『ライバル登場』その1
早く早くと、原稿を返して戻って来た司狼に急かされる。
「眞白、まだ着替えきれてないのか」
「……ごめん。まだ、脱ぎ慣れてなかったみたい」
ライブ後の舞台裏というものは、意外と慌ただしいものだ。いくら学園が管理している建物とはいえど、楽屋の利用時間はきっちりと決まっていて、それに見合った使用料金も設定されている。アイドルを目指す者ならば、舞台裏のことも知っておいて損はないという教育方針らしい。こういう現実を突きつけられると、改めてアイドルとは綺麗に着飾って踊るだけのお人形ではなく、ちゃんと人間味のある存在なのだと、旭姫は実感できる。
「これでいい。行こう」
急かされる着替えに焦りを覚えた結果、混乱した眞白はジーンズを履き、素肌の上にばさりと直接パーカーを羽織る。その仕草が男らしい。しかも、ジッパーをあげることはせず、文字通り羽織っただけで、透き通るように白く艶めかしい肌が確認できる。
こういうことを無意識のうちにやってしまうその性格が、「天然」で「お色気キャラ」という一見合わないようなキャラをファンが犬色眞白につけてしまう由縁なのだと、旭姫は彼とユニットを組んでからずっと考えている。
どたばたと楽屋を片付け、部屋の外に出て、小走りで裏口に向かう。そこに学園が手配してくれた車が止まっているはずなので乗ればいい。
それだけのことなのだが、油断はできない。『プレライ』に付属される困難がひとつとは限らない。出待ちの鬱陶しいファンを装った学園スタッフが配置されていて、その対処を見極められ、対応によっては加点されたり減点されたりするかもしれないのだ。
気を配りながら廊下を見渡していた旭姫は、突如立ち止った司狼にぶつかった。さらに、うしろからぼうっと歩いてきた眞白にぶつかられる。
「司狼、急に立ち止まるのはやめてくれる?」
思い切りぶつけてしまった鼻の頭を撫でながら、旭姫は苛立ちをぶつけるように尋ねる。こういうのは、ほんと困る。アイドル(候補生)なのだから、顔を傷つけてしまうような行動は起こしたくない。うしろからは旭姫の苛立ちを抑えようと眞白が頭を撫でてくれているが、その行為は2人よりも背の低い旭姫のコンプレックスを刺激し、余計に苛立ちが募る。
「……司狼は、理由もなく立ち止まったりとか、しないと思う」
「それは……そうだけど」
司狼は普段から金と時間にうるさい几帳面すぎるところのある男だ。だからこそユニットリーダーを務められるんだろうけど。
その通り、と言わんばかりに、司狼は不敵な笑みを見せた。そして、静かに耳を澄ませるようにとジェスチャーで伝えてくる。
かすかな音がした。心地よい音だ。優しく、それでいて気分を高揚させる、ファンファーレのような音。
音の出所である部屋を突き止めた司狼が、そっと扉を半開きにする。
その部屋は、昨日『Nacht』も使用したリハーサル室だ。
「彼らがこの後あの楽屋を見学に来る可能性がある」
だからこそ俺は楽屋の延長料金を支払わなかったのだ、すべて計画通りだと言わんばかりのドヤ顔だった。
「いや、そこは素直に使用料金をケチったって言ってよ……」
司狼と旭姫が不毛なやり取りをする中で、眞白だけが音楽に聞き入り、リハーサルを行う者達を見つめていた。
「…………すごい」
呆然と、否、見惚れる、という表現がぴったりな恍惚とした表情で、無意識のままに、眞白が感嘆の声を漏らした。
元々、眞白はアイドルのファンでこの業界を目指したのだという。そんな彼だから、創り上げられた舞台そのものと、舞台に立つ人々の素質を見抜く才能は、十分にあった。
そんな眞白が見惚れるリハーサル風景。自分達を後追いしてくるユニットに焦りなど感じることは皆無だが、興味は持たざるをえなかった。
突っ立っている眞白をかきわけるようにして、旭姫と司狼もリハーサルの様子を覗き見る。
魔法を使ってもびくともしないほどの耐久を備えた芸術ホールだが、そのステージに立つ人々がアイドルであるとは限らない。今ではクラシックコンサートにも魔法の演出は取り入れられ、そういった演出家を輩出する専門学校や学科も設立されているのだから。
よって、リハーサルを行っているのが、自分達と同じ立場の者であるとは限らない。
そう思っていたのに、いざ目の前にすると、肌がびりびりするくらいの共感を覚えていた。遠目に見ても分かるほど、今リハーサルの舞台に立っている人達は、きらきらと輝いている。
彼らは、自分達と同じく、アイドルだ。それも、魔法を使うアイドルだ。
それでいながら、自分達とは違うアイドルだ。ユニットの特色がまったく違う。
黒を基調とした衣装で、時にはヒールな歌詞を取り入れた曲すら歌う。ステージでは(主に司狼が)客を煽るような演出をすることもある。もしもアイドルを主人公としたドラマやアニメが存在するならば、いわば『Nacht』は主人公ユニットのライバル役にふさわしいアイドルユニットだろう。
それに比べ、自分達の目の前にいるアイドルユニットは、どこまでも王道だった。
白を基調としたステージ衣装は、その装飾も含めて、白馬に乗った王子様を思い出させるものだった。
優雅な曲調でありながらも、きらきらとした歌詞は、人々を勇気づけ、元気にし、前を向かせるような王道のアイドルソング。
まさに、アイドルという言葉を、信仰の対象を、具現化したような存在が、目の前のリハーサルステージの上にいた。
「最近学園内で結成されたユニットだな」
名前は確か――『Bell Ciel』(ベル・シエル)。
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