ、下々が口にする事の出来ない数々の料理を食べ、本を読んで暮らしていた。

 不満があるとすれば退屈な事と、格子付きの窓からしか外の景色を眺められる無い事位だ。


 ここはミリアーヌ中央に位置する大国シン。そのとある塔の牢屋の中……


 男の世界は産まれた時から完結していた。毎日定時に鎖に繋がれ清掃をするメイドが話してくれる外の世界の話と、本から得た知識だけが胸を満たしてくれる。


 次第に男は思っていた。自分は贅沢な人間なのだろうと。

 外の世界にはご飯すら食べられぬ『貧民』がいる。毎日汗を流しながら、必死で働く人間がいる。


 ならば自分はこの生活に不満を述べる資格すら無いのでは無いか? 自然とそう考え日々に感謝を捧げて生きていた。

 牢の生活では時間の感覚が無いが、ステータスを見て自分が二十歳を超えた事を知った時にも、胸に去来する想いは無い。


 しかし、世界は突然ある日を境に一変したのだーー

「やぁ、初めまして穢らわしい弟よ。今日は君に最初で最後のお別れを言いに来たんだ」

「えっ同じ顔! 君は誰? 僕に兄弟が居たの⁉︎」

 ーー男は驚いた。気がつくと目の前には自分と同じ顔をした人物が立って居たのだ。


「おや、あのメイドから話を聞いた事は無かったのかい? 僕はアグニス。君の兄であり、選ばれた者だ」

 アグニスは紳士的な態度で男に接してきた。慌てふためきながらも、本から得た知識を発揮して見様見真似で返礼する。


「一体急にどうしたんだい! に、兄さん? それに最後ってとこかに行くのかい?」

「いやいや……少し昔話をして上げるよ。僕等の父親はこの国の賢王オーディル様なのさ。そして僕等は妾の子として産まれたんだよ。ある実験の材料としてね」


「僕の父親が王様? 実験って何の事?」

「まぁ、落ち着いて聞きなよ。魔術師達はとある禁術を妾に施したんだ。それは『賢王の遺伝子を持った双子を作り、二十歳まで同じ様に育て上げた後、その全てを選ばれた方に捧げさせる』という実験さ」


「な、何だよそれ⁉︎ もしかして奪われる方が僕だとでも言うつもりか⁉︎」

「そのまさかだよ? 明日君は全てを僕に捧げて死ぬんだ。準備は既に整った。精々最後の晩餐を楽しんでくれ」

 男の思考は困惑の渦中にいた。

(何を言ってる? 僕が死ぬ? 実験? 最後?)そんな訳は無いと必死で現実から目を逸らす。そんな中、一つだけ問いたい事がある事を思い出した。


「教えて欲しい! 君がアグニスなら、僕は一体何ていう名前なんだよ……」

 アグニスは顎を抑えて頭を捻った。そして軽々しく残酷な一言を突き付ける。


「知らんね。寧ろ君に名前なんてあるのかなぁ?」

 肩を竦めるアグニスを見た瞬間に、男の中で何かが弾けた。


「う、うわあああああああああああああぁぁぁぁぁぁああっ‼︎」

 必死に牢屋の鉄格子を殴りつけ、引っ張り、隙間から何とかしてアグニスを掴んでやろうと手を伸ばし続ける。拳は血で滲み、肩が外れても男は獣の様に止まら無かった。


「ふぅん……これが絶望した時の人間の顔か! 良いぞ! 想像通り中々の出来栄えだったね! ーーでは、また明日」


「ちくしょう! ちっくしょおぉぉぉぉぉぉ!」

 嗚咽を漏らしながら泣き喚き続ける男は、自然に力尽きて地面に寝そべっていた。その顔に最早表情は無く、目は虚空を見つめている。


 ーー失った。全てを失ったのだ。


「ふむ、中々素晴らしい逸材を発見してしまったな。素晴らしい魂の色をしている」

 暫くした後、其処に現れたのは黒い半透明な光体だ。凡そ自分に理解出来るモノでは無いと瞬時に判断したが、最早如何でもいいと食指は動かなかった。


「何だ。つまらない反応をしてくれるじゃ無いか? 普通は死神だの悪魔だの騒ぎ出すんだがね?」

「興味は無いさ。どうせ僕の人生は明日終わる」

「ふむ、ある意味終わるが、其処から世界へ旅立ってみると言うのはどうだろう? 素敵な提案だとは思わないか?」

「あははっ! 報酬は僕の魂だとか言うんだろう? たしかある童話で読んだよ。まるで二流の役者だな。劇なんて見た事無いけどさ」

 男の台詞に対して、嬉々として喜びの舞いを踊る黒光は条件を変更した。


「いいや。君が俺を喰うのさ。そして人間としての生を捨て、悪魔の王になって貰う」

「なにっ⁉︎ 普通は逆だろうが‼︎」

 思わず男は起き上がり、飛びかかる勢いで悪魔に問い掛けた。


「君の魂は絶望を帯びている癖に、全くと言って良いほど穢れていない。その相対する魂ならば、きっと私の夢が叶えられる。願いは強制的に叶えて貰うと魂に契約して貰うが、君は自由を手に入れられるぞ?」


「その言葉に嘘が無いと、どうして言い切れるんだよ……」

「何だい? 君はさっきまで明日全てが終わると絶望していたじゃ無いか? それが希望が見えた途端に欲を掻くのか」

 その真芯を捉えた悪魔の言葉に、男は考えるまでも無くその通りだと苦笑した。どうせ終わる命ならば好きにするが良い。


「君の人格はどうなるんだ?」

「取り込まれるだけさ。なぁに、『取り込むのは私だけじゃ無い』んだろう?」

「ハハッ! よく分かってるね! その力を僕にくれるんだろう⁉︎ 乗ろう、君の契約に!」

「では、願ってくれ! 『生きたい』と‼︎」


「生きたい! 選ばれるのは僕だ!」

「その契約、聞き届けた。今ここに悪魔(デモニス)への転生を成さん!」


 その日、塔は崩壊した。駆け付けた者達が見た光景は、黒髪に茶色いメッシュを流した長髪、筋肉を隆起させながらも細身の身体、まるで人が変わった様に精悍な顔つきに茶色の瞳。

 灰色の裸を曝け出したまま、立ち尽くした男の姿は、人では無い様相と存在感を他に知らしめた。


「さぁ、今行くよ兄さん?」

 凄まじい速度で疾走する男を、追い掛けた者達は絶句する……

 二人の男が重なり合っていた。しかし、一人は心臓を貫かれ、一人は歓喜の遠吠えを畝り上げている。放り捨てられた男は既に絶命していた。


「さよなら。選ばれなかった『僕』 ーー今日から俺が『アグニス』だ」


 ここに『悪魔の王アグニス』は誕生した。限りなく純粋な心に、悪魔を絶え間無く惹きつける程の絶望と、悪神の魂の欠片を身に宿す事の出来る適合者。


 後にその存在は悪魔達の間で周知の事実とされ、王の証として封印されし魔剣ヴェルフェンを携える事に成功する。その闇の輝きの下に同胞は集ったのだ。

 最初に契約にした悪魔との概要は、今もまだアグニスしか知らぬままに……



 __________


『再び舞台はエルフの国マリータリーへ戻る』


「さぁ、そろそろ神樹の結界の端まで辿り着きますよ。一応兵による検問が有りますが、私がいれば街に入る事は出来る筈です」


「何でカルミナがいると平気なの?」

「同胞が認めた者は、基本的に疎外される事は無いからですよ。その代わり私には嘘を判明するスキルや、身体に呪いが掛けられていないか、身に付けている服まで全て脱がされて重大な検査が行われるんですけどねぇ……ちょっと気が重いです」


 深い溜息を吐くカルミナに対して苦笑いしながらも、その仕組みに納得する。邪悪な思考を持つ者ならそのエルフを操り、結界を抜けようとする者も居るだろうと理解したからだ。


「成る程ね、悪いけど宜しく頼むわねカルミナ?」

「正直に言うと、アリア様が天使形態になって下されば幸いなのですけれど……」

「ーー嫌っ。私は極力目立ちたく無いのよ、レイアと引き離される時間が惜しいわ?」

「そこは友達の為に頑張ってあげる場面なのでは?」


 アリアのあっさりとした返事に、呆れた表情を浮かべるコヒナタ。白竜姫状態で飛び続けたディーナはレイアに背負われ眠っており、ビナスとアズラは宿についてからの予定について打ち合わせていた。


 ビナスは何故かアズラの前では昔の癖が出るのか、いつものベタ甘ドMモードから出来る子モードになるのだ。皆も頼りにしていた。

「じゃあ、アズラはまず街の地理の把握に努めて。私は旦那様のご飯を作るから。最もご飯が出る宿もあるだろうけど、エルフは多種族を敬遠がちなのは変わらないからな」


「あぁ、何かあった時の脱出経路も確保しておこう。きっと姫が街に入ればトラブルが起こる筈だからな」

 その何気無く放った台詞を聞き逃さない。


「ん? 何その人が何処に行っても何かに巻き込まれてるみたいな言い方? ねぇ、勇者の時とか俺が動かなければお前が死んで終わりだったんだぞ? 俺が巻き込まれた訳じゃ無いんだぞ? 寧ろトラブルに巻き込まれるのはお前じゃ無いんか、この駄目騎士!」


「ハッハッハ! 我が姫よ。その意見だけは断固として抗議させて貰う! 絶対に巻き込まれてるのは姫の方だ! 俺のは偶然! 姫のは必然と言うのだよ!」


「アッハッハ! 失敬な! じゃあ次にお前がこの街で何かに巻き込まれても俺は助けてやんないからな?」

 向かい合って笑い合う二人だが、お互いの眼は互いに罪を擦りつけ合う醜さに淀んでいた。

「構わないぜ? その代わり姫が巻き込まれてそれに俺が付き合う時は、合掌して『助けて下さい、すいませんでした!』って言ってもらう! どうだ? 乗るか?」


「ほほう……いい度胸だ! じゃあお前が巻き込まれた時は満面の笑顔で『頑張れ』ってサムズアップしてやんよ!」

 女神と騎士が火花を散らし、互いに賭けが成立した所で、検問のチェックが終わったカルミナが半泣きで戻ってきた。

「あ、あんな所まで見られるなんて……聞いてないです……」


 目の色が死んでいる。如何やら多種族を連れて来た時の検査は想像以上のモノだったらしい。何処を見られたのだろうか? 謎である。アリアはそっと肩を叩いていた。


「じゃあ街に入るぞ〜!」

 レイアを先頭に結界の門を潜り抜けた直後、地震が起こったのかと錯覚する程の地響きが起こり、爆発音が鳴り響いた。


「いきなり何だ⁉︎」

「あら、爆発かしら?」

「煩いのう。起きてしもうた……」

「旦那様〜〜、一応魔力解放の準備する?」

「ゼン様、何か異変ですか?」

 女性陣五人の反応を他所に、一人アズラはその現象に巻き込まれ、吹き飛ばされていた。あまりの衝撃に意識を飛ばしかけるが、ギリギリで大剣を己に迫った攻撃の間に挟み込んで防御に成功する。


「一体何だクソが! 危うく死ぬ所だぞ」

「あははぁ〜勢いつき過ぎちゃった!」


 巻き起こった土煙の晴れた先に映った光景、それはーーリコッタがアズラに馬乗りになり押し倒している場面だった。


「あっ、そこの女達〜! 私が用があるのこの子だけだから、行っちゃっていいよ?」

「あっ、そうだったんですか。ではお言葉に甘えて!」

「えっ、待て待て姫よ! あれ? この女退かせないぞ? 何故腕が動かせない⁉︎」


 舌舐めずりをしながらアズラという獲物を見下ろすリコッタのその姿は、まさに淫蛇の如しーー


 ーー満面の笑顔でアズラに向けて念話と共に『頑張れ!』と親指をサムズアップすると、皆を連れて街中へ去って行った……


 どうするアズラ! 負けるなアズラ! 次回に続く?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る