フルカラープログラム〜翼のない君へ〜

鳳山ヒイチ

一章

第一話 『好きでやってるんじゃないよ』

 土曜日。今日も体育館は騒がしい。四時半には帰れる、という教師の言葉がいとも容易く覆されるのは毎度のこと。今日こそは、と淡い期待を少しでも胸に抱いた自分自身を阿保らしく思いながら灰村晴翔はいむらはるとは手に持ったバスケットボールをリングへ目掛けて宙に放った。

 晴翔の手から放たれたボールは綺麗な放物線を描いてネットへと吸い込まれる様に収まった。


 今度こそ断ろうと思っていたのに、また練習試合の数合わせにまんまと使われるとは。高1の夏休み明けの期末テストはもうすぐそこまで迫っている。


「ナイシュー、晴翔君!!」


 チームメイトの声が体育館の中に木霊すると同時に試合終了のブザーが響く。点数表に記される試合結果は12-56で晴翔のチームの大敗である。


 それにも関わらず、晴翔以外のチームメイトは皆、悔しそうな素振りを見せるどころかさも当たり前の様な涼しげな表情で笑っている。


 ーーなんでだよ?



 内に湧き上がる気持ちの悪い感覚に無理やり蓋をかぶせて晴翔は無言でコートを立ち去った。



 ◆


 なんで自分の人生の色はこんなにも濁っているのだろうか。晴翔はオレンジ色の夕日が差す更衣室の中で、脱いだバスTを鞄の中に丸め込みながら陰鬱に浸っていた。


 試合の結果は12-56。うち、自チームの得点は全て晴翔のスリーポイントシュートだった。


「ったく、やってられるかよ!!」


 考えれば考える程にイライラしてきて自分の右拳で古びたロッカーを殴りつける。ドン、という鈍い音に遅れて右拳を鈍痛が襲う。


「ああ、イッテェ!! チクショ、なんなんだよ、もう」


 負けたくない、とは思っていない。勝とうとも思っていなかった…ただ、『勝ちたい』とは本気で思っていた。


「……何に対して熱くなってんだよ、僕は。あんな不毛な試合はどうでもいいだろ」


 爆発寸前の気持ちを無理やりな言葉で落ち着かせる。汗まみれの身体を乾いたタオルで一通り拭いてからまっさらな白いポロシャツに着替える。

 今はもう、この体育館という場所から一秒でも早く抜け出したかった。


 全ての荷物を詰め終えて、エナメルバックを肩に掛けると晴翔は乱暴に更衣室の扉を開けた。

 何に対して自分がこんなにもイライラしているのか分からない。兎にも角にも腹立たしかった。




「あ、灰村君!! 今日も助かりました」


 不機嫌な様子で更衣室から出てきた晴翔の様子など気にもとめずにバスケ部顧問の遠藤がニコニコと笑いながら話しかけてくる。

 全ての元凶は彼女、二十五歳、独身、担当教科は古典、かなりの天然、この教師にあるのだ。


「僕は助かってません。むしろ、迷惑でした」


 不機嫌を隠そうともせずにぶっきら棒にいう晴翔。しかし、遠藤は持ち前の天然を発揮してかニコニコとした表情を崩すことはない。


「そんなこと言わずに、また次もお願いしますよ。灰村君だってバスケ好きなんでしょ?」


 この教師の恐ろしいとろは人の触れて欲しくないグレーな場所へ土足で堂々踏み込んでくるところだ。

 タダでさえイライラしてるというのにこれ以上彼女の相手をしていると頭の血管の一つや二つ簡単にはち切れてしまいそうな気がした。


「……とにかく、今回で最後にしてくださいね」


 遠藤の問いには触れず一方的にそう言い残すと、まだ後ろで何か話してる遠藤を無視して晴翔は体育館を後にした。




「ムカつく。何なんだよ、あれは?」


 試合を思い出すたびに気持ちの悪いあの感覚が湧き上がる。試合の内容がどうとかでは無い。終わった後のあの態度だ。何で負けたのにヘラヘラしていられるのか、晴翔には理解できなかった。


 行き場をなくした感情をグッと堪えながら体育館裏の駐輪場へ回り、八つ当たり気味にママチャリのスタンドを蹴り立てる。

 バコン、という弾むような音を立てスタンドは持ち上がった。

 体育館の方からはまだ、試合後の後片付けをしているバスケ部の正規部員達が談笑している声が聞こえてくる。その声が余計に晴翔の神経を逆なでる。


「チッ、ふざけやがって。こっちは負けに来てるんじゃねんだよ。負ける気なら足りない部員を補ってまで練習試合なんてするんじゃねーよ」


 独り言をブツブツと言いながら愛車のママチャリのサドルに跨がろうとした時、不意に背後から声を掛けられた。


 独り言を聞かれたか? と一瞬、ドキッと心臓を中心に変な感覚が身体を駆ける。だが、どうやらそれは取り越し苦労の様だった。


「お疲れ、本日も大活躍だったな、我が親友よ」


「また、来てたのかよ。お前は暇なんだな、我が友よ」



 晴翔は振り返らずに無愛想に返事をするがその声音からは嫌悪の色は感じ取れない。寧ろ、内心ではあの嫌な感覚が別の良いものへと昇華されていく様な感覚を味わう。


 中庭汰一なかばたいち。高校生にしては大柄で明るい茶髪の優男。晴翔にとって小学校から現在までの長い時を共有してきた唯一胸を張って親友だと言うことの出来る無二の存在だ。


「暇なのはお互いさまだろ? 晴翔だって毎回、嫌そうな顔しながらバスケ部の助っ人やってるじゃん」


「好きでやってるんじゃないよ。そういう汰一は僕が試合に出る時はいつもいるよね」


「そりゃ、俺の趣味は晴翔を見守る事だからな!!」


 屈託のない笑みを浮かべながら堂々危ない事を言い放った汰一に晴翔は絶句する。


「……マジか?」


「マジだ」


「……笑えねーよ」



 冗談交じりの会話を交わしながら校門まで来ると晴翔は無言でママチャリを汰一に渡し自分はママチャリの荷台へと跨った。


「今回で最後だよ。最後の情けでラスト一回、出てやったんだよ。なのによ……」



「その言葉も何度目やら……まぁ」


「……」


 差し出されたママチャリを受け取ると汰一はいつもの様に自転車を漕ぎ出した。身長の高い汰一が前で低い晴翔が後ろ。これが二人のいつものスタイルだった。


「まぁ、晴翔がそう言うんだからそうなんだろうな。そいじゃ、いきますか?」


「行くって、どこにだよ? またゲーセンか? あそこは飽きたぜ?、我が友よ」


 晴翔の言葉に汰一はニヤリと口元を釣り上げて白い歯を覗かせる。


「案ずるな、我が親友よ。どうやら新しい台が入ったらしいぜ?」


「新しい台ってパチコンか? あそこ、そんなもん入っても誰もこないでしょ」


「ノンノン、違うよ。新しい台って言えばあれしかないだろう? こう、パッコーンってヤツ」


 自転車を漕ぎながら変に高いテンションで汰一はいう。その言葉で全てを晴翔は理解した。


「新しい台ってバッティングマシンかよ……。ナックルでも飛んでくんのか?」


「いや、スライダーだよ!!」



 夏の心地いい風が頬を撫でていくのを感じながら晴翔は深いため息を吐いた。田舎の漁村として栄えるこの街には海と釣り船屋くらいしかない。街の外れにあるバッティングセンター併設のゲームセンターも大したゲームは置かれずクレーンゲームはいつも空だ。



「嫌だね。パスだ、パス。早く家帰って寝るんだよ今日は疲れたから」


「あはは、させねーよ。黙って付いて来い!!」


 汰一はそう言って声をあげて笑うと、自転車の速度をさらに上げるべく体を持ち上げた。


「ちょ、汰一、落ちるから、スローダウン、スローダウン!! 分かった行くから!!」


 いきなりのスピードアップに荷台で慌てる晴翔の事など気にとめた様子も無く汰一はドンドンスピードを上げていく。

 海に近づくにつれて嗅ぎ慣れた何とも言えない磯の匂いが二人の鼻腔びこうを刺激し始めた時、汰一は叫んだ。


「俺たちはの青春はバッティングセンターにあり!! そうだろ、我が親友よ!! どんな時でもあの場所が俺たちの帰る場所さ、例え彼女ができなくてもな!!」


 今日の汰一は何時にも増して上機嫌だった。理由は分からない。でも、汰一が語る様な青春も悪くは無いな、と内心で思う晴翔。


「そうだな、我が友よ!! でも、彼女は作りたい!!!!」


 ーーいいんだ、これで。これが僕たちの青春なんだ。


 胸に引っかかる強烈な違和感を無理やり放り投げて晴翔もヤケクソ気味に叫んだ。

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