真人の額の辺りと首筋の辺りがすっと涼しくなって、思わず身を震わせた。

「そ、それは…ど、どういう…」


「昔話をしましょうか。夜明けまで、まだ時間はあるもの」

佳澄が寂しげな微笑を浮かべて言った。

「お母さんには、三つ上の雅俊という兄がいる。これが兄様ね。私にはおじさんにあたります」


真人はうなずいた。

「雅俊…そういえば兄様の名前を聞いたのも初めてか。清水雅俊だな?」


「そう。私の家族は、親の頃から白琴会に入ってたの。兄様も小さい頃から」

「いつ頃から?」

「お母さんが言うには、子どもの頃からだって」

「おばさんも白琴会にいたことはあるの?」


「ううん。お母さんは、ほら、私もそうだけどあまり可愛い顔じゃないから、好かれない子どもだったみたい。それがかえって兄様を白琴会に近づけたんじゃないかって、お母さんは話してくれたことがある」


真人は反応に困り、唸った。

察しはついたのだが、佳澄の口から喋らせることにして、問いかけた。

「どういうことだい?」


「妹がいじめられるから、理不尽を子ども心に感じていたみたい。それで、精神的な拠り所を求めていったということでしょうか」

「……」


「それに、兄様は頭が良かったから、老師に気に入られたそうで。お母さんはずっと阿賀流だけど、兄様は東京の大学に進学して、それから戻ってきたんですよ」

「専攻はなんだったんだろう?」

「物理学」

「理系か。そりゃ、優秀だ。君達も妙にマニアックなのは関係あるのか?」

「まあ、無きにしも非ず、ですね。それにね、本多さん。兄様の大学に、同じ頃、美奈子さんもいたそうですよ」


「なに!?」

真人は驚きで椅子から落ちそうになった。

「…そうか。二人とも年齢、同じぐらいだ」


「美奈子さんのほうが少し上らしいけど…。一時期、同じ大学にいたのは本当。お母さんが言うにはだけど、多分、兄様は美奈子さんのことが好きだったんじゃないかって。同じ大学になって、慣れない都会暮らしの面倒もみてもらったりしていたみたい」


「なるほど…」

真人は脳内で整理を始めた。

兄様こと雅俊の少し上に美奈子がいて、その美奈子には双子の姉の理沙子がいる。それぞれが、白琴会なり仙境開発と何かしらの絡みを持っている。

そして兄様は、美奈子に恋心を抱いていたのではないか、という。


「お母さんが言うには、兄様が出家までして白琴会に本格的に没頭したのは、阿賀流に戻ってきてからなんだって。ただ、そのときは逆だったの」

「逆? 何が?」

「兄様が出家したのは、白琴会に深く入り込んで、白琴会を壊したかったんだそうですよ。だからお母さんも出家に反対しなかったんだけど…」


「今の兄様はどう考えても、白琴会に心酔しているな。ミイラ取りがミイラになった? あの青い目は演技では無理だ。白琴会はそんなに甘くなかったのか」

「うん。お母さんは、いつもそう言ってる。白琴会、特に老師に相当な敵意を持っていた兄様でも、いつの間にか、迷走して取り込まれてしまった。洗脳されたのかもしれないけど…」


「おばさんは、その兄様をなんとかしようとしたのか?」

「お母さんも、だんだん兄様が染まっていくのを見て、在家に戻そうとしていたんだけど…その頃、お母さんはお父さんと結婚して」

「へえ。どんな人?」

「旅館の住み込みで働きに来た人だったって。お母さんとあっという間に意気投合して、清水家に婿入りしてくれたそうですよ。私は全然覚えてないけど。でもね、お父さんは阿賀流の自然とか人情が好きで、白琴会にも人付き合いとして入ってはいたけど、本心では嫌いな人だった。兄様ともよく喧嘩したそう」


「…それで?」

話が穏やかではない流れになってきたと感じながらも、真人は先を促した。

今まで真人には把握出来ていなかった情報が、佳澄の口から淡々と語られている。少しずつだが、真人が知らない頃のことが見えてきている。


「お父さんは急病で死んだんですよ。動脈瘤って診断されたそうだけど、まだ二十六歳だった。私は三歳だったから、どんなお父さんだったか、ほとんど覚えてないなあ」

佳澄は表情を変えていない。努めてそう見せるようにしているのかもしれない。

「お母さんは、それがただの病死じゃなくて事件なんじゃないかって、ずっと疑ってるの」


真人はまたビクッとした。

「そ、それは…つまり、白琴会が君のお父さんをっていう…!?」

「白琴会どころか。お母さんは、兄様の仕業だって確信してるんです」

「ば、馬鹿な。だって兄様と君のお父さんは…義理の兄弟になるんだろ?」

「だからこそ、よ。きっと。身内だからこそ、なんだと思うの。でも私達が兄様に遊んでもらっていたのも、その頃から」


真人はあ然としてしばらく声を出せなかった。

長い、長い年月が経っている間に。

佳澄や寛子の中では整理もついていたことなのだろう。

だが…。


身内が身内を傷付ける、どころか死なせるようなことを白琴会は…?

今日の狂気じみた動きと、あの人間離れした姿をみれば、否定は出来ないが…。

もし。もし本当にそうなのだとしたら、真人や佳澄、真緒と遊んでいた頃の兄様の手は、すでに血塗られていたということになるのではないか?


真人は身震いした。

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