9.0話 クマさん弁当
第1回C5組緊急クラス会議。
この会議は憂の『ごはん』発言により、張り詰めていた空気は一瞬で霧散した。
そして各々、コンビニや学食。持参の昼食など思い思いに散っていき、自然とお開きとなった。
教室内居残り組は幾つかのグループに分かれた。
その中で一番、大きなグループは窓際後方に位置していた。男子3名。女子5名の男女混成グループだ。
無論、憂と愉快な仲間たちである。
憂は小さな弁当箱を取り出した。千穂の弁当箱よりも更に一回り小さい。
2人の弁当は持参の弁当である。
「憂……それで……足りるのか?」
拓真は憂の弁当箱を見て、疑問を口にした。
拓真と勇太は、今日は注文弁当らしい。拓真が海苔弁当、勇太は唐揚げ弁当のようだ。憂の弁当は拓真の海苔弁当の半分ほどのサイズしかない。
「いっぱい――たべられなくて――」
寂しそうな表情で憂が言う。優であった頃には小柄な体に似合わず、なかなかの量を食べていたはずである。更に小柄になった分、食事量も激減してしまったらしい。
「――まえ「ホントだ。ちっちゃい! かわいー!」
相変わらずのハイテンションで佳穂が身を乗り出し乱入する。佳穂と千晶の2人はサンドイッチ。学園内の『コンビニ』では無く通学中に通常のコンビニで買ってきたもののようだ。2人は家が近く、一緒に通学している。
「おー! そのかわいー弁当箱の中身をそろそろ見せてー!」
勇太がテンションを引き継いで話す。
(前って……さっき、なんか危険だったよね)
千穂が拓真と勇太を見るとそれぞれと目が合った。2人も気付いたらしい。どこに罠が隠されているか分からない。この場で今現在、小首を傾げている憂に注意する訳にも行かず、千穂は小さく溜息を付いた。
「佳穂も勇太くんもゆっくりと話してあげようね」
「「あ」」
佳穂と勇太の声が綺麗にハモる。憂への対応を失念していた。
「ごめん! ついつい!」
「だよね。ついつい!」
「お前らいつの間に仲良くなったんだ?」
拓真の問い掛けに2人はお互いの顔を見る。彼らは、わざわざタイミングを合わせて同時に言った。
「「今日?」」
「わざとハモらせないで」
千晶がポニーテールを揺らしツッコミを入れる。その表情は如何にも面倒くさそうだ。千晶は制服アレンジ組である。セーラー服のスカーフは紺の物に代えられている。スカートもそれに合わせて紺である。佳穂も同じアレンジをしている。仲の良い生徒同士で、このように同じアレンジを加える事は多々あるようだ。ちなみに胸は千晶が大きく豊かで、佳穂は通常サイズである。
「――勇太――かほ――つきあって――る?」
思わぬ所からボケが飛んできた。話の端々の単語を拾って繋げているのか、流れをしっかりと理解している。
「いやいやいやいや! あたしは憂ちゃん一筋だからね!?」
憂は目線を下げる。そこにあったのはタブレットだ。
千穂。佳穂。千晶。拓真。勇太。ジャージ男。カメラちゃん。
この場に居る全員の視線が憂の持つタブレットに集中した。
大きめのタブレットの画面には【嫌嫌嫌嫌 アタシは優ちゃん一筋打からね】と表示されていた。
(((なるほど)))
憂はいつの間にか音声認識機能を活用していた。誤字誤植ありきの方法であるが。
感心した視線の中で憂は小首を傾げて言った。
「――いっきんだ?」
「………」
「………」
「………」
…………。
「ひとすじでしょー!?」
千穂がツッコミを入れた。
「負けだな」
「そうだね」
「ああ」
「千穂の負けだ」
「今のはスルーだよな」
「うん」
「憂、お腹……すいてる……でしょ? 食べなきゃ」
「おぉ!」
「俺らをスルーしたぞ」
「千穂。成長したね」
「ああ」
「愛かな?」
「愛だよね」
くだらない遣り取りは憂が弁当箱を開放した事で終了した。
「「「「おおおお」」」」
「いやん。何コレ、可愛い……げふ!」
勘違いしないで欲しい。今の台詞は佳穂ではない。勇太である。彼は拓真の拳を鳩尾に受け悶絶している。
「そんなにされると……出ちゃう……唐揚げ……」
「母さん――姉ちゃん――」
憂も悶絶していた。
小さな弁当箱の中には小さなクマさんがたくさん入っていた。
メインのハンバークにはチーズを使いクマさんの顔が描かれている。
ハンバーグだけでは無い。憂に合わせた小さなおむすびには、1つずつ丁寧に海苔で顔が描かれている。こちらは白クマ、しかも子グマである。
プチトマトにも卵焼きにもウインナーにも細工がしてあり、いずれも可愛らしい。
一体、どれだけの時間が浪費された事か。
パシャ
パシャ
どこから取り出したのか、梢枝がデジカメでデコ弁と憂の姿を写真に収める。彼女は窓枠に腰掛けている。
「――は――はずか――しい」
憂にとって、まさかのキャラ弁……いや、特定のキャラクターを模していない為、デコ弁と言うべきだろうか。
その弁当の中身は予想外だったようだ。
ジャージ男がまた身を乗り出し、可愛いと聴こえたその弁当の中を覗き込む。ジャージ男の席は拓真の隣である。憂の席とは少し離れている為だ。
「ほぉー。これは可愛いでんなー」
「お前、そんな話し方だったか? リーゼント」
「――い――いただきます」
拓真はジャージ男をリーゼントと呼んだ。彫りの深い顔立ちをしており、なかなかの男前だが、どうにも胡散臭いのがこのリーゼントジャージ男の特徴と言えた。ちなみに後ろに入ったのは憂の言葉である。両手をきちんと合わせて頂きますをしていた。良い子である。是非、見習って頂きたい。
「リーゼントとは酷い呼び方じゃねぇ。なんぼか傷付くたい」
「どこの人ですか……」
千晶が愛嬌のある顔を歪め、面倒くさそうにツッコミを入れる。千穂と佳穂とのトリオで過ごしていた昨日まではツッコミ役では無かったはずだか、所帯が増えて立ち位置が変わったようだ。
「どこでもええんちゃいますか?」
結局、ジャージ男の言葉遣いは
「それで……誰か、このリーゼントの名前を教えてくれ」
「「「………」」」
「うぅ――」と小さな声が聴こえたがそれはクマさんに箸を入れ、その可愛いクマさんが崩れてしまったからだ。
憂とジャージ男を除いた全員がキョロキョロと彼の名前を知る者を探す。
「あんさんら、酷くないでっか!? 仮にもクラスメイトでっしゃろ!?」
ジャージ男は非難声明を発表した。
憂はクマさんの顔の端を口に運び、しばらくすると、その口角が上がる。美味しいらしい。
「そう言われても……なぁ?」
「GW前までお前、存在感無かったし……なぁ?」
男2人がリーゼントジャージ男を視界から外しながら話す。
憂は白クマさんに箸を付けて、その動きを止める。憂に合わせて作られている為、通常の一口サイズよりも更に小さく愛らしい。それを口に運ぶ事に躊躇いが見られている。
「姉さんらも知らんふりしてはるけど、同罪でっせ!?」
女子4人がさっと顔を逸らす。憂は1人だけマイペースを保っている。意を決して白クマさんを小さな口に運んだ所だった。
「なんか言ったらどーでっか?」
「いや……その……ねぇ?」
「うん……」
「ウチは興味ありませんから……」
「名前……名前……」
白クマさんをもきゅもきゅ咀嚼し、飲み込んでから憂が呟く。
「――きりゅういん――こうへい」
「「「…………」」」
ジャージ男、鬼龍院 康平を含め全員が沈黙するが、何事も無かったように卵焼きを口に含むと、にこにこと嬉しそうに咀嚼し始めた。
「いやー! さすが、嬢ちゃんですわー! 折角の美味しい状況がーなんて思ってませんで!」
「憂ちゃん、なんで知ってんの? 今日、転入したばかりなのに。2時間目でリーゼント君、自己紹介できなかったでしょ?」
佳穂はペラペラと早口で質問した後、早口禁止を思い出し、眉を寄せて考える。
憂はこくりと卵焼きを嚥下してから首を傾げる。
「今、名前知ったじゃろー!」とジャージ男……改め康平が抗議しているが、佳穂は当たり前に無視する。
そして、びしっ! ……っと康平を指差し言い放った。
「あいつ! 名前! なんで! 知ってるか!?」
「なんでそないな日本語できる中国人みたいやのん!?」
徐々にグループ内の立ち位置が決まっていく。佳穂は賑やかし、康平はいじられキャラにポジションを得たようだ。
今のところ、憂と千穂が癒し役、佳穂と勇太で賑やかし、千晶と拓真がツッコミ役と云った所か。梢枝は一歩引いて見守っている。カメラ少女には適当なポジションなのかも知れない。
「――よしゅう――したから」
「予習?」
グループを代表して千穂が質問する。
「――うん」
タブレットを手早く操作していく。
「――よしゅう――これ」
憂が開いて見せたのはクラスメイト全員の顔写真の入った名簿だった。どうやらこの名簿で
何人かが興味深そうにタブレットを覗き込む。
憂は昼食の摂取を再開する。クマさんバーグをまた一部崩し、口に運ぶ。慣れてきたようだ。
(これ、見せて大丈夫かな?)
千穂は『知らない』4人を順番に確認していく。
「なるほどね。これで勉強してたんだ」と千晶。
既に興味を失ったのか、窓枠に座り直す梢枝。
食べ終えたサンドイッチの包みをコンビニの袋に収めている佳穂。
「…………」
憂は小さな可愛いおむすびを箸で掴む。少し躊躇った後に口に含む。子グマには、まだ抵抗があるようだ。
「どうかした?」
千穂は康平に問い掛ける。
「あ……いや。嬢ちゃん。それ……あんまり人に……見せんほうが」
いいかも知れへん。続く言葉は省略したと思われる。長くなると理解できないか、若しくは時間がかかる。
今日、初めて出会ったはずだが、憂の事を大分、理解した様子である。
康平は憂について、理解が遅く言葉の出が悪いが、普通の高校生と遜色ない思考能力を持っていると判断したようだ。
(心配してくれてるのかな? 胡散臭い人だけど大丈夫そう……)
千穂は警戒を緩める。
「そうだね。憂? これは……内緒」
千穂は自分の口に人差し指を当てて、そう言った。
憂は小さなおむすびを胃に収めてから、ピタッと制止した。
(………?)
憂が制止したのを心配に思い何人かが声を掛けるが、憂は箸を持たない左の掌を相手に向けて言葉を紡ぐ。
「話――してて――」
(考え事かな……?)
「わかった」と勇太。勇太は続けて梢枝に向けて質問する。
「気になってたんだけど……榊さん。あんたは何者?」
憂を除く全員の視線が梢枝に集まる。気になっていたのは勇太だけでは無く、全員のようだ。
「そうですねぇ……」と天井を仰ぎ思案するのは榊 梢枝。謎のカメラ少女である。彼女はぴったりとしたGパンに半袖の白Tシャツ、それに黒いカーディガンを合わせている。彼女は肩に掛かる黒髪を払いのけながら言った。
「ウチは、さしずめ悪を挫く正義の味方……ですかねぇ……?」
「胡散臭っ!」
真っ先にに反応したのは康平だ。お前が言うなと視線が集まる。
「お前が言うな」
口に出した剛の者が居た。
「拓真はん。何気に酷いっすね。まぁええですわ。それより皆さん、憂さんとの出会いを教えて下さいな」
その問いに『知る』3人は表情を硬くする。この胡散臭い男は何か知っているかも知れない。頭の中で表向きの設定を反芻する。
「出会いも何も今日、出会ったんだが……」
「あー。そうでした。それじゃ、拓真はん、勇太はんとの出会いは?」
「こいつとは初等部からのバスケ部仲間だ。中3の時に一緒に辞めちまったけどな」
拓真は憂をちらりと見る。彼らはバスケを辞めた事を憂に伝えていなかったのだ。憂は何も聞こえていない様子である。それを見て拓真は一先ず安心する。いつかはバスケ部を辞めた事は話さないといけない。部活をしてない事は、すぐに憂も気付くだろう。
「んー。バスケ部仲間でっか。さいでっか。それじゃ、千穂さんたちは?」
千穂は康平の意図が読めない。憂との関係を探ろうとしているようだが、それにしては質問が適当過ぎた。第一、憂との接点が判ったところで、この男に何の価値があるのか分からない。
とりあえず無難に答えておく事にする。
「私たち3人? 元々、千晶と佳穂が幼馴染みで仲良くしてて……。私の名前と佳穂の名前が似てるって、意気投合しちゃってから……かな?」
「ほー。なるほど。それじゃ、千穂さんとバスケコンビの関係は? 入学当初からちょくちょく話してたよね?」
「それは………」と千穂は言葉を詰まらせる。
「それは千穂ちゃんの口からはちょっと酷だよね」
成り行きを見守っていた勇太がバトンを引き継ぐ。腕を組み、何も書かれていないホワイトボードをぼんやり見ながら言った。
「オレらって元々はコンビじゃなくてトリオだったんよ。憂ちゃんと同姓同名のヤツが居たんだ」
「それがもう1人のユウさんですか……」
何故か似非関西弁が崩れている。勇太はそれに気付いたのか判らない。特に表情も変えず続けた。
「そう。優しいって書いて『立花 優』。拓真の幼馴染みでオレら2人の親友だった。んで、オレらの親友の……優の彼女だったのが千穂ちゃん」
「ほーほー。なるほどなるほど。優しい優さんの彼女と優さんの親友で面識があった訳でっか。ほいで、その優しい優さんは?」
3人は目を伏せる。佳穂と千晶は何も言わず心配そうに千穂を見ていた。梢枝も興味を惹かれた様子で話に聴き入っている。
「………」
勇太は黙り込んでしまった。代わりに拓真が感情を見せず淡々と言った。
「逝っちまったよ。事故で」
「あ。それは……」
康平の口から言葉の続きは発せられない。ただ顔一面に【変な事を聞いて申し訳ありません】と書いてあった。
「よくわかりましたわぁ。2時間目の『立花 憂』て書かれた時の反応。千穂さんが憂さんに『特別』を感じてはる理由……。亡くなりはった彼氏と同じ名前の転入生……それもこない可愛らしい子が来はったら守ろうとしはるのも当然ですわぁ……。先生も知っとりはったんですよね? 中等部持ち上がり組と、高等部デビュー組の温度差の理由がやっと解ってすっきりしましたわぁ」
「――あ!」
「……憂?」
急に憂が声を上げる。突然、再起動を果たした。全員の視線が憂に注がれる。この状況、何度目であろうか?
「――おぼえたら――けす――いわれてた」
名簿のファイルをタップするとゴミ箱に入れ、更にゴミ箱の中身を削除する。
「元々、内緒だったんだね」と千晶が呟く。その場のほとんどの者が苦笑いを浮かべている。康平は顎に手を当て、思案している。正常な思考回路……と言う評価をいくらか引き下げたのかも知れない。
憂は我関せず、デコ弁を再び食べ始めたのだった。ちなみに他の7名はとっくに食べ終えていた。
その後、康平は無遠慮な質問を詫び、3人は快く許した。油断の出来ない胡散臭い男だったが、害意は無い様子である。
その後も憂の食事ペースは遅く、食べ終えた時にはトイレに行く時間程度しか残っていなかった。トイレへは、千穂とその親友2名が同行した。
「――なんで――いっしょ?」と心底嫌そうな表情が印象的であった。「女の子の友達の儀式みたいなものだよ」と返事したのは千穂だった。そして、2時間目終了後のトイレで千穂に言われた通りに音消しを成功させていた憂であった。
教室に戻った千穂たち。
「俺が優しい優さんの事、それとなく他の高等部デビュー組に話しておくよ」
そう標準語で言い胡散臭さを増大させたのは康平だった。
1つ、追記しておこう。昼休憩に入り、1-C5を覗き込む他クラスの生徒は時間が経つにつれて増加していた。2つのドアから。窓に面したグラウンドから。
昼休憩に入り当人らの知らぬ所で、見目麗しい転入生の情報がSNS等にて拡散され始めていたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき的なもの
当作品は「小説家になろう」に於いて先行投稿しております。
その内、追い付くとは思いますが、先を早く! ……と言う方が、もし、おられましたら、そちらにお回り下さいませ。
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