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今の俺なら知っていることだが、日本軍は、同盟国ナチスドイツから地底王国探索への協力依頼を受けていた。
くだらない迷信だろうか。ただの狂った戦争指導者の妄想だろうか。知らぬ人はなんとでも思うだろう。
だが、ヒトラーは実際にオカルトに傾倒し、地底王国シャンバラは実在するし、その首都アガルタもどこかにあると信じていた。地底王国の所在地候補として有力視されていたのはチベットや南極点だ。
まあ、こんな話はオカルト好きな真人にとっては欠伸が出る話かもしれないが、それがフィクションではなく事実となると、また印象も違ってくるだろう?
アガルタへの入り口は世界の各地にあると考えられていた。南極と北極の両極点。そして、チベットを通る経線を起点として、赤道に沿って上下に揺らぎながら東西に地球を一周するライン。これがいわば気脈の幹線だ。
そこから支線が枝分かれして、各地に支所のようなスポットが存在している。そして特にアガルタへの入り口となると、この幹線上に点在しているものとみられていた。
ドイツが日本軍に依頼したのは、そのうち南太平洋のポイントの調査だ。日本軍が南方作戦で侵攻していたニューギニア近く、ソロモン諸島。ヒトラーは実際に本命のチベットや南極を調査していたようだったが、同盟国の占領地は日本に、巡り巡って俺達ア機関に委ねられたわけだ。
もっとも日本の軍部は、俺達のようなオカルト体験がある末端の兵隊や連隊長や、あるいはヒトラー本人ほどには、地底王国の存在は信じていなかったようだな。
戦前から現在まで続く、不思議なほどの日本人のしたたかさというのかね。軍部が期待していたことは、楽園の存在やそのパワーを手に入れることそのものではなく、その探索をするという行為によるドイツへのアピールだったようだな。
当時、陸軍には諜報機関がすでに複数存在していた。そうではなく俺達のようなただの新兵を投入したという時点で、軍部の思惑の微妙さをよく示しているな。
だがあのとき。
あの戦争のさなか、少なくとも俺達のような召集された若者達にとっては、軍の言うことは真実であり、同胞ナチスドイツのヒトラーが言うのなら理想郷はあるのだ、と信じることが出来た。疑う理由はなかった。
自分達のおぼろな体験もその高揚感を後押しした。特務に選ばれたのだという誇らしさを感じさせたな。祖国と同胞の未来に関わる重要な任務なのだという、これ以上ない名誉。
それに、俺達を訓練したのは連隊長自らで、俺達の間には軍曹も伍長もいない、連隊長直属だということも誇らしかった。
連隊長…櫻少尉は、この特命のため特任で任官されたということだった。そのせいかまるで軍人らしくなかったな。威張ることもなく、しかし厳しさはもっていた。軍属のような雰囲気だったよ。
少尉は俺達の間では櫻さんで通っていた。そんな呼び方を許してくれる人だった。
櫻さんも俺達と同じように、小さい頃にアガルタの片鱗に触れたことがあるのだと言っていた。元々パラオで教師をしていた頃に、何の奇縁かアガルタの情報を手に入れたことから、内地に帰投を命じられての特任だった。
当時の櫻さんが、任務の内容も自分の運命も含めて、どこまでがすでに分かっていたのかと考えると、何とも言えない気持ちになるな…。
懐かしいものだ。こうして言葉で紡いでいると、俺にもまだ物事を懐かしむ心が残っていると思えるのは不思議なものだが。
冬が明けて五月には、俺達は南方作戦に紛れてソロモン諸島入りしていた。
近代戦争がどういうものか、まだ俺達は毛ほども理解していなかった。何しろ真珠湾にマレーから始まって、シンガポール蘭印と、日本はまさに連戦連勝、破竹の勢いさ。浮かれていたといってもいい。まるで俺達自身が英雄のような、誇りに満ちていた。
だが史実を見れば、南方作戦が所期した目標は達成され、すでに戦局は次の段階に入っていた頃だ。
ニューギニアを、オーストラリアとアメリカのラインを分断するための重要拠点とし、そこから北に連なるソロモン諸島やミッドウェー環礁を、対米戦端の最前線としてとらえる。
しかし直近のコーラル海では苦戦がすでに起きていた。つまり、知らぬは俺達当人ばかりで、日本軍にとって実は敗戦への転換期だったわけだな。
あの広い太平洋。点々とする拠点を継続的に確保し守備するためには、制空権と補給線の確保が絶対条件となる。だが島国であり海洋国家でありながら、日本軍は海を侮った。
占領地すなわち即座に自給自足に足る補給が確保され、自衛せずとも敵に奪還されることは金輪際ない。そうとでも楽観していなければ、占領早々の戦端地に、俺達のような実戦経験もない特務部隊を送り込むだろうか。愚かなものだ。
ソロモン入りした当初の俺達の活動は、諜報活動とは名ばかり。ガダルカナルを中心に、占領地入りした軍属に成りすましての、原地民との交流が主な活動だった。
ソロモン諸島の各島は、現在でもそうだが熱帯雨林に覆われた未開の島で、文明化された集落などほとんどなかった。情報源は点在する村落だけだ。
同じソロモン諸島に駐留している日本軍は無論、他にもいた。俺達はあくまで軍属として行動し、軍人としての振る舞いを一切禁じられていたおかげで、ア機関の存在は秘密のままだった。それがあの地獄を生んだ一因でもあるわけだが…。
櫻さんはパラオ時代に移民から、イツア島の伝説を聞いていた。イツア島はソロモン諸島の外れにある小さな島だ。
イツア島自体は資源もなく、飛行場が建設出来るようなまともな平地もない。つまり戦略的価値は何もない。過去にはイギリスの植民地に含まれていたが、見向きもされなかったようだ。
当時も今も無人島で、大部分が山でジャングルに覆われた、あの辺りの典型的な地勢だ。地元民もなかなか寄り付かなかったが、不思議な伝説が語り継がれていた。その伝承の内容を固めていくことが事前の調査活動だった。
現地人からの噂は少しずつ集まっていった。櫻さんが聞いたものと同じ話は、一人や二人ではなく多くの住民が口にした。イツア島には怪物が守る財宝がある、とまことしやかに語るのだ。
ソロモン諸島の名の由来が、かのソロモン王の秘宝であることは有名だな。どうしてかあの辺りには宝島の財宝伝説が付きまとう。
おおよそ集められた伝承を総合すると、イツア島には怪物が住んでいるという。海から出現する火を吐く龍のような生き物が、漁師を襲うことがあるというのだ。
大蛇の巣はイツア島の山頂にあり、そこには財宝が眠っている。大蛇はその守り神だ。島のどこかには大蛇の巣に続く穴がある。
信じ難いという思いもあったが、これだけ伝承が広く伝わっているとなると、火のないところに煙は立たぬで、イツア島に何かはあるに違いない、そんな期待も高まった。
七月には、俺達は全諸島規模での事前調査を予定より早く切り上げ、イツア島にいよいよ向かうことになった。
前線の俺達こそ知らなかったが、日本軍はその前の六月にミッドウェー海戦で大敗していた。俺達がいた南方でのニューギニア攻略も、コーラル海戦以来、頓挫していた。戦局の転換点だな。太平洋で連合軍の反撃が始まりつつあるタイミングだ。
歴史を見返せば、つまり俺達は、快進撃とはいかなくなった南方の戦局を、奇跡のように打開する博打札の一つとして扱われたんだよ。後の特別攻撃隊と似たようなものさ。
おそらく櫻さんはそんなこともすべて知っていたんだろう。櫻さんはアガルタを知っていた。自分のたどる道も、日本がたどる道も。
今ならば、同じ道を歩いた俺ならば、あのときの櫻さんの絶望は、よく分かる。
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