第202話「孤食」

僕が、この小学時代を書いた訳は、僕の心の中にある嫌な感じを吐き出す為だった。でも書いているうちに楽しい事を思い出したので、そっちの方を書くようになった。でも今なら、ちゃんと書けそうなので、少し書いておこうと思う。

今朝、玉子焼きを作っていて思い出した。僕の中の、もう一人の僕の記憶の中では、僕はずっと独りで食べて来ていたのだった。


◇◇◇


保育園の時、4歳までは親父と実家近くのマンションに住んでいた。親父の仕事が遅くなると、爺ちゃん婆ちゃんの家に泊まっていた。でも、ほとんど爺ちゃん婆ちゃんの家で過していたので、4歳の時に引っ越しになった。


僕は、爺ちゃん婆ちゃんと食事をしていたが、3歳からは居間で一人で食べていた。2歳くらいまでは、テーブルのついた食事椅子で食べていたのだが、身体が大きくなり座れなくなった。それまで、一緒にお勝手のちゃぶ台で、爺ちゃん婆ちゃんと食べていた。でも、まだ小さい僕は、落ち着いて食べる事が出来なくて、立ったり座ったりししていた。そして、僕はちゃぶ台を膝で蹴ってしまい、良くちゃぶ台を揺すってしまっていたのだった。


ある日の夕ご飯。爺ちゃんは楽しみの晩酌をしながら夕ご飯を食べていた。僕も、椅子に座り食べていた、何かの拍子にちゃぶ台を蹴ってしまった。それ以前から、作法で爺ちゃんに良く叱られていたのだが、爺ちゃんのお酒の入ったおちょこをひっくり返してしまった。その日から僕は一人で、居間で食べる事が多くなった。


この事は、爺ちゃんが亡くなった時に、実家に行った時に見つけた保育園からのノートにも残っていて……


家族で食べて下さい


と、書いてあった。5歳のある日。早く帰って来た親父が、TVを消して一緒に食べようと言った。意味が分からなかった。 僕は、一人でTVを見ながら上手に食べられている。この他に何が必要なのだろうか?第一、今さら一緒に食べるのは、面倒くさい事だらけだ。僕はその時、そう思っていた。


親父は、遅く帰る事が多かったが、日曜の夜とか早く帰れる日は、一緒に食事をしていた。僕は、一人での「孤食」に慣れていたから、本当に面倒くさかった。

小学生になり、こぼす事が無くなったので、婆ちゃんから……


「一緒に食べよう」


と、言われたが、今さらな気持ちだったのと、好きなTVが見られない事から断っていた。(爺ちゃん婆ちゃんは、相撲などが好きだが、僕には興味がなかったからだ)


居間には、時間になると膳が運ばれ、時間になると片付けられていた。もう一人の記憶の中の僕は、そんな食事の時間も、多く過ごしていたのだった。


◇◇◇


実は、初期の小学時代では、こんな話ばかりを書いていました。(公開はしてませんでしたが、もっと恨み節のを書いていました。子どもの頃の怒りや悲しみを)でも、記憶とは不思議なもので、今の小学時代で書いてあるような家族との交流も記憶に残っていて、記憶とは、『解釈しだいだなあ』と、今では思っています。(なのできっと心の中には沢山の発見と体験がつまっていると、今の僕は思うようになったのです)


おしまい

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