ブラック加東ルミ江2 ~九々龍を殺れ! 仁義なき女優~

「食わず嫌い晩餐会」後の死闘 前編


 晴海の海に面した、だだっ広い敷地に建つ銀色の長方形の建物。蓬莱テレビ本社である。その箱型の中央部分に、骨組みのような廊下がむき出しになった特徴的なデザインで、一番上のむき出しの廊下の中央部分に球形の部屋がある。ここは展示室兼展望場、観光客に公開されているエリアだ。テレビ局内は、まるで迷宮だった。港を見渡せる細い廊下が縦横無尽に入り組んでおり、右へ左へ上へ下へと進むうちに、今自分がどこに居るのか怪しくなっていく有様だった。それは一説によると、クーデター対策であるとも言われていた。テレビ局は、テロの格好の標的になるからだ。「加東ルミ江様」と書かれた控え室から、太った男が出てきた。熊田、ルミ江のマネージャーだった。

「下のドラッグストアへ行って来る。時間まだあるし、すぐ戻ってくるからね」

 ルミ江はにこりとして見送った。番組の企画が企画だけに、これから食べる必要があり、彼女の体調を気にしたマネジャーは胃薬を買いに走ったのだった。加東ルミ江は、身体の調子がいつものように戻らない。携帯していた薬を切らし、たまたまADも目的の薬を用意していなかった。「最近顔色が悪いよ」などといわれてしまっている。確かに。

 鏡に映ったルミ江は青白い。まして昨日は総勢二十人の人間を斬ったばかりだった。無理もないだろう。ほどなく普段の顔に戻るのだが、このところ「戻り」が悪くなって来ているような気がする。それというのも、彼女は芸能界を牛耳るヨルムンガンドクラウド率いる九々龍俳山に反旗を翻し、宣戦布告したのだ。それが何を意味するのか、ルミ江は嫌という程知っていた。芸能界の闇を散々見てきた彼女には。

 ルミ江はこの芸能界の光と闇の、両方のエリートとしての道を選択した。押しも押されぬ人気者である彼女はCM、ドラマ、バラエティー、雑誌取材と引っ張りだこだった。今ある栄光も、その陰で九々龍とのある契約を行ったことと無関係ではない。それはまさに悪魔の契約だった。九々龍率いる【ヨルムンガンド】クラウドは、政界、財界をも束ねるといわれる東屋財団と密接な関係を持ち、そのクラウド局の直轄組織として芸能界を支配している。東屋財団は表と裏、両方の社会の支配者であり、それによって九々龍はのし上がり、芸能界の帝王としての今日の地位を築いてきたのだ。

 当然のように九々龍には敵が多かった。彼は身を守るため、この世の支配者・東屋幕府と手を組み、その闇の紳士たちから、とある「末裔」たちとコネクションを持った。それは忍の術を今日に伝える秘密組織である。彼らは、各時代の時の権力者に仕え、今もその力を維持していた。日清戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)にかけての、大陸での軍事探偵と呼ばれたスパイ組織。その一部は「彼ら」である。だが、それを知る者も今日ではもはや極わずかとなり、時の権力者たちも法整備やインフラの高度化に力を注ぐことで、問題の解決に当たるようになってきており、彼らを使わなくなった。しかし、忍は決して滅んだ訳ではない。時代を経ても、彼らのような術を修得した者を拾う神は、必ず存在する。日本史上最強の支配者・東屋財団がそれだ。こうして、彼らと接触した九々龍は忍の術を操る、必殺の殺し屋部隊を結成した。

 帝王・九々龍俳山の多くの敵たちはヨルムンガンド・レンジャーと呼ばれる五人の殺し屋によって殺され、葬り去られてきたのだ。しかもメディアは無論、霞ヶ関・永田町も支配する巨大旧財閥・東屋財団によってそれらは巧妙に隠され、決して表沙汰になることはなかった。加東ルミ江はそのヨルムンガンド・レンジャーの一人、「ヨルムンブラック」だった。

 マネージャーの熊田が戻ってきた。収録開始まで二十分ある。またマネージャーは用事で外へ出て行った。売れっ子のマネージャーともなると忙しさは半端じゃない。ほとんど手を着けられていない局のお弁当は机の上に放っておかれ、ルミ江はドラッグストアで買った胃薬を、ほっそりした白い手でビニールから取り出して呑む。鏡に向かったまま、じっと自分の顔を見ていた。考え事をしながら。

 ……自分と同じヨルムンレンジャーが、九々龍の飼っているタレントの中にいる。九々龍はかつてそう言った。それはルミ江を含めて五人。その自分と同じく忍の術をマスターした者たちが、自分を殺しに来る。しかしお互いにその存在は隠されており、ブラックたるルミ江自身、他のレンジャーの存在を知らなかった。だが、ヨルムンガンド系クラウドは芸能界に二百以上あり、あまりにも多い。疑い始めたら、誰も彼もが敵に見えてしまう。

 とりあえずグラビアアイドル・篠田リリは違った。あの金木部社長の【イエローキャンディ】クラウドなら、きっと敵が居るに違いないと踏んだのだが。なぜなら金木田は九々龍とも近いしな。あのクラウドに居るタレントには、金木田の趣味で集めた独特の「カラー」がある。全員殺し屋に見えなくもない。何しろイエローだ。レンジャーの一員、「ヨルムンイエロー」が居る可能性はある。

 篠田リリが違ったというのは、テレビ局の廊下ですれ違い様に挨拶した瞬間、ルミ江が忍の訓練でマスターした「闇の殺気」を放っても、反応しなかったからだった。闇の殺気とは、気配を消した殺気のことである。普通の人間は闘争になると、簡単に殺気を出してしまうものであるが、忍は人を殺すときでもその殺気を隠すことができる。しかし分かる者にはその殺気が分かるのだ。今まで、自分と同じような闇の殺気を持った人間に出会った事はない。たとえばやくざなどは、殺気丸出しだ。だが、レンジャーの一員ならきっと反応するに違いない。ホルスタインのような女、リリは、何の反応も示さなかった。同じ【イエローキャンディ】所属のヨウカも同様だった。

「加東さんお時間でーす」

 マネージャーが戻ってこないまま、番組ADの呼び出しに立ち上がる。マネージャーとは、ドアを出たところで鉢合わせした。……さて、だとしたら今日の番組収録の相手、薬師寺ルカしかないな。

 リリ。ヨウカ。ルカ。【イエローキャンディ】三人娘の中に、「敵」はいるに違いないとルミ江は確信している。ルミ江は、下の階の「食わず嫌い晩餐会」の収録スタジオへと向かった。「食わず嫌い晩餐会」とは月曜夜八時から放送している長寿番組で、東京出身のお笑い芸人エインヘリヤルが司会の、毎回ゲストが何品か料理を食べ、その中にあるお互いの嫌いな食べ物を当てるゲーム・バラエティー番組である。料理とトーク、それに食べ物を嫌いな理由に、ゲストの隠されたキャラクター性が現れるところが、人気の理由である。加東ルミ江は、今回のゲストとして呼ばれた。

 食欲などなかった。もう二十四時間くらいまともなものを口にしていない。その加東ルミ江の対戦相手が、人気グラドル・薬師寺ルカだ。一六〇センチのルミ江に対し、ルカは一七二センチもある。かなり大きい。敵だったら少しやっかいかもしれない。

 長く、薄茶に染めたカールした髪の毛、長い睫に縁取られたやや目じりの上がった眼の大きな美少女。グラビア一つでこの世界に頭角を現してきたルカは、スタイル抜群だ。しかし性格の良さそうな、おっとりした感じも伺える。どこまでが本性か知れたものではないが。

 こんな時に嫌いなものなんか食べたら、吐いてしまいそうだ。青白い顔をメイクで隠しているが、果たしてどこまで隠せるているものか。ルカといえば明るく元気で、チラリと眼を見て笑顔で挨拶をすると、にこやかに挨拶を返してきた。

「え~よろしくお願いします。では、加東ルミ江ちゃんのお土産は?」

 ルミ江の隣に座っている間遠(まどお)の、上ずったさえずり声が促す。この番組の趣旨で、毎回のゲストはお土産を持参してくる。

「はい。わたしはですね……」

 昨夜人を殺しまくった後、身体を拭いてその足で向かった恵比寿の店で買った高級チョコレート大福。まだ血の匂いが染み付いているかもしれないが、エインヘリヤルの二人と、薬師寺ルカは旨そうに食べていた。ルミ江はほとんど口を着けなかった。向こう側に座っているエインヘリヤルのもう一人、夜具楽(やぐら)が笑って突っ込むが、こちらも笑ってごまかす。食えるものか。番組は軽快なリズムを刻んで終始和やかに、間遠の突っ込みと、夜具楽のボケのキャッチボールを交えつつ進んでいく。

 ルミ江は、自身の故郷の沖縄の郷土料理として有名なゴーヤチャンプル、イカ墨のパスタなどをこなしていった。普段は好物だ。だが、今はとてもじゃないが美味しくはなかった。全ての料理で吐き気と格闘し、脂汗を流す彼女を見て、対戦相手のチームはさぞかく乱されたことだろう。今後、待ち受ける本当の戦いのことも考えられないくらい頭の中は真っ白だ。ルミ江も、普通の人間と同じ感性を持ち合わせた人間であることには違いはなかった。今だに生々しい血の匂いが脳裏から離れない時に、食べ物などそうそう口にできるものではない。

 ルミ江の事をよく知っている熊田マネージャーは、スタジオの奥から心配そうにモニターに映る彼女の表情を見つめていた。自分のタレントに食欲がない事は明らかだった。

 ルカが、次に食べるルミ江の料理に中トロを指定してきた。ルミ江の父親は遠洋漁業のマグロ獲り猟師である。その事を話しながら好物のマグロの中トロ寿司を食べていると、向こうの夜具楽が、

「逆にさぁ、食べ過ぎて嫌いになったなんて事は?」

 と、ずうずうしさの中に、なんとなく遠慮がちな笑顔を浮かべて訊く。

 するとルカが

「あぁ、そうかもしんない。きっとそうだ」

 と追求するので、ルミ江はウフフフと意味のない笑い声を出した。

「うっ」

 思わず前日の死屍累累の料亭の光景がフラッシュバックし、口の中のものがクチャッといった。

「顔が真っ青だよ?」

 ルカがしたり顔で追い討ちをかける。な、何言ってるのよ、マグロは好物よ。心の中でぶつぶつ反論する。だけど今は何を食べても不味い……血の味しかしない。ざまぁ見ろ、これで番組には勝った。ルミ江は思わず相手に闇の殺気を込めた目つきで見た。エインヘリヤルの二人は気づいていない。そしてモニターで対戦を見つめているマネージャーも視聴者も気づくはずもない。なぜなら、それが忍の術だからだ。相手が忍ならその反応も素人には分からない。だが、ルミ江は気づいた。その刹那、相手の反応を逃さず捉えていたのだ。ルカの釣り眼の中が、氷の鏡のように反射し、闇の殺気を静かに跳ね返した瞬間を。ルカは次の瞬間、すぐに元のふにゃふにゃとした表情に戻っている。しかしルミ江は悟った。この女は敵だ。しかも彼女はやる気だ。刺客としてルミ江の目の前に現れたのだ。おそらく戦いは、この番組収録の直後に待ち受けているに違いない。


前日 赤坂料亭「金環」、逢魔組の会合


 【ヨルムンガンド】クラウドとやくざ・逢魔組の薬(ヤク)に関する会合が、赤坂の料亭「金環」で行われる事をルミ江が掴んだのは、蓬莱テレビの収録の前日だった。しかもその会合には、東屋クラウド局の【ヨルムンガンド】担当者も来るらしい。東屋財団の闇を探る格好のチャンスだ。ルミ江は無理を通してスケジュールを空け、単身、料亭へ向かう事にした。ルミ江は九々龍の方からヨルムンガンド・レンジャーが自分に仕掛けてくる前に、こちらから攻撃しようと考えていた。どうせ、「週刊実談」などのメディアにこの事をリークしたところで九々龍に握りつぶされるに決まっている。薬の事をマスコミに暴露された如月ヰラは、【ヨルムンガンド】に逆らったことで、九々龍に守られなかったかったのである。

 メディアは広告料が重要な資金源になっているが、その広告料を仕切っているのが、財界とも直結する東屋財団のクラウド局だ。その東屋幕府が芸能界の大大名・九々龍とつながっている以上、彼らに不都合な事柄が表に出る事は決してない。だからこの手で派手に殺してしまわなければ仕方がない。けれど、どんなに派手に殺してもやつらはきっともみ消す。今日のところは情報収集だけで引き上げるつもりだった。

 芸能界、スポーツ界の麻薬汚染の闇は計り知れない。いや、政界、財界、学者の世界、果ては一般人にも及ぶ。そのうち、表に発覚するのはわずかで、大抵は闇から闇へと葬り去られていく。芸能人の中で麻薬に嵌り、廃人となって引退した者、死んだ者、スケープゴートととしてメディアに暴露される者。だがたとえ表沙汰になったとしても、必ずしも復帰できない訳ではないというのが、芸能界の特殊なところだ。そこでは、全てを牛耳る東屋幕府の元で常に闇取引が行われており、それに従って芸能界の各大名たちが復帰を援助する。その生殺与奪は彼らが握っており、司法も行政も彼らの手先だ。消したい者は消され、消されるべきでない者は生き残る。

 そもそも麻薬ネットワークは、東屋財団が裏で手を引いていると噂され、牛耳っている者達が薬に手を出すことはない。それは大戦中の合法麻薬だったヒロポンから始まっている。いわば「ゾンビ化ビジネス」である。薬に溺れるのは常にカモとして狙われた者達である。こうして奴隷として弱みを握られた芸能人たちは、支配者の言う事に逆らうことができず、言いなりになるしかなかった。

 この闇社会の連中と、芸能人をつなぐ直接の「パイプ役」が存在するはずだった。その者は、同業者。ルミ江と同じようにタレントだ。それをルミ江は掴んでいた。しかし、素性はおろか年齢すら全く分からなかった。やはり、芸能界に古くから関わってきた重鎮達が、麻薬の直接のビジネスに関わってきたと考えるべきだろうか。ルミ江が九々龍を敵に回して以後、忍として色々と調べても、その正体はいまだ不明だった。ルミ江は相変わらず芸能界の仕事が忙しく、九々龍を敵に回した後も仕事量に変化はなかったが、忍とタレントの二重生活を、四年間も続けてきたルミ江にとってはもはや慣れっこになっていた。とはいえ、時間は無駄に出来ない。今夜、パイプとなっている者の正体をせめて尻尾だけでも掴まなければ。

 夜七時を回った。雑居ビルの谷間に身を潜め、高級車が続々と料亭の駐車場に乗り込んでくる。小雨が降っているが、ルミ江は濡れたまま黒い戦闘服仕様のボディコンで様子を伺う。ノースリーブのミニスカート。その生地はレンジャー特殊仕様だ。この服を着るとルミ江は戦いのモードになり、身が引き締まる。

 今夜、九々龍を殺す予定はない。なぜなら、自分の手によって彼の帝国が崩れ去っていく有様を生きて見てもらう為だ。それがルミ江の自身に立てた誓いだった。そして麻薬で廃人となった友への。病院から如月ヰラをさらったルミ江は、あの日、彼女を奥多摩の長老の所へと連れて行った。忍秘伝の忍法治療でしか、ヰラは救えない。ただ、忍びの世界を知ってしまった以上、彼女はもうこの世界にはいられない。ヰラを闇の世界に引きずり込みたくはなかった。忍の里なら、まだ療養所としてごまかしが効く。暫くは時間が掛かるだろう。その間にやれる事をやる。この芸能界の構造自体を一度壊さなければ、もう腐敗は止められない。自分がやれるところまでやってみよう。そう覚悟したのである。

 濡れた長い黒髪を右手でかき上げ、白い肌から滴る水滴を拭うと、ルミ江はサッと移動した。豹のような俊敏な動きで瓦屋根の塀を乗り越えると、大きな平屋の従業員専用の勝手口をそっと開け、身を屈めて厨房を忍足で移動する。これまで、一度として侵入に失敗したことはない。「隠形の術」で、文字通り透明人間のように気配を隠し、人に気づかれないため、顔を隠す必要すらない。これぞ人遁の術。それでルミ江が横を通り過ぎても、全く気づかないのだ。

 この料亭「金環」はかなり広い敷地だった。まるで一つのスポーツセンターが丸々入ってしまうのではないか、という程広く、長い廊下と大広間を含めた部屋が数々ある。政財界の連中や羽振りのいいやくざが出入りし、秘密の会合を設けるのにうってつけの場所だろう。

 ルミ江は逢魔組が入っていく部屋を見定めると、廊下の天井からダクトの中へと侵入し、ちょうど部屋の真上に出るところまで両腕で這っていった。金網から下を覗くとやくざ達が二十人も集まっている。やくざだけではない。芸能人も見た顔が四、五人混じっている。いや、馬鹿面下げた政治家連中まで、その中には居た。表では善人面しているやつ等だが、こんなところに顔を出しているのだ、屑と認定してやってもいい。

「遅いな」

「九々龍さんは今日は都合でこられないと、さっき連絡がありましたよ」

「残念だな、今日はいい話が沢山あったのに。まぁいい、おまいこっちゃ座れ」

 部屋の奥に居る逢魔組・若頭が返事をし、入ってきた男に手招きした。一見すると誰もが一流企業か、どこかの社員とも見分けがつかない程洗練されている。東京やくざで、もっとも勢いがある不良(やくざ)の特徴だった。それは表と裏を統括する東屋財団との付き合いの中で、身につけたものだろう。だがその目つきは尋常ではなく、鋭く光っていた。

「やっぱりレンジャーの一人が裏切ったというのは本当だったのか? それで忙しくて中々来れないんじゃないか九々龍さんは」

 ルミ江は下の賑わいの中で、誰かが発したその言葉を聞き逃さなかった。自分の話をしている。耳をそば立てる。

「ヨルムンガンド・レンジャーの誰が?」

 雑談で賑やかだった大部屋はシンとした。

「……コホン、ブラックだっていう話だ」

 再びざわざわとしはじめる。

「何時聞いた。それは本当なのか?」

「本当だ漆原。儂も知っている事だ」

 返答したのは舎弟頭だった。年齢は五十代後半、そりこみのあるパンチパーマ、大柄な体格も鬼武者のような顔立ちも相当な迫力だが、服装はグレーのダブルスーツと、いたって地味だ。ネクタイの色は(略)

「ブラックは九々龍氏の命を狙っている……」

 違う。奴には生きて、この世界が変わるのを見届けさせるんだ。ルミ江は天井裏で小さく唸った。

「で、あの人は、裏切った彼女をどうするつもりなんです? あのタレントは相変わらず旺盛なタレント活動を続けているようじゃないですか。まさか、このまま飼っていくつもりなんでしょうか九々龍氏は」

「そんな危険な事はしないだろう。彼には彼の考えがあるようだ。儂は賛成しかねたが。……氏は言っていた。彼女は必ず殺すと。闇の遣り方でな。仕事を干すとかスキャンダルで叩くとか普通のやり方は使わない。なぜなら彼女はあまりに多く闇の中枢に関わってきた人物だからだ。殺した後は、事故で死んだと発表して、その後も商品として売っていく。絶頂期の今に死んだ伝説の女優として彼女の、その栄光を称えていく」

「何故そんな事を? 確かに趣味が悪いな九々龍さんは」

「消した後も、彼女で商売する。それが彼流の仕打ちなんだそうだ。今死ねば伝説的な女優となれる」

「しかしどうやって? 関連商品を売り出してか?」

 それだって限界があるはずだ。

「ボーカロイドってのがあるだろ」

「あぁ、CGのキャラクターがコンサートしたりする」

「そう。あれのもっと凝った奴だよ。最新技術の人工知能と、CGで作ったARを使って彼女を復活させ、永久にドラマやバラエティー、歌で使っていくなどと言っていた。東屋で開発が進んでるんだそうだ」

「『AR-GO』みたいなモンか」

「そうだな。儂も娘がやるんでな。今やってるんだが、なかなか面白い。意外と、昔の出入りを思い出したりしてな(笑)。しかし九々龍氏のいうには、ARメガネやコンタクトを使ったARから、さらに進化させたホログラフィらしい。もう完全に、そこに彼女が居るようにしか見えない。後は完全な九々龍の言いなりタレントとしてな。彼女の伝説を、美しさを永遠にコンプリートするんだ。それが九々龍氏のタレント業の、最終形態なんだそうだ。儂はそれを聞いたとき、何だかぞっとした。まるで死人を操るような話だったからな」

 九々龍のゾンビのようなARルミ江! 冗談じゃない……ルミ江は歯軋りした。分身の術の悪用なのか。九々龍め、悪党め! あたしをそんな風に使われてたまるか! あいつの思い上がりをこの手でふっ潰してやる。殺した後もあたしを利用しようなんて……絶対に許さない……絶対に許さない!

「俺は不吉な予感がする」

 漆原と呼ばれた男は呟いた。オールバック下の、全てを射すくめる三白眼。彼は注がれた酒にも手を着けず、一点を見つめている。

「なにがだ」

「レンジャーの一人が裏切った。あの者達をうまく飼えなければ非常に危険だ。この先まずい事になりそうな気がしているんだ」

「必ず早いうちに処理するだろう。お前の直観はいつも正確で驚かされるが、今日は大きな仕事がまとまった、めでたい祝いの席なんだぞ。心配は分かるがな」

 あの男は勘が鋭いと、ルミ江は心の中で唸った。無論同じレンジャーなら、ここにルミ江が身を潜めている事にも気づくだろう。だが、忍の術に疎いやくざは自分を察するまでには至っていないようだった。それも門外不出の忍術ゆえだ。

「如月ヰラの麻薬スキャンダルをリークした黄泉会が、何者かに返り討ちにあったというが、ブラックの仕業だったらしい。その時ブラックは、九々龍氏と対立していた訳ではない。が、彼女自身が独自で行ったことだそうだよ。その辺から、九々龍氏とブラックとの微妙なズレが始まったようだ」

 というと、漆原は重く沈黙した。

 いつもながら漆原は真面目で深刻だな、と舎弟頭は思う。

「それに、ARだのAIだのクラウドビジネスでは付き物だが、それを過信しすぎる九々龍氏も問題だ。俺はああいうのは信用ならんと思っている。過信するのは危険だ」

 漆原は終始無言の二人の男を睨んだ。

「おいおいどうした。今日はやけに神経質だな」

「いや……なんでもない」

 やくざ達は本題に入ると、外国系マフィアとの新たに開拓したルートの話をしはじめた。彼らの仕事が円滑に進み、発展するという事は、それだけ麻薬に汚染された人間が国民の中に増えるという事だった。外国からの輸入船のルート、無論役人さえも買収しているという。ルミ江がこの世界を叩き潰そうとも、たとえここで一箇所を叩くことに成功したとしても、所詮氷山の一角である。政財界のボスをも支配する東屋幕府を相手に、そうそう世の中が変わるわけではない。だが、ルミ江は連中の、人を人とも思わないビジネスに憤り、震えていた。

「レッドに伝えておいてくれ。最近また芸能界でも需要が増えているからな」

「需要が増えるのは結構な話だガハハハ」

 赤ら顔の舎弟頭が豪快に笑っている。

 誰かがレッドと言った。レンジャーの一人のことだ。間違いない。彼らが輸入したその一部が芸能界に回っていく。おそらくその仲介役となっているのがレンジャーのヨルムンレッドなのだ。だとすると、パイプ役は芸能界の重鎮とされる年代の人たちではないはずだ。レンジャーは全て若いタレント、それも女性に限定されると、かつて九々龍は言っていた。おそらくその通りだろう。ルミ江はさらに耳を澄まして聞いた。ここでレッドの正体を聞き逃してはならない。

「しかしレッドは今、CM撮影も真っ最中だしな。今彼女を使うのはまずいんじゃないか」

「九々龍氏がいいと言っているんだからいいんだろう」

 CMを撮影している……誰? 誰だ?! 何のCMだ。レッドのおかげで、どんどん新しく業界に入っていく若い子たちの中にも、きっと汚染されていく子たちも出てくることだろう。如月ヰラのように。その被害者の中には、ルミ江も親しい人間も入るかもしれない。だがやくざ達は、意外にあっさりと仕事の話をまとめると、酒呑みに集中し始めた。

 その中で、周囲と明らかに様子の違う男達が二人混じっている。人工知能の話をしたとき、やくざ達は誰もが驚いていた。だがその二人の男は、全く驚くことなく無言で耳を傾けていた。彼らが東屋財団のエージェントに違いない。だが彼らは相槌を打つだけで、一言も発しない。どうも監視役のようだった。

 やくざは料亭の食事に舌鼓を打っている。酒が回り、大声や笑い声に会場が包まれる。すでに数時間が経過した。レッドの話が出る可能性はほとんど絶望的になった。仕方ない。明日は早い。今日はもう帰ろう。そのタイミングでルミ江は下の声を拾った。

「しかしあのタイミングの如月ヰラのスキャンダルは、ちょうどいいスケープゴートだったな。これでマトリ(麻薬取締官)も世間も、しばらくは……」

 ルミ江は天井裏のダクトでブルブルと怒りに震えていた。華奢なこぶしが硬く握られている。許せない許せない許せない許せない許せない。

 ルミ江は、薬に溺れたヰラの事を、そしてこの芸能界の事を考えた。それを思うともう、ルミ江は連中の和気藹々とした声を聞いて、このまま帰ることができなくなった。今日は、情報収集だけにとどめておこうと思っていた。明日は収録だから、早めに帰って、最近の睡眠不足を解消して、お肌を労わろうとビーナス・ヴォルテージを使って寝ようと思ったのに。(くそっ)ルミ江はもはやこの幸せそうな悪人どもを生かしておく事ができなくなっていた。

(今夜、あたしに話を聞かれた事を、不運に思うんだな……)

 通気孔の金網のフタの隙間からピアノ線を垂らした。真下にいる男は女の話で盛り上がっている。瞬時に男の首にピアノ線が巻きつく。力いっぱい引っ張り挙げると、男がギャアと叫んで、その体躯をバタバタさせながら浮かび上がった。一瞬、超常現象でも起こっているのかと周囲が驚いたのもつかの間、男の首は胴体と永遠に別れを告げた。鮮血が飛び散り、料理の載った机の上に降り注ぐ。マグロのような巨体がドウッと倒れる。酔った男たちはよろよろと立ち上がる。フタを外し、すでにぐでんぐでんになった彼らの頭上に、黒いボディコンの戦闘服を着た女殺し屋は舞い降りて、机の上に着地した。キッと正面の若頭の顔をにらむ。若頭はゾッとした。漆原は速やかに立ち上がった。彼だけが手元に日本刀を携えており、他の者たちはチャカを携帯している。ルミ江はすぐに察した。この男が一番危険だ。あえて刀を持っているという事は腕に相当自信を持っているはず。他の者のように飛び道具に頼ることができるにも関わらずに。

 ルミ江は酩酊した男達が混乱している間に、机をひっくり返すと身を屈め、近寄って来た男を右拳でぶっ飛ばした。男は襖を破って吹っ飛んだ。この、身長が一六〇センチしかない華奢な彼女が、忍に参加してから修得した忍術で大男を吹っ飛ばすくらいの事は可能なのだ。後ろの男の胸を、太ももから抜いたドスで切り裂く。男はくるくると舞いながら倒れる。シュッとピアノ線を投げ打つ。弧を描きピアノ線は宙を走る。男達の首筋をかすめ、血を吹き出させながら。鍛えぬいた男が二人、ルミ江を捕まえようと飛び込んでくる。天井の照明にピアノ線を絡めて飛び上がる。ブランコの要領で、前方の男を蹴り上げる。

 銃が続々と火を噴いた。だがどれもルミ江の頭には届かない。酔っていて焦点が定まらない眼で撃っても無駄だ。ルミ江はするりとピアノ線を解くと、畳に着地する。またピアノ線が空中を切り裂き、男を捕らえると首を切り離した。若頭は障子を破って、廊下へと転がるようにその場を脱した。酒のせいで視界が狭い。携帯で本部に連絡する。

 部屋の中で立っているのは、ルミ江と漆原という男だけだった。いつの間にか、東屋のエージェントの二人は、やくざ以外の政治家と芸能人を外へ逃がし、自分たちも脱出していた。漆原はルミ江の攻撃を避けるばかりで、攻撃しようとしてこなかった。彼は相手の動きを見ていた。漆原は日本刀を持って、正面二十メートルのところに立っていた。実は彼だけは酒を呑んで居なかったのである。何故なのか終始不吉な予感が頭を去らず、他の連中が酒に酔いつぶれていく中、じっと考え事をしていたのだった。それが彼の命を救っていた。ただし、今のところは。

(この男はできる)

 ルミ江は刀の構えから察した。刀をまだ抜いていないところから、相手が居合いの達人であるということを。抜けばおそらく一撃必殺。二人の距離は五メートルまで縮んだ。流血と死体の山、ガタガタになった障子や傷だらけの襖。散乱した食べ物が落ちている畳の上を、じりじりと円を描くように移動する。ルミ江の手が先に動く。ピアノ線が走り、男に伸びていく。と同時に、続けざまに三枚の万札手裏剣が飛んでいった。男の抜き去った刀がギラリと蛍光灯に反射して光り、一振りですべてを払った。念の入った万札は三枚ともぱらりと切れ、畳の上に落ちた。ピアノ線は方向を変えて障子を突き抜けている。

「イェエエエエエイッッ……!!!」

 漆原が気合と共に踏み込む。一気に五メートルの距離を縮める怒涛の踏み込みだ。とっさにルミ江は手前の机を蹴って壁にした。が、分厚い机は真っ二つに切り裂かれた。

 ルミ江は転がり回り、再び相手との距離をとった。

(危なかった……)

 もう一度距離を縮められたらおしまいだろう。ルミ江はワイヤーの先端の分銅をブンブンと振り回して、敵を近づけさせないようにしながら、小刀を左手に構えた。

(二秒……三秒、四、五……)

 相手の最初の踏み込みからの秒数を数える。次の攻撃を予想するためだ。

 漆原は上段の構えを取って剣道のすり足で近づく。その踏み込みは一歩で一気に距離を縮めるものだから、勝負は一瞬にして決まるはずだ。相手の殺気から、異常なほどの集中力を感じ取れる。決して、ルミ江の隙を逃さないだろう。ルミ江の分銅がブンブンと空中を切る音だけが部屋に響いている。そこへ仲居がやってきた。仲居は凍りつき、やがてギャーッと叫んだ。その一瞬できた隙にルミ江は気づいた。分銅を漆原の首めがけて飛ばす。だが漆原は踏み込む。ルミ江は長い髪を揺らして前転しながらそれをかわし、小刀を漆原につきたてる。男の腹に深々と食い込み、その口から血が滴る。そして宙をにらみつけ、無言のままに仰向けに倒れた。まだ両手には刀が握られている。……勝負はついた。こんな手強いやくざは初めてだった。世の中は広い。凄い男が居るものだ。ルミ江は立ち上がると、外の異変に気づいた。

 料亭の表は逢魔組の殺し屋によって包囲されていた。若頭が呼んだものだった。しかしたとえ銃を持った相手だとしても、ルミ江の敵ではなかった。この中に、漆原ほどの男は居ない。雨の中、忍足で脱出を試みたルミ江は、男達を次々ワイヤーで血祭りに上げていった。それは俊足忍足(しゅんそくしのびあし)と呼ばれる。そのスピードはまるでブレた早送りの映像のように、若頭の眼に映った。彼は震えたまま、全身の力が抜け、銃を地面に落とした。ヨルムンガンド・レンジャーの力が、これほどの戦闘力とは、彼も実際にその眼で見るまでは知らなかった。問題は、何故その相手が今夜ここに来たのか?という事だ。このまま、あの恐るべきワイヤーの餌食になっては敵わない。若頭は至急九々龍と連絡を取るために、その場を離れることにした。

 男たちも雨の中、パニックとなっており、戦場を逃げ出す脱走兵の群れと化した。死体の山を築き上げた加東ルミ江は、真っ赤に血で染まったまま、死体以外存在しない料亭から姿を消した。天から、どしゃぶりの雨が降り注ぐ。その雨は、徒歩で戦場を離れた彼女の身体にこびりついた血を洗い流すのに十分だったが、静かに夜明け前に自宅マンションに戻るとシャワーを浴び、匂いを洗い流した。

 疲れているのに、神経が高ぶって眠れなかった。鏡の前に立つと、十時間後にとてもカメラの前に立てるような顔ではなかった。

(わたしは、自分の復讐心のためだけに人を殺している)

 明け方の恵比寿に行くとチョコレート大福を買った。その時間でも空いている数少ない店だ。今思えば、マネージャーに頼んでおけば良かった。だが自分で買うなどと言ったまま、その後連絡するのを忘れていた。だから、チョコレート大福を包む箱に血の匂いが移ったとしても仕方がない。


九々龍邸に呼び出された女


 高級住宅街の立ち並んだ都内某所。落ち着いたダークブラウンの豪邸。周囲を高い高いレンガ造りの塀が囲み、監視カメラが睨みを利かせる。敷地内も木が生い茂っている。ドーベルマン、火器を持った用心棒たち。

 昨日からの雨は明け方頃に止み、空は明るくなってきているが、まだ曇っている。そして寒い。そこへ、背の高い女が白いコートを羽織って現れた。ここは九々龍俳山の屋敷。その応接間で、九々龍は暖炉の前の背もたれの高い椅子に座っている。まるで綿毛のような猫がその近くを歩いている。女はコートを脱いで巨漢の執事に渡した。

「ご苦労さま。今日呼んだのは、急ぎの仕事があるからだ」

 薬師寺ルカはボスの言葉に黙ってうなずき、ソファに座った。パチパチと暖炉の火が音を立てる静かな部屋の中は二人だけになった。

「相手は今夜君が番組で一緒になる、加東ルミ江だ」

「一体、どういう事なんですか」

 ルカは眉間にしわを寄せ、当惑した。これまでの暗殺目標とは明らかに異質な相手。いや、異質すぎる。ここで、はっきりと理由を聞かねばならない。ウルトラガイの仮面をつけた九々龍はうなずく。理由もなく殺すことが出来たこれまでの相手とは違う。

「そういわれれば君が驚くのも無理はないだろうが、実は、彼女はレンジャーだ。ブラック加東ルミ江だよ。イエローよ」

「えっ?!」

 初耳だった。もっとも、他にレンジャーが居る事は知っていたが、それが誰かという事はこれまで聞かされたことはなかった。お互いに誰だか分からない。それがヨルムンガンド・レンジャーの掟のようなものだった。それにしても、加東ルミ江だったとは。意外すぎる。メジャーすぎる。九々龍の告げた名は、ルカにとってあまりに衝撃だった。

「昨日の晩、正確には今日の午前まで、深夜になるが、赤坂で逢魔組が彼女に襲われた。若頭の報告では、死者はおよそ二十名。ある事情があって、わたしより先に動いてしまったんだ」

「どんな理由なんですか」

 姿勢よく立っているルカのバストのラインがくっきりと浮かび上がる。

「誤算だった。あのようなリスクをあの子が選ぶなんて。実はな……何でそうなってしまったのかというと、言いにくい事だが、ブラックは裏切ったんだ」

 ルカは黙った。これまでの自分のキャリアーのバックに九々龍の力があり、ルカはそれを信じて生きてきた。闇に関わるようになって二年が過ぎている。これまで命令どおり暗殺の仕事も完璧にこなしてきた。

「なんでそんな事に」

「君自身が知る必要はない。いや……正直に言うべきか。わたしも本当のところは分からない。だがわたしに向かって、ブラックははっきりと言った。芸能界の闇の構造を潰す、そしてわたしに見届けろと。この私に向かってな。思い上がりも甚だしい事をな」

 芸能界……構造……叩き潰す。そんな事、できるわけがない。

「これから君にはますます期待させてもらう。彼女の分までな」

「分かりました」

 ルカはニヤリとした。ルミ江が死ねば、その後彼女の分まで自分に仕事が回ってくるのは確実だろう。九々龍自身の口からその言葉を聞いた。薬師寺ルカは野心に満ちた女だった。彼女は、この芸能界の仕組みを信じることができる人間の一人だった。その後、九々龍はあれこれと具体的な指示を出した。

「では、これにて」

「待ちたまえ」

 立ち上がって去ろうとするルカを九々龍は引き止める。

「イエロー。また一人、人を殺しただろう。理由を聞かせてくれ」

 ルカはしばらく考え事をしていたが振り返り、認めた。

「確かに一昨日スタッフを一人殺しました。……それが何か」

「……」

「どうしても理由を言わなければなりませんか? 九々龍さん」

「事後処理をするのは、わたしなんだぞ。東屋に事後報告せにゃならん。東屋から政治家、政治家から警察に口を利いてもらうためにも、知る権利がある」

 ルカはツカツカと九々龍に歩み寄った。

「死んで当然だわ! あいつが盗撮魔だったからだよ。それにさ、勝手に編集して個人的に売ってたりしてたんだから。頭を勝ち割ってやった」

 ルカの手に銀色に輝く円盤状のものが握られている。

「なぜそれを先に言わん? 殺す前に言えば、こっちで配置換えするなり、不貞者一人くらい辞めさせる事くらい簡単にできたんだぞ」

 九々龍は頭を抱える。ルカにはたびたびそういうところがあった。無計画に人を殺す。以前にも同じような理由で、先輩俳優を殺した。罪悪感はまるでない。

「私が許せなかったものですから。一瞬でも長生きさせたくなかった。いけませんか?」

 ルカはスタッフを殺害した後、録画されたデータを全て自分で焼却した。ボヤのせいで、スタッフの死体を九々龍が処理する前に他の社員に見られている。もみ消しに手間が掛かる。記憶を抹消しなければならなかった。……赤坂の料亭に引き続き、またしても『アズマトロン』の出番か!

「分かった。確かに殺すのはもっとな理由だな。だが、今後は殺る前に一言言ってくれ、わたしに」

 ……若いレンジャー達を統率するのも一苦労だ。

 ルカは頭を上げ、にやりとすると頷き、「では今夜を、お楽しみに」と言って去った。九々龍は去った後、ルカの「死んで当然」という言葉を頭の中で繰り返している。


「食わず嫌い晩餐会」後の死闘 後編


 ルミ江は青い顔のまま、最後の食材・キャビアを食べている。手の震えが収まらない。だって……嫌いなんだもの。彼女はイクラなど、魚系の卵が大嫌いだった。プチプチとした感触、生臭さといったら他に類を見ない。こんなところで吐いたらこれまでの苦労が何もかも台無しだ。しかし笑顔を崩すわけにはいかない。薬師寺ルカは屈託なくトークをこなしている。こっちが、自分を狙っている刺客だと見抜いた事を、多分ルカも察しているに違いない。そうだとしても二人はまるきり普通のタレントとして変わらない仕草で振舞うことができた。

 ルミ江は、あまりトークは得意ではない。「マジ駆る九ノ一」などのドラマで見せる異様な明るさ、面白さは作られたものであり、役の日芭利@美と加東ルミ江はまるで別人と言っていい。本来のルミ江は物静かで自分をさらけ出さない。それが誤解を生む事もしばしばある。だが、女優業を本業とする自分にとっては別にそれでいいのではないか。芝居の中で、いろいろな人格、作られたキャラクターに変貌する。面白探偵役やそれこそ「ストップ! ギャングアイドル」でのやくざの家に生まれたアイドル。「ストップ! ギャングアイドル」はルミ江にとっても、まるきり冗談のような役だった。闇社会に生きる彼女が、その役を演じる事は奇妙であった。立ち回りの一部に、忍びで鍛えた術が出てしまうこともたまにある。相手役を危うく蹴り飛ばそうとしたこともあった。

 ルミ江の演技のお陰なのか、「食わず嫌い晩餐会」は彼女の勝利に終わった。薬師寺ルカの苦手なものは、豚と卵の「他人の空似丼」。撮影は無事終了し、スタッフが片付けに入るともう深夜十一時を過ぎている。外は人も疎らにしか歩いていない。マネージャーが早く彼女を帰らせようとルミ江を探したが、どこにも居なかった。控え室にも戻っていない。聞くと薬師寺ルカも居ないという。二人のマネージャーが広い館内を右往左往している。

 その頃、ルミ江とルカは無言のまま、渡り廊下の上を決闘の場に定めて対峙していた。蓬莱テレビの渡り廊下は、遠くから見るとむき出しの鉄骨のように二つの建物をつなげている。その廊下の屋根に立ち、建物の明かりで下から照らされた二人がにらみ合っていた。東京湾から吹く風が強い。彼女達の長いが身の毛が海風に靡く。港は都市の明かりに縁取られて美しく輝いているが、二人は東京の夜景を楽しむ余裕はない。

「番組ではあなたの勝ちだったけど、こっちの戦いはわたしが勝たせてもらうよ」

 ルカから声をかける。姿勢良く立ったルカの、大きな胸の形がくっきりと浮かび上がり、長い茶髪がふわふわと風に靡く。この瞬間まで二人はずっと、一言も交わしていなかった。

「そうは、どうかな」

「わたし、正直言って、今夜対決してる自分に驚いてるよ。ずっと、あなたのファンだったから! 『マジ駆る九ノ一』凄く面白いから見てるよ」

「それはありがとう」

「あなたを尊敬してた。九々龍さんの命令で、『首都高最前線!』の事故を最初に仕掛けに行ったのもあたし。結局ルミ江ちゃんに、小さな事故に変えられちゃったけどね。ルミ江ちゃんって優しいよね。あたしは黄泉会とつながった祭ヶ丘才郎の件も暴いた。加東ルミ江ちゃんこそ、一流芸能人っていうにふさわしいって今も思ってる。前に、一度イベントでね。見たことがあったの。もう、テレビなんかで見るより凄いオーラで、とても近づけなかった。タイプは違うけど、ずっと目標にしてたんだ」

 ルミ江は一瞬沈黙したが返事する。

「ルカ。もし、良かったらわたしと一緒に戦わない? あなた、こんな芸能界でいいと思う? 近代以後の日本で、芸能界だけが東屋幕府の闇の幕藩体制なんて。授けられた力で、この世界を変えたいとは思わない」

 ルカの表情は変わらなかった。

「せっかくのルミ江ちゃんからのお誘いだけど、断る。今度、わたしの映画やるんだけどサ!」

「知ってる。『ビューティーバニー』よね」

「結構がんばったんだよ。ルミ江ちゃんにも観てもらいたかったなぁ。でも、残念だけどそれは出来ない」

「いいえ、ぜひ拝見したいわね。暗音(あんのん)監督だし。あなたが死んでしまっても、映画は残る。でもあなたの生まれ持った、奇跡のボディがあればこそ、『ビューティーバニー』の実写版は完成させることが出来た。でも、そのボディーが、今日でおしまいになってもいいの?」

 その加東ルミ江は暗音監督の映画「キス&パラダイス」に、女性高校生役で出演している。

 ルミ江は「マジ駆る九ノ一」での貧乳設定で笑いを取った。対峙する薬師寺ルカは巨乳揃いの【イエローキャンディ】でも、奇跡のプロポーションといわれるグラビアアイドル。二人は対照的だった。

「おしまい? 冗談じゃないわ。これで飯食ってきたんだから。そんな簡単にオシマイにする訳がないよ。あなたが大好きだから今夜あなたに、死んでもらおうと気持ちの整理を着けてきたんだから。九々龍さんの言葉を伝えるわよ。栄光の全てを掴んで最高に輝いている今この瞬間に、死んでください」


「絶頂の今死ねば、伝説を残すことができる!」


「芸能界に長く生き残れば、その分落ちぶれてしまうこともある。結婚だ離婚だって、平凡になって皆の記憶から忘れられていく。落ちぶれていくあなたなんか見たくない。でも今死ねば、加東ルミ江の伝説は、永遠のものとなる」

「私が一番嫌いな考え方よ! 仕方ないわね。死んでもらう」

「そんな青い顔して、勝てると思うー?」

 ルミ江は右手を突き出してワイヤーを飛ばした。ルカはバック転を三度繰り返し、引き下がって、見事にワイヤー攻撃をかわし切った。足も長いが身体が柔らかい。体操をやっていたらしい。ぐにゃりと上半身を曲げ、ワイヤーをかわしている。ルカの手が動く。その手から銀色の円盤が投げつけられた。ブーンと低い唸り声が響いてくる。ルミ江のワイヤーと同じように、紐が付いており、その先端に鋭利な刃物が着いた円盤がつながっている。鋭い歯を持った金属のヨーヨー。円盤の歯がルミ江の髪を掠り、切った。

 ルカはまるでフィギュアスケート選手のようにスピンしながら、ブンブンとヨーヨーを繰り出してくる。その動きは変幻自在で、夜陰に乗じて襲撃してくる。とても近づけない。その制空権に近づいた者は、たちまち切り裂かれる運命にあった。避けるのが精一杯で、ルミ江は渡り廊下の屋根を走った。だが、相手の足の方が速かった。ルミ江は球形展望台の屋根によじ登り、窓を開けて中へ入る。誰も居ない。追っ手のルカが飛び込んできた。

 同じワイヤー系の武器か。ルミ江の考えではワイヤー系の武器は、非常に高度な技術を要する。そう簡単には真似できない。さらに、こっちは直接当たっても大したダメージを与えることができない分胴、相手にはヨーヨーが着いている分、このままじゃ不利だった。

 ヴンと不愉快な音を立て、飛んできたヨーヨーはルミ江の背後の壁面のコンクリートを削った。バラバラと白い粉が飛び散る。廊下を走って彼女から逃げる。万札手裏剣を投げるが、あっさりと跳ね返された。ルカは走りながら、ヨーヨーをルミ江の首に投げつけた。ヨーヨーはルミ江の首に巻きつき、彼女はドッと後ろに倒された。引きずられるルミ江は立ち上がり、これ以上締め付けられないようにルカにタックルした。だが、ルカの膝がルミ江の腹部にヒットする。気が遠くなるほどのキックだった。ルミ江は相手の髪を掴み、引き倒した。二人は廊下へゴロゴロと転がった。下になったルカが、頭上のルミ江に向かってヨーヨーを跳ね上げた。ヨーヨーは天井に突き刺さった。すぐ引っこ抜くとルカはまた繰り出す。

 ルミ江は窓を破って再び外へ出た。落ちていく瞬間、向かいの建物にワイヤーを張り、綱渡りのようにその上に立つ。ルカも音に出て、ワイヤーの上を進んでいく。二人は空中でそのまま対峙した。

 ルミ江の手には小刀が握られている。強い風が吹いても、二人は身じろぎしない。そのまま、数時間が経過した。どちらが先に動くかで、勝負は一瞬にして決まる。

両者の頭の中ではずっと激しい戦闘シュミレーションが展開していた。

 遂に、ルカのヨーヨーが動いた。それをかわしたルミ江は、相手のワイヤーを解いた。二人はワイヤーから外れて宙を舞った。ルカのヨーヨーが壁面に食い込み、落下を防いだ。ルミ江はするりとワイヤーを他の場所に絡めると、ヨーヨーの動きを奪われた薬師寺ルカの身体に小刀を突き刺した。ルカの釣り眼が歪み、沈黙の直後、断末魔と共に落ちていった。

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