までこさんと白妙の手紙

世間亭しらず

第1話 出題編



 近畿地方の奈良県某市に所在する私立おさらぎ高等学校。

 生徒の自主性に任せた自由でのびのびとした校風で知られるこの学校には、多様な部活動や同好会が存在しています。


 その部活動は伝統的に文化部が多くを占め、運動部は大抵が県大会進出止まりと少しばかり地味な成績ですが、こと文化部においては強豪校の呼び声高い部活動がいくつもあります。



 例えば、華道部。部員は少数ながら毎年行われる華道の全国大会「花の甲子園」では幾度もの入賞歴を持ちます。


 例えば、科学部。部内で複数のチームをつくり、それぞれの研究・実験成果を各地の競技や催し物で精力的に披露しています。


 例えば、百人一首部。文化部の中でも最多の部員数を誇り「全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会」の常連でもあります。



 さて、春も終わりにさし掛かったうららかな陽が差し込む図書準備室でキャンバスに向かい筆を走らせているのは、2年生の万葉研究部部長、までこさんです。


 はてさて万葉研究部――通称・万研部――にもかかわらずなにゆえに絵なんて描いているのか不思議ですが、いつもの事なので気にしてはいけません。


 頭の高い位置で結ばれて一本の滝のように真っ直ぐに背中へと流れ落ちる艶やかな髪、透き通るような白い肌、踝までを淑やかに包み込んだ黒いスカート、すらりと伸びた背筋に凛々しくも清楚な顔立ち。

 その出で立ちは扇子のひとつも持たせれば一層気品が際立つだろうと思われますが、勿論までこさんはMy扇子を持っています。何故ならまでこさんは自分にそれが似合う事をちゃんと知っているからです。



「窓辺で絵を描くヨーコさん……綺麗だなぁ」



 そんなまでこさんとは打って変わって机にだらしなく頬杖をつきそんなことを呟くのは、1年生のアトソンくん。


 までこさんとは対照的に短く刈り込んだ髪にがっしりとした体格、たくし上げたジャージから覗く手足はくろく日に焼けています。活発で健康そうなアトソンくんはジャージ姿がやけにしっくりきていますが、近頃は朝の登校から下校するまで常に上下ジャージのままです。ずっとジャージを着ているのは、アトソンくんは自分に制服が似合わないとちゃんと知っているからです。


 うっとりと見とれるアトソンくんの言葉に、までこさんは僅かばかり表情を和らげます。



「私よりも絵を褒めて貰う方が嬉しいのだがね」


「もちろん絵も綺麗っすよ! それは……山の絵ですか?」


「これは橿原市にある香久山だよ」



 日頃はつれない返事も珍しくないまでこさんですが、描いている絵を褒められては満更でもない様子。までこさんが構ってくれると判ったアトソンくんがいそいそと窓際ににじり寄ります。



「和歌を題材に描いてみたのだよ。君もこの歌くらいは聞き及ぶのではないかね?


〈春過ぎて 夏来たるらし 白栲しろたえの 衣干したり あめの香久山〉 」


「わははは、さっぱりです! 俺古文はいつも赤点ですから!」


「語り甲斐がないね、君は」



 自信満々に答えるアトソンくんに呆れ顔のまでこさんです。アトソンくんの赤点ばかりの通知表もまた、までこさんとは対照的なものの一つに数えられるのでした。



「ならばこの解説書あたりを読んでみるといいよ」


「あざまっす!」



 そんな平和なひとときを過ごすまでこさんたちでしたが、今日もまたとある騒動が万研部の部室の扉をノックします。


 正しくは図書準備室の扉なのですが、ドアノブに『万葉研究部』の札が下がっているからにはここが万研部の部室なのです。


 控えめに扉が叩かれる音を耳聡く聞きつけたまでこさんが扉の向こうに声を投げ掛けます。



「入りたまえ」



 控えめに扉が開き、そっと顔を出したのは、小柄な女子生徒でした。頭の両側でツーサイドアップにした髪がピョコンと跳ねた可愛らしい少女です。



「あの……ここにまでこ先輩という方はいらっしゃいますか……?」


「それなら私だけれど?」



 おどおどとした問いかけにまでこさんが答えると、少女は少しの躊躇いの後、決意を固めた顔で大きく息を吸い込みます。



「あのっ、先輩は謎解きが得意と聞きました……お願いします! 力を貸してください!!」



 小さな体でどこから出るのかというくらいの声でそう言うと、少女は思い切りよく頭を下げます。


 少女の切羽詰まった様子にまでこさんは小さく首を傾げました。艶やかな髪がさらりと右から左に流れます。



「その悩み事というのはもしや、ミステリー同好会の一条和也に関することかな」


「ええっ、ど、どうして判ったんですか!? わたしまだ名乗ってないのに!」


「ふふ、私の事を“までこ”と呼ぶのは彼くらいのものだからね。その彼の後輩で謎解きとくればミステリー同好会繋がりと思うが道理というものだよ」


「あ……」



 見知らぬ少女は目を丸くしたあと、心なしか肩を落としたようでした。



「そう……ですよね……。そう呼ぶのは一条先輩だけ、なんですね……」



 までこさんはまたまた不思議そうに小さく首を傾げます。艶やかな髪がさらりと左から右に流れます。



「別に呼びたければ、君もそう呼んでくれて構わないのだがね?」


「いっいえそんな! わたしみたいな後輩が先輩たちの間に割って入るようなことはできません!」



 頬を赤くさせて必死に首を振る少女に、までこさんはにっこりと笑いかけます。



「私と彼は君が思うような仲ではないよ。彼は善き友人なれど、それだけだ。君の恋敵ではないから安心したまえ」


「ええっわたしっあのっそのっ、はうぅっ!」



 子リスのようにせわしなく慌てふためく少女を微笑ましく見守るまでこさん。ちなみにアトソンくんのことはさっきからまるで気にかけられていません。全くもってあうとおぶ眼中です。



「まぁ、とにかく中に入るといい。詳しく話を聞こう」



 部室こと図書準備室の一角にある机に少女を案内し、までこさんとアトソン君はその向かいに着席しました。



「どうやら改めて自己紹介をすべきようだね。私は2年の万里野葉子。この万葉研究部の部長だ」



 までこさんが名乗ると少女はキョトンとした顔で大きな目を瞬かせました。



「……までの……ようこ……?」


「そう」


「……葉子さん……?」


「いかにも」


「までこ先輩じゃなくて、葉子先輩……?」


「あのー、さっきから気になってたんすが、そのまでこ先輩ってのはなんなんすか? ヨーコさん」


「までこは彼が私を呼ぶときに使う愛称なのだよ。『君は僕の善き友克つ善き好敵手ライバルであるからして、親しみと敬意を込めてまでこ君と呼ばせてもらうよ』とね。然るに私が彼と互いの名前を呼び合うような特別な間柄という訳ではないので、案ずることはないよ」


「ん?」


「はい……その、やっぱり気づいてらっしゃったんですね……は、恥ずかしいです……」


「んん?」


「ふふ、こんなに可愛らしい子にとは、彼も隅に置けないね」


「ううう、勘違いしたわたしが悪いですから、お願いですからからかわないでくださいぃ……」



 二人のやり取りにただ首を巡らせるばかりのアトソンくんです。乙女心がわかっていない奴です。



「他でもない彼の後輩だからね。改めて言うけれど、良ければ君も私のことは気軽にまでこと呼んでくれると嬉しいよ」


「はいっ、そういう事なら喜んで! わたし、1年A組の烏丸真白といいます。までこ先輩のおっしゃる通りミステリー同好会に入ってます」


「1年? じゃあ俺とおんなじだ! 俺はヨーコ先輩のヒラメキの助手こと1年C組の……」


「彼はただのにぎやかしのアトソン君だ」


「阿藤尊です!」


「アトソン君。少し静かに」


「えっと、よろしくお願いします! アトソン君!」


「阿藤尊ですってば!」



 ペコリと頭を下げるましろさん。アトソンくんの主張は川面に落ちた木の葉のように軽やかに流されていきました。





「さて、真白さん。私に謎解きをしてほしいとのことだね。聞かせてもらえるかな」


「はい。実は一昨日ミステリー同好会の一条先輩からこの暗号を渡されたんですけど、私には全然意味が解らなくて……和歌なら万研部のまでこ先輩が詳しいと思って相談に来たんです」


「わかんないならその先輩に答えを聞けば良いじゃないっすか?」


「それは……」



 アトソンくんの素朴な疑問に答えたのはまでこさんでした。



「それは出来ないのだよアトソン君。何故なら一条君はもうこの学び舎から去りゆくのだから。今週末には転校してしまうのだよ」


「ええっ!?」



 “転校”という言葉を聞きましろさんの顔に暗く陰が落ち込みます。



「引っ越しは今週の土曜だそうです。まだ学校には来ているけど、部活へはもう来なくなって……。先輩にメールで答えを聞いてみても『君への宿題だ』といって教えてもらえなくて……もう、会うことも出来ないのに……」



 最後の言葉はか細く呟かれた、ましろさんの本心でした。

 ふっくらとした唇をキュッと結び、少し湿りの増したまなじりをきつくあげ決意を込めてまでこさんを見つめます。



「一条先輩が私に最後に残した謎解き……絶対に解きたいんです! 先輩が遠くへ行ってしまう前に!」



 そんなましろさんの様子にまでこさんが柔らかく微笑みます。そしてこちらも言葉に力を込めては、出来る限りの助力をしようと返すのでした。


 まずは問題の暗号です。

 ましろさんは鞄から白い封筒を取り出しました。表書きはなく糊付けもされていない、なんの特徴もない無地の封筒です。

 そこから更に2枚の紙を取り出しました。少し厚めのカード状をしています。こちらも色は白で、それぞれこんなことが書いてありました。



〔一枚目〕

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 たごのうらに うちいでてみれば しろたえの

 ふじのたかねに ゆきはふりつつ



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



〔二枚目〕

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


  白妙様


      にまで待ちつづつつ


                  一条


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 一枚目のカードには和歌。二枚目のカードには暗号文。

 一目見るなりまでこさんが言います。


「ふむ。真白さん、この和歌は万葉集ではないね。百人一首の歌だ」


「えっ? でも調べたら歌人は山部赤人という万葉歌人だとあったのですが」


「元は同じ歌でも、百人一首と万葉集では和歌の内容が少し変わるのだよ。こういう風にね」



【百人一首】

〈田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ〉


【万葉集】

〈田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける〉



 までこさんは席を立つと、万研部の部室――もとい図書準備室にあるホワイトボードにさらさらと二つの和歌を書いていきます。



「万葉集では田子の浦から見る眺めを『雪が降り積もっていた』と表現しているのに対し、百人一首は『今もなお降り続いている』と直し、富士の悠久の神々しさが想起される幻想的な歌へと仕上げている。

 物語性を持ちより詩的で幻想的なものが百人一首なれば、歌人が体験した感動がそのまま読み込まれたおおらかさを持つものが万葉集の和歌なのだよ」



 二つの和歌を見比べて1年生二人はへぇーっと感嘆の声をあげます。

 けれどまでこさんは書き終わった所でほぅ、と悩ましげな吐息を漏らしました。





「ふむ……。残念ながらこの和歌と暗号文にどんな意味があるやら、現時点では皆目検討もつかないね」


「そんなぁ……先輩ならきっと何か判るかもと思ったのに……」


「けれど暗号文が誰に宛てたものかというのは一目瞭然だね」


「えーっ、なんかわかったんすかヨーコさん!?」



 やはり揃って目を丸くする二人に、までこさんは涼やかな目を細めて婉然と微笑み返します。直後にアトソンくんがあまりの神々しさに両目を押さえて床を転がったのでましろさんが怯えた目を向けますが、いつもの事なので気にしてはいけません。



「なに、そう深く考える程のものではないよ。君たちももう一度二枚目のカードと、そうだね……この2首の和歌を、見比べてみるといい。恐らく気がつく事がある筈だ」



◇つづく◇







===


◇謎解きのススメ◇


までこさんが言うには二枚目のカードは誰かに宛てたものらしい。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


  白妙様


      にまで待ちつづつつ


                  一条


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




◇ヒント

【百人一首】

〈田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ〉


【万葉集】

〈田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける〉




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