第2話 桜田門


 恐る恐る職場である総務部情報管理課に顔を出すと課長はまだ現れていないようだった。

 直ぐに末席にある自分のデスクに向いパソコンを立ち上げる。

 僕の仕事は与えられた資料をパソコンに入力して仕分けするだけの単純で単調なもので、毎日絶えず資料が送られてくるので永遠に終わる事のない仕事だった。

「あれ? 皇君。おはよう」

「おはようございます。花さん」

 同僚で僕と同じ一般職員の橘 花さん。

 髪を一つに纏めシンプルなメガネをかけ、白いブラウスに紺色のベストを着ている。

 おそらくスカートも紺色だろう。

 絵に描いた様な事務員さんだ。

「今日も遅刻なの?」

「すいません、ちょっとトラブルがありまして」

「その巻き込まれ体質を何とかした方がいいわよ」

「あはは、できればしていますよ」

 会話をしながらもキーボードを叩く手は止めない。

 机の上に積み上げられた書類や資料を打ち込み仕分けしていく。

 しばらくするとドアが開き課長が入ってくるなり声を掛けられた。

「皇、広報室に行って来い。お呼びだ」

「は、はい」

 不思議な事に情報管理課の一般職員なはずなのに総務部の至る所から呼び出しがかかる。

 呼び出された先では大概データの修復やパソコンの修理が待ち構えている。

 こんな事が度々あっても周りは何故か不審に思わなかった。


 昼休み。

 僕は庁内にある食堂や外に行かずに自分の机で弁当を広げた。

「皇君、今日も菜々ちゃんのお弁当なの?」

「はい?」

「菜々ちゃんも毎日大変ね。お父さんがもう少しシッカリしないと」

「反面教師ですかね。それに菜々海は自分の弁当を作るついでだって」

「はぁ~ 親が子どもに甘えてどうするの」

 僕は反論をせずに菜々海が作ってくれたお弁当に箸を伸ばす。

 朝がトーストの洋食系だったからお弁当は魚の照り焼きがメインの和食系だった。

「でも、いつ見ても美味しそうよね。まさか皇君が教えたなんて事は無いわよね」

「菜々海は勉強熱心ですからね」

「それでも、料理は難しいじゃない。センスと言うかな、こんな事を言っていいのか判らないけれど母親の味を知らないと家庭科で作った料理みたいになるじゃない」

「そうですね。僕も少しは料理できますけれど教えるほどじゃないから」

「やっぱりお父さんに対する愛情の深さかしら」

 花さんの言うとおり菜々海は母親の手料理の味を憶えていない。

 厳密にいうと憶えているのかもしれないがそれは記憶の断片としてだろう、菜々美が母親の空と別れたのは物心が付くか付かないかの3歳の頃なのだから。

 そんな事を話しながら食事をしていると苦々しい顔をしながら課長が顔を出した。

「八雲、お呼びだ」

「ふぁい?」

 咀嚼中の卵焼きを飲み込み慌てて返事をした。

「役立たずの八雲は物を食べながら喋るなと言われなかったのか?」

「すいません、突然だったので。それで何処からですか?」

 すると課長が親指でサムズダウンした。

「下だ。資料室。美咲女史がお呼びだ」

「それじゃ、これを済ませてから」

「すぐに行け! 俺だって食事中に抜けて来たんだ」

「でも……」

 急いで菜々海が一生懸命に作ってくれたお弁当を味わうことなく申し訳なく思いながらかけこむ。

 課長の顔は爆発寸前だった。

「課長、血圧が上がりますよ」

「全ての元凶はこのモズク頭の役立たずの皇 八雲(すめらぎやくも)なんだよ。橘君」

「あら、皇君は今日の打ち込みは殆ど終わっているのよね」

「はい、それじゃ行ってきます」

 弁当箱を片付けて課長に頭を下げて情報処理課を後にする。

 昼休みは半ばを過ぎたところでまだ終わってはなく時間外労働と言ったところだろうか。

「本当に可哀想に。またレンタルですか」

「あの役立たずの何が必要なのか、さっぱり判らんよ」

「うふふ、課長の評価が低すぎるんですよ。どこでも重宝がられるパシリ属性なんですよ。で、今回の貸出期間は?」

「未定だそうだ、美咲女史にも困ったものだ」

「そうですね」

「橘君は困っている様な顔には見えんが」

「課長、めったな事は言わない方がいいですよ。皇君がここに配属になったのも美咲さんの力添えで。私達だけじゃ追いつかない過去の書類の整理も殆ど皇君に任せているのは課長ですよ」

「あいつの唯一の取り柄だからな」


 僕はエレベーターに駆け込んで最下層にある地下資料室に向かっていた。

 最下層にある通称・資料室は空調が常に一定にされ過去から現在までの全ての事件事故に関する資料がファイリングされ保存されている。

 一見すると薄暗い図書室と言ったところだろうか可動式の書庫が整然と並んでいる。

 だがそれはダミーに過ぎず全ての情報はメインコンピューターに記憶されている。

 しかし、アクセスするにはそれなりの権限が必要で警視庁に勤務する警察官ですら見ることはできず。ましてや一般職員の僕なんか論外もいいところだ。

「美咲。今度は何なんだ? 昼休みに呼び出しやがって」

「こっちよ、八雲」

 資料室の奥にある厳重なセキュリティーで保護されている最重要機密書類があると思われている部屋に入っていく。

 ここは一言で言えば裏の世界の入り口で都警察の本部である警視庁の暗部であり。

 表沙汰にできない事を極秘裏の内に処理する誰にも知られてはいけない機関で公安にすら殆ど存在を知られていない部署だ。

 簡単に言えば超法規の特別公安警察と言った所だろうか。

 大きなモニターが正面にありダブルベッドの様な大きな机にパソコンが数台並んでいる簡素な部屋だ。

 そしてここのボスが菜々海の母親である空の友人だった美咲早苗(みさきさなえ)で、彼女はあらゆる手段を駆使した為に僕がここで一般職員として働かされる羽目になった。

 彼女は内調つまり内閣情報調査室とも太いパイプで繋がりを持っていて、すらりとしてスタイルに男勝りのスーツ姿でそれが嫌味なほど似合っている。

 才色兼備とは彼女に為にある言葉なのかもしれない。

 庁内では人当たりのいい地下の番人を装っている。

 情報処理能力は僕の数倍上を行き超ど級のハッカーで情報収集能力も右に出るものは居ない、体術のスキルに関しても秀でたものを華奢な体に似合わず秘めている。

「しかし、いつも急だな」

「あら、急じゃなきゃ仕事なんて私の所になんて来ないでしょ」

「まぁ、そうだが」

「それに今回はあなたでないと手に負えないのよ」

「中東のテロ組織でも壊滅させるのか?」

「それより難しいかもしれないわね」

「それじゃ、他をあたるんだな」

「あのね、AAAのあなたにしか出来ないって言ったでしょ。気難しい女の子の護衛よ」

「それこそ、他をあたれ。専門外だ」

「請負屋があなたの本業でしょ」

「はぁ~」

 肩を落としてため息をつく。

 請負屋と言うか何でも屋が正しいかもしれない。

 表では扱えない様な物事を処理するのが僕の本業であり裏の顔だった。

「で、誰を護衛するって」

「彼女よ。もう既に護衛できない状態かもしれないけどね」

「随分と呑気だな」

「私を訪ねて来る手筈なのに現れないのよ」

 そう言いながら美咲は一枚の写真を机の上に滑らせた。

「名前はリーナ」

「栗毛色の髪の毛の長い女の子か」

「知っているの?」

「いや、今朝通用門で会った。厳つい男に追いかけられていたけどな」

「で、どうしたの?」

「丸の内の近くまで運んだら消えたよ」

 美咲が提示した写真に写っているのは切れ長のグリーンの瞳が印象的な今朝出会ったばかりのイタリア語の女の子だった。

 詳しい事と言っても先に述べた事が殆どなのだが美咲に事細かく説明させられてしまう。

 こんな事をしているより彼女を探す方が先決なのだが今頃は既に……

 あまり考えたくないイメージが浮かんできた。

 髪の毛を掻き上げて腕を下げると固い何かが腕に当たり、背広の上着のポケットに何かが入っているのに気付いた。

 取り出してみるとそれは指輪だった。

 そしてメモ用紙の様な小さな紙が床に落ちた。

「何なの?」

「指輪だ、彼女かもしれない」

「如何したの?」

「いや……」

 指輪には大きな角を持った山羊の紋章が彫り込まれていた。

 これと似た物を何処かで見たような気がして言葉を濁してしまった。

「恐らく彼女が慌ててあなたのポケットに投げ込んだのね。メモには携帯の番号が書かれているわ」

「無事なら居場所が判明しそうだな」

「そうね。生きていればね」

 あまりにも酷い言い様だ、仮にも護衛してくれと依頼されたんじゃないのか。

 そんな事を考えていると美咲がすぐに居場所を調べ始めた。

 携帯番号で居場所を調べるなんて事はここに居れば当たり前の事で、直ぐに居場所が判明した。

「移動しているわね。行先は日比谷公園かしら」

 日比谷公園は目と鼻の先だ、何とか追っ手を撒いてここに来ようとしているのだろう。

 それはおそらく相手の思うつぼだ。

 最後まで聞かずに資料室を飛び出し美咲に電話する。

「すぐに詳しい情報を」

「判っているわよ」

 笑いながらそんな事を平然と言ってのける美咲はかなり腹黒い。

 恐らく俺が依頼を断るなんて事をしないと言うのを予め判っていたのだろう。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る