『星降る夜空に願うのは』 その7

 つけられている、とは思った。尾行というほどぴったり付き纏われているわけじゃないし、尾行だとしたらあまりにも大人数すぎてバレバレ、あまりにもお粗末なものだった。夕は何も気づかないまま、呑気に物珍しそうにあちこちをきょろきょろしている。



 昨日、わざとらしい台詞で、あえて彼らを突き放そうとしたのだけれど、逆に興味を煽ってしまったらしい。とんだ出歯亀だ。できればバレたくない。そんな理由で、人目を忍んで行動していたというのに。



 なんて野暮なやつらばかりなんだろう。



 足音から考えると、数は四人。



 『Nacht』の二人だけならともかく、まさか空翔と旭姫までついてくるなんて思わなかった。



「……夕」



「え……? 何だよ……?」



 美琴は夕の手首を掴んで、強めに引っ張る。昨夜、コテージを出る時以外、わざわざ「二人はできてるぞ」というような振る舞いを見せなかったので、尾行に気づいていない夕は驚いてあたふたしている。



 手首を掴んで、そのまま身体ごと、彼を木の幹に押しつけた。



 少女漫画でよく見る光景である。もっとも、押しつける物質が壁ではないので、固有名詞で呼べないことが歯がゆくはあるが。



「ちょっ、何してんだよ……っ! 何ふざけてんだよ! っていうかこれちくちくする! 背中すっげえちくちくする! あと樹液が……っ! 樹液が垂れ……ってすげえ! クワガタがいる! しかもすっげえでけえやつ! ぜってえオレの中で新記録だって! 連れて帰りてえ!」



 しかし、現実は少女漫画のようにはいかないし、何より夕はその外見を裏切るように恐竜やカブトムシやゲーム内でのモンスター育成が大好きな小学生男子のような性格である。



「ふふ、相変わらず面白いね、夕は」



 そんなわけで、もうこんな状況になってしまっては、ごまかしもからかいも効かないだろう。何より、既に夕は美琴の拘束をほどき目の前のクワガタを捕獲することに夢中になっている。



「というわけで、そろそろ出てきたらどう? もしくはそのまま帰ってくれてもいいよ? 『姫ちゃん』に無理させちゃうわけにもいかないからさ」



「……僕は関係ないでしょう」



 がさごそと茂みの中から四人分のシルエット。美琴が持っていた懐中電灯を向けると司狼は眩しそうに目を細めた。



「こそこそ覗き見なんて、野暮だよねえ」



「こそこそと夜に出て行ったのはそっちだろう?」



「せっかくの逢瀬なんだ。こそこそして当然だとは思うけど?」



「俺達も最初はそう思っていたが……向こうの反応を見る限り、恋仲でも何でもねえだろ」



 その「向こう」である夕は、そっとクワガタを素手で包み込もうとしていたのだけれど、土壇場で気配に気づかれ逃げられてしまい、意気消沈している真っ最中だ。



「こそこそしている上に、たった今、君達の目的まで分からなくなった。怪しく思うのは当然のことだ」



 司狼の疑問に、美琴はまた溜息を吐く。



「野暮な上に察しまで悪い。そんなことじゃモテないよ。アイドルはモテるのがお仕事なのにね」



 やれやれ、とわざとらしいポーズまでして、美琴は司狼を煽っている。



「僕達の目的なんて、簡単で、しかも逢瀬なんかと比べたらとてつもなくささやかで可愛らしいものなんだよ?」



 それから、美琴は大仰に両手を広げた。手品師が、これからとっておきの手品を見せるみたいに。



「この森の中には、何があると思う? この森を抜けた向こうには、どんな景色が広がっていると思う?」



 そこに宝箱が埋まっている。そう言われても驚かないくらい、美琴の瞳は輝いている。



「ここはね、初めて『魔法』という現象が発見された島なんだ。この島の持ち主の息子である『息子くん』なら、もちろん知っているよね?」



 美琴から目をそらしたところを見ると、どうやら司狼は何も知らなかったのかもしれない。あるいは、知ってはいるけど隠しておきたかったのか。



 最初に日本で『魔法』を使ったのは、とある主婦。子供のためにケーキを作ろうとしたら、『魔法』によって手順が圧縮されてしまった。



「森を抜けた先には、古く、潮風で寂れてしまった民家がある。そこで、初めて『魔法』が発見されたんだ」



 美琴は、喜々として、『魔法』の歴史を語っている。



「もちろん、それだけじゃない。この森にはいくつかの伝説が残されている。伝説といえば、神様や動物や妖怪や……非人間的な存在が主人公になっていることが多いのだけれど、この島の伝説は少し不思議でね、主人公は全員人間だ。そして彼らは、現代の人が見れば、どう考えても『魔法』としか思えないような力を使う。そう考えると、どう? ここが、とても『魔法』に縁のある島に見えないかい?」



「……だからどうしたと言うんだ。敬虔な祈りとともに聖地巡礼をしようとでも?」



 先ほどクワガタを見つけた時の夕のように目を輝かせて語る美琴とは反対に、司狼の声は冷たかった。表情からも、煩わしさ以外の感情が読み取れない。



「そうだね。今の僕達は、奇跡を願って病身に鞭打ってまで巡礼を行った信者になぞらえることも可能かもしれない」



 それから、美琴はまだクワガタに未練を残している夕を前に引っ張って来た。



「既に多くの人に知られている通り、うちの夕は、『魔力』が弱いながらもここまで頑張って来た。少し前まではひとりで、ユニットを組んでからは僕達三人に食らいついてこられるように。そんな夕のためにと、リーダーである僕がひと肌脱いで、『魔力』の真相解明に取り組んだって、やましいところは何もないだろう? それに、今後のライブの参考にもなるかもしれない」



 要するに調査なのだと、美琴はこの合宿を名付けた。



 『Nacht』が行うのが実験なら、自分達『Bell Ciel』が行うのは調査だと、そう言いたいらしい。



「まあ、美琴さんは好奇心からついてきてくれただけみたいですけど……」



 クワガタの件で、もはや素がここにいる全員にバレてしまっているというのに、夕は何とか取り繕おうとしている。



 一方で、美琴は夕の言う通り、メンバーのためというよりは好奇心の方が勝っているのかもしれない。遠足中の子供のようなはしゃぎ方をしている。



「幼い頃からお父さんによる英才教育を施されてきた『息子くん』なら分かるでしょう? 小学生の頃は遠足どころか、皆と同じように授業すら受けさせてもらえなかった。中学では経験だってことでさすがに授業は受けられたけど、それでも庶民からは遠巻きにされるばかりで、修学旅行なんてひとりでずっと本屋で立ち読みしてたことしか思い出にないんだよ? なのに、何個か手順をすっ飛ばして同じユニットのメンバーと一緒に調査だなんて、わくわくするに決まってるじゃないか」



 司狼はまだ、美琴の言葉など聞きたくないとでもいうように、目を背けたままだ。わざとらしい言葉と振る舞いは、さらけ出したくないと心の奥にまでしまい込んだ司狼の過去にまで手を出してくる。



「……それで、収穫は?」



「えっと、大きなクワガタくらいですかね! あれは見たところイキヒラタクワガタに似てると思うんですけど、じっくり観察してみないことにはわかりません! 明日こそは絶対に捕まえてみせます!」



「……よかったね」




 思い思いに、会話を交わしていた。彼らは話すことと語ることと――自分を守ることに必死で、その時起こっていた異変にすぐ気づけなかった。




 気づけなければ、咄嗟の対応も不可能だ。




 まず異変が起こったのは、地面だった。彼らの立っている場所が、ぐらりと大きく揺れた。地震のような、ため込んでいたエネルギーを解放するための揺れ方ではない。揺れ方も、大きく揺れた後に小刻みに揺れ出し、さらにまた大きく、と滅茶苦茶だった。ただ唸るようなだけの地響きがずっと聞こえてくる。



 崩れるのではないか、と思うほどだった。足元から崩れ、地の底へとのみこまれてしまうのではないか、と。



 しかし、次の異変は地面ではなかった。一陣の風が吹く。立っていられないほどの、身体がふわりと浮いてしまいそうなほどの強い風。あまりの強さに、目を開けていられなかった。



 何が起こったのか――半ば予想はついているが、その予想が正解であるという確証はどこにもない。それを得るためにも、すぐに目を開けなければ。



 少しブランクが開いたものの、美琴の行動は、普通よりも素早かった。



 しかし、目を開けた時には、目の前に先ほどまでいた仲間はひとりもいなくなっていた。

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