駆け出し冒険者の湯

書籍版がアーススター文庫様より8月17日発売します。

宜しくです。



(御入浴における諸注意)


・魔術師、エルフ、ドワーフなど様々なお客様が来店します。

 文化や生活習慣の違いによるトラブルがあるかもしれませんが、湯に流しましょう。

・入浴マナーは守りましょう。

・今日の日替わりの湯は身体が芯から温まる『麦酒エールの湯』です。

 ※飲むことはできません!



「やあ松の湯へようこそ」


「マ、マツノーユ?」


「おう古き良き銭湯ってやつだよ」


「セ、セントウ?」


 ミルズは確かワグナード大迷宮にいたはすだった。


 そこは邪悪な魔術師が作り出した地下迷宮だ。

 恐ろしい魔物や罠が待ち受けている代わりに、莫大な財宝が眠っていると言われている場所でもある。


 ただうっかり大事な地図を落としてしまったのが運の尽き。

 延々と薄暗い石壁の回廊を彷徨い歩き、もう地上には戻れずこのまま死ぬのだと絶望していたのだが――


「ここは……」


 気が付くと何かの店にいた。

 天井は昼のように明るく、床は木目板になっている。

 奥の方にひときわ高い取引台のようなものがあり、そこから親しげに話しかけてくるのは見慣れぬ恰好の青年だった。


「はっはーん兄ちゃん、さては駆け出し冒険者だね?」


「そ、そうですけど」


「よし物は試しだ。うちの湯に入ってみなよ」


「は、入る?」


「そ。お一人様七十Gだよ」


 店主らしい青年の勢いに押され、気づくと銅貨を差し出していた。

 代わりに手渡されたのは真新しい白布たった一枚だけ。

 果たして、これを何に使うというのだろうか。


「あのところで……」


「おう、おらあ若旦那ってんだ」


「ワカダンナさん……何故、ミルズが駆け出しの冒険者だって分かったんです?」


「まあなんつーかただの勘だな」


「はあ……勘ですか」


「兄ちゃん、どことなーく頼りなげな感じだし、冒険者を始めて数か月ってところだろ?」


「……」


「これでも長年ここにいるからねえ。客を見る目は肥えてるつもりだよ」


「そうですか……」


 ミルズはがっくりと肩を落とす。


 自分はしがない靴屋の生まれだ。

 手先が器用だったから、稼業を継げばそこそこ幸福に生きれたに違いない。


 でもどうしようもなく冒険者に憧れてしまった。

 一旗あげたい。自分には他人と違うとてつもない素質が隠れているはず。

 そんなごくありふれた初期衝動に突き動かされて、実家を飛び出したのはいつだったか。


 以来、迷宮専門の盗賊になってはみたものの、何の成果も挙げられないままの貧乏暮らしだ。


「……」


 ワカダンナの言う通り、自分はどこにでもいる駆け出しの冒険者。

 ただ冒険者組合に登録をして、もう二年以上の月日が過ぎてしまっていた。



「のう人間の兄ちゃんよ」


「……」


 ダツイジョと呼ばれる部屋で、勝手が分からず戸惑っていると、再び声をかけられた。

 今度はごついドワーフだ。


 半裸姿で、鋼のように鍛えられた見事な肉体を晒している。

 しかし何故、彼は服を脱いでいるのだろうか。


「お前さん駆け出しの冒険者じゃろ?」


「……」


「大方、ダンジョンを彷徨っている途中で、此処にやってきた……違うかね?」


「な、何故、分かるんですか」


「ふむ……」


 ドワーフは顎秀を撫でながら、ミルズの旋毛から爪先までを眺めるようにした。


「例えば、その泥まみれの情けない顔と、背中に背負った寝袋とランプ」


「はあ」


「それから手入れのなっとらん皮鎧に、腰に下げた安そうな長剣」


「まあ」


「後はまあ見るからにヒョロヒョロの身体つきで大体見当がつくな」


「うう」


 あまりに歯に衣着せない物言いに、思わず何か言い返したくなった。

 ただ事実なので言い返す事ができない。


 一方でドワーフは見事な上半身だ。

 よく見ればそこらじゅうに、薄らと大きな爪疵や刀傷などを古傷として残している。

 もしかしたら同業者でそれなりに腕利きの人物なのかもしれない。


「……」


 彼の半分でいいから、逞しさに恵まれたかった、と心のなかでぼやいた。

 そうすれば駆け出しなどと馬鹿にされないし、何かしらの成果を上げれるはずだ。


「まあそんなに気落ちしなさんな。お前さんは見たところマツノーユは初めてのようじゃの」


「ええ……ここは何をする場所なんですか?」


「そりゃあ勿論、心と体の疲れを癒す場所じゃよ」



 大迷宮に乗り込んだのは数日前だ。

 正直、自棄になっていた。


 冒険者として何も成果を挙げられていない焦りから、冒険らしい冒険に挑めてすらいないことへの不甲斐なさから、居てもたってもいられなくなった。

 そして気が付くと準備もそこそこに突入していた。


 だがまさかコボルトの集団に追いかけ回され、地図を失くし、三日三晩、死の恐怖に駆られ過ごす事になるとは思わなかった。

 身も心も疲れ果てた末に、辿りついたのがこの場所で本当に良かったと思う。


「はあ……マツノーユ……だっけ」


 ドワーフの言う通り、湯船は心地良かった。

 まさか地下迷宮の果てにこんな場所があるとは思わなかった。


「何だろう……この不思議なお湯……」


 試しに湯を手ですくって見る。

 物凄く透明感のあるが、僅かに薄いオレンジ色だった。

 微かに漂ってくるのは果実に似たフルーティな香りはどことなく冒険者酒場で出されるあの飲み物を思わせた。


「麦酒エールみたいだ……?」


 似ているのは見た目と香りだけではない。

 湯船に満たされた液体は、かの飲み物の如く細やかな極小の泡を生みだしていた。


「はあああ……」


 心の底から溜息が漏れた。

 湯が暖かい。

 いや湯自体はぬるめなのだが、無数の泡が身体を覆い、それが不思議と温かかいのだ。

 そして、それが強張った筋肉の凝りを解し、張り詰めていた緊張を緩めてくれる。

 まるで楽園にいるようだ。


「正直向いてないのかもなあ……」


 冒険者を始めて早、二年。

 それだけ続けても駆け出しのままなんて情けないを通り越して、恥ずかし過ぎる。


「ここら辺が潮時なのかもしれないなあ……」


 今からでも遅くはないから引退した方がいいかもしれない。

 帰郷して、両親に謝り倒し、家業の靴屋を継がせてもらった方が人生マシなのかもしれない。


「でも……でも本当にそれでいいのかな……」


「なあアンタ」


 ふと声をかけてきたのは隣にいた人物だった。

 自分と同年代くらいの青年だ。

 ドワーフ程ではないにしろ引き締まった身体つきをしており、何となく同業者のような気がした。


「アンタ、駆け出し冒険者だろ?」


「……」


「もしかして大迷宮で道に迷って困ってるクチなんじゃないか?」



 正直、カチンときた。

 こう何度も何度も駆け出しと看過されるのは一体どういう事なのか。

 もしかしたら自覚がないだけで顔に『駆け出し冒険者』とでも書いてあるのだろうか。


「そうだけどさ、それが何だよ」


 思わずぶっきらぼうに答えてしまう。


 すると相手は「良かった」と何だかほっとしたような様子を見せた。


「いやさアンタにひとつ相談したいことがあるんだよ」


「相談?」


「そう。良ければ俺と組まないか?」


「組む?」


「実は俺も大迷宮から迷ってここに来たクチなんだわ」


「……」


 やはり彼も冒険者だったらしい。

 自分と同じように探索途中で地図を失くして、気付くとこのマツノーユに辿りついたのだそうだ。


「性悪なオークの集団に追われてさ〜地図どころか食料もなくしちゃってもう散々だよ」


「そうなんだ」


「いやあ盗み聞きしてたわけじゃねーんだけどさ、ドワーフのおっさんと話してるのが耳に入ってさ、アンタも冒険者だっつーからこいつはラッキーって、思ったね」


「……」


「どったの?」


「いや、あの『組む』って、二人で地下迷宮を攻略しようって意味でいいの?」


「当然じゃん。他にねーだろ?」


 こちらとしては青年の提案は願ってもない事だ。

 ただ確認しておかねばならない事がひとつだけある。


「こっちは駆け出しだけど、それでもいいの?」


 すると青年はにかっと笑う。


「気にすんな。俺も同じだよ」


 成る程。

 ならばと、湯から出した手を差し出た。


「僕はミルズ」


「俺はアザックだ。宜しくな相棒」


 握手を交わす。

 まさかこんなよく分からない場所で、仲間ができるとは思わなかった。


「俺は、こう見えて冒険者歴は三年だが、まだろくな成果は出せてねえ」


 アイザックは胸をはって自慢にもならない事を宣った。

 確かにその顔をよく見れば、『駆け出しの冒険者』と書いてあるような。


「ともかく宜しく頼むよ」


 彼とは仲良くやれそうだった。

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