12話 白野
「人間だよ。と言われても……」
僕は戸惑うことしかできなかった。もしかして、冗談を言っているのか。僕は白野さんの答えを素直に聞き入れることができなかった。何故なら、彼が肩を組んでいる人物は皮膚が腐食し、肉体の一部が完全に崩れているからだ。おまけに臭いも酷い。以前まで備わっていたであろう人間と呼べる造形からは大きく外れてしまっていたからだ。
「大地君が困惑するのも無理はない。見ての通り、彼らの姿はゾンビに近いものに変わってしまった。でも、怪物になったわけではないんだ」
白野さんの眼はこちらをまっすぐ向き、彼は嘘偽りのない真実を語っているように僕は見えた。
「で、では、彼らのどこが人間だというんですか……?」
「それはね。彼らの脳は人間らしい外見の時と同じ活動をし、僕の言葉を理解する心があり、ここで共同生活をしているからだよ」
「ゾンビと共同生活!?」
「大地君。それは失言だよ。人間同士の共同生活だ」
白野さんは腕を組み、鋭い視線と口調で忠告した。
「すみません……いきなり衝撃的なことを聞かされて気が動転してしまって」
謝りながら僕は隣にいる篠原さんの表情を覗うと、彼女は目を細め白野さんと周りの共同生活者さんたちの様子を隈なく観察しているようだった。僕と同じく簡単には信じられないようだった。
「分かればいいんだ。しかし、確かにこれは驚きだよね。今までの認識をひっくり返すような事実だからね」
「そうですよ。見た目は完全にゾンビなのに、中身は人間だと言われてもすんなりと受け止められるはずないですよ」
「うん?でも、君の隣にいる彼女も肉体のゾンビ化が起きているではないか?おまけに言語障害も現れているときた」
僕は白野さんの言葉で咄嗟に篠原さんの方を振り向いた。
「君と行動をしている彼女とここにいる者たちの違いはゾンビ化の浸食度の違いだけだ。それはほんの些細な差でしかない。彼女もここの皆も人間の心を持ち続けながら今日まで生きてきた。ただ単に身体という人間の表面上の一部が変化しただけに過ぎないんじゃないかな?」
「…………」
僕は何も言葉を返せなかった。
「ま、このまま立ち話をするのもいいが、私はゆっくりと寛ぎながら君たちとお話がしたいな。続きは奥の部屋で話さないかい?」
白野さんがその部屋を指で示すと、周りにいた共同生活者さんたちが移動して道を開けてくれた。本当に彼の言葉を理解しているようだ。
「はい、僕たちも色々とお聞きしたことがあります」
篠原さんも同様に頷いた。
「それはよかった。では、続きを話そう。よし、皆これにて解散だ。普段通りの生活に戻ってくれ」
白野さんの言葉にここの住民の方々は各々の場所へ戻っていった。
木製の扉を開くと、中は薄暗くわずかな照明で明かりを確保していた。診察室と私室が合体し、公私が混ざり合ったような部屋が広がっていた。診療用の机もあり、食事用のテーブルもあり、患者用のベットと個人用のベットが一つずつ設置されていた。僕と篠原さんは一般的な家庭にあるテーブルに招かれ、そこの椅子に座った。
「ジメジメした場所で悪いね。何せ下水道の中だからね。飲み物はどうする?前回の支給品調達の際に手に入れたインスタントコーヒーがあるけど飲む?あっ、コーヒー苦手だったりする?」
「いえ、僕は飲めますので、お言葉に甘えさせていただきます」
『コーヒー大好き』
「それは良かった。ちょっと待ってて、すぐできるから」
白野さんは台所で用意した白色のマグカップ3つにコーヒーを入れ、やかんからお湯を注ぐ。彼の前方から暖かそうな3つの湯気が上昇していった。何気ないこの行動と後ろ姿からパンデミックが起こらなかった頃の自宅の日常風景を思い出し、少し胸にこみ上げるものを感じた。
「お待たせ。熱いうちにどうぞ」
「ありがとうございます。頂きます」
『頂きます』
僕と篠原さんは久しぶりのコーヒーを口にした。その味は昼下がりのリビングで家族と一緒に談笑しながらお菓子をつまみながら、飲んだ時のコーヒーの味にそっくりだった。
「おいしいです。そして、どこか懐かしい感じがします」
「ふふふ、大地君が飲み馴染んでいたコーヒーと同じメーカーかもしれないね」
僕ら3人はしばらく静かなこの部屋でコーヒーの味を堪能した。部屋に置かれていた振り子時計が心地良い規則的な音で雰囲気づくりに一端を担ってくれていた。白野さんはコーヒーを飲むと静かにマグカップをテーブルの上に置いた。
「さてと、何から話せばいいかな」
白野さんは腕を組み、目を瞑りながら考えた。
「じゃ、まずは私のことから話そうか。私は世間がこうなる前は医学生をしていた。だから、厳密には私は医者じゃないんだ」
「へえ、医学生さんだったんですね」
「うん。でも、未熟でも医学の道を志した者だから、怪我をした人や病気にかかった人のためになろうと今までできる限りの処置をしてきたつもりだ。そして、最終的にここに流れ着くことになったのさ」
「……白野さんのことを荒垣から聞いた時から気になっていたんですが、なんでこんな地底人みたいな生活をしているんですか?光が当たらなくて、精神も病んでしまいそうな場所で」
白野さんは悲しげな表情をした後に深呼吸をした。当時の記憶を思い出したかのようだった。
「まずはある出来事から話さないといけないね……」
「私には2人の友人がいた。あの日に2人とも感染者に噛みつかれ、感染してしまった。1人はその事実に悲観し、私や周りの人間から遠ざかり次第に心を病んでいった。もう1人は最後まで人間として生きたいと言い、歯止めが利かなくなったら後は頼むと私に告げた」
「数日後、悲観していた友人は酷く皮膚が爛れたのち突如理性が無くなり暴れ始めた結果、周りの人間で処理されてしまった。生き続けたいと言った友人は理性は残っていたが、代わりに言語を話せなくなってしまった。皮膚の腐敗している範囲も初期の頃からさほど拡大していなかった」
話せなくなる……篠原さんと同じだ。
「それはつまり、良好なメンタル状態ならウイルスからくる症状を遅らせることができるということですか?」
「僕が見てきた症例を見るとその可能性は否定できなくなるね。治療方法がない現状では感染してしまった場合の唯一の進行抑制になるはずだ」
白野さんは冷めて湯気が上がらなくなったマグカップに口をつける。
「その後、僕は話せなくなった友人の体の細部を調べると脳に異常は見られなく、喉を調べると声帯が開きっぱなしであることに気が付いた。更に調べると声帯を動かす反回神経がウイルスで傷つけられたことによって声帯麻痺を起こし、声が出なくなることが分かった。そして、僕は友人に書物を読み漁ったのちに独学で手術を行い、声帯の状態を回復させることに成功した」
「なら、篠原さんも手術でまた声を話せるようになるということですか!?」
僕は勢いよく立ち上がり、座っていた椅子を後方に突き飛ばした。
「そうだね。あとで詳しく調べてみないと分からないけど、篠原君の声が戻るのは十分ありうる話だ」
白野さんはにっこりとほほ笑んだ。僕はその言葉を聞いてまるで自分のことのように喜んだ。篠原さんの声が聞ける。篠原さんと話すことができる。自分が待ち望む未来のことを想像し高揚したあまり、僕は篠原さんにハグしていた。
そのような突発的な行動をして自分が何をしている理解するまで1秒もかからなかった。
「ご、ごめん!!嬉しくて思わず抱き着いてしまって……」
僕は慌てて篠原さんから離れる。徐々に熱くなる自分の耳に僕は触れながら篠原さんを見ると、彼女は椅子に座ったまま、驚いたようなほっとしたような気持ちが入り混じったような表情で俯いたまま手を組んで小さく身を寄せていた。
「…………」
僕はそんな彼女の表情としぐさに見蕩れていた。
「あの――?そろそろいいかな?」
そんな僕に白野さんはどこかにやついた顔で確認をしてきた。
「あっ!!すみません。続きをどうぞ……」
「では続きだ。あまり気分の良い話ではないが聞いてくれ」
「友人を手術した後、彼の声は少しずつ声が戻り始め、あと僕の手術した噂を聞いた他の感染者も加わり、皆で人間らしい生活に復帰を目指し始めた頃だ。あの日、他の者は支給品回収で出払って、僕だけで朝食の準備をしている朝だった。」
「キャンプ地にとある2人の男が訪れた。いわゆる、私たちの食料を奪いに来たチンピラだ。そいつらに食料を要求され、私はそれを拒むと私の胸ぐらを掴み、首筋にナイフを突きつけて脅してきた」
「そんな時だ。水汲みから友人が戻ってきたんだ。友人は異変に気付いて私のもとに駆け寄ってきた。だが、悲しいことにその時の状況は客観的に見たらゾンビが人間に襲い掛かってきているようにしか見えなかった。驚いたチンピラ2人は矛先を友人に向けた」
「そして、僕の友人はそいつらに殺された」
「…………」
「その瞬間、我を忘れた私は持っていた調理用の包丁で安心していた彼らの背中を何回も刺した。その後、私は男二人を殺し、ゾンビを匿う異常者として情報が広まり、一緒に暮らしていた感染者の人たちと共にこの下水道へ逃げるように身を隠すことになったとさ」
白野さんは残っていたコーヒーを飲み干して、再びコーヒーを注ぐため台所へ向かう。
「そのような過去があったなんて……」
正直、僕からどう言葉を返せば分からなかった。白野さんは僕が想像していたよりも大変な生活をしていたようだ。
「まぁ、ここは地上に居づらくなった人の集まりだと思えばいいよ」
「そして、狂暴化していないゾンビはまだ人としての理性が残っている可能性があることを君たちには知っていて貰いたい」
白野さんはコーヒーを注ぎ終えると、再び自分の席に着いた。白野さんの言葉に僕は今までの行いが怖くなった。今まで遭遇したゾンビの中にただ声が出せなくなった理性を持つ人間がいたのだろうかと……。
「とりあえず、僕のことはここまでにして次は君たちのことを聞かせてくれ。目的は……治療と言ってたね」
「はい。篠原さんに腐食や欠損がないように見える手術を行ってほしいんです」
「ふむ、なるほど。篠原君、少し見せてね」
白野さんは篠原さんが隠している前髪に優しく触れて、左目を確認した。篠原さんは左目を見られることに少し緊張しているようだ。
「皮膚の腐食は初期段階のようだ。これなら健康な皮膚を移植すれば数か月は腐食を隠すことはできるだろう。義眼も一通り持ち合わせているから好きなものをつけてあげよう」
「ありがとうざいます!助かります」
『ありがとうございます』
僕ら二人は白野さんに感謝の言葉を述べた。
「いえいえ、人助けができるのは私も嬉しいよ。ただ、単に私を探してここまで来て、整形手術することだけが目的ってわけじゃなさそうだね?」
白野さんの問いに僕らは目を合わせて、事情を話すことにした。
「僕らは篠原さんのご両親がこの封鎖地区外で生きていると知って、検問所に向かうことにしました」
「あの検問所に?」
「はい。そして、様子を探っていると、どうやらゾンビの兆候や身体に欠損がある人は門前払いされることが分かり、篠原さんに手術を施してくれる方を探して白野さんの所へたどり着きました」
「門前払い……ね」
白野さんは何やら深く考え込んでいた。その表情は何か煮え切れなくモヤモヤしたものが残っているような顔だった。
「白野さん?」
「ん?あぁ、なるほど。ご両親に会うためにこの地区から脱出するためなんだね。これは検問所の検査を通過できるような完璧な施術をしなければいけないね」
白野さんは普段やり慣れていないであろう不出来なガッツポーズを見せながら、彼特有の包み込むような優しい笑顔で答えてくれた。
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