prologue 栞と茉都香
その日を境にわたしの幼馴染の茉都香が消えた。
彼女とは、別々の高校に進んだことで、卒業を境に段々と一緒に遊ぶことも少なくなっていた。彼女には彼女の、わたしにはわたしの生活がある。ある意味仕方のないことだ。ドライな現代っ子のわたしは、心のどこかでそう思っていた。
その年の夏休みを前にして、彼女の母からわたしの母づてで、茉都香がいつも通っている学校で、同級生の誰かに虐められているらしいと聴かされた。近頃では、スクール・カーストだなんて言葉もあるけれど、わたし達の世代も例外無く理不尽だった。終業式の後に高校の友だち数人とファミレスにカラオケの流れでプチ打ち上げをした帰り道、通学路の踏み切りの前で、立ち尽くしている茉都香に出会した。
一体、こんなトコで何やってるんだろう?誰か待ってるのかな?声を掛けようとした時、その理由がわたしにもようやく解った。
カラン、カラン、カラン・・・列車がやって来ることを知らせる警報とともに下がってきた遮断器が降り切ると、茉都香はそれを潜って踏切内に侵入しようとした。
「あんたナニしてんのよ?!」
「イヤ離してッ!」
「こんのバカーーっ!!」
嫌な虫の予感を感じて後ろから近づいていたわたしは、寸での所で彼女を羽交い締めにすると、力任せに線路の外に引きずり出し、暴れる彼女の横っ面を思いっきり引っぱたいた。
張り倒されて赤く腫れあがった頬を押さえながら、すっ飛んだ茉都香は呆然とした表情でその場にしゃがみ込んだまま、やがて子どもみたいにしくしく泣き始めた。
泣き虫の茉都香。幼稚園の頃の彼女と少しも変わってない。そういえば、あの頃のわたしはといえば、当時もいじめっ子達の標的になりがちだった茉都香の前に仁王立ちになり、彼女のことを庇ったものだった。
けれども、それは幼稚園の頃の話で、それ以降、そんなことはなかった。
何が今の茉都香をこれ程までに悩ませ、苦しめているのか?でも、近頃のわたしはと言えば、こうした茉都香の置かれた現状に気づかぬ振りをして、ずっと見過ごしてきた。そんな卑怯なわたしに、彼女を叩いて責める権利などあるのだろうか?浅ましい自己嫌悪に苛まれて罪悪感からキリキリと心が痛んだ。
ますます烈しく嗚咽し、ただ泣きじゃくるばかりの茉都香の肩をそっと抱きかかえると、わたしもまた無言でその背を撫で続けるほかなかった。
わたしの一番古くからの幼馴染のひとり茉都香。
「なんだか私、どうかしてた。もうしないから…ゴメンね栞。」
栞は、わたしの名だ。
しばらくして落ち着きを取り戻した茉都香は、わたしの眼を見る事なく謝った。心配だから家まで送っていくというわたしからの提案をキッパリ拒絶すると、肩に置いた手を振り払って、此方を振り返る事無く彼女は走り去った。
この1年半の内に茉都香とわたしの間に広がった大きく深い溝は、想像以上にふたりを遠ざけていた。次第に小さくなっていく彼女の後ろ姿を見送りながら、とうとうわたしは茉都香を追い掛けていく事が出来なかった。
その夜の彼女の小さな後ろ姿が、茉都香を見た最期となった。
後悔が無いと言えば嘘になる。この夜の出来事は、誰にも言えぬまま、今に至っている。
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