少し重くなってきた雰囲気を変えたく、真人は佳澄に少し明るく声をかけた。

「佳澄ちゃん、君から見たときにはどうだったんだ?」


「え?」

「いや、兄様なり、寛子おばさんなり。身内からみたときにだけ分かること、気付くことってなかったか。たとえばさ、ある時期から変化があったとか、何かがきっかけになっていたとか…」


何気なく訊いたのだが、訊ねながら真人は一つ思い付いて、ノートに名前を書き足した。

清水寛子と清水大輔の下に、清水佳澄。


清水佳澄


「あ…私…」

「書いたよ。佳澄ちゃん。君もキーパーソンに違いない。どうなんだ、君は。俺は君のことももっと知りたい」

「ダメですよ、女子の部屋でそんなストレートに口説かないでください。その気になっちゃいます」

と、佳澄は笑う。


「あ、あのねえ…。そういうことじゃなくて」

「ふふふ、冗談ですヨ。でも私のことを知りたいって…どういう…」

真人はほっと胸を撫で下ろした。佳澄からのラブコールは食虫植物の甘い香りと同種だ。逆に捕食されそうではないか。


「いや、君は充分に謎だらけだよ。まずミス渋柿。あれは寛子おばさんの考えがあってのことだというのは分かった。観光案内所に真緒と勤めていたこともだな? いったい君の何がどこまで、打倒白琴会のためにやっていることなんだ?」

「さあ…。真緒ちゃん絡みのことも含めれば、ほとんどすべてかもしれません」


「そうだ、その喋り方もだ。案内所で会っていた頃は、もうちょっと荒い喋り方だったよな君は。いつの間にか、真緒とそっくりじゃないか」

「それはそうですよ。真緒ちゃんと一緒にいるときは、私は影でいるようにしていましたから。あのとき…祭壇のところで真緒ちゃんが言った通り。真緒ちゃんの喋り方も、知識も、私やお母さんが教えたものだから。意識しないでいれば、どうしても似てしまうんです」

「つまり、普段は意識しているということか」


佳澄は返事の代わりににっこりとうなずいてみせた。好意の笑みとはいえ、色々な意味でその笑顔は相変わらず凶器だ。

しかしそんな佳澄の言動にすべて意味があるのだと考え出すと、笑顔の裏にあるものを疑いたくなってくる。


「いったい…いつからそうなったんだ?」

「白琴会に関して言えば。私は、お母さんが敷いたレールの上を歩いているのか。そういうものだと思いますよ。人なんて、誰だって本当に自分がすべて選んだ道を歩いているかどうかは分からないもの」


「そんな、一般論めいたことで煙に巻こうとしてもダメだ。君は、ずっと阿賀流にいるんだろ?」

「そうですね。大学だけ、阿賀流から県立大学まで通っていましたけど、それだけです」

「学部は?」

「ごく普通、経済学部です」

「それなのに、相対性理論だの量子力学だの、そんなものをよく知ってるもんだ」


「それも、必要だったから、ですよ。お父さんが亡くなってから、お母さんが白琴会のことを真剣に調べ始めて。するとどうも、白琴会は色々と普通じゃないことを企んでいるらしい、と。そこからは、もう、流れでしょうか」

「だからといって、そんなことを学校でもなく調べるんだからなあ…。しかも、こういっちゃなんだが阿賀流のようなところじゃあ、学術書を一冊探すのだって大変なんじゃないか?」

「意外と、インターネットは便利なものですよ。簡単な論文や資料程度ならすぐ見つかりますし。本だって通販で。あの拳銃の使い方だって、調べれば…」

「そりゃそうだけど…」


「学問なんて、その気になれば一人でも随分出来るものですよ。私は、真緒ちゃんを見ていて思ったんですけど。学校は学問というより社会性とか人間関係とか、知的好奇心そのものとか。そういうものを勉強する場になるべきだと。そのときにしか学べないこと、そういうものを…」


「そんなもんかね。それにしたって、君は努力家だよな。…あ、言っとくけど、それは否定しないでくれよ。せっかくの褒め言葉なんだから」

「じゃあ…そのまま受け取っておきます」

「ああ。それでいいんだ。で、そういう勉強を通じて、兄様や白琴会のことを調べ続けたのか。寛子おばさんと一緒に」

「そうです」


「その兄様は…君にとってどんな人だったんだ? 俺は全然覚えてないから、一緒に遊んでもらったとか言われても何も印象がないんだ。阿賀流に戻ってからの印象で言えば、サイコなモンスター野郎としか思えないんだが…」


「そうですねえ…」

佳澄は眼を閉じた。

「小さい頃は、何も分かっていませんでしたから。小さい頃からずっと一緒の親戚のお兄さん、ぐらいだったでしょうか。頼りになる、何でも知っている人で。でもだんだん、ものが分かるようになってくると、それだけではないぞって見えるようになってきましたね」


「兄様のウラが見えるように?」

「そこまではっきりしたものでありませんが。子どもなりに見えたというんでしょうか。自分がおばさんの歳になって思いますが、子どもって、大人が思っているよりずっと、大人のいろんなものを見てますよね。兄様が、何か普通の人とは違ってきているというのは、青い目になる前から…」

「……」


眼を開いた佳澄は、真人をじっと見た。

「本多さん。人はなぜ変わっていくんでしょう」


「そりゃ、変わるものだろう。まあ、兄様の場合は人間さえやめてしまったようにも思えなくもないが。石仮面でも付けたかな、ハハ」

冗談めかした真人だが、佳澄の凝視は変わらない。


「兄様だけではなく。私自身もだと思います。私も、だんだんと変わっていった。人は、子どもの頃の幻想や夢だけの世界にいつまでも生きていることは出来ないんですよね。大人になるということはきっと、現実に向き合っていくということで。運命なんてものを信じるか信じないかに関わらず、自分の力で出来ることと出来ないことの境界が見え始めて」


「見えるってことと、あきらめるってことは違うと思うぞ、俺は。男はずっと少年の心があるっていうけど。出来ない、じゃなく、やろうとしなくなる。子どもから大人になって変わっていくことは、そこなんじゃないだろうか。自分がやらないことを、出来ないことだと自分に言い聞かせてしまうだけで。出来るかもしれないけど、やらないんだ。それより大事だと思うものが先に思い浮かんでしまって」

「出来ないではなく、やらない、ですか?」


「たとえばさあ、世界一周のヒッチハイクとかだって。知識とかそういうものが邪魔して、出来ないって思いこんでるだけで。やってみたら、案外、出来るのかもしれない。死ぬ気でやったら、なんてのもよく聞くけどさ。それこそ死ぬ気でやったら、うまくいくことも、あるのかもしれない。後先のこととか、しがらみとかを考えなければ。世の中だって、ひょっとしたら一人の人間の行動から変わることだってあるわけだろう?」


「その考え方…。きっと、白琴会が考えているのはそういうことなんじゃないかと、私は…私とお母さんは疑っていました」

「革命みたいなものか? 阿賀流という小さな村からでも、既存の世の中とか体制とか価値観を壊して…シャンバラを作る?」

「はい」


「どう推測しようとしても、穏やかなことじゃないよな。まるで狂気の沙汰だ。君やおばさんは、そんなところで孤軍奮闘してきたのか。閉鎖された村の世界の中で。なぜだ? レールがどうこうって言ってたけど。どうして、そういう生き方を選んできたんだ?」


「選べないもの、変えられないもの。そういうものだと思いませんか?」

「うーん…」


「本多さんだって。どうして今まで自分が自分の生き方をしてきたのか。『理由』なんて、分かりますか? どうして自分はこう生きてきたのか、って。動機? 根拠? そういうものがはっきり言えることなんて、ありますか?」

「そりゃあ、まあ、そうだ…。テツガクテキだな。自分がなぜ今までこんな生き方をしてきたのか…。その問いは、深いね。自分が何者なのか。自分を形作っているものはなんなのか、それを考え出してしまう」


「私にも、もう、よく分からないんです。私がどうしてお母さんの後を追っていて、真緒ちゃんのことを支えてきたのか、なんて。もう、それが私自身だったから。真緒ちゃんのために頑張っている自分が、自分という存在を強く感じられたからなのかもしれませんが。私は昔から引っ込み思案で。真緒がお日様なら私はお月様なんです」


「それは…真緒の記憶を補てんするサポート役とやらになったから、そういう振る舞いになったってことだろ?」

「いえ、それがなかったとしても。私はやっぱり、表で頑張るようなタイプではなくて。陰にいたい、静かにいたいんだと思います。周りが良くうまくいってくれれば、それでいい。そういう調和した空気の中にいることが心地よくて。穏やかじゃないと、冗談の一つも言えませんしね」


真人はかすかに笑みを浮かべているようにも見える佳澄をまじまじと見た。

三十年近い佳澄の人生。

この容姿では、小さい頃から蔑まされてきたことも多いだろう。

しかしそれで卑屈な性格になった様子もなく。むしろ、周りを見て、周囲が期待することを的確に行動し、平穏と融和を生むように振る舞ってきた、そんな人生なのか。


「やっぱり…君は…。すごいな。ただ真緒のサポートをしてきたというだけではないんだな? 兄様の変化を見てきて、真緒の記憶をカバーしてきて…。君なりにも考えていることがあって」

真人はついつい、佳澄をじっと見てしまった。いまやミス渋柿の表情にも耐性が出来ている。


「そんなに、たいしたことはないですよ、もお…。私のことはこのぐらいでいいんです。ホ、ホラッ、夜も進んできました。図だって、ほとんど出来上がってきましたよ」

佳澄がノートを指した。

「でもまだ、肝心の大切な人が残っているじゃないですか」


真人は、ノートの、まだその名前が書かれていない空白部分をじっと見た。

いま、真人の思うところはすべてその名前に通じる。

「真緒か…」

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