灰の少女とガラスの騎士
さちはら一紗
第1話 騎士の少女
昔々、否。これは未だ続き、続ける今のこと。
世界は物語で出来ていた。
ひとは皆生まれた時よりそれぞれの物語が記された『運命の書』を与えられ、筋書きを辿り生きていく。
そこに疑問はなく、穏やかに物語は巡り続けていた。
そんな中、演じる役割を持たない少年少女たちがいた。
『空白の書』
それは真っ白な頁で構成された『運命の書』。
生まれた
かれらは狂わされた物語を正すため、いくつもの『
与えられた空白の意味を、探しながら。
これはひとつ、いつかどこかで記憶された物語。
◇
霧を抜けたとき、そこはもう既に別世界だ。
世界を隔てる霧は『沈黙の霧』だなんて大仰な名を付けられているけれど、幾度となく潜り抜けて来た今では、霧が感じさせる足下の定まらないような不安も大分薄れたというものだ。
(でも、一人で想区を渡るのはきっとすごく怖いだろう)
エクスはそっとそんなことを思う。
最初からにぎやかな四人旅だ。一人旅なんて想像もつかない。
くすんだ青髪の少年は、切り替わった景色を馴染ませるようにゆっくりと瞬きをした。赤色を帯びた瞳がぱちぱちと見え隠れする。
「今回も無事、着いたみたいね」
レイナの柔らかだが芯のある声が聞こえた。
淡い金髪を後ろで束ね、赤を基調とした仕立ての良さそうな服に身を包んでいる。幼さの残る顔立ちは、意志の強そうな碧眼が印象を相殺させていた。
レイナは皆の顔を確認し、よし、と頷く。
「さすが姉御。ここまでは上々です。ここからは迷子にならないように気を張らないとですね」
綺麗な黒髪を高く纏めた、涼しげな雰囲気をもつ少女、シェインが言う。一番年下に見えるが、あまり年下には思えない子だ。
「もう、シェインったら! 私、迷子になんかなってないってば」
シェインの控えめな声音だがはっきりとしたからかいに、レイナは頬を膨らます。だが間もなく目を泳がせた。
「なって、ないわよね?」
「おっ、お嬢にもとうとうポンコツの自覚が出てきたか」
ここぞとシェインの兄貴分であるタオまで茶々を入れ出したから大変だ。いつもの調子で口論が始まってしまう。
彼のその目付きは鋭い方なのだが、あまり尖った印象を与えない。服装はシェインと同じく風変わりで、灰色の髪をざっくりと束ねている。良く笑う青年だった。
どんどん勢いを増していくじゃれあいじみた口論を放っておくのもどうかと思い、まあまあ、とエクスは間を取り持とうとしてみた。けれど、すぐにシェインに倣って静観することにする。出来た妹分はとうに意識を周りへと向けていた。
あたりは一面木々ばかりで、日はもう沈んだ後、空に少しの残り火があるばかり。常緑の
今からでは、途中どうしても真っ暗闇をあるくことになりそうだ。さいわい道は均されている。人里からはそう遠くないだろう。
ふと、何かがエクスの脳裏を引っ掻いた。だが、その正体を突き止めようと考え込む間もなく、レイナと言い争っていたはずのタオが遮った。
「おっと、無駄口叩いてる場合じゃなさそうだぜ」
何かが動く気配がした。
皆は口を噤み、耳を澄ませた。各自『空白の書』と『導きの栞』を手にし、臨戦態勢をとる。
連なる低木と茂みから、聞こえる音は刻一刻と大きくなる。
息を呑む中、音の主はとうとう姿を表した。
飛び出してきたのは敵ではなく人間だった。
ここからでは少年か少女かもわからないが、エクスたちとそう変わらないくらいの年だろう。
「なんだ、人か」
エクスはほっと安堵する。
「いいえエクス。まだよ!」
言うや否や、レイナはもう駆け出していた。
追うように、次から次へと黒々とした矮躯の異形が飛び出してくる。
紛れもなく
奴らは黄色い目を爛と光らせ、その小人のような体躯に似合わぬ大きな鉤爪を、その子に振りかざそうとした。
「……っ!」
悲鳴ひとつも上げず、手にした剣で応戦するもあまりの数だ。そのまま二体目、三体目、だが四体目の攻撃を受け止めるのは間に合わない。
「させるかよ!」
血飛沫の代わりに上がったのは鈍い金属音。その攻撃は寸でのところで大盾に防がれた。
割って入ったのはタオだった。だがその姿は先程までと同じ、異装の青年ではない。
銀の甲冑を身にまとった忠義の騎士ハインリヒだ。
彼の槍は次々とヴィランを貫き、蜘蛛の子を散らしていく。
そこにすかさずレイナとシェインから的確に魔法が飛び、逃げ場もなくヴィランは倒されていった。
だが一体、まだ残っている。
「新入りさん、あの大きいの。いけますね?」
エクスは頷いた。
エクスが力を借りているのは豆の木の物語の主役、ジャックだ。
──巨人に比べりゃ小さいもんだよ。
他と一回りも大きいヴィランをジャックはそんなふうに言う。
──比べる対象がおかしいよ。
エクスは頭の中でそう言い返した。
そのまま疾く駆け、ヴィランに迫り、地面を踏み切った。
「あの空に行くまで、ぼくは諦めない!」
【ジャイアント・ブレイブ】。借り受けるのは、無謀とも果敢ともいう少年の勇気の一撃だ。
「いけえ!」
放たれた斬撃は黒い巨体を強く薙ぎ倒した。
◇
「助かったよ、キミたちがいなかったら危なかった!」
先程まで命の危機だったとは思えないほどに、快活な礼だった。
間近で見ればよく分かる。華奢な手足に柔らかな線、愛らしいけれど幼すぎない顔立ちと、この年頃の少年と仮定するには高すぎる声。
どこから見ても、女の子だ。
一本に纏められた銀色の長い三つ編みと、立派な鞘に収められた剣──確かその刃は不思議な輝きを放っていた──そして、男物の制服じみた堅い装いが特徴的だった。
どこかみすぼらしいが、暗い色の制服に見覚えがあるような気がする。エクスはまじまじと眺めた。上手く記憶に合致しない。よくありそうなデザインだからだろうか。
「
少女はにこにこと笑いながら両手でエクスの手を掴み、少々強引な握手を結んだ。
「これでも騎士……きし? ううん、せいぜい見習いってやつかな。とにかく、ボクはそういう者なんだけどね。いやぁ、お恥ずかしい限りだよ! 次があったら是非とも名誉挽回させてもらいたいものだね! まあ、次なんてない方がありがたいんだけどね!」
勢い良く捲し立てた。
圧倒されながらエクスも頷きかえす。リヨンの手は、細いけれどざらついて確かに硬い。
「この国も、女の子が騎士になれるんだね」
ヒーローの中には女の子もたくさんいたし、中には騎士もいた。リヨンにも親近感が湧くというものだ。
「ん? もちろん、ボクは男だよ。もちろん!」
「えっ」
まじまじと見るのはどうかと思うけれど、制服の下の膨らみは少年というには無理がある気がするのだ。暗いから見間違い、ということにしておくべきなのか。
「そうか! 悪いな、間違えちまって」
困るエクスをさておいて、タオは豪快に笑っている。
タオとリヨンはなんだか気が合いそうだ、とエクスは思う。似ているし、髪色とか。なんとはなく、駄目な気はしていた。
「ええ……?」
レイナの困惑は見え透いた嘘をついているリヨンと、それを真っ向から信じたらしいタオの両方に向けられている。
シェインは諦めたように首を振る。
「そういうことにしておきましょう」
そういうことになった。
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