第5話 青の少女、赤の少女
「――――――やめてください!」
ヴァルハラ商業区の広場に少女の声が大きく響く。
青の長髪を後ろで束ね、青色のドレススーツを纏う長身の少女トルテは、思わず声を荒げてしまった事に自分自身で驚いた。
昼を過ぎたとはいえここは常に人通りの絶えないエリアだ。
今の声で周りのプレイヤーも何事かとこちらを注視してくる。
正直、恥ずかしいという思いと同時に、助かったとも思った。他のプレイヤーから注目されている中でこれ以上、絡まれることはないだろう、と。
だが、
「そんな大声上げないでよー。別に取って食おうってわけじゃあないんだからさあ」
「そうそう。君さあ初心者でしょ? うちらが優しく教えてあげるって」
トルテは自分の考えが浅はかであると悟った。
衆目から注目されたせいで、逆に引くに引けなくなったのか目の前の男たちは、いかにも軽薄な態度で強引に少女に迫る。
「ですから、わたしには待ち人がいると―――!」
「またまたーよくある常套句だよねえ、それ」
「最近じゃあリアルでもそんな断り方してるとこ見ないよー」
どの口で言うのか。
あまりのしつこさにトルテも辟易する。
彼女は常日頃から自分が不幸である、という考え方はしないようにしてきた。
理由はまあ多々あるが、自分が同年代の子たちから見ればとても恵まれた環境にあるということを自覚していたからだ。
わたしは幸福だ―――彼女の友人である赤い少女の事を思えば、なおそう思う。
そんな友が、初めて自分からトルテを娯楽ゲームに誘ってきたのだ。
意外であり、そして嬉しかった。
兵は拙速を尊ぶと言うが、その言葉に倣い、一両日中には機器とある程度の情報を揃えた。
今にして思えば、わたしも多少は期待していたのだろう。なにせ、この手の娯楽は友と同じく初めてだったから。
そうして最初のアバタ―作成と所属選択を終え、後に来るであろう友人を待ち、この男たちに絡まれた。
「ほらほら、いい加減諦めて俺らと一緒に遊ぼうぜえ」
「だから嘘ではないと何度も―――!」
ああ、なるほど。
確かにいかにも初心者と風潮するような雰囲気であったのだろう。
慣れない
だとしても、いざこれからという時にこんなトラブルが起きるとは思ってもみなかった。
うん、流石に―――これは不幸だ。
そして同時に彼女は、禍福は糾える縄の如しという諺の意味を知ることになる。
「―――ああ、ここにいたんですねえ!」
「―――ああ、ここにいたんですねえ!」
ベートは、少女と男たちの間にするりと入り込み、気軽な雰囲気を装って話しかける。
―――なあにやってんですかねえ、あたしは。
あまりに見苦しい男たちと少女とのやり取りを見て、思わず介入してしまった。その事をベートは内心で後悔する。
「え、あの―――」
「いやはや、待ち合わせに遅れてスミマセンでした。このベート一生の不覚って感じですよ。ねえアルさん!」
「あはは、そうだねベーちゃん!」
あまりに唐突すぎて、渦中の少女が展開について来ていない。
が、無理矢理にでも押し通すことにした。
さりげなく自分たちの名前を出しておく事で、青の少女が対応しやすくしておく事も忘れない。
青の少女もそれを察したようで、さも知人であるという風体で会話を交える。
「あ、ああ。こちらもすまない。ベート、殿。それにアル殿? 少々トラブルに巻き込まれてしまってな」
「いやあ、よくあるんですよこういう初心者狙いの輩ってのは。まあギルド要員の確保目当てか、たんに女の子と遊びたいだけかは知りませんけどねえ」
「気をつけないとダメだよ青ちゃん?」
「はは―――ああ、以降はそうしよう」
拙い演技だろうが、そのまま勢いで進める。
重要なのはベート達と青の少女が知り合いであり、待ち合わせた友人であるという状況を作り出すこと。よほどの馬鹿でもない限りは、これで諦めるはずだ。
だが―――肝心の男たちはベートが思っていたよりも馬鹿であった。
「おいおい、急に横からしゃしゃり出てきてなんのつもりよ?」
「こっちからしてみれば、しゃしゃり出てきてるのはそちらですよお?」
「はあ? てーか証拠はあんの証拠は?」
「友達であることに証拠なんてありませんよ?」
しつこい―――いい加減諦めろと思いながら、多少乱暴なやり方をしてでもこの場を切り抜けるべきかと、そう考え始める。
騒ぎが大きくなれば治安維持の為に何かしらのギルドから人が送られることになるだろう。そうなれば、正当さにかけるのは男たちの方だ。
他のプレイヤーの目もある。証言も、まあ多分だが得られるだろう。
(……やるか?)
一発二発ぶん殴るくらいは許されるだろう、拳を握り力を込め始める。
あと、ほんの数秒遅ければ、確実にこの騒ぎは暴力沙汰となっていただろう。が、結果としてはそうならなかった。
男たちのうちの一人が、はっとある事に気がつき、他の男たちを制止したからだ。
「な、なあ?」
「ああ、なによ?」
「黒い髪に、黒い獣耳……それにエルフ耳の女の子……「なんだよ、一体どうし―――」馬っ鹿! 気づかねえのかよ、あいつら……」
ひそひそと、ベートとアルルーナの二人を交互に見やりながら、同時に男たちの顔から怒りの感情が抜け落ちていく。
その代わり、若干青ざめた顔に浮かんだのは焦りだった。
「あ、あんたの待ち人って―――≪影狼≫と≪茨姫≫の事だったのか」
「影、狼……?」
「やれやれですよ。さっきからそう言ってるじゃないですかあ」
「…………」
先程までの態度から一転して、腰の低くなる男たち。
「す、すまねえ。俺らあんた達の知り合いだなんて思ってなかったから、その……」
「や、まあ? 別に間違いは誰にだってありますからあ? これ以上あたし達に関わらないってんなら、別に気にはしませんよ、ねえ?」
「ベーちゃんの言うとおり! あえて言うなら、私たちも早くこの娘を案内してあげたいから、もう帰ってもらえると嬉しいかな?」
「お、おう……すまねえ! 本当にすまねえ―――!」
第三者からしたら、いい年した男が少女たちに恫喝されて逃げ帰ったようにしか見えない。
だが、どうにも情けないとはベートには思えなかった。
あれが、あの反応が普通なのだ。
彼女たちの事を知っていてなお、厄介ごとに首を突っ込もうなどとは思わないだろう。
「……たまには役立つものですね、この悪評も」
胸中に複雑な感情を織り交ぜて、ベートは悔し紛れにそう呟いた。
「本当に、助かりました」
トルテと名乗った彼女は、改めて礼を言った。
あれ以上目立つのは得策ではないと、三人は人通りの少ない別の通りに来ていた。
「べっつにいいんですよお。あいつらの態度があんまりにも見苦しかったから、ついつい手を出してしまった―――ま、犬に噛まれたぐらいの感覚でいいですよ?」
「ご謙遜を。あなたの助けがなければ、もっと面倒なことになっていたでしょう。わたしは口が上手くありませんから」
「本当に気にしなくていいんだよ? ベーちゃんと私も、昔に同じ目にあったから気持ちはすっごくわかるんだ!」
「ああ、ありましたねえそんなことも……」
ほんの一年前程度の事なのに、記憶が霞掛かっている。
確かあのときは、姉に助けてもらったんだったか……?
「いや、それでも本当にありがとう」
トルテが再び頭を下げる。
ああ、この人真面目なんだなあ―――二人の中でのトルテのイメージが決まった瞬間だった。
なんとも、可笑しそうにトルテを見て笑うベートとアルルーナ。
「あの、なにか?」
「いえいえ、なんでも―――それで、トルテさんはこれからどうするんです?」
「このまま表通りに出てもまた変な人に絡まれちゃうかもだよ」
二人が心配しているのはそこだ。
あの手の人間はどこにでもいるし、ましてやここはヴァルハラ都市。百万近いプレイヤーの中には、もっと性質の悪い人間がいてもまるでおかしくない。
「あのような醜態を見せた以上、御心配なされるのはごもっともでしょう。ですが、わたしの待ち人も探さないといけませんし……」
「あ、なら私たちも手伝ってあげるよ! ね、いいでしょベーちゃん?」
「そりゃまあ、ここで放り投げて、はいさようならってのは、ねえ?」
「お二人とも―――」
感極まるという表現があるが、今のトルテがその状態なのだろう。
頭を深く下げたまま、なかなか上げようとしない。
その様子に焦ったのか、ベートは話を進めるべく探し人の特徴を聞くことにした。
「えっと、それでその探し人ってのは、どういう人なんです?」
「はい、では彼女の特徴などから―――」
その少女は一言で言えば、赤かった。
まずその髪。ざっくばらんに伸びた赤毛は獅子のたてがみのようだ。
動きやすさを最優先したのか、短パンに半袖という年頃の少女らしからぬ恰好。それすらも赤でコーディネイトされていた。
そんな赤い少女は、いまあるものに釘付けになっていた。
彼女の視線の先には、ジュウジュウと焼かれる串に刺さった幾つかの肉の塊。
今時、炭火焼きというローテクにもほどがあるやり方で、しかしその食欲に訴えかける光景が彼女の琴線に触れたらしい。
これが
「なあなあ、おっちゃん! この串焼き美味いのか?」
「ったりめえよ! 疑似味覚にもビンビンと刺激を与えるうちの焔焼き! 美味いぜえ、超絶美味いぜえ~!」
特に空腹というわけでもなかったが、しかしこんな光景を目にしてお預けとは無体である。あふれ出る肉汁が、その匂いが食欲をそそる。
だが現実は少女に厳しいようだ。
具体的には、金銭的な意味で。
「あっちゃ~……お譲ちゃん、金が足りてないみてえだなあ」
「うう……」
食べたい。が、金はない。
流石に食い逃げなどする気はない。ないのだが、この湧き出る感情―――というか、食欲だが―――をどうすればよいのか。
出来ることといえば、こうして未練がましく、次々と焼かれていく肉をただ眺めるだけ。
「……あのな、お譲ちゃん。金がないと流石に食わせてやるわけにゃいかないんだが」
「わかってる……わかってるけど、うう……」
さしもの店主も困り果てた様子だった。
これでは他のお客に迷惑だが、しかしこんなにもうちの肉を食べたがってる少女を無碍に扱うのも、なんとういか非道徳的な感じがする。
少女はまるで主人に見捨てられた子犬のような表情で、じっと串を見つめていた。
「ああ―――わかったわかった。おじさんの負けだよ!」
「ふぇ?」
店主は肩をすくめながら、幾つかの串を少女に渡す。
「いいのか!?」
「お譲ちゃん、初心者だろう? なら折角だし、こりゃ初プレイ記念ってことでな。なに、御代代わりと言っちゃあなんだが、これからもうちの店を贔屓にしてくれるなら、それでいいさ」
「おっちゃん―――ありがとうな!!」
さっそく肉に齧り付く。
焼かれたばかりのその肉は、一口噛むごとに肉汁が溢れ出す。
現実リアルでいつも食べている食肉とは違い、固く弾力があって、なんというか野性的な味だ。
しいて近いものを上げるなら牛肉なのだろうが、肉の分厚さと歯応えはそれ以上。
味付けは塩と胡椒だけなのだろう。
だが、それがいい。
余計な味付けなどしなくとも、炭火によって丹念に焼かれた肉はその自然な香りと脂だけで十分な調味料となる。
むしろ、これらの言葉ですら無用。そう余計な飾り付けはいらないのだ。
つまり要約すると―――
「うーまーいーぞーーー!!!!」
ヴァルハラ商業区の一角に、少女の心からの声が響き渡る。
当然、周りの注目を集めているが彼女は意にも解さない。ただこの感動を素直に声に出しただけだから。
そしてふと我に返り一考―――はて、自分はなにか忘れているような?
首を傾げながらも串焼きを頬張ることを忘れてはいない。
そんな彼女を、遠くから見つめる六つの瞳。
「「―――ああ、彼女ですね(だね)」」
「…………はい」
ベート達が聞いた、待ち人の特徴は以下の三点。
赤色が大好き。
なんか犬っぽい。
なにより、賑やか……というよりかは騒がしい。
「え、現実にいるんですかこんな狙ったかのような属性の子」と、思わずベートが聞き返したのも無理からぬ事だろう。
「まあ実際にいたわけですが」
「本っ当に……重ね重ね申し訳ない!」
串焼き屋の店主にはベートが代わりに代金を払っておいた。
店主本人はいいと断っていたが、それは流石に道理が通らないとトルテが言い張ったのだ。
しかし忘れてはならないが、トルテも初心者。金など持っていない。
だからベートが貸し付けるという条件で代わったのだ。
トルテの謝罪はその件である。
「いいですいいです。串焼きの御代ぐらいならあたし達でも払えますから。それで、ええと―――」
「オレはイーラだ!! トルテから話は聞いてる。なんか色々と世話になったみたいだな!」
まさかのオレっ娘―――どこまで属性を増やすつもりなのかと、アルルーナが戦慄していた。
そんな事を言ったらベートはケモノっ娘でアルルーナはエルフっ娘なのでお互い様ではあったが。
「いやーゲームの中であんな美味しいものが食べられるなんて思わなかったぞ!」
「本当にこの子は……ベート殿とアルルーナ殿がいなければどうなっていたか」
「おう! 二人ともありがとうな!!」
元気の良過ぎるイーラと真面目すぎるトルテのやり取りは姉妹……と言うより母娘のようだ。
「代金は必ず払いますので、少しだけ待っていただければ……」
「いやほんと、生真面目ですねえ」
「性分ですから」
自覚はあるのだろう。
苦笑いの表情で、イーラの頭を撫でている。
「でもさーお金を稼ぐのってどうすればいいんだ?」
「んー方法はまあ色々あるけど、基本はやっぱりフィールドで敵をやっつけて、そのドロップアイテムを売却することかな?」
「どうやって?」
「え? いや、こう……戦術殻でこうババーンと?」
「ないぞ」
まだ機体は作っていないと、実にあっけらかんとした口調でそう告げる。
「そりゃあまた、なんでです?」
「いやそれが、わたし達にもよく分からなくてな。アバタ―と勢力を選択する所までは理解できたのだが、そこからは先の広場に投げ出されて、それっきり」
「なんつーか不親切だよな? 普通こういうゲームってチュートリアル?ってのがあるんじゃないのか?」
イーラとトルテ二人の言い分を聞いて、ああ、とアルとともに確信を得た。
この二人は≪B.O.O≫の洗礼を受けたんだなあ、と。
「ありませんよ」
「は?」
「このゲームにチュートリアルなんて優しい制度はありません。全部が全部、手探りです」
≪B.O.O≫にはチュートリアルなどない。その言葉には、流石のトルテも絶句していた。
製作者曰く、一度滅びかけた世界でそんな便利な機能があるのもおかしいよね。曰く、プレイヤーにはこの世界の絶望感をリアルに味わってもらいたい。
そんなことを運営と制作サイドが当時コメントしていたそうだ。
二十数年前、ゲーム実装当初の阿鼻叫喚は今でも語り草らしい。
最初期のプレイヤー達は完全に手探りの状態から、戦術殻の作成や都市機能の使い方、どうすれば効率的にゲームを進める事が出来るのかを模索したのだから。
その当時のプレイヤーの運営に対しての認識はドSである。……まあ今でもほとんど変わりはないのだが。
そんなだったからこそ、先人の残した功績は大きい。
今では大手の情報サイトを探ればすぐにでも先に進めるのだから。あえて言えば、その情報を探すこと自体が一つのチュートリアルと言うべきか。
うわぁと露骨に嫌そうな顔をするイーラ。一年前のあたしもその話を聞いた時はそんな顔をしていたのだろうかとベートは思った。
「なんと―――確かに急いていたとはいえ、わたし達の不勉強でした」
「ま、そんなこともありますって。周りにこのゲームをやってる知人がいないと、知らないまま始めちゃうって人は一定数いるらしいですし?」
「私たちの場合は、このゲームの先輩がいましたから」
自分で調べる以外の方法ではそれが一般的だろう。
先に始めた友達か家族に引率されて始める。ベートとアルルーナがこの口だ。
ちなみに、最も少ないパターンとしてはイーラ達のように何も分からないまま始めた初心者を、ゲーム内の第三者が先導するというものだ。
まあ、よっぽどのお人好しか善人かぐらいしかやらないが。
少なくとも先の男たちの場合は下心ありきだから論外だ。少女的に。
「じゃーオレ達も手探りでやれってか!?」
「ふむ、これも社会勉強の一つと受け取るべきか……?」
本当に対照的な反応をする二人だ。
そんな彼女たちを見て、ベート的にお人好し代表とも言えるアルルーナがなにもしないわけがなかった。
「ベーちゃん」
「はいはい。わかってますってアルさん」
ま、乗りかかった船ですからねと、ベートは赤と青の少女にこう提案した。
「―――あたし達に任せといてください」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます