7.0話 呼び捨て



 タブレットの画面を踊るように小さな指が滑っていく。


(使いこなしてるなぁ……)


 千穂は隣の席の憂を見て感心していた。今から30分ほど前、憂は席に付くなりタブレットを鞄から出し、操作し始めたのだった。


 先生の言葉を聞きながら、タブレットを操りフォローしているのだ。タブレットの持ち込みに許可は要らない。スマホであろうが携帯ゲームであろうが一般の授業中に使用しても問題ない。

 ……ビデオカメラを回していても問題ない……のだろう。


 ゲームをする者も当然、現れるが意に介さず授業は進む。

 自由と自立を掲げる私立蓼園学園。流石に初中等部では授業中の使用は禁止されているが、この高等部では問題とされない。

 自立とは欲望に打ち勝ち得られるものだと言う。自由を盾に欲望に負け、ゲームのたぐいに現を抜かすと、進学や就職活動に多大な影響を与える。内申に響く上、当然、成績が落ちる。


 その為、中にはスマホでゲーム中と思われる生徒も見受けられるが、授業を真面目に受ける生徒が大半である。


 憂のタブレット使用について本来は許可は不要だが、事前に話は通されていた。後遺症により授業を普通に受ければ付いていけない。言葉の理解や把握が遅いからだ。学習の為の使用であり、遊ぶ為には使わない。そう話を通し、内申への影響を防いだのだった。


 それにしても、普段の姿とは想像できないほど流暢に操作している。

 それもそのはず、憂は何ヵ月もこのタブレットを扱っていた。

 主治医の島井はタブレットを憂の助けにする為、憂の専属であった看護師たちにタブレットの操作方法を教えるように依頼した。入院時、退屈していた憂は周囲が驚くほどの上達を見せた。これは優であった頃と変わらない。熱中できるものを見付けると凄まじいポテンシャルを見せてくれていた。


「憂ちゃん。だいじょうぶ?」


 千穂が小声で言った。憂は隣の千穂を見る。机が隣同士、くっ付けて並べてある。千穂がしたのではない。トイレから戻ってきたら、そうなっていた。他の生徒たちはそれぞれ一定間隔に机を並べてあるのに、そこだけが特別だった。


 トイレに行っている間のクラスメイトの遣り取りを、千穂も憂も知らない。

 お世話係として認められたのだろうか?

 後ろの拓真や勇太の差し金かも知れない。

 後で聞いてみる必要があると千穂は思う。


【きびしいかも】


 憂がタブレットの画面を千穂に見せる。


「あらら……」


(後で復習の手伝いかな?)


 たしかにタブレットと古典の相性は悪そうだ。色々と検索しているが必要な情報になかなか辿り着けないらしい。

 憂はしばらく考えてから入力する。入力し始めるとその動きは意外に素早い。


【この中の先生も知らない事あるんだね。知らなかった】


「ググル先生……たしかに……物知り……だけど……ね」


(情報多すぎるんだよね。調べても不正解とかあるし)


「それより……なんか……会話……スムーズ」


 千穂の言葉を受けて、少し考え、小さな手が画面を走る。その動きによどみは無い。


【それボクも思ってた】


 千穂は口を開こうとして、その動きを止める。


【でも】


 憂が続く言葉を入力し始めたからだ。


【やっぱりちゃんと話したいよ】


 千穂は一瞬、悲しそうな表情を見せ、すぐに笑顔に変わる。


「そうだね。憂ちゃん……がんばろ」


 その言葉に憂は困った表情を見せる。


(あれ? 予想外の反応?)


 またタブレットに視線を落とし何やら入力していく。


【その優ちゃんっていやだ。前みたいに優でいい】


 千穂はタブレットを引っ手繰たくる。


「ぁ――」


 驚く憂を尻目に千穂がタブレットに入力していく。なかなかの速度だが憂ほどではない。若干、苦戦しながら入力を終え、憂にタブレットを返却する。


【優って字はダメ。内緒なんだよ。ばれたら大変なんだから。わかった? 憂?】


(ちょっと長くなったけど大丈夫かな?)


 憂は理解するのに少し時間がかかった……が、言葉より早いようだ。

 最初の文章を読み、がっくりと肩を落としたが最後の文字を見付け笑顔が弾ける。その蕾が花開いたような表情は千穂のみならず、先生をも魅了した。古典の教師はこの遣り取りを早々に察知していた。察知していたが見て見ぬ振りをしていたのだった。


「――いっかい――よんで?」


 小さな声だった。

 顔を伏せ、横目でお願いする憂。


(う! くそっ! 可愛い! これは元カレ。元は男の子……)


「――だめ?」


 寂しそうな表情に変わる。クラス全体が固唾を呑んで見守る。憂の澄んだ高い声は小さくとも静かな教室内に響いていたのだ。





 あらためて呼ぶのって……なんで? すっごく恥ずかしい!


 憂ちゃん、俯いちゃったし。


 私がためらってる間にね。


 え?


 えーー?


 みんな……見てる。


 呼べよ! 何の事か知らんけど呼んでやれよ! ……って感じ? 無言の圧力。

 授業もいつの間にか中断中。


 あの……。


 なんかさ……。


 余計……言いにくいんですケド……。


 この中で名前、呼ぶの?


 本当に?


 これは……ハードル高いよ?


 ぐすっ。

 隣から鼻を啜る音が聞こえる。


 泣いてるっ!? ちゃんが付くのと付かないのってそんなに重要!?


「んんっ!」


 誰かの失敗したような咳払いが聞こえる。集まったままの視線。


 んー。


 何て言いますか……その……。


 すっごいプレッシャー。


 ………。


 うー。


 ……はい。わかりました。


 もう、どうにでもなれ。


「憂」


 憂がすぐにこっち向いた。その目には涙いっぱい溜まってた。

 そのまま嬉しそうに笑ったものだから、溜まった涙が零れちゃった。





 教室内に不思議な空気が漂う。憂が言った「よんで」は、ほぼ全員が耳にしたはずだ。だが、何を……かがみんな判らなかった。

 いざ、千穂が声を出すとそれは単なる呼び捨てた名前だった。

 憂の涙もあり、どう反応すればいいのか分からないのだろう。


 パチパチパチパチ


 そんな空気の中、古典教師が1人で拍手する。


「いやぁ、素晴らしい。『仲良きことは美しき哉』だね。いいもの見せて貰ったよ。漆原さん、なかなか辛い状況だったねぇ。助けてあげようかな……とか、思ったけど私語は良くないからね。罰として放置しちゃった。ごめんね」


 古文の教師らしからぬ物言いでにっこり笑う。


 あははは。


 まばらな笑い声が響く。


 千穂の顔は赤く染まっている。羞恥の為だ。

 憂の顔も紅潮している。こちらは歓喜の為だ。


「『仲良き事は美しき哉』は誰の言葉だったかな? 立花さん?」


「へ――?」


 突然、名前を呼ばれてきょとんとする憂。千穂が先生の質問をゆっくりと説明する。

 この質問に憂は答えられなかった。千穂も答えられなった。


 何人も質問を振られ答えられなかった。結局、答えたのは例のジャージ男だった。






「起立……礼……着席」


 それ以降は特に何事も無く3時間目の授業は終わった。


「漆原さん、さっきはいじわるしてごめんね。立花さんの事、よろしくね。でも私語は控えめにね」


 古典の教師はわざわざ、千穂の傍までやってきて話しかけた。


「あ。はい。すみませんでした」


「立花さんも……頑張れ」


 ――――。


「――はい」


 その言葉を聞いて満足したのか先生は1-C5教室を後にした。



 それから憂の周囲にまたクラスメイトが集まる。本日の恒例行事と言った様相だ。憂は立ち上がり千穂の前に立つ。


「憂?」


 千穂が見えるのは憂の小さく頼りない後姿。

 千穂には最初、憂の意図が読めなかった。


「あのさ。その……ごめん」


(ん? なに?)


 憂をよけて話しかけた男子生徒を確認する。その男子生徒とその両隣には、3時間目の前、千穂を責めたクラスメイトがいた。


「さっきは……文句……言って……」


(あー。謝ってくれるんだ)


 千穂は敵意を集める役割も忘れ、内心、胸を撫で下ろす。


 彼は話し辛いのか憂への配慮かは判らないは、ゆっくりと話している。これなら憂にも理解できそうだ。


「だから……その……そんな目で……見ないで……」


(そんな目?)


 千穂は体を回り込ませ、憂の顔を覗き込むように見上げた。

 真剣な表情だった。相手を睨み付けていた。その姿ははたから見ると凛として美しかった。

 しかし、敵意を見せられる側としては堪ったものではないだろう。相手は幼い外見ながら完全無欠の美少女である。


(憂……。私が守るつもりだったのに……これじゃ……)


 本末転倒である。


「憂?」


 千穂の声を受けて憂が振り向く。千穂の顔を見た途端に、憂の表情は柔らかいものに変化した。


「私……仲直り……したい」


 憂は唇を尖らせる。明らかに不満な様子である。

 その言葉に訝し気な顔をする者が2人いた。優の親友コンビ、拓真と勇太だ。


「憂が……大事……だから……」


 なるべく敵を作る訳にはいかない。

 人間は『特別』な生き物だ。人の中に『特別』を見付けるだけで容易に敵対する。

 自分と違う趣味、信仰、信条……容姿。何かが自分と違う『特別』であれば容易に攻撃対象とする。


 憂は間違いなく『特別』だ。

 平均より圧倒的に劣った体躯。平均を遥かに凌駕する容姿。後遺症による障碍しょうがい

 いずれも『特別』なものだ。


 どれ1つを取っても、それは攻撃対象と成り得る。


 千穂は元々、その敵意をある程度、引き受ける心積もりだった。その敵意は拓真と勇太が排除する。その予定であったのだ。

 しかし、憂が千穂を守るつもりならば、その目論見は崩れてしまう。


 軌道修正を千穂は試みていた。


 憂の頭の上にポンと大きな手が乗る。勇太だ。その身長差およそ50cm。大人と子供である。


「仲良く……やろうな!」


 その手に憂が躊躇いなく噛み付く。


「ぎぃやぁぁ!! 痛ってーー!!」


「馬鹿か? お前は……」


 拓真がやれやれと溜息を付く。千穂の言動で当初の予定は大きく狂った。それに勇太も同調した。

 憂の行動が想定外だった。優は根本的な部分でヘタレであった。千穂の陰に隠れてくれると想定していた。


 クラス全体が仲良く穏やか。それは理想的だが難しい。一時的には可能であっても長期的には可能であろうか? また最初から向けられる敵意より、後から沸いた敵意の方が根が深くなるだろう。


 その為に1-C5のクラス編成にも3人は顔を出した。


 そして何度も話し合ったはずだった。


 何の為に準備してきたのかと拓真は思う。


(まぁ、仕方ないか)


 ちらりと勇太を見る。

 勇太の手にはくっきりと歯形が残っていたのだった。






「私の方こそごめんなさい。憂って名前だけで……その……ね」


 それから千穂はクラスメイトたちに謝罪した。言い訳付きであったが。

 その言い訳に使った『憂って名前』。

 優と千穂は付き合っていた。

 優のクラスでは有名な話だった。中等部3年生の時のクラスメイト。拓真と勇太からも皆、知っていたと聞いている。

 ちなみに千穂は別のクラスだった。そちらでも有名だった。


 その優は不幸な事故で亡くなってしまった……事になっている。


 憂のお世話に関して、その悲劇を最大限に利用しているのだ。


 それから彼らとじっくり話した。


 机がくっ付いていたのは彼ら3名の仕業らしい。

 2時間目の終了後、千穂が憂を連れ出そうとした。千穂が憂を独占している状態だった。その事に不満をぶつけた。そして彼らはすぐに後悔する事になった。憂に思い切り睨まれたのだ。

 憂と接したい故の言動は自分たちの首を絞める結果となった。

 憂に嫌われたのでは元も子もない。

 3時間目の始業を「待って下さい」と願い出たのも彼らだった。


「憂ちゃんの事は基本、漆原さんに任せるけど……たまには貸してね」

「肝心の立花さんが漆原さんにべったりだもんな」

「さっきの授業中だって……ねぇ?」


 彼らの会話に千穂が赤面する。その話には触れないで欲しい様子だ。


「おぉ! 万事解決! 全部、丸く収まった感じ?」


 健太から横槍が入る。

 千穂はホッとすると同時に1つの出来事を思い出した。


「そう言えば……あの後、キザ男さん、どうなったの?」


「え? あー。あいつ放心状態で出てったよ。憂ちゃんの顔を見てから」


「それって……」


「一目惚れでもしたんじゃない?」


「他にも居たよね。一目惚れしちゃった人」


「あたしをあんなヤツと一緒にするなぁ!」



 それからクラスメイトの提案で千穂と憂は席を替えた。その方が憂を守り易いだろうと。

 いつ、キザ男――すまない。名前を忘れた。後で調べておこう――のような闖入者が現れるか分からない。

 現に他のクラスの生徒たちが1-C5組の周囲……今は遠巻きに憂を見に来ている。




 3時間目と4時間目の間の小休憩は、憂をほぼ置き去りにして終わったのだった。



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