第四話『私にはツバサがないの』

「君、何してるの?」と少女に声を掛けられるまで晴翔はるとはその場を動くことができなかった。


「あ、いや……。何してるか……何してるんでしょうね。あはは……」


 急に話しかけられた晴翔はどう返事すれば良いのか迷った。まさか、「君に見惚れてだんだ」なんて言えるはずがない。こういう時、汰一たいちならすんなりと答えられるのだろか。


 その結果、晴翔の口から紡がれた言葉はタジタジで意味のわからないものになってしまった。


「ふーん。変なの。自分でも分からないんだ〜」


 挽回を図ろうと必死に脳みそをフル回転させる晴翔をよそに少女は満遍の笑みを浮かべながらにっこりと微笑みながら言った。


「ねぇ、ところで君、バスケやるの?」


「……え、なんで?」


「だってその着てる服、バスTでしょ?」


「あ、ああ。そういうことか」


 唐突に投げかけられた質問に一瞬、素っ頓狂すっとんきょうな声を上げてしまう。その恥ずかしさから晴翔の頬は少しだけ朱色しゅいろに染まる。


「やるよ……たまにだけど。そこまで上手くないし、趣味みたいなかんじかな」


 心の動揺をなるべく悟られない様に平常を意識しながら言葉を繋げた。


「そーなんだ。 私もバスケやるんだ。大好きなの!! こう、ボールに触れてると心が落ち着くよね!?」


 急に少女の表情がパッと明るくなった気がした。心なしか少女の黒い瞳がキラキラと輝いてる様にも見える。

 この子は心の底からバスケが好きなのだろう。


「そ、そうだね……。僕もそう思うよ」


 ーー違う。そんなわけない。


 胸に絡み付いた嫌な物を無視して晴翔も笑顔を浮かべながら答えた。少女の底抜けに明るく屈託のない笑みの前では本当の事を言うことは出来なかった。晴翔の心の中で申し訳ない気持ちが溢れる。


「うんうん。そうだよね。やっぱりバスケは楽しいよね!! 君、ポジションはどこのなの? そんなに背が高い訳じゃないからポイントガードとか?」


「背が高くないって。少し気にしてるところなのに……。シューティングガードだよ。ドリブルもパスも上手くないんだ」


 少し照れた様に明後日の方向へ視線を逸らしながら晴翔は語った。


「あ、そのゴメン。私、そういうところ鈍くてさぁ。でもシューティングガードかぁ〜。……ねぇ、スリーポイントシュート撃ってみてよ!!」


 本当に申し訳なさそうに謝ると、少女は笑顔に戻ってボールを差し出してきた。

 この子の笑顔は何でこんなにも澄んでいるのだろうか。


「い、一回だけなら。あんまり期待しないで」


 モゴモゴとした口調でそう言うと晴翔は少女からボールを受け取った。

 受け取ったボールは体育館で使用されるしっとりした人工皮のボールではなく、ゴム製のボールだった。ただ、あるべき滑り止めのブツブツは使い込まれた結果、すべて取れてしまってボールの表面はサラサラとしている。


 晴翔は昨日ぶりに触ったボールの感触を確かめる様に手の中でクルクルと回す。そしていつもの様に構えて飛ぶ。身体が最高地点へ到達したところでシュートを放った。


 晴翔の手から放たれたボールは緩やかな回転で綺麗な弧を描く。そして、ネットのないリングに吸い寄せられるが如く収まった。


「……す、凄い。凄いよ、君!! なんでそんなにシュートフォーム綺麗なの!? 君もしかしてバスケ、めちゃめちゃ上手いでしょ?」


 少女は興奮気味に車椅子を漕ぎながら晴翔に近づいて晴翔の右手を両手で握った。

 少女の手は僅かに暖かくしっとりとしていた。温もりを感じると同時に晴翔は自分の心臓音が騒がしくなるのを感じた。


「たいしたことなよ。これだけしか出来ないんだから。それにこんなの誰にでも出来るさ。君も少し練習すれば余裕だよ」


 照れ隠しに口早に言葉を繋げる。しかし、晴翔の言葉を聞いた少女の顔は先程までとは打って変わって暗い表情になっていた。


「……どうしたの? 僕、何かまずいこといっちゃったりした?」


 少女の急変ぶりに晴翔は言ってはならない事を口にしたのかと不安になる。


「……違うわ。ただ、私にはツバサがないの。だから、君みたいな綺麗なシュートは撃てないのよ。だって、シュートを撃つにはツバサがいるでしょ?」


 そう口にすると少女は自らの足に目線を向ける。晴翔は少女の目線の先を見たとき全てを理解した。


 ーーやっぱり、言っちゃいけない事を言ったんだ。最悪だ。


 それに気がつくと晴翔は自分の言動を後悔した。

 シュートを撃つにはジャンプする必要がある。両足を使って……。

 彼女が言う『ツバサ』とは足の事だ。足が無ければシュートは撃てない。彼女はそう言ってるのだ。


「そうだな……。ごめん。足の怪我、そんなに酷いんだ」


 彼女が車椅子の理由を捻挫か何かだとばかり思っていた。でも、違った。捻挫ならいずれ治る。骨が折れててもいずれ繋がる。その程度の怪我ではあんなこと言う筈がない。


「……うん。試合中に怪我しちゃってね。脊髄を損傷しちゃったの。お医者さんからはもう、一生歩けないって言われてる」


「そんな……」


 なんて言っていいのか晴翔には分からなかった。あんなに楽しそうに目を輝かせて、バスケについて語る女の子がプレイは疎か歩くことすらままならないなんて残酷すぎる。

 言葉にならないモヤモヤが晴翔の心臓を締め付けた。


「……はい!! もうこの話はおしまい!! 変な話してごめんね。会ったばっかりの知らない人のこんな話聞いても面白くないよね」


「そんな事は……。そもそも、こんな話になったのは僕の所為だし、君が謝る事じゃない」


 胸が痛かった。別に直接的な痛みじゃない。もっと、言葉に言い表すには余りにも難しく表現できない痛みだ。


「優しいのね。君は……。そうやって私のこと心配してくれるだけでも嬉しいわ」


 少女は太陽の様な笑顔で言った。夜だというのに彼女を中心に世界が明るく見えた。


「僕は優しくなんかない。そほれよりも、君は強いね。僕だったら耐えられないよ……」


 自分の一番大切なものが一瞬にして失われる。その痛みを想像しただけで晴翔は胸がはちきれそうだった。


「……ここに来て、よかったわ。きっと東京にいたら君みたいな優しい人に出逢えなかった」


 少女は笑顔を崩さずに静かに語り始めた。


「私ね、東京ではそこそこバスケで有名な高校に居たの。チームメイトともそこそこ、仲が良いいと思っていた。だけどそれは私の勘違い」


「……え?」


「怪我で足が動かなくなった途端にチームメイトは私のことを見限って相手にしなくなった。私ね、そんな空気が嫌でこっちに越してきたんだ」


「そ、そうなんだ……。大変だったんだね」


 晴翔は少女の言葉に対して小説や漫画の定型文の様な言葉しか出てこない自分が情けなかった。信頼していたチームメイトに裏切られた彼女の気持ちを考えると心が痛んだ。

 少女に何か言葉を投げかけてあげたかったがその言葉を探し当てる事ができない。


「……だから今日はここに来て良かった。同じ様にバスケが大好きな君と話せて少し楽になれたよ」


「役に立てたなら嬉しいよ」


 その時、少女のスマホの音が鳴った。


「あ、お爺ちゃんからLINEだわ。早く帰って来い、だって。ふふ、スタンプまで押しちゃって」


 どうやらお爺さんからの帰宅を催促する連絡だった様だ。スタンプがよほど面白かったのか彼女はクスクスと笑っている。


「それじゃあ、私、帰るわね。今日はつまらない話ばっかりしてごめんね」


 そう言って彼女はバスケットボールを膝の上に乗せると片手でボールを抑えながらもう一方の手で車椅子を漕ぎだした。

 彼女の背中がドンドン遠くになっていく。


「あの!! また、ここに来てよ!! ここに来て、僕と話そうよ!! 僕、毎日ここに居るからさ!!」


 気がつくと晴翔は遠ざかっていく彼女の背中を見つめながら叫んでいた。


 彼女は一度止まって振り返ると笑顔を浮かべて晴翔の方へ手を振る。

 その後、晴翔も彼女の背中が見えなくなるまで手を振り続けたのだった。


「聞こえたのかな? ……あ、そういえばあの子の名前聞いてないや」

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