怪談のこと みっつめ
僕らは再び夜の中に取り残されてしまった。正確に言えば、一度だって抜け出せていない。
昨今の電子機器は電波時計が標準内臓されている。たとえズレが生じたとしても、時間が経過すれば自動的に更新される仕組みになっている。はずだった。
それがおかしな事になっているとなると、理由は三つ。受信機が壊れたか、送信側がサボタージュしているか、電波が届かない場所にいるか。
「たぶんだけど、僕らは今、閉じ込められているらしい」
現状確認のために口に出してみたら、予想以上に心へのダメージが大きかった。
「時間的になのか、場所的になのかは分からないけれど。夜がずっと終わらなくなっている、のは確かだと思う」
電波が届かなければ、受信側は内臓された時計に従って時間を進める。つまり僕らが過ごした時間は確かに存在していて、けれどそれでも夜は明けなかった、ということになる。
「どうしてこうなっちゃったんだろ」
「それは、まあ、百物語のせいだろうなぁ……」
それぐらいしか原因として思い当たるものはない。実は僕らとは全然まったく関係ないところで何かが起きた結果だとしても、それが今の僕にわかるはずもなく。
「思ってた以上に、大変なことになってるみたいだ。これからどうしたら良いか……」
「ずっと朝にならないと、誰も学校に来ないよ。私達だけで、解決するしかないと思う」
「僕らだけで? 僕らだけ、しか、いないよね」
ハードルが高すぎる。原因も事態の全貌も解決策も何もかも不明なのだ、まず何をすべきかさえ判断することができない。
「一つだけ、わかってることがある」僕は嫌々ながらそれを言った。「このまま、この教室に閉じこもっていても、何も解決しないみたいだ。行動せず、ただ待っているだけじゃ、ここから脱出はできないっぽい」
「外に、出るしかないんだね」
とても不安だ。隈原先輩も藤京さんも、教室の外で行方が分からなくなった。何が起きたのか、何が潜んでいるのか、まったくわからない。
かといって、教室の中にいつまでいても、夜は終わらない。
「古寺くんなら、こう言うだろうね。虎穴に入らずんば虎子を得ず、って」
その言葉に、僕が何を言わんとするか東森さんは察したらしい。
右腕をしっかりと握りなおし、僕の目を見ながら頷いた。
「それじゃ、行こう。もしかしたら、先輩や藤京ちゃんが見つかるかもしれない」
「そうだね。悪いことばかり起きるって限らないし」
「でも気をつけよう」
「うん」
そして僕らは意を決して、再び夜の廊下へと出て行った。
いつまで続くのかわからない夜の中、僕らはまず自販機のコーナーに立ち寄った。
そこで藤京さんを改めて探してみたけれど、今度も姿を見つけることはできなかった。今となっては、本当にここで消えたのかどうかすら自信を持てない。それくらい、信じがたいほど唐突な出来事だったのだ。
ところで自販機のほうは、お金を投入した痕跡が無かった。僕らが藤京さんに渡した小銭も一緒に消えてしまったらしい。別に惜しいわけではないけれど、何かが変だった。
「藤京さん、確かお金を入れてたよね」
「うん。入れる時の音が聞こえてたよ」
けれど自販機の釣り銭口にも、商品取り出し口にも、お金や缶、もしくはペットボトルの類は無かった。ボタンを押す前に藤京さんが消えたのなら、商品が無いのはわかる。けれど一度投入したはずの小銭まで消えているのは、どう考えても不自然だった。
「仮に藤京さんが消えたのが、何かのせいだとして」
「うん」
「その何かは藤京さんと一緒に、釣り銭レバーを引いて小銭も持っていったことになるけど」
「なんでそんなことを?」
「さあ……生活が苦しいのかな」
そう考えると途端に怖さが半殺しされてしまった。
時間を置いて冷静さを取り戻したのは、無駄ではなかったようだ。落ち着いて一つ一つ見ていけば、なんとか解決の糸口が見つかるかもしれない。うん、希望が見えてきた。
「それじゃ次は体育館のほうへ行ってみよう。さっきは結局行けなかったから、もしかしたら先輩がいるかもしれないし、そうじゃなくても何か分かるかもしれない」
電灯の上を避けながら、廊下をひたひたと二人分の足音が先導していく。
普段なら(一部の人を除いて)足場にされない天井板を踏む音が、冷え冷えと静まりきった空気に余計なほど響いて飛んでいく。
隈原先輩が向かった体育館まで、あと僅かといったところ。
「先輩は男子更衣室のほうのシャワー室に向かったはずだ、たぶん」
「じゃあ、先にそっちだね。先輩、いると良いけど」
「うん。でもまあ、仮にいなかったとしても、女子更衣室のほうに向かったって可能性もあるよ。僅かながら」
「それはちょっとやだなぁ」
あえておどけてみせて、緊張を解す。対する反応もいつも通り。うん、いい調子だ。
学校が寝返りをうったことで上下逆さまになっている範囲は思ったよりも広かったらしく、体育館に近づいても相変わらず天地が逆転したままだった。体育館そのものも巻き込まれているかは定かではなかったけれど、少なくともその手前にある更衣室やシャワー室のあたりは、まだひっくり返っている部分に含まれているのだろう。
東森さんを後ろに、僕が先行して歩く。なにが起きても良いように、互いに手を繋ぎながら。
廊下の窓から見える外はまだ暗い。時間が止まっているのか、それとも夜が繰り返しているのか。どっちにしろ上下さかさまな今、外に出るのは危険だ。
「ええと、どっちだったかな」
廊下の丁字路でしばし迷う。天地がひっくり返っていると、見慣れた景色も左右の方向間隔が鈍ってしまう。
「ああ、自販機があそこにあるから、更衣室はこっちか」
こういう時は目印を見つけると楽だ。
僕は東森さんの手を引いて、さらに先へと進もうとした。
「あれ?」
不意に、東森さんがつぶやいた。
「なんか、変、かも」
「変って?」
「ええと、うーん」
振り返ると、東森さんは首をかしげていた。
「うーん」
さらに大きくかしげていく。なにしてんの君。
「そこまで思い悩むようなことでも?」
「えっとね、そうじゃなくて、あ」
東森さんの目が、眼鏡の奥で見開かれた。
「わかった」
そう言った途端、彼女が消えた。
「え?」
まって、今、なにが起きた。
僕はしっかりと、たしかに腕を握っていたはずなのに。
だって、ほら、そう、今だって……。
僕は視線を下げて、それを見る。
「…………」
東森さんの腕は、肘から先しかなかった。
だらりと、持ち主を失った腕が下にたれさがる。
「――――っ」
喉まで出かかった悲鳴を、無理やり飲み込んだ。
お、落ち着け。いつものことだ。こんなスプラッタ一歩手前なのは初めて見たけど、東森さんがやたらよく死ぬこと自体は日常茶飯事じゃないか。それはそれで困りものだけどさ!
僕は深呼吸をして息を整え、東森さんの残った腕を抱きかかえて、周りを見渡した。
再び明かりに照らされた廊下には、やっぱりと言うべきか、僕以外の人の姿はなかった。東森さんはどこにも見えず、忽然と消えていた。
どこに消えたのか。そして誰が消したのか。
「いったい、なにが、どうして……」
わからない。なにもかもわからない。
僕は背後をとられまいと、廊下の壁を背にする。なにに背後をとられるのかは知らないけれど、目で見えない後ろに空間があることが怖かったのだ。
とうとう、僕一人になってしまった。
この得体のしれない状況はなんなのだろう。三人の人間が消え、なにに消されたのかもわからず、どうして消えたのかもわからない。夜は終わらないし、手がかりもない。
「……わかった、て。なにが、わかったんだ?」
そういえば、東森さんは最後に言っていた。『わかった』と。
意味ありげな言葉のすぐ後に消えてしまったのは、きっとなにか関係があるのだろう。
じゃあ、なにが『わかった』のか。
東森さんは、なにに気づいたんだ?
あたりを改めて見渡してみるけれど、ヒントらしきものは見当たらない。普通の、いつも見ているのと変わらない廊下があるだけ。強いて言うなら体育館に近いぐらいだけど、その位置関係に意味があるとは……。
ビクリ。
「うぇっ!?」
もぞもぞと胸元に蠢く感触が! 突然のことに、思わず押し殺していた悲鳴が口から飛び出してしまった。
なにごとかと恐る恐る下を見れば、僕の腕の中で、東森さんの残された腕が動いていた。
「え、えぇ……と」
なにこれ。こわい。
東森さんの腕は僕の服を触ったり引っ張ったり、しばらくもぞもぞしていたけれど、そのうち大人しくなった。と思ったら、今度は僕の腕を掴んで、ぐい、ぐいと引っ張るように力をこめてきた。
なにかを伝えたいんだろうか。
とりあえず状況が状況なだけに、なんで腕が勝手に動いているのかについては、今は追及しないでおくことにする。
「どうしたの?」
僕は東森さんの腕が動きやすいように、持つところを変えてやった。やや自由になった東森さんの腕は手首のスナップでキョロキョロしてるような仕草をしたあと、ある方向を指さした。
廊下の先、丁字路の方だ。
「あっちに、なにかがある?」
そう問いかけると、けれども腕は否定するように手首を左右へブンブン振る。
「違うの?」
じゃあなんだろう、東森さんの腕が伝えたいのは。
読解力が求められるジェスチャーでの意思疎通は難しい。
「君に口があったら良かったのにね」
その言葉に、ショボンとしたように手首が力なくうなだれた。
次いで、ピンときたように、人差し指が上にはねあがった。
「なにか思いついた?」
腕は嬉しそうに上下へ手首を振り、そして人差し指を僕の胸におしあてた。
ぐーり、ぐーり、と指が僕の胸の上をなぞる。それは図形を描くようで、しかしすぐによく知っている文字だと気づいた。
「えっと、『はんたい』……?」
そうそう、と言いたげに手首がまた上下に振られた。
はんたい。反対、だよね。反体制派だとか繁体字だとかじゃないよね。
反対。
丁字路。
「もうちょっとヒントくれない?」
ダメもとで頼んでみると、出題者はよろこんで僕の胸をなぞってくれた。サービスいいなぁ。
ぐにぐに書かれる文字を、僕も一緒に指で宙に描く。
「か、が、み。鏡?」
東森さんの腕は、親指をグっと上げて褒めたたえてくれた。
反対、鏡。
僕は東森さんがそうしたように、首をかしげてみる。
「ああ、なるほど」
そして同じ言葉をつぶやいた。
「わかった」
○
気がつくと、僕はなぜか仰向けに倒れていた。
冷たい廊下の床から身を起こすと、目の前に東森さん、そして隈原先輩と藤京さんの三人が僕を囲んでいた。
「(…………)」
「あ、どうも、おはようございます……」
「おはようございます」藤京さんが律儀に挨拶を返す。「戻られたようですね」
「戻った……?」
寝起きのような気だるさが、頭の回転を鈍らせている。それでも悪い事態が終わったことは、なんとなくわかった。
「あのー、ともくん……」
すると、東森さんが困ったような顔を僕に向ける。
あれ、解決したと思ったのは早とちりだった?
「もういい?」
もぞもぞと、僕の胸元でなにかが蠢く。
視線を下ろせば、東森さんの腕が所在無さげにしていた。どうやら僕は無意識のまま掴み続けていたらしい。
解放された腕は断たれていなくて、最初からちゃんと東森さんにくっついていた。
「えーと、それで、これは問題が解決したってことで、いいのかな」
僕のつぶやきに、みんなは顔を見合わせて、そしてうなずいた。
「うん、無事に終わったよ」
東森さんが、ホッとした顔でそう言った。
「我々は昨晩、なにに巻き込まれたのでしょうか」
上下が正しく戻って、再び床に落下した机と椅子を、みんなで片付けていると、藤京さんが当然の疑問を口にした。
「当初は、先輩方が言うように、学校が寝返りをうったものだと思っていました。しかし上下だけでなく左右まで逆になっていたのは、おかしいかと」
「そうだよね。こう、くるん、って回っただけじゃ、鏡に映したみたいに反対にならないし」
床に落ちていた黒板消しを拾った東森さんが、それをくるくると回して説明に使う。
「ならあれは、鏡の中の世界だったのかな。ただ気になるのは、最初は確かに寝返りだったはずなんだよね。だから僕らは途中のどこかで、別の校舎に入り込んじゃったと思うんだけど。それは、いつなんだか……」
「教室が停電した時、かな」
「おそらくそうでしょう」藤京さんが頷く。「隈原先輩によると、停電はなかったといいます。それから考えるに、あれは停電ではなく、我々が別の空間に移動した、のではないかと」
「だからスイッチが切になってたんだね。私たちが迷い込んだ教室は、最初から電気が点いてなかったんだ」
なるほどー、と東森さんが納得する。
「異次元というか平行世界というか。なんだかランダム教室みたいだ。僕らがいた教室、そんな曰くありましたっけ」
熊原先輩は無言で首を横にふった。先輩が知らないんじゃ、怪奇現象系のなにかじゃなさそうだ。SFか魔法系だろうか。
「便宜的に、鏡の世界と呼びますが。別の世界にいたのであれば、熊原先輩と電話が通じなかったのも頷けます。私も目覚めたあと、お二人に電話してみたのですが、着信はありましたか?」
僕と東森さんは一緒に首を横へふった。それを見て藤京さんは「やはり」と得心したように頷いた。
「ん? 目覚めた? そういえば僕も横になっていたけど、なんでだろう。鏡の世界に入った時に、意識は飛ばなかったよね」
「……夢の世界、だったのかな」
東森さんが首をかしげる。
「私達は今、目覚めの世界にいるのか、それとも夢の世界にいるのか」
「胡蝶の夢ですか」
「うん。もしかしたら私たち、みんなで夢を見ていたのかも」
「それはないよ」
僕は笑って否定する。
「うん、それはない。きっとね」
「確かに、熊原先輩と私で校舎を隅々まで見て回りましたが、お二人の姿はありませんでした。身体ごと鏡の世界にいた、と考えるべきでしょう」
「そっか、じゃあ夢じゃなかったんだ」
ふにゃり、と笑う東森さんを見て、僕は苦笑を浮かべた。
「それにしても、この学校の変な現象にしては、抜け出すきっかけは易しいもんだったね。左右反対に気づければオッケー、と」
「私たちは気づくの遅くなっちゃった」
「ええ、そうです、僕が一番遅かったよ。ちぇっ」
軽く肩をすくめておく。
「先輩は、そもそも左右反対の校舎にはいなかったから、いいとして。藤宮さんはどうして気づいたの?」
「私が左右反対に気づいたのは、自販機の表記を見た時です。上下が逆さまになっていたので、首をこう、傾げて読もうとしたら、読めないことに気づきました」
「文字かぁ」
それは大ヒントだろうな。左右反転した文字は、プリントを裏から見た時ぐらいしか、日常でお目にかかることはないのだろうし。
「私は、体育館へ行く方向が『今は反対になってるから、いつもと逆で~』って考えてたのに、ともくんが指した自販機の方向がいつもと同じだったから、あれ、って」
「そうか、気づけたのは僕のおかげだったんだね。僕が何も考えずに間違えたから。ちぇー」
僕の株価大暴落だよ。
「で、東森さんが僕を残して脱出できたのはいいとして、そのあと腕だけ残ってたのはなんで? 僕と手を繋いでいたから?」
「え?」
東森さんはきょとんとした。
「私、腕だけ置いてきちゃってた?」
「あ、これは身に覚えがない時の反応ですね」
「私と熊原先輩がお二人を見つけた時、どちらも気を失っていました。覚えていないのも、そのせいでは」
つまり、藤京さんたちが駆けつけてきた時には、僕が「わかった」後だったのだろう。
東森さんは意識を失った状態で、無意識の中で僕を助けてくれたのか。それとも腕だけ別の生き物になって助けてくれたのか。うわあ後者は考えたら怖い想像だ、どうかそうではありませんように。
「しかし倒れてまで腕を抱きしめているなどと、少々イチャイチャしすぎではないでしょうか」
「誤解を生むような言い方やめて! 不可抗力だから!」
真面目顔でとんでもないことをさらっと言う藤京さんと、きょとんとした東森さん、そして頭を抱えた僕。そんな僕らを見ながら、熊原先輩は黙って笑いをこらえていた。
散らばった机や椅子をあらかた片づけたし、四人だけじゃ限度があるから、残りは登校してきた生徒各自に任せよう。そういうことにして、僕らは一息をつく。
「結局、なんで鏡の世界に入り込んじゃったのかは、謎のままかぁ」
「百物語達成記念とかだろうけれど、この学校のおかしなことに一々理由を求めるのは無理ってものだよ。まあ、たしかに気にはなるよね」
「(…………)」
このほうが面白い、と熊原先輩はボソボソ言った。
「なぜです?」
「(…………)」
なんだかわからないものに遭遇した、そういうのが一番怪談らしくて良い、と。
「先輩の怪談好きは筋金入りですね」
みんなで笑いあい、これからどうするかを考える。
「あふ。ほとんど徹夜みたいになっちゃったね。眠いなぁ」
「各自、一度家に戻られますか」
「そしたら、そのまま眠っちゃいそうだよ……」
「あー東森さんはもうダメそうだねこりゃ。僕もどっと疲れたし、正直休みたい……」
「この場合、欠席理由として認められるでしょうか」
「(…………)」
「ですね、僕らが学校に残ったのは学校、というか校舎の問題ですし。まあ、なんというか」
僕は眠気をさますように、軽く体をのばして、空を見上げた。
「これで休んだぐらいで、ペーパー学級委員にされたり、しないでしょ」
長かった夜のあとに見る朝は、とても清々しかった。
怪談のこと おわり
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